【第五章 】第一話:ヒメの休日
第五章:剣に抱擁を(全三話)
第五章
日曜日。集合場所の駅前のバス停に現れたハルミ様は、もう夏になると言うのにまさに春の女神の降臨であった。涼し気な白いブラウスに、下は湿気を吹き飛ばすような淡いブルーのストライプが映えるプリーツスカートを召し、肩からは小さなショルダーバッグを下げていらっしゃる。
路上に停車したご家族の車から降りてきたハルミ様は、私と葉月の姿を見つけると、花が綻ぶような笑顔で手を振られた。
その手は変わらずギブスで固定されているが、彼女を縛り付けていた三角巾はもうない。先日の宣言通りお外しになられたのだ。二枚の布の持つ重症患者のイメージから解放され、そのお姿は驚くほど軽やかに見えた。このままどんどん回復に向かい、ハルミ様はそう遠くない未来完治してしまわれる。私はそれを素直に喜べないでいる自分に気付き喝を入れた。主君の回復を祈らず、何が騎士か。
ちなみに私の隣にいる葉月はTシャツにデニムのスカートを合わせていたが、まあどうでもいいことだろう。
「お待たせしました」
いくらでも待ちますとも。何時間と言わず、何日でも。
「おはようハルミ。ちっとも待っていないし、これからバスを待つから問題ない」
「おはよーヒメちゃん。スカート可愛いね!」
ハルミ様と葉月は女子トークで盛り上がりはじめた。
私はそのあいだ再度バスの時間を確認した。駅前からショッピングモールへ直通するその便は、あと4分で到着するらしい。
「そういやナイト君なんで制服なの? 着る服ないの?」
葉月が屈託なく私に尋ねてくる。
「それもあるが今日は罰だ。正装で臨まねばならない」
無論、剣もだ。
「まだそんなこと言ってるんですか?」
ハルミ様は珍しく呆れたような眼差しをお向けになった。
バスに揺られ、私たちはショッピングモールに到着した。ベッドタウンの郊外にありがちな巨大な建物で、広大な敷地を囲む駐車場はどこもかしこも満車だった。
「じゃあ早速ナイト君の服を買いに行こうか」
「そうですね!」
待て、話についていけない。いつの間にそんな目的が追加されたのだ。
「今日はハルミの鞄を買いに来たんじゃなかったのか?」
「それはあと。ヒメちゃんと私、女子二人連れてるんだから、それなりの格好してもらわないと、ドレスコード違反だよ。ヒメちゃんに恥をかかせる気?」
指をちっちっちと振って葉月は私に詰め寄る。
本当にそうだろうか。面白がっているようにしか思えない。しかし私の格好が主君に恥をかかせているとなると話は別だ。従者として身なりを整えるのは当然の責務だ。
「ナイト君服とか適当でしょ?」
そんなことはない、私はトレーニングウェアには人一倍気を使っている。
「あ、トレーニングウェアは服に入らないからね」
私の思考を見透かしたかのように葉月は言い放つ。
これも罰だなのだろう。私はしぶしぶ彼女たちのあとをついて、ファストファッションの店舗に足を踏み入れた。
「この際、下は制服のまんまでいいや。制服のスラックスっていい奴だし。腰の新聞紙は流石にどうかと思うけど……。とにかく今日は白いTシャツを買います」
「白いTシャツ?」
白いTシャツならいくらでも持っている、が葉月的にはトレーニングウェアはそこに含まれないのだろう。
「Tシャツなんてみんな同じだと思ってるでしょ? 素材とか形とかサイズとかで見え方が全然違うんだよ。反省して」
「別に反省する気はないが、どれを買うんだ?」
店内を見渡せばTシャツが山のように積まれている。葉月の言った通り千差万別なのだろう。
「それを今から探すんだよ。ショッピング。わかる?」
私の答えはこうだ。
「オーケイだ。好きにしてくれ」
計四枚のTシャツを試着し、葉月の言わんとすることが少しだけ理解できた。同じ白でも、丈の長さ一つで砕けた印象や、清潔感が際立ったりする。素材も普段着ているトレーニング用の通気性の良いものと違い、すべすべした肌触りのいいものやザラッとしたものもある。試着室の鏡を覗き込むと、素材の違いで確かに見え方が違って映る。
不本意なファッションショーの演者に仕立て上げられたが、ハルミ様がその都度新鮮な反応をしてくださるので悪い気はしなかった。
「ハルミ、ハルミが決めてくれ。どれがよかった?」
「ナイトさんはそれでいいんですか?」
「ああ、私はハルミが気に入ってくれたものをこの身に纏いたい」
葉月がなぜか「うえっ」とえずくようなリアクションを取った。どうした、胃薬なら常備しているが必要か?
「じゃあ、これです」
ハルミ様は上品なニット地のTシャツを選んだ。
「御意」
私は会計を済ませると着ていた制服のワイシャツを店の紙袋に突っ込み、買ったばかりのTシャツを着て店を後にした。
ようやく目当ての鞄屋に行くと思いきや、ことはそう甘くもなかった。二人の足は鞄の専門店にとどまらず、無数にあるブティックにまで及んだ。鞄の専門店に行けば当然鞄がいっぱい置いてあるが、ブティックにも小物コーナーがあり、その店のカラーに合った鞄が置いてある。女性陣はそれら全てを見て回ろうという意気込みだった。
「これかわいい!」
「いいですね!」
と声を上げても、他の店を回り尽くすまでは決して財布は開かないのだ。
私は肉体的なものとは別の、精神的な疲労に襲われていた。日頃から体を鍛えている私ではあるが、これは鍛えようのない部位だ。女子の買い物に付き合うのは大変だとよく言うが、私は身をもってそれを理解した。確かにこれは罰かもしれない。
ハルミ様は頻繁にリュックを背負い、鏡の前でこれから始まる新しい日常に思いを馳せていらした。三角巾が外れたことで彼女が出来るようになった行動のひとつだ。彼女を縛る制限がひとつ解けたのだ。これからは私の手を借りる機会も減るだろう。それは本来、喜ばしいことであるはずだ。私はこれから飛び立っていくであろうツバメのヒナを思い浮かべた。
そんな風に女性陣のペースに振り回されている最中だった。スマホの通知が鳴った。白羽先輩からの個人チャットだった。
『やっほー。買い物中? 両手に花だね。』
『社会勉強と割り切り耐えております。』
『そっか。頑張って学べよ。ちょっとお願いがあるんだけどいいかな? 今日の18時に一人で私のバ先まで来てくれないかな。駅のすぐ近くだよ。』
送信されてきた店のURLをタップする。私たちが今日集合した駅前のすぐ近くのラーメン屋だった。
『承知しました。その時間ならばおそらく買い物も終わっているはずですので、問題ありません。』
『ごめんね。遅れてもいいからね。待ってる。』
休日に白羽先輩に呼び出されることなど、部の活動を除けばはじめてのことだった。約束の時間も遅い。おそらくバイトの終業時間に合わせたものだろう。
思い返せば白羽先輩は学園祭のときからなにか様子がおかしかった。ひょっとしたらその前から。彼女は私に「一人で」と指定した。ならばいまは、まだ二人には話さない方が賢明だろう。
胸の奥がざわざわと騒ぐ。これは最早嫌な予感を超えて、確実に何かが動き出している。そして、それはおそらく、あまり良くないことだ。
私は疲れた顔にその懸念を隠した。二人は今、買い物を楽しんでいる。それを邪魔してまで打ち明ける必要はないだろう。今はただハルミ様の回復の一時祝いに、この時間を楽しく過ごしていただくことの方が先決だ。
「ナイトさんこれどう思います?」
ハルミ様は私の元まで小走りでやってくると、背中を向けて背負ったバックパックを披露された。白く、少し小ぶりで、表と左右に小さなポケットの付いたデザインだった。革製の細い紐が上品で、これなら制服にも合うだろう。もちろん今日のブラウスにも。
「良く似合っている。かわいらしくも品もあっていいデザインだ」
「そうですよね、かわいいですよね。まだ自分では開けられませんけど、これなら前より物も持ち運べます」
どうやらこれでこの任から解放されそうだ。主君を見守ることは至上の喜びだが、体の方が限界に近い。
葉月がハルミ様の財布で会計をした。ハルミ様は早速、自らのショルダーバッグをバックパックの中にしまうよう私に命令し、それを背負った。
ハルミ様はご機嫌だった。三角巾を外した開放感からか、バックパックを揺らしながら手を大きく振って歩かれた。
「うれしいのはわかるが。あまり手を動かすな。人通りも多い」
私の進言にハルミ様は
「はーい」
と上機嫌に笑って、両手を前に重ねられた。
バスの時間を確認し、私たちはフードコートで時間を潰した。
葉月は学園祭でも食べていたのにフライドポテトを注文し、時々「あーん」とハルミ様に食べさせていた。ハルミ様はシェイクを頼み、両手でカップを押さえながら、おいしそうに吸っていらした。私は黙々とハンバーガーにかじりついている。
葉月は「学園祭で散財したからお金ないよー」と嘆いていた。
ふと視線に気付くと葉月が私にポテトを向け、先端で空中にくるくると円を描いていた。
「何のおまじないだ?」
尋ねると、葉月はポテトを口に放り込み
「もったいないなーと思って」
「何の話だ」
「ナイト君、顔は悪くないし、背も高いのに、ねえ?」
葉月は視線を落とした。そこには私の新聞紙の剣があった。
「ナイトさんはナイトさんですよ。お買い物にも付き合ってくれましたし、服も似合ってます」
ありがとうございます。私は同じTシャツの複数枚購入を検討した。しかし買い物はあくまで罰ですので。
「名前、騎士 (ナイト)じゃなくて王子 (プリンス)にしてもらえばよかったのにね。そうすれば王子様なナイト君だったかもね」
「くだらん」
私は吐き捨てたが、嫌な汗が背中を流れた。私が騎士を志し始めたのは、もういつのことだが忘れてしまった昔の話だ。もし葉月の言うように私の名前が王子だったのなら、私は王子を目指したのだろうか。衣装に気を配り、上品な立ち振る舞いを心がけ、女性にやさしい、そんな佐藤王子を目指していたのだろうか。
私がナイトだから持つ、心の空洞。主君無き孤独。満たされぬ渇望。導きを求める心。あるいは王子だったなら、そんな悩みとは無縁だったのかもしれない。
私は何に縛られ、そして何に囚われているのか。葉月のくだらない例え話は私の心の柔らかい部分を、スプーンですくうように静かに抉った。
私はハルミ様を見た。
ハルミ様……。もしあなたを失ったら、私はまた次を探すのでしょうか。私は何よりも今、あなたを失うことに強迫めいた恐怖を感じています。
ハルミ様、私はあなたにとってなんなのでしょう。
そのお答えをいただける日が、いつか来るのでしょうか。
そのとき私は……。




