俺とこはく何が違うの?
「納得いかないんだよね」
閻魔は心底不満そうにそう呟くと、机の上へ肘を突き、そのまま大きな溜め息と共に頬杖をついた。
そこは広大な裁定の間ではない。今日は珍しく、その奥に位置する執務室だった。
周囲の棚や机には幾重にも書類が積み上げられているが、どれも緊急を要するものではない。部下たちもまた、穏やかで落ち着いた空気感の中で手を動かしていた。
その静けさの中央で、地獄の長である閻魔だけが、子供のように妙な機嫌の悪さを隠そうともしていなかった。
「俺、こはくと見た目ほぼ同じじゃん」
前触れもなく投げかけられたその言葉に、すぐ近くで書類の整理を行っていた部下が、思わず静かに視線を上げた。
閻魔はそんな周囲の反応など気にする素振りもなく、ぶつぶつと不満を溢れさせていく。
「なのにさ、なんでこはくばっかり人気あるわけ? 何が違うの?」
本気で不思議でたまらない、といった表情だった。
途端に、部屋を支配していた空気が微妙な固まりを見せる。
閻魔は机の滑らかな木肌に顎を乗せたまま、いじけたように言葉を繋いでいく。
「いや、分かるよ? あいつは綺麗だし、そこに存在しているだけで周囲を引きずり込むような特有の気配があるのも知ってるよ。でもさ、そもそも骨格の構造とか顔立ちの系統なんて、元を正せば全部“俺”ベースなんだよ?」
さらりと凄まじい事実を口にする。
部下たちはその過去の経緯にすっかり慣れきっているため、特に動じることもなく静かに聞き流した。
けれど、閻魔の不納得な表情は一向に晴れる気配を見せない。
「なのにどうしてあいつばかり、常に周りから狙うような奴らが群がってくるのさ。神格も、異形も、なんなら地獄の領域外からまで、ぞろぞろと寄ってくるでしょ」
眉間に小さな皺を寄せ、むっとした顔を作る。
「俺だって同じような顔立ちをしてるのにさ、なんで俺のところにはああいう風に寄ってこないわけ?」
静寂が落ちた。
部下たちは、どう返答したものかと酷く返答に困り果てた。
閻魔は沈黙に耐えかねたように、急に顔を持ち上げる。
「……なに」
「……いえ」
「なんか言いたいことありそうな顔してるけど」
「……」
言えるはずがない。
そのあまりにも直球すぎる真相など、口が裂けても言えるはずがなかった。
閻魔はじっと、訝しげな視線で部下を見つめていた。
確かに、その顔立ちは恐ろしいほどに整っている。
人の姿をとった際のこはくと酷似した美麗な輪郭。もし十代半ばの姿をとれば、初対面の者であれば見分けがつかないほどにそっくりだ。
だが、決定的に「中身」が違いすぎるのだ。
こはくという存在は、常に静寂を纏っている。
捉えどころがなく、うかつに近づけばそのまま無底の存在へと呑み込まれてしまいそうな危うさがある。
対して、目の前にいる閻魔はどうか。
喋る。
呆れるほどに良く喋るのだ。
しかもその性格は恐ろしく軽薄で、人との距離感が驚くほど近い。
当たり前のように人をからかい、煽り、平然と面倒な仕事を投げつけてくる。
部下たちの頭の中に、“いくら顔立ちが同じであっても人間としてのカテゴリが根本から違う”というあまりにも明白な結論が浮かび上がっていた。
だが当然、そんな身も蓋もない真実を本人に告げられるはずもない。
閻魔は返答を濁す部下の態度に、ますます不満を募らせていく。
「絶対におかしいって。俺だって、客観的に見てもかなり顔が良い方だと思うんだけど。なんたって、あのこはくの元なんだからさ」
部下の一人が、堪えきれずにすっと視線を泳がせた。
閻魔はそのわずかな動揺を見逃さない。
「今、絶対に何か思ったでしょ」
「いえ、何も」
「嘘だ」
じとっとした目で見つめられ、部下はついに観念したように息を吐いた。
「……その」
必死に慎重な言葉を選び取りながら、ぽつりと口を開く。
「閻魔様は……その、大変親しみやすいお方ですので」
「それって悪口?」
「いえ」
即座の否定。
だが、その場の空気は僅かに揺れていた。
閻魔は目を細め、怪しむように追求を重ねる。
「親しみやすいって、どういうことさ」
「そうですね……近寄りやすい、と言いますか」
「いいことじゃない、それ」
「はい」
「じゃあなんでモテないの」
それが最大の核心だった。
部下は完全に沈黙した。
周囲の空気も静まり返り、誰もこの難局から助け船を出そうとしない。
閻魔は納得のいかない表情のまま、不満げに唇を尖らせた。
「こはくなんか、滅多に喋りもしないのに。むしろ何を考えてるのかすらさっぱり分からないのにさ。それなのにみんな、“こはく様……”ってうっとり引き寄せられていくじゃん」
その瞬間、部下の誰もが心の中で深く頷いていた。
『そこなんですよ』と。
恐ろしいことに、本人にはその自覚が一切存在しない。
部下たちは視線をかわして上司の話題が変わることを願うことしかできない。
閻魔はまだ不満そうに呟いていた。
「おかしいなぁ……」
ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、再び机の上へと豪快に突っ伏す。
その時、部屋の重厚な扉が静かに開いた。
途端に、空間を支配していた温度がふわりと変わる。
こはくだった。
白い気配を纏った姿が部屋へと滑り込んできた瞬間、周囲の空気には微かな緊張が走る。
先ほどまで突っ伏していた閻魔が、弾かれたように顔を上げた。
「あ、おかえり」
一瞬前までの拗ねていた表情が嘘のように消え去り、即座に嬉しそうな笑みが咲く。
そのまま当然のような足取りで立ち上がり、こはくの側へと迷いなく寄っていく。
距離の詰め方に迷いがない。
躊躇というものが一切存在しない。
その圧倒的な近さを前にして、部下たちは改めて確信したのだ。
(……うん、やっぱり性格だな)と。




