【第四章 】第一話:紙の月
第四章:紙の月(全三話)
第四章
「学園祭当日はクラスや部員が基本全員参加だし、教師も何かあっちゃいけないといつも以上にピリピリしてるから何かトラブルがあっても、自分たちでなんとかすることが多いんだよ。だから昨日までの忙しさとは打って変わって、俺たちに仕事が回ってくることはほとんどない」
まあ、つまりだ。と部長は朝一番に宣言した。
「みんな、呼び出されるまで自由にしてていいぞ。学園祭楽しんどいで」
「やったー!」
葉月が両手を振り上げて、全身で喜びを表現する。
「一応スマホはの通知は定期的に確認してくれよ」
「はーい!」
部長の言葉を受けて、葉月は元気よく敬礼のポーズを取ってみせた。
「てかそれならみんなで回ろうよ!」
葉月の提案に、ぬっと白羽先輩が部長のそばに這い寄る。
「だめだよー。部長はこれだからー」
そう言って白羽先輩は小指を立てて、部長の頬をツンツンとつついた。
「ああ、これね」
葉月はニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべながら、自分も小指を立てて、部長の反対側の頬をツンツンとつつく。
これ、とはなんだろう。小指? 指切りか? 何か約束事でもあるのだろうか。
首をかしげていると、そわそわしたご様子のハルミ様が目に入った。ご自分も交ざりたいのだろうか。
「私が代わりにやろうか?」
進言するとハルミ様は
「いえ、大丈夫です」
と恥ずかしそうに身を引かれた。あの行為にどんな意味があるというのだ?
「白羽も用事があるんだろ?」
両の頬をいいように突かれながら、部長は白羽先輩に尋ねた。
「そうだねー。個人的な依頼が入ってるから一緒にはいけないよー」
「そんなー。ルミちゃん先輩と遊びたかったー」
「残念です」
葉月は白羽先輩に抱き着き、ハルミ様は遺憾の意を示した。
「そういうわけだから、一年三人で遊んで来い。じゃあ解散」
「はーい。まあいいやヒメちゃんと親睦を深めよう」
葉月は白羽先輩から離れ、ハルミ様の背後に回ると肩を揉み始めた。
どうやら私とは親睦を深めないらしい。
まあいい。今日の使命はハルミ様に安全に学園祭を楽しんで頂くことだ。朴念仁の私と違って、人を楽しませることに関しては葉月の方が長けているだろう。私はただ学園祭に群がる群衆や、はしゃいだ葉月が、ハルミ様のお手に触れぬよう警護するだけだ。
「じゃあ、しゅっぱーつ!」
葉月の号令に、ハルミ様は朗らかな笑みを浮かべ、小さく腕を掲げた。
「しゅっぱーつ」
人任せにも神頼みにもするつもりはない。だが私は、この笑顔が今日一日絶えることがありませんようにと、私は神に祈らずにいられなかった。
「葉月、どこへいくつもりだ? ハルミがいるんだ、もう少しペースを落とせ」
ぐんぐんと突き進んでいくその背中に私は苦言を呈した。校舎は予想以上の混雑で、廊下を行き交う生徒も多い。うっかりハルミ様の手に何かがぶつかってこないか心配だ。
「ごめんごめん。特に何にも決めてないよ。こういうのは行き当たりばったりが醍醐味でしょ?」
「そういうものか?」
「私もそれでいいと思います。あ、でも私のクラスには寄って欲しいです」
「ヒメちゃんのクラス? 1―Fだよね。何やってるの?」
「フォトスペースです。オブジェがあって、そこで写真を撮ってもらうんです」
「いいねー。じゃあまずそこ行こっか。すぐそこだし。ナイト君もいい?」
「私は構わん」
「じゃあ決まり」
私たちは縦一列になって熱気に包まれた廊下を歩いた。
道中、私たちは1―Aの前を通った。確かフランクフルトと言っていたか、営業の苦い記憶が蘇る。1―Aは教室の内窓を飾り付け、教室の中から廊下に向かってフランクフルトを売っていた。
ぼんやり眺めながら通り過ぎようとすると、店先に立つ学級委員と目が合った。
「その節はすまなかった」
私は足を止め、出会い頭に彼に深く謝罪した。
「私は自覚なく、あなたに尊大な態度を取ってしまっていたようだ。心から謝罪する。どうか許してほしい」
「あ、ああ例の。いいよいいよ全然気にしないで。それよりフランクフルトを買っていってよ」
「そうだな。三本頼む」
私たちは各種ソースの説明を受けてフランクフルトを購入した。これは詫びでもあるので私が奢ると申し出たが、ハルミ様はご自分で払うと言って譲られなかった。それでも葉月は奢ってくれとねだってきたが「ハルミ様に奢らず何故お前にだけ奢らなければならないのだ」と一蹴した。
私たちは空きスペースの壁にもたれて、遅い朝食を摂った。両手の塞がれたハルミ様は、葉月が持ったフランクフルトに口だけでかじりついておられた。一見はしたない行為だが、ハルミ様がしていると小動物の餌付けのようで心が和む。
「てか、ナイト君が真っ先に行き当たりばったりしてるじゃん」
口では文句を言うが葉月も楽しそうだった。これも人との縁のなす業だろう。
葉月はハルミ様の口についたケチャップとマスタードを、慣れた手つきでメイク落としでふき取っていた。ハルミ様の両腕はまだ二枚の三角巾に吊るされ、その行動の多くを制限をされている。痛ましい怪我があっての光景ではあるが、彼女は過去もこれからも、努めて上品に人生を歩まれるだろう。たまにはこんな時があってもいい。それが微笑ましく、暖かい思い出になってくだされば、それに勝る喜びはない。
1―Fの教室にたどり着くと、ハルミ様は軽やかに足を躍らせ
「これです、これ!」
とひとつのオブジェのところまで駆けて行かれた。
そこでは三日月の形をしたオブジェに、カップルが並んで腰掛けており、その様子を係の者がスマホで撮影をしていた。
「私、怪我をしてから映画をよく観ているんです。元々好きでしたけど、とにかくいっぱい観てるんです。それで好きな映画があって、古い映画なんですけど詐欺師の男の人が少女を連れて旅をするんです。このオブジェは、その映画のワンシーンそっくりなんです」
ハルミ様はいつになく熱心で多弁なご様子だった。
「『ペーパームーン』……まさにこのオブジェも紙でできた月ですね。紙でできていても。張りぼてでも、これは月なんです!」
熱を帯びた彼女の弁は、神の教えを説く修道女のような信仰があった。
私たちは順番を待って、その月のオブジェに腰を下ろした。
三人で座るには少々窮屈だったが、葉月は華奢だし、ハルミ様はしなやかな体つきをされているので、何とか収まることができた。私の左半身がハルミ様と密着する。彼女の体温が伝わってくる。こんなに熱いものなのか。私は自然と背筋が伸びていた。
ハルミ様の命令に従うとき、私は常に彼女のお体に触れぬよう細心の注意を払っている。そのため、これほど密着するのは、階段での事故のあと彼女を抱きかかえて以来だ。あのときは必死で、その体温まで感じることはできなかった。一般的に男女に体温差はないとされているが、私はその熱さにめまいがしそうだった。
「じゃあ撮りますねー、3,2,1」
ハルミ様のクラスメイトの手により、私のスマホのシャッターが切られる。葉月のスマホはカメラの性能があまりよくないらしく、ハルミ様は撮った写真をみんなに送るのに苦労なさるので、消去法で撮影には私のスマホが選ばれた。
「はいオッケーです。波瑠美さん確認してみて」
三人の前に差し出されたスマホの画面には、ハルミ様を中心に並んだ三人の姿が映し出されていた。葉月は見飽きた笑顔で、私は我ながら愛想のない顔で、ハルミ様はとびっきりの笑顔で、並んでいた。
オブジェから降りると、私は葉月に急かされながら、部のグループチャットにその写真を投下した。
ハルミ様はご自身の手で、首からぶら下げたスマホをギブスの上に持ち上げて、愛おしそうにその写真を眺めていらっしゃった。
私はその横顔をカメラに収めたい欲求を必死にこらえた。
「……いい写真ですね」
ハルミ様はぽつりとつぶやかれた。
「ああ」
「張りぼてでも、紙でも、新聞紙でも、人は幸せな気分になれるんですね」
私は答えた。
「ああ。そうだな」




