【第七章 】第一話:普通
第七章:ハルミナイト・プロトコル(全三話)
第七章
「まだペンが上手に持てなくて板書は無理みたい。これまで通り、友達のノートを写真で撮ってるってさ」
「なるほど、それは難儀だな」
私は葉月を頼って、ハルミと同じクラスの友人を通じて、教室でのハルミの様子を聞き出していた。報酬は食堂のランチだ。
「ねー、大変だよねー。ギブスが取れたらそれで終わりだと思ってたよ」
葉月は歩きながら腕を組み、うんうんとうなずいていた。
「てか、こんなスパイみたいな真似せずに直接聞いたらいいじゃん」
「喋らせるのもストレスになるだろう。安心しろ、友人としてこれ以上はしない」
「友人として、ねえ。本当に良かったの主君じゃなくなっちゃって」
「構わん。主君がいなくても私が騎士であることに変わりはない。これまでもずっとそうだっただろう」
「あっそー。ついでに騎士ごっこもやめちゃえばいいのに、でもそれじゃナイト君じゃないか」
「そうゆうことだ」
「でもさー、実際どうなの? 本当にヒメちゃんってナイト君の主君だったの?」
「じゃあ何だって言うんだ?」
「お・ひ・め・さ・ま」
「何が違う?」
「だってナイト君ヒメちゃんにラブじゃん」
私は盛大に咳き込んだ。
「……何を言う! 不敬にもほどがあるぞ」
「ええー? 違うのー?」
「断じて違う。彼女は私の導き手だ。ラブだのライクだのの話ではない。お前は恋愛小説の読み過ぎだ」
「でもヒメちゃんかわいいよ?」
「それがどうした」
「んー?」
と葉月が私の顔を覗き込んでくる。やめろ、近い。
「確かにハルミの容姿は可憐だ。だが私は彼女の強い内面に惹かれて騎士になろうとした」
「惹かれてんじゃーん」
「そうゆう意味ではない!」
「じゃあヒメちゃんがナイト君らぶらぶーって言って来たらどうするの?」
「下らんIFだ。解像度が低い」
「じゃああれだ、ナイトさん恋人として私だけのナイトになってください」
「やめろ。さっきから。お前あれだ。私のことが好きでちょっかいをかけているのか? 好きな子に悪戯したくなるあれなのか?」
私はいつかの意趣返しをした。
「うん、好きだよ。ナイト君のことは結構好き。付き合ってって言われたら、考えると思う」
こともなげに葉月は言った。
「でもナイト君はそんなこと言わないし、私も言わない。それだけのお話し。でもヒメちゃんはそうゆうのと違うよね」
あまりに自分の不得手なフィールドでのトークのため、私は言葉に詰まる。
「ま、いいけどねー。付き合う付き合わないだけが男女じゃないし」
「じゃあなんでそんなにつっかっかてくる?」
「えーなんかちょっとムカつくからー。何気に最近、ルミちゃん先輩ともいい感じじゃない?」
「それは騎士として先輩の頼みを聞いただけであって……」
「それだよ。あんたは知らないだろうけど、ルミちゃん先輩のせいで、最近女子からの評価上がってるよ? 私色々聞かれるもん」
「面白がってるだけだろう。私は新聞紙をぶら下げた変人だ」
「ホント、そうなんだけどねー。ま、結局のところ、ナイト君はどこまで行っても騎士だもんね。王子様じゃない。だからナイト君はナイト君のままでいいんじゃない? まあ、騎士だって恋愛はするかもだけどね」
さあ学食学食、と葉月は足を速めた。
「恋バナもしたことだし飯食おーぜ」
恋バナなどしていない、と反射的に言いかけて私はやめた。
私は今、確かに恋バナをしていたな。
■
むにむに。
放課後の部室。ハルミは真っ赤なゴムボールをそれぞれの手で持って、それを繰り返し揉んでいた。握力を回復するための手のリハビリだろう。
むにむに。
この一か月、まるで動かせなかったその手は、少しばかり筋肉が細くなっている。指先を器用に動かす訓練の前に、まずは筋力を取り戻さなければならない。
むにむに。
左右のゴムボールが彼女の手の中で、同じタイミングで小さく縮まり、また広がる。ハルミは夏だと言うのに手に薄い手袋をしていた。理由を聞くほど野暮ではないが、荒れた手を隠すためだろう。またギブスを外した後の手は内出血などで変色することもあるという。女性でなくても人目は気になるだろう。むにむに。
「ナイトさん見過ぎです。ちょっとやりにくいです」
どうやらちょっと目をやったつもりがずっと凝視していたらしい。ハルミから呆れたような忠告を受けた。しかし、どこか中毒性のある光景だ。むにむに。
「ナイトさん!」
「すまない。なぜか目を引かれてしまって」
「わかるー」
なぜか白羽先輩の同意を得られた。先輩も開いているかもわからぬ薄目で、ハルミとボールを見ていたようだ。
「こんなもの、何が面白いんですか?」
ハルミは珍しくちょっと拗ねた口調で言った。
「ギブスが取れて何か変わったかい?」
部長が穏やかな声でハルミに問いかける。
「そうですね思っていた以上に指が動かないことはあるんですけど、お風呂にそのまま入れるようになりました。髪も家族に洗ってもらっていたんですけど、昨日は自分でチャレンジしました」
「そうか、よかったな。ひとつひとつ元に戻っていくさ」
「はいありがとうございます」
むにむに。
「ナイトさん! めいれ……」
ハルミは咳ばらいをし
「頼みますからあんまり見ないでください」
「なんかやらし―せりふ。ナイト君やらしー」
「やらしー」
葉月と白羽先輩が無駄口をたたく。こんな日々が続けばいい。そう祈るのは怠惰なことだろうか? その問いに私は小さく首を横に振る。平穏はガラス細工のように、ふとしたきっかけで簡単に砕け散る。ハルミの今の姿もそうだ。彼女は失った普通を取り戻そうと今この瞬間も戦っている。私たちの享受しているこの何気ない日常は、常に誰かの戦いの上に成り立っているのだ。その戦いこそが騎士の使命だと、私はそう考えるようになった。
その後もどうしても、ハルミの手の上のボールを目で追ってしまうので、私は翌日から部室にハンドクリップを持ち込み、ハルミと共に手を鍛えた。ハルミは確かに見てしまいますねと、私がグリップを握る様をまじまじと見ていた。
葉月は段ボールと私の新聞紙の剣を使って『校内ボランティアサークル部! お手伝い中!』と書かれたプラカードを作った。軽く持ちやすいそれは、依頼を受けている最中、ハルミの手の内に収まった。私たちが美術準備室で作業に没頭しているあいだ、ハルミは部屋の前でそのプラカードを必死に掴みながら立っていた。
白羽先輩はギターを持ちこむことが増えた。手遊びに軽く弦を鳴らしたり、気が向くと静かに弾き語りを披露してくれる。軽快なギターの音色と美しい歌声をBGMに、私とハルミ様は黙々と手を動かした。
部長はそんなハルミの傍らで勉強を教えた。ギブスをしていた時もそうだが、板書が出来ないとなかなか授業が頭に入ってこないものらしい。成績が下がったとしても誰も彼女を責めないだろうが、ハルミは怪我を言い訳にしたくないようだった。部長は流石ボランティアサークルの部長と言うだけあって、教え方が丁寧だ。部長の解説を聞いていると、私まで成績が上がりそうだった。
ハルミ様のギブスがいつまでも取れなければいい。
かつての私はそんな妄想をした。だがギブスは、私たちの「かりそめの契約」ごと私の目の前で両断され、医療廃棄物と成り果てた。いま私の頭上に北極星はなく、私を導く者はない。だが私は一筋の小さな希望を見出していた。ハルミの手の回復。彼女の指が元通りのしなやかさを取り戻し、手袋を外す日。その日が来るまで彼女を支える。私に出来ることなどたかが知れているだろう。だがその瞬間を近くで見たい。命令などなくとも、それが私の進路だった。
テスト期間に入った。部活は休みになるはずだが、私たちは部室を自習室として利用していた。突然の瀬戸顧問の来訪やボランティアの依頼がないだけ、随分落ち着いた気持ちで勉強ができる。
ハルミはボールを握ったり、ストレッチをしたり、最近では折り紙に挑戦を始めた。期末テストは手の容態を見て、夏休み中に延期してもらったそうだ。
折り紙には随分苦戦していた。きれいに端が揃わず、同じ紙で何度も繰り返した。時折紙を破いてしまうと彼女はとても悔しそうな顔をするが、すぐにそれをしまい込んで、何事もなかったかのように新しい紙に手を伸ばす。彼女の挑戦に、騎士が何をできるだろう。私は歯痒い思いで彼女から視線を外し、勉強に集中する。
「折りたい物があるんです。出来れば夏休みが始まる前に」
私がハルミのオーバーワークを指摘すると、彼女は反論を許さぬ伸びた背筋で私にそう言った。それが何なのかは教えてもらえなかったが、目指すものがあるなら応援したい。そのためにも私は「無理をするな」と彼女にその日の作業を簡単なものに変えさせた。彼女は聞き分け良く「そうですね」と言ってボールを握り始めた。
葉月は、ハルミの折り紙の先生だった。児童養護施設で生まれ育った彼女にとって折り紙はお手の物だった。ネットも見ずに見たこともない造形物を創造する手際は、私たちを驚かせた。教えるのにも慣れていた。普段から小さい子供たちに教えているのだろう、経験が違う。
あるとき、ハルミは葉月に耳打ちした。
それを聞いた葉月は見たことがないほど、静かで穏やかな表情を作った。彼女は手早く折り紙で何かを折るとハルミの鞄に忍ばせた。
例の折りたい物の見本だろうか。私はさして気にも留めずに勉強に集中した。変人は成績くらい良くないと親孝行が出来んのだ。
期末テストの打ち上げを、白羽先輩のバイトしているラーメン屋で開催した。店長にはあらかじめフォークを用意してもらうように頼んであった。ハルミは最初食べにくそうにしていたが、それはどうやら猫舌によるものだったらしい。しばらくすると、つるつると食べ始め「フォークは毎日使うので得意なんです」と勝ち誇ったように笑った。
ラーメン屋の後はカラオケに行った。私はカラオケなど無縁な人間で、歌える曲もろくになく、いささか退屈な思いをした。私はハルミのマイクスタンドを買って出たが、彼女はそれを拒んだ。彼女は両手でマイクを握りしめ、古い映画のテーマ曲を歌った。
家に帰り、母親にどこに行っていたのか尋ねられ、カラオケだと答えると、彼女はとても喜んだ。無口な父が私に学校は楽しいかと聞いてきた。私は普通だと答えた。父は一言「そうか」と言った。
私はこのまま、少し変わった高校生として、日々に埋没していくのだろうか。
浮ついた気持ちを抱えたまま、足元が底なし沼に埋まっているような、妙な浮遊感があった。
普通をやるのにまだ慣れてない、照れくさいのだ。




