【第四章 】第二話:バラッド
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「あー、回った回った。太っちゃうよ」
正午を回ったばかりだというのに、葉月は妊婦のようにお腹をさすった。お前は痩せすぎだ。もっと食べた方がいい。
「少し疲れましたね」
ベンチに腰掛けながら、ハルミ様は少しお疲れのご様子だった。葉月の介助があるとはいえ、手の使えぬ状態での食べ歩きはさぞお疲れだろう。普段の学校での昼食は食べやすいパンを食していらっしゃるらしいが、ご本人はもとより家族の苦労も相当なものだろう。
「せっかくの祭りで野暮なことは言わんが、少しはしゃぎすぎたな」
「ねえ、体育館のステージいこうよ。今はえっと……チアリーディング部で、その後演劇で、軽音で、映画発表だって」
葉月は学園祭のパンフレットの開き、ステージの演目を読み上げた。
「座ってるだけだから楽でいいね」
「そうだな。いい案だ」
それならハルミ様も安全だ。私も警護に気を張りすぎて、少々疲れていた。
「でも、いいんでしょうかこんなに遊び惚けて。白羽先輩はお手伝いに行かれているのに」
「いいんじゃなーい。何か個人的な手伝いって言ってたし、部長が言ったみたいに依頼が入ってきてるわけじゃないし。てか、なんなら部長が一番エンジョイしてるでしょ」
「部長がどうかしたのか?」
何か約束事があるとのことだったが。
「あえー、マジで言ってる? 色ボケのくせにニブいなー」
誰が色ボケだ。
「どうゆうことだ説明しろ」
「部長さんは彼女さんと一緒なんじゃないでしょうか?」
代わりにハルミ様が答えられた。なぜそのような事情をハルミ様が知っているかは不明だが、本当だとしたら部長も隅に置けないものだ。
「そゆことー。私も馬に蹴られたくはないからね。まあ遭遇したら死ぬほどいじってやるけど」
部長逃げてください。ご武運を。
「じゃあ、体育館に行きますかー」
腰を上げた葉月につられて、私とハルミ様もベンチから離れた。
空は曇り空だったが、あたりには暗い顔をしている者など誰一人見当たらなかった。私は幼いころ連れれていったサーカスのテントを思い出していた。
みな青春という名の道化を演じている。本来の私のように、ここになじめないものも中にはいるだろう。だが今この瞬間を楽しんでいる面々は、その虚構の中で一様に我を忘れている。限られた時間を、このあたたかな聖域の中で。
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葉月が「せっかくだから前で観よう」と言うので、私たちは前から三列目、やや左寄りの席に座った。
途中からではあったがチアリーディング部の演舞は見事だった。私も日頃体を鍛えている身としては、あのしなやかで力強い所作は見習うべきものがある。機会があればどんな柔軟をしているのか、是非教えを乞いたいものだ。
ハルミ様も両手を合わせて感激していらっしゃった。そのような仕草が自然と出来るくらいには、手は快調に向かっているご様子だ。
続く演劇部の演劇ということだったが、私はいわゆるロミオとジュリエット的なものを想像していたのだが、実際繰り広げられたのは、何やら宇宙服のようなものを着た集団がひたすら哲学的な討論を交わすという前衛的なものだった。
はっきり言って、何を観させられているのか、さっぱりだった。
葉月は露骨に退屈そうな顔をしていて、ハルミ様は何とかその難解な文脈を理解しようと真剣なまなざしをステージに向けていた。実際、時間がたつと席を立つ客もちらほらみられ、終演後の拍手も困惑に満ちていた。
ハルミ様は「むむむ」と悩まし気に額を抑えていらっしゃった。
演劇が終わり、次の軽音部のステージに向けた転換の間に、客がどっと増える気配を背後に感じた。学内の情勢には疎いが、我が校の軽音部に人気があるのか、あるいは「軽音」という演目自体に集客力があるのか。いずれにせよ会場は熱気に包まれつつあった。
「続いては軽音部のステージです」
放送部のアナウンスが入ると、軽音部の身内と思われる最前列の生徒から歓声が上がった。そして、前の方の席から順々に、座っていた生徒たちが立ち上がり始めた。葉月やハルミ様もそれに続き、振り返ると後方の客たちも起立していた。
「ナイトさんも立ってください」
頭上からハルミ様の声がした。命令というよりたしなめられたような響きだ。私は即座に立ち上がった。
閉じられていた幕が上がった。
そこにはすでにセッティングされたバンドが一組、楽器を構えていた。
センターの男がマイクに向かって何やら熱いことを語り始め、それも聞き飽いたというところで、メンバーの紹介が入り、曲名が宣告された。
ドラムの演奏で始ったその曲は、音楽に明るくない私でも日常生活の中で自然と耳にしていた有名なヒット曲だった。
観客は縦に飛び跳ね、最前列の者たちは声をボーカルと共に張り上げている。
こういったものは楽しんだもの勝ちなのだろう。現に葉月は私の隣で飛び跳ね、勢いあまって私にガンガンぶつかってきている。こいつをハルミ様の隣にしなくて正解だった。
対しハルミ様は小さく縦に揺れていた。飛び跳ねると言うより、スクワットのようでいらっしゃる。跳ねると傷に障るのだろう。
先ほどの退屈な演劇とは打って変わり、会場全体が熱を帯びていた。音楽のことなどわからん私に、彼らの演奏の良し悪しなど判断できないが、会場は湧いている。それが全てだろう。
その後も何組かのバンドが代わる代わる登場し、みな一様にノリの良い曲を演奏していた。部員の数に限りがあるからか、一部のメンバーが他のバンドを掛け持ちしている様子も見て取れた。
流行の曲などとんと疎い私だが、巨大なスピーカーから体にぶつかってくる大音量のサウンドに、心臓が呼応するような感覚を覚えた。音楽など部屋で一人で聞けばよいと思っていたが、この音を体で感じる経験を得るために、人はライブやフェスなどに足を運ぶのだと理解できた。葉月が頭上でぐるぐる回しているタオルが、しょっちゅう私に当たるのも、まあ許容範囲だ。私はそれなりに充実した時間を過ごしていた。
時間的に、そろそろステージも終盤だろう。舞台中央には椅子がセッティングされ、高さの異なるの二本のマイクが並べられた。今度は座って演奏するのだろうか、眺めていると、私の肩をつんつんとハルミ様の指がつつかれた。
「どうした?」
ハルミ様は無言でその指先を、舞台袖から歩いてくる人物に向けられた。
見紛うはずもなかった。アコースティックギターを肩から下げ椅子に座ったその人物は、我らが『校内ボランティアサークル部』の親愛なる先輩、白羽流海その人だった。
彼女が優しくギターを撫でると、低いマイクを通じてアコースティックギターの音が体育館中に響いた。次いで「あーあー」と高いマイクに喋りかけ音量をチェックする。手伝いの軽音部員に手でオッケーサインを作り、まっすぐに前を向いた。
「こんにちわー」
その眠たそうな声は、やはり白羽先輩のものだった。
「私は軽音部じゃないんだけどーお手伝いですー。エレキは苦手だからアコギでごめんねー。それじゃーちょっと古い曲だけど、聴いてくださいー」
白羽先輩は曲名を口にした。知らない響きだった。
白羽先輩は指でギターの弦をはじき、歌い始めた。
乾いたギターの音色と、語り掛けるような、いつもより少しハスキーな白羽先輩の歌声。マイクのせいではない。彼女の声量は、体育館中に澄み渡るように広がっていく。それでいて歌詞のひとつひとつの意味を掬い取るような、静かで柔らかな歌い方だった。
場内は静まり返っていた。ステージの上の女神の降臨に、騒ぎ立てていた連中も皆口を閉ざし、ただギターの音色と彼女の歌声に魅了されていた。目を離せなかった者もいるだろう、目を閉じ聞き入るものもいただろう、だがそれを確認する術はない。私も彼女から目を離せなくなっている者の一人だからだ。
一番のサビが終わる。意外というのほどでもないが白羽先輩の歌う曲は、まっすぐすぎるほどまっすぐなラブソングだった。
間奏に入ると、抑えきれなかった観客の、小さな拍手がパラパラと起こる。
白羽先輩は歌い、ギターを弾く。
その声と音色は私の体に染み込み、同化していく。
最後のサビが始まる。
白羽先輩はじっくりためて、歌い出す。声量が増す。先ほどのまでの体を叩くようなバンドの大音量とは違い、ひとつひとつの音が刻み込まれるように、直接心に響いてくる。
「……ああ、愛してる」
最後の歌詞を歌い終えると、長いアウトロに入った。白羽先輩は複雑なコードを激しく叩いた。そして最後に一本一本の弦をはじき、柔らかなメロディを奏で、演奏を締めくくった。
万来の拍手が会場を埋め尽くした。
白羽先輩はいつもの眠たい顔に戻って、ぺこりと頭を下げて、手を振りながらステージの袖へ消えていった。
「ルミちゃん先輩すごかったね!」
葉月が興奮した様子で私の袖を引っ張った。
「はい素敵でした!」
ハルミ様も両手を合わせて感動したご様子だった。
「個人的な依頼とはこれだったか」
感心していると、ポケットの中のスマホが振えた。見ると部のグループチャットに白羽先輩の書き込みがあった。
『きいてたなー』
私はスマホに打ち込んだ。
『見事でした』
『ルミちゃん先輩かっこよかったよー!』
次いで葉月からの書き込みもあった。
「ナイトさん。スマホを持っていてもらえませんか?」
私はハルミ様のお申し付け通り、両手で彼女のスマホを支え、操作しやすい角度で差し出した。ハルミ様は指先でたどたどしく
『素敵でした』
と打ち込んだ。
そうこうしているうちに次のバンドの準備が整い、会場は再び熱狂の渦に包まれていった。
次いで体育館では、2―Cの映画発表が行われた。
映画と聞いて先ほどの演劇部の惨劇を思い出されたが、内容は15分ほどの三本立てで、どこかで見たような青春活劇、ネットで話題の動画をそのまま再現したもの、コメディの会話劇と、観客を飽きさせなかった。
私は満足感よりも、ほっとしたような気持ちで、ハルミ様の分までささやかな拍手を送った。
「ねえ、ルミちゃん先輩部室にいるって。行ってからかって来ようよ」
スマホを眺めていた葉月が威勢よく口を開いた。
からかうな。それともあれか? お前は人をからかっていないと呼吸が出来なくなる持病があるのか?
「そうですね。私も少し落ち着きたいです」
「ステージの演目ももうないようだし、そうするか」
私たちが立ち上がると、体育館では学園祭実行委員の生徒たちがさっそく空いた椅子を折り畳み運び出していた。
『校内ボランティアサークル部』としては手伝いを買って出ても良かったが、それは野暮というものだろう。彼らの爽やかな労働を、部外者が奪うものではない。
体育館を出ようというところで私は不意に振り返った。空っぽのステージと、椅子を片付ける無数の背中。
「祭りのあと、か」
一歩外に出れば校舎はまだ熱気に包まれているが、私は一足先にそれを垣間見た気分だった。
人気の少ない通路まで出ると、突然ハルミ様が小走りで私と葉月の前に躍り出された。彼女はくるりと振り返られ、私と葉月に向かって深々と頭を下げた。
「お二人のおかげで私は今日、とても楽しかったです。準備もできなくて、当日も楽しめないと決めつけていました。本当にありがとうございます」
「それは違う。私もあなたがいなければ今頃図書室かなにかで時間を潰していたに違いない」
「そうだよー。根暗なナイト君が両手に花を味わえたのもヒメちゃんのおかげなんだからさ、気にしなくてもいいよ」
明るいとは言わんが、私は別に根暗ではない。お前がうるさいだけだ。
「いえ、それでも言わせてください。おかしな言いかたですけど、少しだけ怪我をしてよかったと思いました。私、報われたんです」
「私も楽しかったよ。でも二人とも固いなー。よし来年はとびっきりバカで明るい新入生を勧誘しよう」
そんなやつはいらん。お前ひとりで十分だ。
「おい、なんか失礼なこと考えただろ」
葉月は肘で私の腹を小突いた。
なかなかするどいじゃないか葉月。探偵にでもなったらいいんじゃないか?
「私、来年はいっぱいお手伝いしますね。今年の分まで」
ハルミ様の瞳は決意に満ちていらした。
「それは違う。ボランティアは仕事の量じゃない。自分が出来る範囲のどこまで身を削れたかだ。ハルミはその体で出来る限界値の仕事をしてくれた。それに比べたら筋肉痛にもなっていない私などさぼっていたも同然だ。自信を持ってくれ、あなたは立派だ」
私の言葉を受けてハルミ様はわずかにうつむかれた。
「ナイトさんはいつも私の欲しい言葉を下さるのですね。甘えてしまいそうです」
「ナイト君ってたまにまともなこと言うよね。ホント、喋り方さえ変えたらまともなのにねー」
呆れたように葉月は両腕を頭の後ろに組んだ。
そんなことはない。私はまともじゃない。高校生にもなって騎士に憧れる、どうしようもない馬鹿者だ。それがわかっていながらやめることのできない大馬鹿者なのだ。喋り方を少し変えたところでそれは変わらないだろう。私の心に巣くう渇望がそれを許さない。
それに報われたのは私の方だ。ハルミ様が学園祭に貢献し、楽しんでいただけた。それだけで私がこの学校に入学した意味があったというものだろう。
「部室に白羽先輩がいるんだろう? 早く行って感想を伝えねば」
「そだね」
「はい。早く会いたいです」
私たちは人気の少ない部室棟を目指した。ハルミ様の歩く速さでゆっくりと、遠ざかる喧騒を背中に受けて、私たちは私たちの居場所へ向かった。




