21話 救いの手2
ベルナール卿は私との会話をアンヌ様に邪魔されて、一瞬のことだけど綺麗な顔を嫌そうにしかめた。
でもすぐに笑みを浮かべた顔をアンヌ様に向けた。
「これはケネスモント夫人、それにフレデリック卿。……こちらにいらしたのですか。良い夜ですね」
※ケネスモント→ ウォルコート子爵家の家名。フレデリックが爵位継承前のためアンヌは爵位名ではなく、家名を使った尊称で呼ばれている。
「ええ、本当に良い夜ですわ!」
アンヌ様はさっきまでとは別段にキラキラと輝かせた瞳で“ベルナール卿”を見つめている。
隣に立つフレデリック様はそんな新妻を見て、ニヤニヤと笑っていた顔を不快そうにしかめた。
「ねぇ……ベルナール卿? 先日のように、私をダンスに誘っては下さらないのかしら?」
媚びを含んだねっとりとした声で、アンヌ様はベルナール卿にねだった。
私は鋭くハッ! ……と息をのんだ。
「……っ!」
(信じられない! アンヌ様は今、ベルナール卿を新婚の夫の前で誘惑しているの⁉ ……たぶん、ベルナール卿が壁の花の私を誘ったのが気に入らなかったのね)
それにしても、他の女性をダンスに誘った男性を奪い取ろうとするなんて。
ここまで非常識なアンヌ様の行為は、とても淑女とは思えない。……それとも、アンヌ様ほどの美人なら許されるのだろうか。
「アンヌ、いい加減にしないか」
さすがに黙って見ていられなかったフレデリック様が、怒りを押し殺した声でアンヌ様を止めた。
フレデリック様はアンヌ様の夫なのに、私と同じく無視されたのだから怒るのも無理ない。
「もう、フレデリックは本当に嫉妬ぶかいわね。うふふっ……」
「最初に夫の僕と踊るのが当然だろう?」
「そう言わずに……ね? お願い、フレデリック」
「アンヌ……」
「ベルナール卿にせっかく会えたのよ?」
この場にベルナール卿という他人がいなければ、顔を真っ赤にしてフレデリック様は怒鳴っていたことだろう。
だがアンヌ様自身は私の存在を完全に無視して。魅力的な男性が二人で、自分を取り合っているとご満悦のようす。
小柄で華奢な見かけによらず、アンヌ様は強欲で剛胆な性格なのか。
(どうやらアンヌ様は浮気性という病気持ちらしいわ。性格が悪い以外は家柄も美貌も、完璧な女性に見えたのに。きっとフレデリック様は苦労するでしょうね)
「フッ……」
(愉快だわ)
こっそり鼻で笑ってやる。
(でも、せっかくベルナール卿にダンスに誘われたのに。どうやら、このお誘いは流れてしまいそうね)
この場でアンヌ様に張り合っても、美貌も経験も乏しい私が勝てるはずがない。争う前から勝敗は決まっている。
(どちらにしても……フレデリック様とアンヌ様の意地悪で、パニックになりかけていた私はベルナール卿に救われて落ち着きを取り戻した。これで満足しないと)
すごく残念になり、ハァ──……とため息をついた。救われたこと以上に、ベルナール卿からダンスに誘われたのが嬉しかったから。
ベルナール卿が私のため息に気づき、アンヌ様から視線を私に移した。
ちょうど見上げていた私とベルナール卿の目が合い。
「あの……」
(アンヌ様が言い張っている以上、ベルナール卿を困らせては悪いわ。ここは私からダンスのお誘いを断るべきね)
ベルナール卿はふっ……と私にほほ笑み、再びアンヌ様に視線を戻した。
「申し訳ありません、ケネスモント夫人。次のワルツはこちらの令嬢と踊るつもりです」
「……え⁉」
思わず私は驚きの声をあげた。
てっきりベルナール卿は知人のアンヌ様を、ダンスパートナーに選ぶと思っていたから。
アンヌ様はベルナール卿の返事に動揺することなく、話を続けた。
「ふふふっ……ベルナール卿はお優しいですね。その令嬢がずっと壁の花だったから同情して、ダンスにお誘いしたのでしょう?」
「いいえ、夫人。それは違います。私は踊りたいから誘ったのです」
ベルナール卿は即答した。それでもアンヌ様はあきらめずに話を続けた。
「ベルナール卿、それは本当ですか? でもそちらのレオニー嬢は、きっと自分から好んで壁の花をしているのですよ?」
「……といいますと?」
ベルナール卿の眉が不快そうにピクンッ!と跳ねた。
「レオニー嬢は学園ではずっと、ジメジメとした暗い図書室に閉じこもっているのです。ヒマさえあれば本を読んでいると、私たちの間では有名でしたわ。まるで“虫”のようだと」
アンヌ様は“虫”という言葉を強調して言った。これは“カマキリ令嬢”と呼ばれる私への当てつけだ。
でも、そんなことよりも。
「……フッ」
私はまた鼻で笑った。今度はこっそりとではなく、アンヌ様の前で堂々と。
(図書室がジメジメですって⁉ アンヌ様は知らないの? 図書室はジメジメしないよう高価な魔道具を使っている。常に湿度と温度を一定に保ち、貴重な本を守っているのに)
もしかするとアンヌ様は学園の図書室に、一歩も足を踏み入れたことも無いのかもしれない。
そんな常識を無視して私を侮辱するために恥かしげもなく使った言葉が、アンヌ様の教養の浅さを浮き彫りにした。
とても小さなきっかけだけど。ずっとアンヌ様に脅威を感じて私は、恐れていた相手がひどく愚かで滑稽に見えた。
アンヌ様が私にとってどうでも良い存在へと変わった。
私は思わず、誰の耳にも届かない小さな囁き声でつぶやいた。
「……なんだ。この程度だったのね?」
(見掛け倒しのこんな人に、私が怯える必要はなかったのよ。口が軽いこの人の前では、少しだけ自分の振る舞いを注意すれば良いだけだわ)
婚約者を奪われたうえに美し過ぎるアンヌ様に、私はずっと劣等感を持っていたから。必要以上に恐れていたところがある。
ベルナール卿も私と同じことを思ったのか鼻で笑った。
「フッ……申し訳ありません、ケネスモント夫人。次の演奏が始まるので失礼します」
相手にするのが面倒だと言いたげにベルナール卿はアンヌ様に背を向けて、私にエスコートの腕をさし出した。
「さぁ……レオニー嬢、行きましょう。次はあなたの好きなワルツを演奏するそうです。遅れる前に……」
ベルナール卿は機転を利かせてアンヌ様から聞いた私の名前を呼んだ。
だから私も紹介されてはいないけど。目の前の救いの手を差し伸べてくれた男性を“ベルナール卿”と……アンヌ様から聞いた名前で呼んだ。
「はい、ベルナール卿」
(ふふっ……アンヌ様も役に立つことがあったのね? お互い紹介されてもいないのに、アンヌ様のおかげで名前がわかってしまったわ)
私はベルナール卿の大きな手を取る。
ダンスフロアのまん中までベルナール卿のエスコートで移動するとき、チラリとフレデリック様たちを見ると……アンヌ様が悔しそうに顔を歪めて私たちを見ていた。
今まで受けた屈辱の溜飲が少しだけ下がった。




