【第二章 】第一話:ツバメの騎士
第二章:雨音の境界線 (全三話)
第二章
布団の中で、私はひたすらに波瑠美光愛 (ハルミ・ヒメ)について考えを巡らせていた。自らの危機にも関わらず、己が身で他者を救おうという高潔さ。凛と伸びた背筋。廊下を走った私を叱りつけた善性。その美貌。
美貌はともかく、彼女が尊敬に値する素晴らしい人間であることに疑いはない。
だが、私はあの時言葉を濁した。「主君になって下さい」という言葉を一度葉の見込み「手が治るまで」と条件を後から付け足した。
私は臆病風に吹かれたのだ。
主君になって下さいと懇願し、拒絶されるのを、私は恐れた。当然の話ではある。高校生にもなって主君も騎士もあるものか。
だが私は幸福だった。心が満たされるのを感じた。彼女からしたらごっこ遊びなのかもしれないが、ジュースを買いに走っている最中、私は絶頂の渦にいた。
どうすれば彼女に理解していただけるだろう。私はこのごっこ遊びに人生を賭しているのだ。仕えるべき主君と出会うことが、ただ唯一私の心の空洞を埋めてくれるのだ。この出会いが私にとってどれほどの意味を持っているのか、どうしたら理解していただけるだろう。
そして、果たして彼女は本当に私の主君になり得る人物なのか。
私は彼女のギブスが永遠に取れなければいいのにと、不敬な想像をしては眠れぬ夜を過ごした。
朝、先に家を出た共働きの両親を見送り、私はゆっくりと朝刊に目を通した。めぼしいところを読み終えると、昨日の朝刊と持ち変える。朝刊を丸ごと筒状に丸め、セロテープで固定する。丸めた新聞紙を腰に差して私は家を出た。
自転車通学をしているが、その必要ないほど我が家と学校の距離は近い。思考を巡らせる間もなく校門へたどり着いたそのとき、視界に白いセダンが止が飛び込んできた。
そこから降りてきたのは――見間違うはずもない、我が主君のお姿だった。
私は校門をくぐると、自転車を押して、彼女に駆け寄った。
「ハルミ様」
私は彼女に声を掛けた。
「おはようございますナイトさん」彼女は三角巾に覆われた腕を揺らさぬように頭を下げ「様はやめてくださいっていいましたよね」
「失礼しました。おはようございますハルミ。玄関までお供させていただきます」
「そんなこと言わなくても、一緒に行きましょう」
ハルミ様は歩き出された。振動で手が痛むのかその歩幅は狭い。私は歩くペースを合わせた。本来なら、自転車を投げ捨ててその身を警護したいところだが、ハルミ様はまたお叱りになるだろう。
彼女が不自由でいる限り、私は騎士でいられる。仄暗い考えが脳裏を過ぎる。
「今年の梅雨はあまり雨が降りませんね。傘が差せないので助かります」
ハルミ様は快晴の空を見上げた。白く伸びた首筋にドキリとする。
「いつでも私が差して差し上げます。しかし、快晴なのは本当ですね。校内のツバメも喜んでいることでしょう」
「ツバメ?」
「はい。ハルミの教室からは見えませんか? どこかに巣を作ったようで、私の席からは飛んでいる姿をよく目にします」
ハルミ様は華やぐように微笑んだ。
「素敵ですね。見てみたいです」
「御意」
「ぎょい?」
「それよりも校内で何か困ったことはありませんか? いえ、きっと困ることだらけでしょう、愚問でした。クラスの垣根など気にせずいつでも私を呼びつけてください。駆けつけます」
「ありがとうございます。ナイトさんは本当にナイトなんですね」
主君からのお言葉は、私が長年恋焦がれた、魅惑の果実だった。しかし、私はそれを素直に喜べず、後ろめたさの蔦に絡み取られた。
「でもクラスの人たちが良くしてくれているから大丈夫ですよ。本当に困ったことがあったらそのときはお願いするかもしれません」
「いつ如何なる時でも」
私は気になっていたことをハルミ様にたずねた。
「ところでハルミは言葉遣いが高校生とは思えないほど丁寧でいらっしゃいます。何か意識をしてそうしてらっしゃるのでしょうか?」
「話し方が変なのはナイトさんもでしょう?」
ハルミ様はコロコロと楽し気に笑られた。
「おばあちゃんの影響なんです。幼いころ預けられることが多かったんです。お茶目な方でしたけど、とても礼節に厳しい方で、その話し方に憧れているんです。一本筋が通っているというか、話を聞いていると涼やかな気分になる方でした。でもみはるちゃんみたいな話し方にも憧れはあるんですよ」
「葉月など見習う必要はありません。ハルミはハルミのままでいてください」
ハルミ様はいたずらっぽく目を細め、私を覗き込まれた。
「ナイトさんも、私にみはるちゃんと話すときみたいに話してくれてもいいんですよ?」
「そ、それは命令ですか?」
「さあ、どうでしょう?」
私たちは校舎の玄関にたどり着いた。
「では、また放課後に」
私はハルミ様の言葉を受けて駐輪場へ向かった。また放課後に、私はあの方と会うことができる。彼女は私を騎士としてではなく、恩人として接される。そしてまた、私を喜ばせるために冗談めいた命令を下さるのだ。
私は信頼を得なければならない。無論騎士として。彼女の怪我が治りきる、その前に。
■
時間がないからと言って、歩きながらパンを食べるような行為は褒められたものではない。私は騎士だが、武士は食わねど高楊枝という言葉もある。私は昼食を返上し、彼女の願いを叶えるべくツバメの巣を探した。
おそらくは私の所属する1―Bからそう遠くないだろう。案外すぐに見つかって昼食にありつけるかもしれない。そう高を括って挑んだが、これがなかなかに難儀だった。飛んでいるツバメはいるがその旋回の速さに目が追い付かず、彼らの巣の在処を見つけることは容易ではなかった。もっとも、野生の鳥である彼らも、自らの巣を大っぴらにすることはないだろうが。
粘り強く探索範囲を拡大しながら捜索していくと、巣は意外なところにあった。部室棟のあまり使われない東側入り口の軒下に、彼らは住居を構えていた。灯台下暗しとはこのことだ。私はスマホのカメラで、巣から好奇心旺盛に顔を出すツバメを収め、教室へ戻った。残念ながら、今から購買へ行って、昼食をとる時間はなさそうだ。正直腹は減っているが、私はそれ以上の充実感に満たされていた。
放課後、部室に行く前に彼らの巣を拝んでおこうと立ち寄ると、そこにはモップを持った用務員の姿があった。彼はモップの柄を長く構え、今まさにツバメの巣を叩き落そうとしていた。
「待ってください!」
私は叫んでいた。
あまりの大声に、用務員は驚いて手にしていたモップをその場に落とした。
私は走り、モップを拾うと、決して離さぬよう抱きしめた。
「お願いします! ツバメの巣はどうかこのままにしてください!」
用務員は面を食らっていたが、やがて腰をポリポリと掻いて
「可愛そうだと思うけど、糞がねえ」
「私が掃除します! 私は校内ボランティアサークル部に所属しています。このツバメの巣に関しては私に預けてもらえませんか!」
「そうは言ってもおじさんも仕事なんだよ」
用務員は困った顔をした。わかっている。彼には彼の使命がある。だがその使命はあまりに残酷ではないか。
私はモップから手を離し、ベルトから新聞紙を抜くと、セロテープをはがした。そのうちの何枚かを巣の真下に敷き、石で四隅を固めた。
「壁にも張ります。痛んだら交換します。今部室からガムテープを持ってきますので何もせず待っていてもらえませんか」
私の声は、自分が思うよりずっと震えていた。葉月は私に愛がないと言ったが、私は、このツバメたちを愛していた。その営みの有様を愛おしく思っていた。
それに彼女はツバメが見たいと仰られた。彼女はツバメが見たいと仰られたのだ。
このツバメの巣は私と彼女を結ぶ、唯一の利害なき結晶だった。
私は再びモップを手にして、部室棟の中に入った。
「部長、ガムテープを!」
突然モップ片手に入ってきて大声を出した私に、ハルミ様を含めた部の面々は目を丸めていた。私は彼らの反応を待たず、棚から布製のガムテープを奪うように掴むと、すぐに部室を後にした。
用務員は何もせず立ち尽くしていた。
私はガムテープを張り付けた新聞紙を次々、巣の下の壁に貼っていった。
「これで大丈夫なはずです。もちろん汚れたら交換しますし、掃除もします。だからお願いします。この巣を撤去しないで下さい」
私は用務員に頭を下げた。土下座に移行しようかというところで
「モップ返して」
彼はボソッと呟いた。
「おじさんも別にやりたいわけじゃないんだ」
彼の言葉に安心し、私はモップを彼に返却した。
モップを受け取ると用務員は、けだるそうに肩を揺らして、その場を後にした。
「ビニールにした方がいいなあ」
背後から部長の声がした。
「新聞紙じゃ、雨ですぐ破けちゃうし、ゴミ袋を割いて上から被せるか」
振り向くと学内ボランティアサークル部の面々が揃っていた。
「お騒がせした」
私は彼らに頭を下げた。
「ツバメの巣ですね!」
ハルミ様が低頭した私の横を通り過ぎて行った。
「いるなーとは思ってたけどこんなところにあったんだ」
葉月が楽しそうに巣を見上げている。
人だまりが出来たせいで、親鳥はは近くの電線に待機しているようだったが、時折私たちの頭上をくるくると旋回した。
「ナイトさん命令です、写真撮ってください!」
ハルミ様が声を弾ませ仰った。
「すでに撮影済みです。すぐに送ります」
「ありがとうございます!」
「私も撮ろーと」
葉月が撮影を始めた。
妙な脱力感だった。昼食を抜いたからだろうか。
「ナイト君、無茶はしちゃだめだよ」
白羽先輩は珍しくはっきりした口調で言った。




