【第五章 】第二話:リュウと騎士
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バス停で二人と別れ、私は自転車のカゴに服屋の紙袋を放り込んだ。フードコートを出た後もゲームセンターに付き合ったため、思っていた以上に帰りが遅くなった。だが時刻は17時ちょうど。約束の18時まではまだ時間がある。
空いた時間をどう過ごしたものかと考えていたが、私はそのまま白羽先輩のバイト先に向かうことにした。少し早いが場所はラーメン屋だ。ついでに夕食を済ませてしまおう。私は母に、夕食は不要だとメッセージを送った。
『あら、珍しい。いくらでもゆっくりしてきなさい。』
母が喜んでいるのがわかった。彼女は常々私が孤独でないか心配している。私が部活で忙しいだの、部のメンバーで買い物に行くだの言うと、彼女はとても喜ぶ。私に騎士 (ナイト)という十字架を背負わせたことを悔いているのだ。
店の地図を頭に叩き込み、自転車をペダルを強く踏み込んだ。我が故郷最大の繁華街であるこの駅前は、日曜であろうと夕方になれば人通りは少ない。駅前にはでかでかとしたスクランブル交差点があるが、そこを渡る人もまばらだ。車社会なのに駐車場代が高いから誰も駅前に行かないのよ。母はそう言っていた。
白羽先輩の働くラーメン屋は目と鼻の先だった。通りに面しているが人通りは少なく、ガードレールに座ってスマホをいじっている若者を除けば周囲に人影はない。客足は大丈夫なのだろうか。
私は店の前のスペースに自転車を止めた。軒先には数台の自転車が並んでいた。私は店名を確認すると、ガラス張りの扉を押し開けた。
「いらっしゃいませー!」
威勢のいい挨拶に迎えられる。こじんまりとはしているが床のベタつきもなく、ラーメン屋にしては清潔感のある店だった。私は開けた厨房に店の店長と思われる男性を見つけると、カウンター越しに尋ねた。
「すいません。こちらに白羽流海という女性は働いていますか?」
私の言葉を聞いた店長は、接客用の笑顔をにわかにしまい込み、まさしく鬼の形相へと変貌した。
「お前か!!」
怒号ののち、店長は乱暴な手つきで手元にあった水差しの蓋を開け、躊躇なく私にその中身を浴びせかけた。
私は顔面で冷水と氷を浴びた。びしょ濡れだ。突然のことで、怒りも何も湧かなかったが、ハルミ様に選んでいただいたシャツがずぶ濡れになってしまったことに悲しみを覚えた。新聞紙の剣も情けなくふやけて垂れ下がっている。
「出ていけ! 二度とルミちゃんの前に顔見せるんじゃねえぞ!」
「店長!? 違うよ!」
黒いTシャツを着て、頭にタオルを巻いた白羽先輩が、慌てて店長の体にしがみつく。
「その子は後輩。迎えに来てくれたの!」
「ええ!? こいつが例の男じゃなかったのか?」
「違いますよ! 何やってるんですか! もう!」
やれやれだ。
バックヤードに通された私はTシャツを脱ぎ、店名の入ったタオルで体を拭くと、同じく店名の入ったTシャツに袖を通した。今日はよく着替える日だ。
店長は平謝りだった。
「すまないねえ兄ちゃん。俺はてっきりルミちゃんのストーカーかと思って、本当に申し訳ない」
ストーカーという単語が気になったが、私はあえて店長には言及しなかった。事の真相は全て白羽先輩自身の口から聞くべきだ。
着替えを終えると、私は店内でラーメンを振舞われた。お詫びだそうだ。断るのも無粋だろうし、どのみち食べていくつもりだった。私は黙々と麺を口に運んだ。
「おいしーでしょー」
カウンター越しに白羽先輩が話しかけてきた。
「はい、いただいています。非常にうまいです」
「お客さんは少ないけどねー」
場所は違えど白羽先輩はいつもの白羽先輩だった。だが私は毛ほどの違和感を感じ取っていた。彼女は演じている、いつもの白羽流海を。
うまいと言ったが、ラーメンの味などまるで頭に入ってこなかった。
仕事を終え、カウンターから出てきた白羽先輩はジーンズにTシャツ姿だった。シンプルな格好だが、彼女のTシャツからはセンスを感じた。葉月の言う通り、Tシャツ一枚取っても違うものだ。
彼女は私の隣に座った。
「話したくないなー」
そうつぶやいて彼女はふにゃりと体をカウンターに寝かせた。
「でも話してくださるんですね」
「そうだねー。今のは愚痴。ちゃんと話すよー」
そうして白羽先輩は話し始めた。
「前に話したでしょー? 彼氏と別れちゃったって。リュウ君、その元カレがねー、ずっと復縁をしようってねー。彼は軽音部でねー。練習とかで一緒にいる時間が多かったから、余計に激しくなっちゃってー。通知は鳴りやまないしー、着信もすごいしー、ついに校門で待ち伏せしてきちゃってー。だから学園祭のときナイト君に送って貰ったでしょー? あれはナイト君を利用してたんだー。ごめんね」
「どうしてもっと早く相談してくれなかったんですか?」
「やだよー。私の個人的なことで、みんなで楽しいのに水を差すのー」
「どうして今日は連絡をくれたんですか?」
「うん、私お昼からバイトしてたんだけどねー、店の外に見えたんだ元カレが。見間違いかと思ったけどー、何回も見たんだー」
店長の過剰な防衛行動に得心が付いた。そんな事情を知れば男として黙ってはいられないだろう。
「それは店長もあんな行動に出るはずです。ストーカーと言って差し支えないと思います。場合によっては警察に相談する案件です」
「うん、でも警察はいろんな人に迷惑がかかるから―、警察じゃなくて騎士に連絡したんだー、私のナイトじゃないけどねー」
そう、私は白羽先輩の騎士ではない。ハルミ様とかりそめの契約を結んだ半端者でしかない。だが世話になっている先輩の危機に、何もせず指をくわえているほど惚けてはいない。
私はコップの水を一気に飲み干した。
「民衆を守るのも騎士の使命です。それが親愛なる先輩ともなればなおさらです」
「うん、ナイト君ならそう言うってわかってた。だからごめんね」
白羽先輩はそう言ってこつんと側頭部をカウンターに着けた。
私たちは店の正面から外に出た。二人の自転車が店の前に止められていたからだ。脱いだTシャツを大事にカゴに収め、自転車にまたがろうとすると、突如白羽先輩の口から悲鳴めいた声が上がった。
「カギが……!」
いつも朗らかな彼女からは想像もつかない、余裕のない瞳が私を見ていた。
「カギがどうしたんです?」
覗き込むと白羽先輩の自転車の後輪には、四桁のダイヤル式のチェーンロックが掛けられていた。
「私知らない! こんなの付けてない!」
その言葉に、私は白羽先輩と店を挟みこむように、体を移動させた。
「ルミ」
車道の方から声がした。
ガードレールに座ったその男はスマホを少し操作してからポケットにしまい、緩やかな動作で腰を上げると、こちらに向かってゆっくり歩いてきた。
私はとっさに湿った剣を抜き、確か白羽先輩はリュウと言っていたか――その男の胸に突き付けた。
「これ以上、近づくな」
意外にもリュウはそこで足を止めた。
「ルミ、やっと話せるね。なあ、俺たち上手くいってなかったよな。でも大事なのはこれから二人でうまくやっていくことだと思うんだよ」
リュウは芝居じみた紳士さで、自転車に挟まる白羽先輩に語り掛けた。
「チェーンの番号を言え、話し合いはそのあとだ」
私の言葉を無視して、リュウは白羽先輩だけを見つめ、淡々と喋り続ける。
「なあ、ルミ。学園祭のステージ良かったよ。俺もステージ裏じゃなくて客席で見たかった。本当はルミも俺とのことに未練があるんじゃないの? あの歌は俺に向けて歌っていた部分もあるんじゃない?」
リュウは私の存在を無いものとして、白羽先輩にのみ話し続ける。
「いいからチェーンの番号を言え、詳しくはないがこれは間違いなく法に触れる行為だ。警察を呼ぶことも検討する」
「なあルミ。俺反省してるんだ。俺は甘えてた。俺はお前がいい彼女だってお前を自慢したかった。だから連れ回しちゃってごめんな。俺はそんな時間より、二人でいる時間の方が大事だって、俺、今は気付いたから。だからやり直そう。最初から全部。俺はまだお前が好きなんだ」
「ずいぶん『俺』が多いな。色恋沙汰にはうといがこのくらいはわかるぞ。白羽先輩の心にお前はいない」
「なあルミ」
リュウははじめて私を直視した。その瞳には私に対する敵意はおろか一片の興味すらないようだった。
「誰なんだこいつ。話の邪魔だからどこかへやってくれよ。もう一度二人で話そう。話し合って解決出来ないことなんかないよ」
「鍵で縛り付けておいて、話し合いで解決か。現状お前のやっていることは暴力と変わらんぞ。私としても今後の遺恨を残さぬように、話し合いによる解決を望んでいる。だが白羽先輩は怯えている。そして、怯えさせているのはお前だ。話し合いから遠ざけているのはお前の方だ」
「リュウ君いいよ。話そう」
白羽先輩の震えた声がした。
「話さないといつまでもこんなことが続くもんね」
「ああルミ話そう」
「でも、場所はここで、するのは今だよ。それとそこから動かないで」
「ルミがそう言うならそうするよ。これからもお互いのことを譲歩していこう」
リュウの言葉にはいちいち反吐が出る。だが話し合いこそがこの場を治める最もまっとうな手段だろう。私がすべきことは白羽先輩の身と、この交渉のテーブルを守ることだ。フンと息を吹き、私は一旦剣を下ろした。
「リュウ君。私リュウ君が言ったみたいに『リュウ君の彼女』だった。自慢の彼女にならないとって必死だった」
先輩の声は震えていたが、はっきりとした意思がこもっていた。
「でも私は私のことを見てくれる人としか一緒に居たくない。知らない人たちの前でリュウ君の彼女をやるのがつらかったよ。リュウ君は反省してるっていうけど、でもそれがなくなったとしても、私はリュウ君の彼女には戻れません。つらかった思い出だけじゃないよ? でも私はもうそれを望んでないから……」
「ルミ……」
「動くな」
白羽先輩に向かって走り出しそうになったリュウに、私は再び剣を向けた。
リュウは初めてその紳士の仮面をかなぐり捨てて、獰猛な表情をさらした。動くなと言う私の忠告を無視して、私の胸倉の掴み上げた。私は彼に告げた。
「相手が白羽先輩でない点ではいいが、これも立派な暴力だぞ。法には詳しくないと言ったが正当防衛くらいならわかるが?」
「ルミ、なんなんださっきから彼は? いったいお前のなんなんだ?」
白羽先輩の代わりに私が答えた。
「一年B組、出席番号10番、佐藤騎士だ。不平があるならいつでも来い」
それから私は首だけ動かして白羽先輩を見た。
「白羽先輩、この男は話し合いの最中に暴力で訴えました。ライン越えです。店内に非難を」
私の言葉に白羽先輩はうなずき、自転車のあいだから抜け出そうとした。
リュウは私から手を離した。そして逃げようとする白羽先輩の背中目掛けて走り出した。
動くなとも言ったはずだが、この男は再三にわたって約束を破り、暴力に訴えた。そして今、また何かを起こそうとしている。暴力は好かんが最早度し難い。
私は腕を内側に振りかぶって、横薙ぎに剣を振り抜いた。
スパァァアン!
と音を立てて、湿った新聞紙の剣はリュウの顔面を強打し、後ろから巻き付いた。いわば水の鞭と言ったところか。後ろから仕掛けるなど騎士道に背くが、緊急時故仕方ない。
リュウは苦悶な声を漏らし、顔を抑えて地面にうずくまった。
「子供のころ新聞紙でチャンバラをしなかったか? それとも新聞を取っていない家庭で育ったか? 結構痛いだろう? 大人の力ならなおさらだ。怪我はさせんが、痕はしばらく残るかもな。鏡を見るたび反省しろ。白羽先輩は早く店内へ」
「こいつ!」
リュウの復帰は思いのほか早かった。手を抜きすぎたか。私は顔を抑えながら掴みかかってくるリュウを軽くいなして、迷わず背後に回り込むと、濡れた新聞紙の束をその首筋に巻きつけた。
「安心しろ、落とすまではやらない。ただ白羽先輩の感じた恐怖を、十分の一でも味わうんだな」
ちらりと視線を移すと白羽先輩はもう店内に避難したようだった。平和的解決とは言い難いが、盾としての使命は果たせただろう。
店長により警察が呼ばれ、私たちは路上で取り調べを受けた。長い長い沈黙の後リュウはダイヤル式チェーンの番号を口にした。
4863。
シラ(4)・ハ(8)・ル(6)・ミ(3)。
白羽流海だ。




