60話 夫
酔ってお兄様に絡からみ、躾の悪い犬のように暴れていたフレデリック様を、ベルナール様が上着の襟をつかんで後ろに引き倒した。
フレデリック様は無様に後頭部から倒れて、ゴツッ! と痛そうな鈍い音を立てて、舞踏室の床に頭を打ち付けた。
「ううっ…! 痛ってぇ…… うぅぅ… クソッ!」
寝転がったまま頭を押さえて、フレデリック様はうめき声をあげる。
ベルナール様は床に片膝をつき、フレデリック様の耳元でヒソヒソと囁いた。
「伯爵は無能な娘婿を切りたがっていたが。麻薬に溺れて、こんな騒ぎをおこす奴では仕方ないな」
「なっ……⁉」
痛む頭を抱えて絨毯の上でうめいていたフレデリック様は。
ベルナール様の口から義父の名まえを聞き、ガバッ…! と身体を起こす。
フレデリック様にとって、アンヌ様のお父様はよほど怖い存在なのだろう。
耳元で囁いたベルナール様を、恐怖の眼差しで見つめている。
「べ……ベルナール・カザートン。お前は!」
「この騒ぎについて、私からラプリー伯爵に報告しておこう」
「お前はいったい、何者なんだ……?」
今まで見せたことのない冷ややかな表情で、ベルナール様は怯えるフレデリック様に追い打ちをかける。
「フレデリック。お前のような役立たずは速やかに処分すると、リプリー伯爵はおっしゃるだろうな。これでアンヌも喜ぶだろう」
「クソッ……」
さっきまでの強気な態度を引っ込め。フレデリック様は青い顔で頭を押さえながら、あわてて舞踏室から出て行った。
何事も無かったかのようにベルナール様は立ちあがり、少し離れて様子を見ていたリュシアンお兄様の肩を、トントンッ… と叩く。
ベルナール様は私のもとへやって来て──
「大丈夫か、レオニー?」
「あ……べ、ベルナール様……」
「怖かっただろう?」
ベルナール様は労わるように私の腕をなでた。
「ああ…… はい。ベルナール様」
ベルナール様の言う通り、私の身体は今も見苦しくガタガタと震えている。そんな私を人の目も気にせず、ベルナール様は広い胸にギュッと抱き締めてくれた。
「もう、大丈夫だよレオニー」
「はい」
私はベルナール様に抱き締められ。恐怖と緊張で強張こわばらせていた身体から、力が抜けてハァ───… と安堵のため息をついた。
急に目頭が熱くなり、安心したら涙が出そうになった。
「リュシアン卿、私はレオニーを休ませてきます」
「ああ、はい。妹をお願いします、ベルナール卿」
お兄様に舞踏室から退出することを伝えると。
私と同じようにフレデリック様の暴挙に怯えていた、友人たちにベルナール様は軽く頭を下げる。
私の腰に長い腕を回し身体を支えながら、ベルナール様は私を舞踏室から連れ出してくれた。




