13話 借りたハンカチ
傷だらけの騎士と出会い、名前も聞けずに別れてから二週間ほど過ぎた。
綺麗に洗った騎士に借りたハンカチを持って、毎日のように王立図書館へ通ったけれど。二度と傷痕だらけの騎士に会うことはなかった。
「初めて会った男性にあれほど心を許して打ち解け合ったことは無かったわ。ああ、もう一度彼に会えたら良いのに」
(たった数時間で終わりを告げた出会いだったけれど。一日、一日と時間が過ぎてゆくごとに、もっと話したかったという思いが強くなってゆくわ)
家族や親せき以外の男性とあんなにも、楽しく話せたのは生まれて初めての経験だった。
ハァ───……
そろそろ認めるべきだ。あの出会いは初恋だったと。
ロマンス小説に書かれているような、出会った瞬間に燃え滾る熱い感情なんて無かったけれど。
ずっとフワフワとした甘い好感を抱いて騎士と語り合った。
後になってあの時の甘い思いが恋なのだと知った。自分の鈍さを呪いたくなる。
「こんなに後悔するなら、淑女の礼儀作法なんて無視すればよかったわ。私はなぜ騎士様の名前を聞かなかったの? ……もうっ!」
(あんなにも楽しくて素敵な時間だったのに。その中のヒーローの名前がわからないなんて)
ハァ───……
私の恋心は記憶の中の騎士にますます夢中になり、より一層美しい思い出へと純化していた。おかげでこの二週間はずっとため息ばかりついている。
「本当にハンカチを返せなかったわ……」
『遠慮しないで使ってくれ、返さなくても良いから。……それとも家まで送って行こうか?』
ポケットから白いハンカチを出して見つめていると──
初めて騎士に声をかけられ、ハンカチを差し出された時のことを思い出す。
『コレを使うと良い……』
偶然、出会っただけなのに。私をいたわる声に温かさと優しさが滲み出ていた。自然と私の顔に笑みが浮かんだ。
騎士に借りたハンカチをふたたびポケットにしまう。
王立図書館の壁際近くに置かれた本棚の、異国で出版された本の翻訳版がならべられた前で移動式の踏み台にあがる。
高い位置に並べられた歴史研究家ジョン・グラッセル著。『アドジール王家の事件簿5』を本棚から引き出した。
「ふふふっ… 今まで外国の本に偏見を持っていたから、手を出さなかったけれど。読みごたえがあって面白いわ」
(名も知らない騎士様に感謝しないと)
傷だらけの騎士のおかげで、私は名著にもめぐり会えた。
1~4を読んで、私の中のお気に入り名著リストの一番上に載せた。
歴史上の誰かが言っていた“事実は小説より奇なり”という言葉は、良い表現だと思う。
『アドジール王家の事件簿』はどれもドラマチックで興味深い。
実際に異国の王族たちの間で起きたことばかりだから、なお面白い。
私は騎士の導きで新しい扉を一つ開けたのだ。
「騎士様にこの本の感想を伝えられないのが、本当に残念だわ」
親切で優しかった騎士にもう一度会いたいと思いながら、古びた青い表紙をそっと指先でなでた。
本が手垢でうす汚れているのを見ると、たくさんの読書家たちに愛された本なのだと推察できる。
「たぶん騎士様にとってあの時間は、取るに足らない些細なことだったでしょうね」
──でも、フレデリック様に傷つけられた私には、傷の痛みを和らげられた掛け替えのない時間となった。
学園にいる男性全員から、私は“醜いカマキリ令嬢”とバカにされ笑われている。
親族以外の男性すべてが私を嫌悪していると絶望していた。
だから私のことを知らない、間違った情報で嘲笑うことの無い男性だったから。楽しい時間を一緒に過ごした騎士との出会いは救いとなった。
「もう会うことはないかもしれないけど。いつかもう一度会えたら、借りたハンカチを返して。あなたに感謝の言葉を伝えたいわ」
踏み台の上で青い表紙をめくり最初のページを開く。
ふと、気さくな騎士の声が脳裏をよぎる。
『この本、君なら気に入ると思うよ』
「ええ、騎士様。とても気に入りました」
私は記憶の中の騎士にほほ笑みながら答えた。
持ち主に返せなかったハンカチはいつしか大切なお守りとなり、いつも持ち歩くようになった。今もポケットの中から、借りたハンカチが私を勇気づけてくれる。
それに騎士にすすめられた本は、『アドジール王家の事件簿』の他にもたくさんある。
奇跡がおきてあの騎士ともう一度、再会できたら。
「私はすすめられた本をすべて読破して、あなたと読んだ本について語り合いたい」
そしてまた、充実した楽しい時間を過ごすのだ。




