59話 おじさんが……
毎年、豪華に開かれることで有名な夜会なら、元婚約者のフレデリック様がブリンクロウ侯爵家に来ていても、おかしくはなかった。
出来れば顔も見たくなかった人なのに。会場に入って早々に、そのフレデリック様と遭遇した。
「何だと、レオニーだって⁉ 彼女があの、『カマキリ令嬢』なのか?」
「……っ⁉」
学園生時代。私を侮辱し苦しめた、忌まわしい言葉が私の耳に飛び込んできた。
ビクッと身体を強張らせて、私に侮辱の言葉を放った相手を振り返って見た。
──だが、私を侮辱した相手の顔を見ても、誰かわからなかった。
「……誰?」
相手の身長は、女性にしては背が高い私と同じぐらいで。お腹はポッコリと出て小太りなうえに、頭髪が薄くなりかけている。
顔はまん丸で、お酒を飲んでいるらしく赤ら顔だ。
本当に最初は、顔を見ても誰だかわからなかった。
──だが、傲慢な口調と声には覚えがある。
『何だと、レオニーだって⁉ 彼女があの、『カマキリ令嬢』なのか?』
あんな言い方を私にする人は、この世に一人しかいない。
「フ、フレデリック様……?」
(この人に何があったの? 男性って成人するとこんなに老けて見えるモノなの⁉ フレデリック様よりも年上のお兄様の方が、ずっと若く見えるわ)
ベルナール様に贈られた魔道具のメガネで良く見えているはずなのに。それでも私は自分の目が信じられず、思わず目を細めてジッと丸い赤ら顔を見つめた。
フレデリック様と最後に会ったのは、ベルナール様と初めて出会った舞踏会の夜だった。
そのあとすぐにキンレット男爵領で問題が起きて、私は社交活動から遠ざかり家に引きこもっていたから。フレデリック様の変貌を知らなかった。
頻繁に社交活動をしている友人たちも当然、私の前では気をつかって元婚約者フレデリック様の、近況なんて語らなかったし。
(まぁ……驚いた! たったの一年半で、フレデリック様は別人のように変わっているわ!)
フレデリック様と会う機会がなかったし、興味もなかったから。この激しい変化には驚愕するばかりだ。
「何だよ! 本当にレオニーじゃないか!」
前回、会った時は私に軽蔑の眼差しを向けていた人とは同一人物とは思えないほど。フレデリック様は親し気に声を掛けて来た。
「……お久しぶりです。フレデリック様」
(嫌だわ。この人、こんなに赤い顔をして……まだ舞踏会のダンスも始まっていないのに。もう酔っているのね)
私は戸惑い、フレデリック様に素っ気なく対応した。内心では婚約していた頃のように、無視してくれれば良いのにと思いながら。
「クックックッ……お前もやれば綺麗になれるじゃないか。もっと早く努力していれば、僕だってお前を捨てたりしなかったのに」
「フレデリック様……」
(私の婚約者だったころは甘い容姿の美男子だと言われて、学園でも人気があったのに……)
キンレット男爵領で牛の世話を頼んでいる、ポールおじさんにそっくりだ。
いつも酔っていて顔が赤いところとか。太っているところまで。
……でもポールおじさんの年齢は五十過ぎで、孫までいる。
フレデリック様はニヤニヤと笑い。不躾な視線を私の顔から身体へと下ろし、舐めるように見た。
背筋がゾッとして私の腕に鳥肌がたつ。
(嫌っ! 何なの⁉ 私の身体をジロジロ見て……フレデリック様はこんなにいやらしい人だったの⁉)
あまりの変貌ぶりに、私の動揺を感じ取ったお兄様がフレデリック様との間に割って入り、私の代わりに対応してくれたけど。
お兄様とフレデリック様が言い争いになった。
「何なんだ、お前は! 僕はレオニーに話しかけているんだ、邪魔をするなリュシアン!」
「酔っぱらって、ずうずうしく妹に絡むのは止めてくれ」
「何だと⁉」
「君が妹の婚約者だった頃ならともかく。今はお互い別の相手と結婚しているのだから。礼儀をわきまえろと言っているんだ」
「この……っ!」
見た目だけではなく、フレデリック様は中身まで別人のように変わってしまったのか。
酔っていて理性が働かないのか、フレデリック様は些細なことで激怒した。
いきなりリュシアンお兄様に掴みかかったのだ。
「……おいっ! 止めろ、フレデリック!」
「お前には関係無いだろう? 僕はレオニーに用があるんだ!」
「話にならないな、フレデリック。少しは大人になったかと思ったが、以前より子供に退行したようだな!」
お兄様はフレデリック様を冷笑し、辛辣な言葉で挑発した。
浮気をして私を深く傷つけ婚約を解消したフレデリック様を、お兄様はずっと憎んでいたから。
きっとお兄様は、その恨みを晴らさずにはいられなかったのだろう。
さらに激昂したフレデリック様は、掴んでいたお兄様の上着を放すと。今度はお兄様の首に手をのばし締めようとする。
「このっ……! お前は引っ込んでいろ、リュシアン。レオニーは僕と話したがっているんだ!」
「こんなに君が……酒癖が悪いとは、知らなかったぞ!」
お兄様は自分の首をしめようとする、フレデリック様の手をつかみ抵抗する。
「やっ……お兄様!」
(いったい何なの? 婚約していた頃もフレデリック様は、私の話をまともに聞く人ではなかったけれど。それでも男爵位を継いでいたお兄様には、礼儀正しく接していたのに)
子供のように我がままを言って暴れるフレデリック様の姿に、私の胸の奥に何年も押しとどめていた怒りが噴き出した。
私もお兄様と同じく、言わずにはいられなかった。
「私はフレデリック様と話なんてしたくありません!」
私の声に反応して、フレデリック様が動きを止めてこちらを見た。
「何だと……⁉」
「私と婚約を破棄をしたあなたと、話すことはありません。ですから今後は一切、このようなことはお控えください」
フレデリック様は怒りで身体をブルブルと震わせ。湯気をあげそうなほど、顔をさらに赤くする。
「なっ! この……レオニー!」
「私の兄に暴力をふるうような人と、何も話したくありません!」
「何だと? このお前…っ…レオニー!」
フレデリック様はお兄様から手を引き私に向って来たが。お兄様が素早く私との間に立って、フレデリック様を押しとどめた。
「やめろ、フレデリック! 見苦しいぞ!」
「うるさいぞ、リュシアン! どけ、邪魔だ! おい、レオニー! こっちに来い!」
「いい加減にしろ!」
婚約していた時はずっと従順だった私に拒絶され、フレデリック様はさらに興奮して激しく暴れ出した。
私を守ろうと間に立つお兄様にバシッ! ガツッ! ……と荒々しい音を立て、殴る蹴るの暴行を加え始めた。
乱暴されていてもしっかりと理性を保っているお兄様は、酔っぱらいを相手に舞踏会の会場で殴り合いのケンカをするわけには行かず。
フレデリック様の殴る蹴るの攻撃を、腕で防ぐことしか出来ずにいた。
「キャ─ッ!」
「なんて野蛮な……っ」
「誰か止めてぇ…!」
「おい、君! やめないか!」
周囲で私たちのことを見ていた人たちも騒ぎ出した。
「やっ! やめて、フレデリック様! 誰か、お兄様を助けて! 誰か……!」
目の前でケンカが始まり怯える私の背中を、誰かがトン、トン、 と叩いた。
──アッ… という間の出来事だった。
突然、どこからかベルナール様があらわれ、有無を言わさず暴れるフレデリック様の襟をつかみ、後ろに引き倒した。




