57話 変質
ブリンクロウ侯爵家の舞踏会に招待され、妻のアンヌと一緒に同じ馬車で来たのに。
馬車をおりて侯爵邸へ入ったとたん、夫の僕を置いてアンヌはふらりとどこかへ行こうとした。
妻に勝手な行動をさせたくなくて、僕は細い腕をギュッとつかんだ。
アンヌがカッ! と腹を立て僕とケンカになった。
「おい、アンヌ! 一人でどこへ行くつもりだ?」
「お友だちに挨拶をするだけよ。もう、痛いから腕を放してフレデリック」
「友だち? 誰だよ、どうせ男だろう? その友だちに挨拶がしたいなら僕と一緒にしろ! 他の知り合いへの挨拶も僕と一緒だ!」
「あなたは子供ではないのだから、挨拶ぐらい一人でできるでしょう?」
そういうアンヌのほうこそ、分別の無い我儘な子供のようだ。
「子供ではないから、一人ではダメだと言っているんだ」
(夫婦で招待されて来たのに、僕が一人だけで挨拶回りなんてしたら。それこそ浮気女を妻にしてしまった、マヌケな男扱いをされてしまう!)
「フンッ! 嫌よ! あなたみたいな、だらしない人と一緒にいたくないわ」
アンヌはチラリと視線を下げた。僕のたるんだお腹を見下ろし、軽蔑の表情を浮かべる。
怒りで全身がカァッ……と熱くなった。
結婚してからイライラがたまり、僕は暴飲暴食をくり返した。
そのせいで今は身体が太り、頬もパンパンに膨らんでいる。
まだ二十代の前半なのに、髪も薄くなっていた。
全部、アンヌが僕をイライラと怒らせるからいけないのだ。
「ダメだ、アンヌ! 僕の隣にいろ」
「嫌だと言っているの!」
かん高い声で放ったアンヌの拒絶の言葉が、周囲にいた他の招待客たちの興味を引く。舞踏会に訪れた招待客たちの視線が、僕たちに集まった。
「クソッ……!」
(ウォルコート子爵夫人の義務ぐらい果たせないのか、この女は⁉)
最近は特にひどい。たぶん麻薬のやり過ぎだ。アンヌは我慢することが出来なくなっている。
僕は小さな声で罵りながら。
これ以上は騒がれるのが嫌で、仕方なくアンヌの手を放した。
アンヌはくるりと僕に背を向けて、足早にどこかへ行ってしまう。
(尻軽が! 僕にどれだけ恥をかかせれば気がすむんだ⁉)
「クソッ! アンヌの奴……」
(今、アンヌが夢中になっている男はベルナール・カザートンだと聞いたが。アンヌはここで、あの男と会う約束でもしているのか?)
強い屈辱と嫉妬心が、込みあげてくる。
給仕係に渡された質の良いシャンパンを味わいもせず。ゴクゴクといっきに飲み干した。
初めてアンヌを紹介されたとき。華奢で儚げなアンヌの姿に、僕は僕は一目で恋に落ちた。
僕たちの婚姻の儀式は王都の中央神殿で、たくさんの参列者に見守られながら行われた。
豪華なドレスを着たアンヌの姿は誰よりも輝いていて、僕はアンヌを僕の妻にできたことを誇らしく思っていた。
──だが。
そんな甘酸っぱい気持ちは初夜を迎えたときに、綺麗に消えさる。
「クソッ…!」
(結婚するまではあんなに幸せだったのに)
花嫁のアンヌは結婚初夜で、処女ではなかったのだ。
結婚したばかりの頃。ヤケ酒を飲み。酔った勢いで友人たちにアンヌに対する愚痴をこぼすと……衝撃的な言葉が返って来た。
『アンヌには僕以外に、恋人がいたみたいだ』
『ああ、お前の奥さんか。毎日相手をするのは大変だろう?』
『……どういう意味だ?』
(なぜそんな、何か含みのあるような言いかたをするんだ?)
『お前たちは政略結婚だったし。あんな女でもお前は惚れこんでるようだったから……』
友人は良い訳のような前置きをした。
『彼女に誘惑されたことがあるとは。さすがにオレたちもフレデリックに、言えなかったんだ』
『待ってくれ! いったい、何の話だ?』
『お前たちが出会うずっと前の話だし』
『何が言いたいんだ?』
(ラプリー伯爵家から縁談の話がきたのは、ウォルコート子爵家と共同事業を始めたからだが……)
友人たちは僕が出会う前からアンヌのことを知っていたのだ。それも尻軽女として。いっきに酔いが冷めた。
アンヌ自身に問い詰めると……
『恋人と遊んでいたことをお父様に知られて。田舎に送られたくなければ、フレデリックを誘惑しろとお父様に命令されたの』
アンヌは僕を愛してもいなかった。
すべてを知った僕にアンヌは開きなおり。
僕に対する不満を爆発させるたびに……初体験の相手は屈強な騎士だったと、夫の僕に自慢する始末だ。
「こんなはずでは、なかった……!」
(これなら、醜くてもレオニーのほうがマシだ! アイツなら…… 自分を抱いた男の自慢なんてしないはずだ!)




