【第六章 】第二話:騎士と騎士
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突然の白羽先輩から着信が、平和な日曜の昼を粉々に打ち砕いた。
私はスマホの画面に映る『白羽流美』の確認するや否や、すぐさま通話に応じた。また例のリュウに脅かされているのではあるまいか。そんな憶測から、彼女の身を案じた。
「あーナイト君ー? おはよー」
私の心配をよそに白羽先輩はいつもの眠そうな、いや本当に眠そうな声だった。
「もしかして起きたばかりですか? もう昼ですが」
「えへへー」
「そのようですね」
「実はさーこれからバイトなんだけどさー、そのあとリュウ君と会うんだー」
私はその名に敏感に反応した。
「なぜです! 脅されているんですか!?」
「うーん、違うよー。改めて別れ話がしたいんだってー、それで納得するためにとか言ってー。二人きりはまずいから、あの後輩君も同席してくれーって向こうから言ってきたんだよー」
「相手にする必要はありません。無視するべきです」
「私もそう思うけどさー。あとくされなく終われるならそれがよくないー? 私も夜道に怯えなくて済むしー」
「話は分かりましたが、飲み込むのに時間がかかります」
白羽先輩の言い分もわかる。私も常日頃不安を抱いていた。これで蹴りが付くのであればそれに越したことはない。
「うんー。悪いけどまた18時にお店に来てくれるかなー、それで終わりにしよ」
「……承知しました。これで終わらせましょう」
「ごめんねー」
通話を終えると、私はいつもより硬く新聞紙を巻いて約束の時間に備えた。
私は母に、先輩と食事に行くから夕飯はいらないと伝えた。彼女はとても喜び、私に小遣いを握らせた。
孤独は誰にも迷惑を掛けない。
中学時代はそう考えていた。だが私の孤独は父や母を不安にさせた。我が子の孤独を悲しまない親などいない。私がハルミ様の選んでくれたTシャツを洗濯に出した時など、母は飛び上がるほどだった。後日それに合うパンツを勝手に買ってきたくらいだ。葉月の言ったように、私たちはまだ子供なのだ。
日曜の午後を軽いトレーニングと、予習と、動画鑑賞に費やし、私はニット地のTシャツと母の買ってきた黒のワークパンツを履いて、自転車に跨った。
最近よく夕焼けを見るようになった。夏の日の長さもあるが、私が人と関わるようになった証左だろう。私は自転車を漕ぐ私の影を追って、駅前までペダルを漕いだ。これから待っているのはろくな用事ではないはずだが、新品でのりのついた固いパンツで漕ぐペダルは軽かった。
「いらっしゃ――おお! 兄ちゃん久しぶりだな!」
どうやら今回は氷水を浴びせられないようだ。店長は私を歓迎した。
「それほど久しぶりではありませんよ」
私は前回と同じカウンター席に通された。
「あのときは悪かったな。何でも食ってけ俺のおごりだ」
「いえ、流石にそれは」
「いいんだよ、いいんだよ。あのあとルミちゃんも助けてもらったんだし、せめてものお礼だよ!」
ここまで言わせて店長に恥をかかせるのも申し訳がない。
「では頂戴いたします」
「おう、なんにする!?」
店長はTシャツの袖をまくった。
「あ、ナイト君早いねー」
仕事着姿の白羽先輩が顔を出した。
「ルミちゃんこの子にチャーハン作ってやんな!」
「あいさー」
白羽先輩は敬礼のポーズを取った。
私はチャーシュー麵とチャーハンを戴いた。前回は色々あって味がしなかったが、店長の作るラーメンも、白羽先輩が炒めたチャーハンもおいしかった。
客足も少ないということで、早めに上がった白羽先輩が私の隣に座った。仕事着から着替え、今日はブラウンのブラウスに、タイトなデニムを履いていた。
「白羽先輩はお逃げにならないのですね」
私は尊敬半分、呆れ半分で言った。
「逃げるよー。逃げるために戦うのー」
「なるほど撤退戦ですか。しんがりは務めます」
「頼むねー」
私たちは18時少し前に店を出た。個人的にまた来るか。
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待ち合わせ場所は大手ハンバーガーチェーンだった。人も多く目につく場所だ。
「白羽先輩が指定したんですか?」
「ちがうよー。目立つ場所の方が安心だろってリュウ君がー」
タッチパネルで商品を注文し、レジ前で番号が呼ばれるのを待つあいだ、私たちはそんな会話をした。私は白羽先輩にホットコーヒーを奢ってもらった。
リュウは二階のテーブル席で、壁を背にして座っていた。白羽先輩がいつでも席を立てるよう、配慮してのことだろう。斜めに切り揃えられた前髪の下には、憑き物が落ちたような魚の目が並んでいた。
「リュウ君久しぶり」
白羽先輩は先ほどまでと違い緊張感のある声でそう告げると、リュウの正面の席に座った。私は黙ってそれに続き、彼女の隣に陣取った。
「久しぶり。本当にすごく久しぶりの気がする」
会いたかった、とは言わなかった。
「まずはこのあいだのことを謝らせてよ。本当にごめん。勝手にカギをかけるとか、俺どうかしてたわ。本当にどうかしてた。後輩君も」
リュウは弱々しい瞳でこちらを一瞥した。
「私のことはいいので二人で話してください。必要があれば介入します」
前回はこじれたが、私の任務は変わらず二人の「話し合い」を守護することだ。
「うん、怖かったよ。鍵だけじゃなくて、メッセージも電話も。リュウ君普通じゃなかった」
「ごめん。本当にごめん。ルミがどうして離れていくのがわかんなくて」
「その話は前もしたよね? リュウ君友達が多いから、色んな所に連れていかれるのが辛かったの。この人たち全員と付き合わないといけないのって。時間が足りないよ」
思い返せば確かに、白羽先輩が部室にあまりいない時期があった。私がハルミ様と出会う直前あたりだっただろうか。
「そうだね。俺が勝手だった。気付けんかったね。俺はルミがみんなと仲良くなってくれればいいと思ってたけど、それが良くなかったんだね」
リュウは淡々と話した。それがかえって不気味でもあったが、少なくともこの男から邪気は感じなかった。突然立ち上がり襲い掛かってくることもないだろう。私は黙ってコーヒーに口を付けた。
「別れようってルミに言われたとき、本当に意味分かんなかった。確かにかみ合わんところはあったけどさ、これから上手くやってけるんだって俺は思ってたから。それでおかしくなっちゃった」
「私の言い方もよくなかったよ。私は溜まってたけど、リュウ君からしたら突然だもんね」
「うん。突然。でもルミは突然じゃなかったんだろ? じゃあ俺が悪い。でも俺はルミのことなら何だって聞いてやりたかった。ルミのことが本当に好きだった。ルミの騎士のつもりだった」
騎士と言う言葉に胸がチクリと痛んだ。違う、この男の口にする「騎士」と私の背負う「騎士」ではその重みが。……果たしてそうだろうか。私もこの男のように独りよがりな剣を振り回して騎士ぶっているだけではないのか。ハルミ様は騎士をお望みなのだろうか。私は新聞紙の剣をぎゅっと握った。
「気持ちは嬉しかったよ。でもやり方が合わなかったんだよ。……学園祭の軽音部でもずっと一緒だったよね」
「そうだね」
「私手伝いを引き受けたの間違いだったって思ってる。友達の頼みだったからやったけど、リュウ君に期待させちゃったかもしれない」
「うん。軽音部に来てくれるからワンチャンあると思ったよ」
「ごめん」
「勘違いした俺が悪いよ。……忘れようとしてたんだ。でもルミが近くにいるからまだイケるって勘違いして、でも上手くいかないからどんどんわけわかんなくなっちゃって」
「それで自転車に鍵か?」
私は思わず口を挟んだ。
「ああ、本当にどうかしてる……」
「もう済んだことだよ」
「ルミ……お願いがあるんだけど、もう一度俺のこと振ってくれない? 今度は受け入れるから」
「うん……。リュウ君ごめんなさい。あなたとは付き合えません。でもリュウ君はモテるからきっと大丈夫だよ」
「モテるからと言って大丈夫なわけじゃないでしょう」
私はまた無意識に口を挟んでいた。
「求める人から求められなければむなしいだけです」
白羽先輩は私を見上げた。その瞳はわずかにうるんでいた。
「そうだね。ごめん余計なこと言った。リュウ君はリュウ君を幸せにしてくれる人を見つけてください。私もそうします」
「ありがとう」
リュウの片目から一筋の涙がつたった。
「さよならルミ」
リュウは一人でテーブルを後にそした。私はその後ろ姿に再犯の可能性はないと信じた。席には私と白羽先輩が残った。
白羽先輩は無言で冷めたコーヒーをちびちびと飲んでいた。後輩としてここはどのように振舞うのが正解なのだろう。明るく笑い飛ばすのか、共に悲しみに暮れるのか、どちらも私には向いていないような気がする。
「そろそろだね」
白羽先輩は唐突に口を開いた。
「ヒメちゃんのギブスが取れるの」
「そうですね」
私は答えた。
「もうすぐ一か月ですか。とても長かったようで短かったようで、不思議な感覚です」
「どうするの? 主君じゃなくなっちゃう」
「わかりません」
私は正直に答えた。実際のところ、本当にわからないのだ。地平まで伸びる真っ白な紙を前にしたように、私の心は空白だった。
「でも何かを区切らなきゃだめだよ。ナイト君が自分で決めたことなんだから」
「そのつもりです」
「まーうまくいかなかったらー、私のところにきてもいいんだよー?」
白羽先輩は最後に少しだけいつもの白羽先輩に戻った。
目を反らし続けてきたが、その日が近づいている。
私は近いうちに主君を失う。
導きを失う。
満たされていた心が空になる。
彼女と出会う前のような、空っぽの鎧に、私は戻る。




