【第三章 】第一話:背中に感じて
第三章:聖者の御心(全三話)
第三章
「ナイトさん、私のスマホを机の上に置いていただけますか?」
「任せろ」
ハルミ様はポケットや鞄を扱うことが難しいため、スマホをストラップで肩から下げていらっしゃっる。
私は三角巾越しにそれを手に取り、彼女の前に置いた。
「ありがとうナイトさん」
「礼には及びま……及ばん」ダメだ。彼女に礼を言われるとどうしても敬語が出てしまう。
ハルミ様は右腕を三角巾から外し、ギブスからわずかにはみ出した指で、スマホの画面をスリープから引き起こされた。画面にロックはかかっていない。ちらりと見えてしまったが、いくつか通知が溜まっているご様子だ。
「必要であれば代筆するから言ってくれ」
「ありがとうございます、でもスタンプを返すくらいは自分でできます。必要な時はお願いしますね」
「心得た」
その直後、ハルミ様のスマホが小さく震えた。
ハルミ様はテーブルの上で器用にメッセージアプリを開かれた。画面には太陽を模したキャラクターが『やっほー』と明るく微笑んでいた。
送り主は『葉月みはる』。
「葉月、何のつもりだ」
「ナイト君こそ女の子のスマホ勝手に覗くんじゃないよ」
「それは確かに……ハルミ悪かった」
「気にしないでください」
ハルミ様は指先で猫のスタンプを葉月に返した。
またハルミ様のスマホが震える。それを見た彼女の視線が白羽先輩に移ったので今度は先輩の仕業だろう。
私はハルミ様のスマホ画面を目に映さぬように、椅子を座り直した。
部室には穏やかな時間が流れていた。学園祭を翌週に控えた金曜日。我ら『学内ボランティアサークル部』の本格始動は来週からだ。
ハルミ様が健気にスマホと格闘している傍らで、部長はここぞと受験勉強に精を出し、白羽先輩は相変わらず眠るような姿勢でヘッドフォンに耳を傾けている。葉月といえば、時々どうでもいいことは口走るが、今は静かに文庫本に視線を落としている。
「葉月は読書家だな」
私は素直に感心していた。彼女が本を手にしている姿を見るのは、スマホを手にしている時間よりずっと長い。あまり葉月のイメージと合わないので前から少し気になっていた。
「うえー? まあ図書館で借りればタダだからね。別に読書が趣味ってわけじゃないよケチってるだけ」
その割に葉月は本から目を離さない。
「そうか葉月はケチだったか」
「なんだと?」
「読書は素敵な趣味だと思いますよ」
ほら我が主もこう言っておられる。ケチならケチなりにもう少し胸を張ったらどうだ。
「だから趣味じゃないって。私だってスマホで色々遊びたいけど、通信料がきついんだよ。機種もやっすい奴だし」
「家が厳しいのか?」
「まあ、そんなとこ。バイト代が溜まったら精々いい奴を買ってやるのさ」
葉月は栞を挟んでぱたんと文庫本を閉じた。興が醒めたらしい。
「てゆうかナイト君はバイトしないの? 毎日ここに居るけどさ」
「私か? 検討はしているがそれほど金も使わんし、必要に駆られてはいないな」
「バイトしたらナイト君の好きな『命令』だらけだよ?」
「給料という見返りがある以上、それほど惹かれんな。それにいまはこの部の活動とハルミに仕えることで忙しい」
「この状況のどこが忙しいのよ」
それは言うな。
「ナイト君って家でなにしてるの? あ、待って当てる。筋トレとか? ランニングとか? 正解?」
「正解だ。だが私だって年頃の高校生のようにネットで動画を見たりもする」
「うわ、なんか想像できない。ずっと新聞とか読んでそう」
「新聞は読むが、私は騎士であること以外は普通の男子高校生だ」
「いや自称騎士の時点で普通から大分遠ざかるんですけど」
「ナイトさんは普通じゃありませんよ。特別いい人です」
なんともったいなきお言葉。
「まー悪人ではないけどね。せめてその喋り方矯正したら少しはましになるんじゃない? ヒメちゃんナイト君に『普通にしゃべれ』って命令しなよ」
「葉月。ハルミを傀儡にするなと前にも言ったはずだ」
「そうですよ。私はナイトさんの今の喋り方が、ナイトさんらしくていいと思います。命令なんてしませんよ」
「主君もこう言っておられる」
私が鼻を鳴らすと、葉月は呆れた顔で私の顔を覗き込んできた。
「えーそうー? ナイト君だってちょくちょく敬語出てるし、ヒメちゃんに対して内心ちょっと偉そうだなとか思ってるんじゃないのー?」
否定は出来ん。が主君がそう望まれているのだ、私にそれ以外の選択肢はない。
「じゃあさ、ちょっとだけ『俺』って言ってみてよ。それだけでも結構変わるよ」
「あ、いいですねそれ。ナイトさん、命令です! 今日は『私』をやめて『俺』って言いなさーい」
主君から無邪気な命が下った。私にそれを断る理はない。
「承知した。今日だけは俺でいく。だが俺は騎士だ。そこは譲れん」
「じゃあ、ナイトさんはアルバイトをするとしたらどんな仕事をしたいですか?」
「そうだな。俺は接客には向かないから、肉体労働がいい。新聞配達などは考えたことがある」
「おお、だいぶ普通の高校生に近づいてる!」
「そんなに変わるものか? 俺は別に何も変わっていない」
「しつもーん。ナイト君は普段家でどんな動画を見てるの?」
「動画か。俺は動物のものをたまに見るな。野生動物が家族のためにエサを手に入れようとする様は俺も心打たれる」
「いいねいいねー! でもやっぱり固いな。ねえヒメちゃん、このままナイト君を普通の高校生に改造しちゃおうよ」
なんと恐ろしい計画だ。葉月みはる。この女は我が主をたぶらかす魔女だ。
「面白そうですけど、何をしてもきっとナイトさんはナイトさんですよ」
「まあそだねー。ナイト君はナイト君か」
「それは褒めているのか?」
「全部じゃないですけど褒めていますよ」
「褒めてる褒めてる。全部じゃないけど」
どうやら私には何か足りないものがあるらしい。しかし、主君から褒められ悪い気はしない。
そのときハルミのスマホが机の上で短く振動した。
「迎えが来たみたいです」
名残惜しそうなお声が、部室に小さく響いた。
ハルミ様が立ち上がると、スマホがストラップにぶら下がり、彼女の体に当たる。
「今週はいろいろありましたけれどありがとうございました。また来週からもよろしくお願いします」
深々と頭を下げる我が主君に、部室の面々は口々に「お疲れ」と口にした。
「ハルミ、校門ま――」
「ナイトさん。校門まで送ってくれますか?」
送迎を買って出ようとした私に先んじてハルミ様は命じた。
「もちろんだ」
私は部室のドアを大きく開き、彼女が部屋から出られるのを待った。
ここのところハルミ様は主君としての自覚に目覚められたのか、以前より私に命令を下さるようになった。今回のような校門への送迎や、登下校時の靴の出し入れ、雨天のポンチョの着脱、それらは私の日常だった。
私は喜び勇んでその全てをこなした。
主君の命をうけるということはかくも幸福だ。私から不安や陰りといったものを取り去ってくれる。私は充実していた。私の存在意義はこの献身の内にある。
だがハルミ様は何か思うところがおありになるらしい。
ゆっくりと歩く彼女の背中がさびしく見えるのは杞憂だろうか。私に命令するときの、どこか憂いを帯びたお顔は私の錯覚だろうか。
だが私にその背中を抱きしめることは出来ない。なぜなら私は彼女の運命の王子ではなく、彼女にひれ伏す一本の剣、騎士だからだ。
■
「ハルミ、何か悩みか?」
月曜日。放課後の部室で、私は主君にお伺いを立てた。
「ナイトさんは何か悩みがありますか?」
ハルミ様は憂いに満ちた瞳で、質問を質問で返された。主君の問いに応えるのは騎士の務めだ。
「ああ。私は常に悩んでいる。この胸に巣くった空洞の空虚さを。しかし、ハルミ様が命じてくださると心が晴れます」
「様はやめてください」
「失礼した」
ハルミ様は「はぁ」と溜息を吐かれた。
「ある意味では私も同じ悩みかもしれません。学園祭の準備が始まりましたね。私はクラスでは何もできません」
「仕方のないことだ。今は傷を癒すことがハルミの仕事だろう」
「ナイトさんもみんなと同じことを言うのね」
ハルミ様のお言葉にはかすかな失望が混じっていた。
「気が利かず申し訳ない」
私は心臓を握りつぶされた思いだった。
「今日から帰りだけ電車通学に戻ったんです。行きは母がついでで連れてきてくれるんですけど。……せっかく長くいられるようになったのに」
「少なくとも私の役には立っている。ハルミがいてくれるだけで、私はいくらでも働ける。私がハルミの分まで働こう。それではだめか?」
「ううん。とても嬉しいです。ありがとうございます」
彼女は微笑まれたが、どこか遠くを見るような影が差していた。
「勿体ない言葉だ」
「かんせーい!」
そのとき、葉月が大きな声を上げた。手には『校内ボランティアサークル部。お手伝いします』とマジックで書かれた段ボール製のプラカードが握られている。
「これで人数分だね」
机には同じものが三枚並んでいた。ハルミ様の分はない。
「ヒメちゃんちょっと立って後ろ向いて」
「えっとこうですか?」
ハルミ様が立ち上がり背を向けると、葉月はその小さな背中にプラカードと同じ文言の書かれた紙をガムテープで張り付けた。
「おい、無礼だぞ」
「いえ、いいんです」
ハルミ様は後ろを振り向き、なんとか背中の紙を見ようと首を回されている。
「うれしいです!」
花が咲き乱れたようだった。彼女の心からの笑顔を、私はずいぶん久しぶりに見た気がした。そうだった、この方はこのように笑う方だったのだ。
「じゃあ行くかー」
冬川部長が立ち上がった。
「みんなそれ持って、校内を巡回な。まだ一週間あるから今日は暇かもしれないけど、後になると大変だぞ。あとは手伝いを始めたらグループチャットに報告するように」
「あの、私は……」
ハルミ様は不安気な視線を部長に向けた。
「波瑠美はナイトについてってくれ。こいつの営業力には不安がある」
不本意ではあるが、変人と噂される私は確かに営業には不向きだろう。
「はい、わかりました」
「じゃあしゅっぱーつ」
「しゅっぱーつー」
葉月と白羽先輩がプラカードを高く掲げた。
ぞろぞろと部室から出ると、強い日差しが外壁の通路を満たしていた。夏の到来を予感させる、刺すような暑さと湿っぽさ。さび臭い手すりのにおい。部室棟は普段より賑やかで、普段はほとんど休眠している部活も、学園祭の準備に向けて活動を開始した様子だった。
私たちは一列に並んで通路を歩いた。
「みはるちゃん、私と一緒にいくー?」
五人の中央を歩く白羽先輩が、ひとつ前を歩く葉月に声を掛けた。一年生を一人で出稼ぎに出すのが心配だったのだろう。白羽先輩はそういうお方だ。
「だいじょーぶです! 手分けしましょう!」
葉月は元気よく答えた。葉月なら大丈夫だろう。なにせこの変人にも普通に話し掛けられるのだ、相手が上級生だろうとどうってことない。彼女の明るさには私も救われている。
一列になったまま、私たちは階段を降りた。私は背後のハルミ様の存在に意識を集中させた。
ハルミ様はいつも、とてもゆっくりと慎重に階段を降りられる。両手が塞がっていて危険なのもその理由だろうが、階段そのものに対して恐怖しているのではないかと私は考える。
手の怪我だけではなく、彼女は踊り場から廊下へ真っ逆さまに落下したのだ。その時感じた寒気や衝撃は、そうやすやすと忘れられるものではないだろう。
カツカツと並ぶ音に遅れて、コツ……コツ……とハルミ様の上履きの音がする。部室棟の狭い階段は赤くさびていて頼りなかったが、その狭さが最後尾を歩く彼女の落下を未然に防いでいた。
「じゃあ、俺はあっちこっち回るけど、白羽は三年と時間が余ったら部室棟。葉月は二年の教室。佐藤と波瑠美は一年を頼む。力仕事とかあったら俺か佐藤を呼ぶんだぞ?」
部長の指示に
「御意」「おっけー」「りょーかいでーす」「わかりました」
それぞれが返事をし、私たちは一度解散した。




