年齢操作 前編
俺、年齢変えられるんだよね。
まあ、正確に言うと、昔は勝手に変わってたんだけど。
地獄に来たばかりの頃は、姿なんて全然定まらなかった。気づいたら少し若くなってたり、逆に老けてたりしてさ。自分じゃどうにもできないから、部下の前で年齢が変わったときなんか、そりゃもう面倒だったよ。
「閻魔様……ですよね?」みたいな。
いや、俺だって分かってるよ。分かってるけど、こっちだって好きで変わってるわけじゃないんだから。
そのうち地獄の仕事にも慣れてきて、裁定をするときは三十歳くらいの姿が一番しっくりくるようになった。若すぎると軽く見られるし、年を取りすぎると今度は妙に怖がられる。そのくらいが一番、話も通るし仕事もしやすかったんだよね。
だから、その姿がだんだん定着していった。
……でも、年齢そのものが変わらなくなったわけじゃなかった。
ただ、いつの間にか、自分で変えられるようになってた。
少年にもなれるし、青年にもなれる。三十くらいにもなれるし、もっと年を取った姿にもなれる。気分次第で好きに選べるから、今じゃ結構便利に使ってる。
こはくと見た目年齢同じくらいにして並んでみたら、案外悪くなかったんだよね。
こはく、俺の姿模倣したわけだし。
よく見ると俺の方が少しツリ目なんだけどね。
でも、俺がどんな姿になっても、あいつは俺を見ればちゃんと俺だと分かる。
昔はそれが当たり前だと思ってた。
でも、自分で年齢を変えられるようになってから、ふと考えたんだよね。
ああ、俺ももう、人間じゃないんだなって。
人間だった頃は、自分で歳を取ったり、若返ったりなんてできなかったから。
まあ、今さらだけど。
最初の死者が、今じゃ好きな歳になれるんだからさ。
地獄って、長くいるといろんなことができるようになるんだよね。
◇
閻魔が冥府に来たばかりの頃、本人の意思や制御とはまったく関係なく、見た目の年齢が変わり続けていた。
ふとした拍子に十代半ばのように若返る。過酷な重労働で疲弊しきると一気に老け込むこともあれば、裁定の合間にふと気を抜いた瞬間、幼い少年の姿へと縮んでしまうこともあった。
その変化は、じわじわと緩やかに起きることもあれば、本人がまったく気づかない瞬きの間に起きることもあった。
「……また?」
鏡代わりに手元の水面を覗き込み、閻魔は心底面倒そうに眉を寄せた。
揺れる水鏡に映っていたのは、ついさっきまで書類と睨み合っていた自分よりも、遥かに若い少年の面影を残した顔だった。
「今、三十くらいだったよね?」
すぐ隣で、静かに佇んでいるこはくへと視線を向ける。
こはくはいつもの静謐な佇まいで座していた。
人の形を学習して会得して以来、こはくが好んで纏っている姿は、ほとんど変わることがない。
十代前半か半ばに見える、どこか幼さと儚さを残した姿で、帯を締めて羽織を着ていても華奢であることが分かる。
閻魔は水面へと、もう一度溜め息交じりに視線を落とした。
「……まあ、いいか」
実際のところ、その頃の閻魔は己の姿形などに固執している余裕など皆無だったのだ。
姿が変わったからといって、机の上に山積した書類が消えてくれるわけではない。
裁きを待つ亡者の列は途切れないし、部下たちは矢継ぎ早に次の指示を求めて押し寄せてくる。己の見た目を気にするよりも、崩壊寸前の地獄の枠組みを整える方が遥かに優先事項だった。
だからこそ、若返ろうが老け込もうが、その時々の姿のまま強引に仕事をこなしていた。
「閻魔様、その姿で裁定を……?」
「うん。まあ今日だけね」
「先ほどのお姿とは随分と——」
「気にしないで」
他ならぬ本人が一番気にしている。
唇を噛んで、それでも筆を止めなかった。
そんな過酷で滑稽な日々が、ただただ続いていった。
◇
やがて地獄の機能が整うにつれ、閻魔は裁定の場に立つ時だけ、意識的に「三十歳前後」の姿を維持することが増えていった。
裁きを下す王として、そのくらいの年齢が最も都合が良かったのだ。
若すぎれば、調子に乗った亡者どもから軽んじられることがある。逆に老いすぎれば、不必要な威圧感を与えて円滑な対話が滞ってしまう。
三十歳前後であれば、人間らしい活力を残しながらも、地獄の長たるに相応しい重厚な落ち着きを演出できた。
何より、その姿が一番身体を動かしやすかったのだ。
「これでいいか」
声が低く落ち着いた響きになり、閻魔は満足そうに頷いた。
「うん。これなら仕事しやすい」
それからは、裁定の間では決まってその姿をとるようになった。
毎日、同じ男の姿で亡者たちの前に立ち、同じ顔で部下たちへ矢継ぎ早に指示を出し、同じ声で地獄という巨大な機構を駆動させる。
その膨大な日常の反復の中で、いつしか「三十歳ほどの男」の姿が、閻魔という存在の確固たる基本形として定着していったのだった。
ところが、ある日のこと。
一日の激務を終え、こはくの待つ部屋へと戻ってきた閻魔は、ふと自分の手元に視線を落とした。
いつも書類を握りしめている己の手よりも、ほんの少しだけ小さく、関節が細い。
「……あれ」
ゆっくりと手を握りしめ。開く。
そして試しに、己の体内の気配を微細に操作し、容姿を変えようと意識を集中させてみた。
すると——今度は己の意図した通りに、身体の輪郭がすうっと若返っていく。
「……できる」
閻魔は目を見開いた。もう一度、意識を強く込める。
今度はもっと若く。
一瞬で、青年期の瑞々しい姿へと肉体が変質する。
さらに深く意識を傾けると、肉体は一気に縮み、十代前半の少年に近い姿へと変化を遂げた。
閻魔はしばらくの間、己の掌を見つめたまま絶句していた。
「自分で変えられるようになったのか」
こはくが静かな瞳で閻魔を見つめてくる。
「便利じゃん」
閻魔は口元を歪め、愉快そうに笑った。
以前は、予期せぬタイミングで姿が変わるたびに焦り、冷や汗をかいていたものだ。
重要な裁定の最中に顔が変われば困り果てたし、亡者の前でいきなり年齢が変われば、王としての威厳を取り繕うのに必死にならざるを得なかった。
だが、己の意思で自在に変えられるとなれば、話は根底から変わってくる。
裁定の場では威厳ある三十歳。
外界の人々と会うときは、少し若々しい青年の姿。
太古の古き神々と対峙する際は、相応に歳月を重ねた重厚な姿。
必要とあらば、小さな少年にだってなれる。
そう考えれば、年齢が変化すること自体、むしろ都合の良い利便性でしかなかった。
閻魔はもう一度、全身の気配を練り上げ、己の姿を変容させた。
そして、目の前で座しているこはくをじっと見つめる。
「……じゃあ」
こはくの纏う姿の年齢へと、己の肉体を正確に擦り合わせてみる。
閻魔の身体の輪郭が、ふわりと揺らめいた。
徐々に縮む身体の変化が止まった頃には、十四歳ほどに見える、可憐さと鋭さを同居させた少年の姿だった。
こはくの隣に並び立ってみると、まるで双子のように、ほとんど同じ背格好に見えた。
閻魔は己の小さくなった手足を見下ろし、それから隣に立つこはくを見つめる。
「お前と並ぶと、こんな感じなんだ」
こはくは何も言わない。
閻魔は隣の床へと、すとんと腰を下ろした。
肩の高さが、驚くほど近い。
並んだ顔を鏡ごしに覗き込んでみれば、どこか雰囲気に共通するものさえ漂っていた。
「……なんか変な感じ」
こはくの佇まいは相変わらず静かだった。
閻魔だけが、妙に少年らしい楽しそうな笑みを浮かべている。
「でも」
少しだけ思案するように間を空けてから、閻魔は嬉しそうに笑った。
「お前と一緒なら、悪くないね」
そのまま二人は、静かな部屋の中で肩を並べ、しばらくの時間を過ごしたのだった。




