瓜二つのいたずら
地獄の大広間に、外界から訪れた神々が居並んでいた。
地上との境界を巡る定期の集会が開かれる日だ。普段は互いの神域に籠もりきりの者たちが、こうして一堂に会する機会は珍しい。厳かな衣を纏った神々が、それぞれの席で静かに言葉を交わしている。
その空気は、どこまでも張り詰めていた。
誰もが、広間の奥へと時折視線を走らせる。
そこには、こはくが座していた。
騒がしい会話の輪から一歩離れた場所で、ただ静かに佇んでいる。誰かが話しかけるでもなく、こはくが誰かに寄るでもない。
それでいて、広間全体の空気は、その一角を中心に緩やかに張り詰めているようだった。
近づく者はいない。
畏れ多いという以上に、そこにあるのはもっと本能的な忌避に近いものだった。迂闊に踏み込めば、そのまま呑まれてしまいそうな気配。誰もがそれを肌で理解していた。
だからこそ、視線だけが集まる。
ちらり、ちらりと。
まるで神聖な像でも拝むかのように、遠くから熱心に見つめる者たちがいる。中でも、部屋の隅に控えていた一柱の若い神格は、先ほどからずっとこはくの方角へと視線を送り続けていた。
閻魔は、そんな広間の様子を壁際からぼんやりと眺めていた。裁定の合間を縫って顔を出しただけの立場だったが、退屈しのぎには十分すぎる光景だった。
視線の先。
熱心にこはくを窺っては、目が合いそうになる度に慌てて逸らす神格の姿。
閻魔の口の端が、ゆっくりと持ち上がっていく。
「……あれ、面白そうじゃん」
誰に聞かせるでもなく呟くと、閻魔はするりと壁から背を離した。
歩き出したその輪郭が、揺らめくように滲む。
一瞬の後、そこに立っていたのは——漆黒の髪をした、十代半ばの姿だった。
閻魔は悪戯っぽく笑うと、迷いのない足取りで、その神格の元へとまっすぐに向かっていった。
「ほらほら、こはくだよぉ?」
その不可侵の静寂を一切の容赦なくぶち壊す。
パッと見の容姿だけで言えば、目の前にいる本物のこはくとほぼ瓜二つだ。
ただし、圧倒的に喋る。
面白がって、めちゃくちゃに喋り倒しているのだ。
しかもその口元には、酷く意地の悪いニヤニヤとした笑みが浮かべられていた。
「ほら、触っていいんだよ?」
閻魔はそう言いながら、身をすくませている目の前の神格へとずいっと顔を近づけた。
神格はその至近距離に完全に硬直している。
「……っ、い、いや、それは……!」
「えー?」
閻魔は心底楽しそうだ。
目の前の神格を玩具のようにして遊んでいる。
「普段は遠くからあんなに熱心に見つめてるじゃん。“あぁ、こはく様……”ってさぁ」
わざとらしく声を尖らせ、神格の真似をしてみせる。
神格の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていった。
「そ、それは……!」
「なに? 実物がこんなに近くにいるとダメなわけ?」
ぐいぐいと距離を詰めていく。
容赦がない。顔立ちの良さだけは本物で、しかもその造形はこはくに驚くほど似通っている。
神格の処理能力は完全に限界を迎えていた。
閻魔は容赦なく畳み掛ける。
「ほら見て、今ならちゃんと喋るよ? 触ったら反応も返すよ? すごくお得じゃない?」
最悪だった。
内面の性格がこれ以上なく悪質だ。
神格は耐えかねて後退ろうとするが、閻魔は逃がさない。
楽しそうに一歩詰める。
「ほらほら」
にこにこと無邪気な笑みを浮かべている。
顔立ちだけを見れば神々しいまでに整っているというのに、その中身があまりにも軽薄で酷すぎた。
神格はついに耐えかねて視線を逸らしてしまう。
「……っ、やめてください……」
「なんでさ?」
「心臓に悪すぎるので……!」
閻魔は大声をあげて吹き出した。
「なにそれ。いやでも分かるよ、俺だって相当顔が良いしね」
当たり前のように自分で言ってみせる。
神格は反論したくともできなかった。悔しいが、その顔立ちは圧倒的なまでに美麗なのだ。
しかもこはくの元であるため、その破壊力たるや尋常ではない。
閻魔はなおも楽しそうに言葉を重ねる。
「もっと近くで見ればいいのに〜。近い方が嬉しいでしょ? こはくはこんなに近くまで来てくれないんだからさ」
神格が完全に言葉を失った。
見事に図星だったのだ。
閻魔はその分かりやすすぎる反応を目にして、とうとう肩を大きく震わせて笑い始めた。
「やば、本当に照れてる。かわいー」
完全にクズの言動だった。
神格は恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆い隠してしまう。
「……閻魔様……」
「なに?」
「お願いですから遊ばないでください……」
「えー、だって面白いじゃん」
即答。
その時だった。ふっと、周囲の空気が静かに落ちついた。
部屋の奥。本物のこはくが、静かな瞳でこちらを見つめていたのだ。
その気配に気づいた瞬間、閻魔の顔にパッと華やかな笑みが弾けた。
「あ、見てた?」
本当に嬉しそうな声音だった。
神格は反射的に背筋を正す。顔の赤さは増すばかりだ。本物のこはくが、そこに立っている。
閻魔はそんな神格の狼狽ぶりを横目で見やり、ニヤニヤと笑いながら本物のこはくの隣へと歩み寄った。
そして、さも当たり前のような顔をして、その華奢な肩へと腕を回してみせる。
神格の脳内処理が完全に停止した。
閻魔はちらりと神格の方を振り返る。
「ほら」
勝ち誇ったような、圧倒的な得意げな顔。
「俺は、これできる」
あまりの格差に、神格はその場で力なく崩れ落ちそうになったのだった。




