58話 変質2
ウォルコート子爵家の嫡子として生まれ、大切に育てられた僕は世間知らずだった。
だから簡単にラプリー伯爵の罠に嵌り、アンヌとの結婚を選ぶと言う、最大の間違いを犯してしまったのだ。
多幸感と媚薬効果をえられる麻薬に、アンヌは学園生の頃から溺れ。僕と出会った時には、娼婦も真っ青になるほどの尻軽な女になっていたらしい。
そんな娘をラプリー伯爵は野放しに出来なくて、僕に押しつけたのだ。
「カマキリ令嬢のレオニーと、結婚しなくて済んだと思ったら……」
(今度は尻軽女だなんて。僕はなんて、女運が悪いんだ!)
給仕係が運ぶグラスをトレーから乱暴に奪い取り、シャンパンをもう一杯いっきに飲み干した。
(あの女が……レオニーがもっと僕のために努力して、少しでも綺麗になっていたら。こんな苦労はしなかったのに!)
シャンパンを飲み干した空のグラスを持つ手が、ブルブルと震えていた。
麻薬の効果が切れて、僕の身体に禁断症状が出ている。
いくら止めようとしても、見苦しく震える手は止まらない。イライラと荒れた気持ちのせいで、手の震えは増々ひどくなる一方だ。
「クソッ!」
(何もかも上手くいかない!)
一番近くのテラスに出られる扉を開き庭へ出ると、上着のポケットに入れてあった小瓶を取り出し、麻薬を飲み干す。
「これで少しは気分も良くなるだろう……」
ようやくホッと一息つけた。
手の震えがおさまるのを待ってから、室内へ戻ると……噂好きのおしゃべりな貴婦人たちの話が僕の耳に届く。
「ベルナール卿が結婚されたのは、知っていたけれど。彼女がカザートン夫人なの?」
「ええ、間違いないわ。キンレット男爵家の令嬢だと言っていたから」
「まぁ……あの放蕩者のベルナール卿に嫁ぐなんて、ずいぶんと勇気がおありだこと」
「ふふふっ……あれほどの美人だから。ご自分に自信があったのよ」
「キンレット男爵令嬢がデビューした時は、不格好な眼鏡をしていて。あまり冴えない印象のお嬢さんだったのに」
「本当に……変われば変わるものですわね」
「……!」
(ベルナール・カザートン? アンヌの浮気相手が結婚した女⁉ キンレット男爵家の令嬢だって? レオニーのことか? あの社交嫌いなカマキリ女がここにいるのか⁉)
噂話に興じる貴婦人たちの視線の先を見ると。
女性にしてはスラリと背が高く深緑のドレスを着た、後ろ姿だけでも人目を惹く貴婦人が立っていた。
茶色の髪をアップにして、おくれ毛がまばらに垂れ下がる細いうなじが何とも艶っぽい。
自分が立つ場所からは、背を向けていて顔はわからないが。未婚の女性ではなく人妻だとすぐにわかる、大人っぽい装いをしている。
「あれがレオニーだって⁉ 彼女があの『カマキリ令嬢』なのか?」
エフティヒアを飲んで気分が大きくなっていた僕は、礼儀作法など忘れて、声を抑えることを忘れていた。
僕の声が聞こえたらしく、こちらに背中を向けていた魅力的な貴婦人が振り向いた。
最新式の魔法が組み込まれた型のメガネをかけていて。それさえ見る者に知的な印象をあたえ、魅力を引き立たせている。
「信じられない……」
(あれでは別人じゃないか! 本当にあの美人がレオニーなのか⁉)
貴婦人は僕の顔を見て眉をひそめた。
視線がジロジロと僕の顔から身体へと下がり、たるんだお腹でピタリと止まる。
今の僕はエフティヒアのおかげで気分が良いから、ジロジロと見られても怒る気にはなれない。相手はあの美女だからというのもあるが。
「フ、フレデリック様……?」
「何だよ! 本当にレオニーじゃないか!」
(信じられない! だがこの声には聞き覚えがある。外見は変わったが、元婚約者レオニーの声だ!)
「……お久しぶりです。フレデリック様」
貴婦人がオレに向って冷ややかな声で挨拶をした。
自分の目が信じられないが……間違いなくレオニーのようだ。
後ろ姿だけではなく、正面から見てもすごい美女に変貌している。
おとぎ話に出てくる森の精霊を連想させる、萌黄色の大きな瞳が個性的で。息をのむほど美しい。
「クックックッ……お前もやれば綺麗になれるじゃないか。もっと早く努力していれば、僕だってお前を捨てたりしなかったのに」
(コレだけ綺麗になると知っていたら、この女と結婚してやれば良かった! クソッ!)
礼儀正しく手にキスをしてやろうと、僕がレオニーに手を伸ばすと。レオニーの兄リュシアンが、無礼にも間に割って入り邪魔をした。
「やぁ、フレデリック。久しぶりだね?」
「リュシアン……失礼じゃないか。僕はせっかくレオニーに挨拶をしてやろうとしているのに」
「君こそ、奥方はどこへ行ったんだ?」
「ア、アンヌは友達といるよ」
僕は内心でギクッとした。
「君が結婚してから一度も奥方を紹介されていないぞ? ずいぶん薄情じゃないか。それとも自慢の妻を隠したいのか?」
レオニーの兄にしつこくアンヌのことで嫌味を言われて、僕はカッ! と腹が立った。
麻薬で落ち着いていた怒りが再燃して、リュシアンの上着を乱暴につかんだ。
「アンヌのことは言うな。うるさいぞ!」




