【第四章 】第三話:祭りのあと
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部室の戸を開けると、いつものように白羽先輩は椅子にもたれかかって目を閉じていた。いつもと違うのはヘッドフォンを着けていないことだ。今度ばかりは本当に寝ているのではあるまいか。眠り姫のような安らかなお顔に、私は声をかけるのをためらった。
二人が入室するのを待って、そっとドアを閉じる。私たちはそれぞれ気配を消しながらそれぞれの椅子に座った。
「おきてるよー」
突然、白羽先輩の声がした。そう言いながら彼女の目はまだ開いていない。
「うとうとしてただけー」
「お邪魔なら退室しますが」
「いいよ、いいよー」
すっかりいつもの調子だった。さきほどまでステージで見事な演奏をしていた人物と同一人物とは思えない。
「ここは落ち着くねー」
私は半ば同意する。長机と椅子だけの殺風景な場所だが、瀬戸顧問を除けば私たち以外誰も入ってこない空間というのは何より気が休まる。現に我々はここに集合しているわけだしな。
「ルミちゃん先輩ライブかっこよかったよ!」
葉月が身を乗り出して白羽先輩にスマホの画面を突き付けた。おそらくライブ中の先輩の画像だろう。
「こらー撮るなー」
白羽先輩は口ではそう言いながら、葉月のスマホを取り上げたりはしなかった。
「素晴らしかったです」
ハルミ様はギブスの上から手を合わせられた。
「私は知らない曲でしたけど、古い曲なんですか?」
「そだねー。私たちが生まれるよりは前の曲だねー」
「素敵な曲でした。帰ったら探してみますね」
「そうしてー」
「白羽先輩はギターを嗜まれているのに、軽音部には入部しようと思わなかったのですか?」
「質問攻めだねー」
白羽先輩はけだるげに頭をポリポリと掻いた。
「私はアコギしか弾けないからねー。エレキは趣味じゃないから軽音部には向かないよー。今日も友達に頼まれたから出ただけだしー」
「見事なステージでした。感服しました」
「さんきゅー」
「でもルミちゃん先輩。こんなところに居ていいの? 軽音部で集まったりとかしないの?」
葉月の疑問に白羽先輩は「んー」とまたさっきよりもけだるげに頭を掻いた。
「私は友達の助っ人だからいいんだよー」
そういうものだろうか。共に同じステージに立った者同士、健闘を称え合うのが自然だと思うが。意外と人間関係にドライな方なのかもしれない。
「画像見たよーみんなは楽しんでたみたいだねー」
葉月が事あるごとに写真を撮って、部のグループチャットに画像を上げるので、私たちの行動は筒抜けだった。
「はい、楽しみました! でも白羽先輩とも一緒に回りたかったです」
「ヒメちゃんは可愛いねー」
白羽先輩は体を猫のように伸ばし、ハルミ様の頭を撫でた。
そのとき、白羽先輩以外の三人のスマホの通知が一斉に鳴った。画面を覗くと部長の書き込みだった。
『部としての活動はこれで終わりにしていいぞ。何も依頼はなかったけどな。クラスの用事がなければみんな下校時間で帰っていいからな。俺は直接帰るよ。白羽は部室の施錠をよろしく。良いステージだったぞ。みんなお疲れ様。』
どうやら部長も白羽先輩の晴れ舞台を観ていたようだ。
私はすぐにアプリを開けないハルミ様のために、部長からのメッセージを読み上げた。
『お疲れ様です! どこでなにしてたか今度教えてねー。』
グループチャットに葉月の書き込みが追加された。
私も続いた。
『部長お疲れ様です。何事もなく終われたのは部長の日頃の行いだと存じます。』
ハルミ様はギブスで挟みこむようにして、首から下げたスマホを机の上に移動させていらっしゃる。以前は私が手を貸して差し上げた場面だが、ご自分で出来るようになった喜ばしさと、少しばかりの寂しさが同時に胸をよぎった。
ハルミ様が健気にスマホと格闘しているあいだ、白羽先輩はスマホの側面のボタンを長押しして、電源を入れなおしているようだった。ステージがあるから電源を切っていたのだろうか。しかし、直後にグループチャットに書き込んでいたような。
私と葉月から遅れること二つのメッセージが投下された。
『部長さんお疲れさまでした。今日はありがとうございました。』
『了解です。部長もお疲れ。』
白羽先輩は必要最低限のメッセージを送ると、またすぐにボタンを長押しして、スマホの電源を落とした。今日はヘッドホンをしていないのもスマホの電源を入れていないからではないだろうか。白羽先輩の行動はやや不審なものだったが、追及するほどのことでもない。私は柄にもなく、背もたれにもたれて今日一日に起こった出来事を反芻し、感傷に浸っていた。
私は、ハルミ様と、葉月と、三人で練り歩いた学園祭の記憶を回想していた。迷路や展示などにも寄ったが、思い返せば食べては歩いての繰り返しだった。手が不自由なハルミ様のために私が財布を預かり、支払いをし、葉月がそれをハルミ様に食べさせる。
財布?
その瞬間、私は総毛立ち
「いかん!」
と声を上げていた。
慌ててポケットの上に手を伸ばすと、そこには触り慣れていない膨らみが。素早く取り出すと、それは女子高生が持つにはシンプルで品のある黒い二つ折りの財布だった。
「ハルミ様! 申し訳ありません! この佐藤騎士、あなた様の財布を危うく持ち帰るところでした! このような事態を引き起こしたことは、誠に私の不徳の致すところであります! どうかお叱りを……! 罰をお与えください!」
跪く私にハルミ様は慌てたご様子で
「そ、そんな、いいんですよ。未遂に終わったことですし、むしろ預かっていただいてお礼を言わないといけません。ですから頭を上げてください」
「しかし……! それでは私の気が収まりません。主君の金銭に手を付けようなどと、首を括っても許されることではありません!」
「ナイト君さあ……。せっかく今日気持ち悪くなかったのに台無しだよ?」
葉月が横で何か言っているがそんなことはどうでもいい。
「ハルミ様、罰を。なんなりとお与えください!」
「そんな……罰なんて……」
「ヒメちゃんさあ。何でもいいから言ってやんなよ。多分梃子でも動かないよこのポンコツナイト」
「うーん……困りましたね……」
ハルミ様はしばらくお悩みになっていた。主君を悩ませるとは何たる未熟。私はこの世から消えてしまいたかった。
「そうだ」
ハルミ様は何かを思いつかれたのか、三角巾の中でギブスに覆われた両手を合わせた。
「日曜日、お買い物に付き合ってもらえませんか? 実は医者からこの三角巾をそろそろ外して良いと言われたんです。それで背中に背負えるバックパックを買いたかったんです。このウエストポーチのままでは不便ですから。その荷物持ちと送り迎えをしていただけないでしょうか?」
「無論従わせていただきますが、そんなものは任務の範疇です。私にとってそれは罰ではありません」
「いえ、女の子の買い物は男性には苦痛なものですよ。十分罰です」
「そうでしょうか?」
「あ、みはるちゃんと白羽先輩も良かったら一緒にお願いできませんか?」
「日曜だね、いいよ!」
「ごめーん。私はバイトあるー」
白羽先輩は無理だが、葉月は快諾したようだ。買い物での護衛任務に異論はない。しかしそれでは罰にならない。
「じゃーおまけで私も罰与えていいー?」
白羽先輩が声を上げ、壁に立てかけてあったギターケースを叩いた。
「これこれー。これ持って帰るのしんどいから駅まで運んで―? ヒメちゃんの護衛もできて一石二鳥でしょー」
「御意。しかし、先輩の命ならそんなこといくらでも、およそ罰とは……」
「もういいのでこれで納得して聞き分けてください。これは命令です」
ついにハルミ様の御命令が下った。
私は納得していないが、納得せねばならない。それが主君の望みなら、私はそれに従うのみ。主君が白を黒と言えば、それは黒なのだ。
夕暮れというには少し早い、赤みがかった空。私たちは誰が言うでもなく振り返り、校門から校舎を眺めた。まだ完全には撤去しきれていない学園祭の残滓。不思議と名残惜しくはなかった。私たちは十分過ぎるほど楽しんだ。
また来年、私はこの光景を見るのだろう。そのとき私の隣には誰がいるのだろうか。先のことはわからない。わからないが、それでいい。
「じゃあ私はこっちだから! また日曜ね! バイバイ!」
自転車に乗った葉月が、私たちとは反対方向へペダルを漕ぎ出した。本来なら私もその方向だが、今日はハルミ様と白羽先輩を駅まで送り届けるという罰がある。私は白羽先輩のギターケースを背負いながら、自分の自転車を引いて歩いた。
ハルミ様はいつも方向が違うからと私を駅までは送らせてくださらず、校門で別れることが常だったため、私はこの任務もとい罰に少々心躍らされていた。
ハルミ様が例の紙の月の映画の内容を朗らかに語られている傍らで、白羽先輩は不自然なほど私の横にピタリとつき、静かに歩幅を合わせていた。
十数分ほど歩いて駅に着いた。
「ねえナイト君。ナイト君はいまヒメちゃんのナイトなのー?」
別れ際、久しぶりに白羽先輩が口を開いた。先輩は決して無口な方ではないが、誰か喋っていると、それを黙って微笑ましく見守る。
「はい。そうです」
その通りだが、本人を横にして言われるとこそばゆい。
「じゃあ、私がお願いしても聞いてくれないー?」
「いえ、白羽先輩は親愛なる先輩です。願いとあらば」
「そっかー。なんだかんだナイト君はみんなのナイト君だねー」
「そうですよ。ナイトさんは誰にでもやさしい人です」
いえ、あなたは特別です。とは言わなかった。彼女はそれを望んでおられない。
私がギターケースを下ろすと白羽先輩は背中を向けた。私は彼女にケースを背負わせた。
「ナイト君」
ギターケースを背負った背中が言った。
「男の子は一途なだけじゃだめだよー。ちゃんと相手のこと見てあげなくちゃー」
「肝に銘じます」
二人は「じゃあねー」と「それでは」と言って駅の雑踏に吸い込まれていった。
私は自転車にまたがり来た道を戻った。
長かった一日が終わる。
私はただ夕日だけを連れ添って帰路についた。




