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晩餐会に招かれて向かう途中、使用人達が何やら慌てて王宮内を行き来しているのを目にした。
忙しない様子から見るに、何かあったのだろう。
特に見当もつかないが、王太子の進級祝いだとか王女の乗馬記念だとか、事あるごとに小さな祝いを設けていた国王のことだ。今夜もその類だろう。
そんなことを思いながら廊下を歩き進めると、部屋の前に立つリディアの姿が見えた。
中に入ろうとする様子はなく、その場に立ち尽くしている。
……何故中に入らないんだ?
「……おい、そんなところに突っ立って何を…」
───何をしている、と訊ねようとして言葉が止まった。
立ち尽くす彼女の視線の先。
晩餐の席に先に座っていた国王と王妃の向かいに、鮮烈な赤が見えて。
思わず目を見張った。
艶やかな長い赤毛に、輝く黄金の瞳。
リディアと同じ年頃の見知らぬ娘。
王太子や王女も見惚れるほど鮮やかな赤髪を持つその娘を見て、思わず息を呑んだ。
それが何を示すのか、俺達にも分からないはずがない。
───天啓に示された後継者の条件全てに一致する娘。
そんな、まさか。
「聖女様のもう1人の後継者として参上致しました。
エリサ・アルディージャと申します」
曇りのない澄んだ声で堂々とそう告げる少女。
その場にいた使用人達は騒然とし、突然の出来事に動揺した俺とリディアも、部屋の入り口で茫然と立ち尽くしていた。
国王はこちらを見て「お前達も早く席に着きなさい」と言って、立ち上がる。
「晩餐の時にこのような重要な知らせをするつもりでは無かったのだが……予定よりも早く到着してしまったというのでな」
「!」
「先日、天啓と同じ条件の娘がもう1人いたと報告を受け、呼び寄せた次第だ。次の帝国祭の際には2人に天啓を読み上げてもらい、後継者を定めることにする」
そう告げた国王の言葉に、目を見開いた。
無意識に拳に力が入る。
次の帝国祭───つまり4ヶ月後の今日。
国王はその日、正式に後継者を発表すると。
「……何てこと……」
近くにいたリディア付きの侍女がそう漏らしたのを聞き逃さず、俺は鋭く睨みつけた。
侍女はハッとしたように口を塞いだが、リディアはそんな声も聞こえていない様子で、青褪めた顔で立ち尽くしている。
その場にいた王太子や王女も驚いたように目を見開いていた。
「……リディア」
「…!」
耳元で名前を呼ぶと、リディアは漸くハッとしたように顔を上げて、静かに部屋の中に足を進めた。しかし、その足取りは重い。
こちらを見て柔らかな微笑みを浮かべて先に座っている少女の方にはなるべく顔を向けず、盾になるようにリディアとその女の間に座った。
そうして暫くして、国王の軽い挨拶とともに晩餐が始まる。
普段からそう言葉数が多い席ではないが、今日はより一層静かで、カチャカチャと食事の音が響いた。
「エリサ様、お飲み物の御代わりはいかがなさいますか?」
「あ……では、同じものをもう一つ…」
飲み物の替えを用意しに使用人がエリサと呼ばれるその女へ声をかける。
使用人たちの様子を見る限り、今はまだ客人として招かれているようだ。
彼女の所作からして、商人の家の出だからかこのような場にはあまり慣れていないらしい。庶民にしては作法は良い方なのだろうが、貴族のレベルには程遠い。
そうして女の様子を横目に観察していたが、特に怪しい動きはなかった。
……でも、何かが妙だった。
「……」
一体何故、このタイミングで彼女が現れたのか。
この状況に違和感を感じる理由の1番はそれだった。
どうして今、このタイミングで2人目の後継者が見つかったのか。これまで少女───エリサの存在が露見しなかったのは何故なのか。
この国では赤髪に生まれる事自体かなり珍しい。
加えて、後継者の誕生を告げる天啓が下された後、その条件である容姿を持つ子供が生まれたら騒ぎになるに決まっている。リディアの時もそうだった。
それにも関わらず、今日まで隠せてこれた理由は?
両親が子供を取られるのが嫌で隠していたのか?
だとすれば、何故今更になって娘を差し出す?
この国の聖女は今や神と同等の扱いを受け、人々から崇拝される尊い地位にある。自身の娘がその後継者ともなれば、家の名誉となり国内で英雄のように扱われることだろう。
今になって気が変わった…とは考えづらい。
このタイミングに、きっと何か意味があるはずだ。
そしてもう一つ、大きな疑問が残っている。
何故、国王は次の帝国祭に期限を定めたのか。
エリサの登場で国王が動揺したことは容易に想像がつく。まさか国としても聖女候補が2人も出現するとは思ってもみなかっただろう。そして恐らく、エリサが現れた事で王宮内のリディアに対する疑念は深まったはずだ。
───彼女が力を発現しないのは、本物の後継者じゃなかったからだと。
しかしながら、エリサも幸いまだ力を発現していないのは同じはずだった。もし発現していたら、期限を設けずとも今この場で彼女が正式な聖女だと告げていたはずだからだ。
つまり、エリサも帝国祭までに力を発現するとは限らないということになる。
それにも関わらず、次の帝国祭で本物がどちらなのか見極めると告げたのには……恐らく何か思惑があるに違いない。
「……ゼウス?どうしたの?」
そんなことを考えながら眉間に皺を寄せていると、隣に座る彼女から声が掛かる。
リディアの方へ視線を向けると、微笑む彼女の瞳に浮かんでいるのは───拭えきれない不安と疑心。
その顔を見て、俺は静かに口を結んだ。
止めていた食事の手を再開しながら、少し間を置いて「…いや、何でもない」と返事をする。
……この胸騒ぎが酷くなる前に、何か手を打たなければ。
♦︎
しかし、俺の思惑とは裏腹に日々は淡々と過ぎていく。
あれから暫くして、エリサは国王の命によって王宮内で暮らすことになり、庭園や演舞場など様々なところに顔を出しては使用人や騎士達と交流を交わす様になった。
小さい頃から王族と同じ教育スケジュールで動いていたリディアとは違い、町で様々な人や友達と過ごしてきた経験を持つエリサは、人と接することに慣れていた。
加えて彼女はコミュニケーション能力に長けており、人の心を開かせるのが上手いようだ。親しみやすく気さくな印象を周囲に与えている。
最初は少し戸惑っていた宮内の人間達も、1ヶ月を過ぎた頃にはすっかりエリサと打ち解けていた。
そしてある時から王太子デルテラや王女リベエラとも交流を持つ様になり、かつてリディアがいたその場所はエリサのものへと変わっていった。
まるで最初から、リディアなど存在していなかったかの様に───それが『当たり前』となる日常へと変化していった。
「あら、ゼウスじゃない!
今からリディアのところに行くの?」
「……」
そしてある時、城内を歩いている途中でエリサに声を掛けられ足を止める。
視線だけを横に向けると、無邪気な笑顔を浮かべて小走りに近寄ってくる姿が目に入る。
その手には、庭園で摘んだ花が束になって握られていた。
「エレナ達……侍女の皆から聞いたの。リディア、今日も熱を出しているんでしょう?ここ最近ずっと体を壊しているから、皆とても心配しているわ」
「……」
「そういえば、ゼウスはいつもリディアのお世話をしてあげてるんですってね?魔道士様はお仕事で忙しいはずだって騎士の皆が言っていたわ。それなのに時間を割いて看病してあげてるなんて…本当に優しいのね」
リディアを心配するように眉を下げて俯くエリサ。
そして慈悲深い笑みを浮かべてこちらを見上げてくる。
「………」
……その手に握られた花束も、リディアが花冠を作る時によく使っていた花が使われていた。
彼女の好きな花。
だからあんなにも沢山植えられているのだ。
お前のためなんかじゃない。
彼女の地位を脅かし、彼女の居場所を奪い、まるで彼女のような生活を送る幸せそうなエリサ───お前のために用意されたものは此処に何一つないというのに。
我が物顔でぐちゃぐちゃと。
土足で踏み散らかすお前の姿に、俺は───
「でも、あまり無理はしないでね?忙しいなら貴方が無理に時間を作らなくたって、侍女の皆が──「エリサ・アルディージャ」
───目の前が真っ暗になる程の、嫌悪を覚えていた。
言葉を投げかけてくる娘の声を遮り、女の名前を読み上げる。エリサは驚いたように目を丸くしてこちらを見上げているが、その不思議そうな表情が不快で仕方がない。
『世話をしてあげてる』?
『看病してあげてる』?
商家に生まれた小娘とはこうも無知で愚かな言動が目立つ生き物なのだろうか。節々から滲み出てくるリディアを軽視する言葉に、身体が僅かに震える。
遠回しにこちらへ指図するような物言いも不快で仕方がない。周囲を気遣う振りをして、リディアから人を遠ざけようとしている魂胆が見え透いていた。
この女は明らかに───リディアを見下していた。
「お前、一体誰の許可を得て俺に話しかけている?」
自分が王族と、リディアと同等になったとでも思っているのだろうか?
勘違いも甚だしい。
王族の養子となり、血を吐くような努力と自由の利かない環境の中で生きてきたリディアと、商家の生温い環境で育って偶然この場に見繕われた居候の小娘───比べる価値もない。
そんなお前が、彼女を愚弄するというのか。
これがもし意図してやっている訳でないのなら、この娘は正真正銘の馬鹿に相違ないが、これは間違いなく策略だと勘が告げていた。
この女からは……妙な感じがする。
「……え?あ、あの、ゼウス……」
「汚い口で俺の名を口にするな。
それに、まだ発言を許可した覚えは無い」
まさかこうして反論を受けると思ってもいなかったのか、狼狽えたように瞳を揺らすエリサ。
自分は良かれと思って労いの言葉をかけただけなのに、とでも言いたそうな、まるで被害者のような表情を浮かべる。
エリサは周囲に助けを求めようと視線を彷徨わせるが、生憎この近くには誰もいない。
それもそのはず───誰も近づかせないように敢えて魔力を放っておいたのだ。
誰かに騒がれて王太子や国王に報告されては事が大きくなる。それでリディアが不利な状況に陥ることだけは避けなければならない。そう思って咄嗟に行った判断だったが、それが功を奏したようだ。
「あの、リディアが貴方のことをゼウスと呼んでいたから、それで……それに今までそう呼んでいても怒らなかったから───!」
「お前如きに名前を呼ばれる筋合いはない」
そう吐き捨てると、エリサは目を見開いたあとじわじわと涙を溜め始めた。そして傷付いたような弱々しい表情で静かにこちらを見上げてくる。
…………浅ましい女だ。
馴れ馴れしく無邪気に近付くのも、彼女が誰かの懐に入る技術の一つなのだろう。特にこの王宮内では地位や権力が全ての人間関係に通じている。上下関係がハッキリしているこの空間で、上の者が下の者に不必要に近づくことはまずない。逆も然りだ。
エリサはそれを、商家の出身だからという理由で無知を装い距離を詰めてくる。親しくなりたいという理由だけで、簡単にその垣根を越えて来るのだ。
普段、上の者から当たり前のように見下されこき使われる立場にある使用人達は、彼女のそんな人懐こく労いの言葉をかけてくる姿を見て、戸惑いつつも喜びを覚えたことだろう。きっと好意的に映ったに違いない。
反対に、王太子や王子といった一目置かれる存在に対してもそれは効果的だったはずだ。普段はその高貴な身分から一線を引かれている2人にとって、エリサの分け隔てない態度は新鮮に感じたことだろう。
そうして徐々に外堀を埋め、リディアの居場所を奪うつもりなのだ。
「リディアのことを呼び捨てにすることも本来は許されていないはずだ。あいつはお前と違って王族の養子───王太子と王女の名前を賜った『リディア・ベルティエラ』という唯一無二の高貴な名前を持つ特別な存在だからな」
身の程を知らない小娘。
ゼウスという名を呼び捨てにして良いのも、リディアという名を名乗って良いのも、彼女だけだ。
王太子や王女───そしてお前ではない。
「商家の娘如きが易々と口にして良い名前ではない。
……分かったならもう二度と気安く声をかけるな」
そう吐き捨てると、俺はその場にエリサを残して再び廊下を歩き進めた。背後で娘の啜り泣くような声が聞こえた気がしたが、特に気に留めることなくリディアのいる部屋へ向かう。
万が一王太子や王女、使用人達へ告げ口されると後々厄介なことになりかねないと思い、念のため口封じの呪い(まじない)をかけておいた。
他人に今の出来事について話そうとすると声が出なくなる魔法だ。勿論筆談も出来ないようにしてある。
……暫くは気安く近づいてくることはないだろう。
「……」
歩きながら、俺は部屋で待つ赤毛の少女の姿を思い浮かべる。
あの日から───エリサが現れた日から、リディアの体調は以前よりも悪化していた。
長年耐え続けた周囲からのプレッシャーと多大なストレスのせいか、その体は日に日に弱くなっている。
彼女と出会った頃……幼少期は宮内を走り回るほど元気で健康な子供だったのに、今やその面影はない。頻繁に熱を出し、ある時は貧血、ある時は眩暈───誰が見ても分かるほどリディアは衰弱していた。今日も微熱と立ちくらみが酷く、朝から部屋に篭っている。
部屋の前に着き、ノックのあと返事を待たずに中に入れば、リディアは閉じていた瞼を持ち上げて静かにこちらを見た。
「……ゼウス?」
「まだ寝てろ。夕食まで時間がある」
「……いつもごめんね。
忙しいのに、わざわざ足を運んでくれて」
リディアはそう言って弱々しく笑いながらこちらに顔を向ける。
健康的で艶やかだった赤髪はストレスや栄養不足が原因で指通りが悪くなっていて、そのまま無造作にベッドの上に広がっていた。
だが、その鮮やかさは今も健在で美しいままだ。
俺は横になっているリディアの側に近寄り、彼女の額にかかる前髪を指でそっと流した。
こちらを見上げる黄金の瞳を見下ろしながら、いつものように淡々と返事を返す。
「別に、お前のためじゃない」
「ふふ……いつもそう言うわね」
それでも、ありがとう。
彼女はそう言って柔く微笑んだ。
……この黄金の瞳に、また宝石のような輝きが戻ったら。この鮮やかな赤い髪に、眩しいほどの艶が戻ったら。
きっとどんなに美しいだろう。
そしてまたあの草花が咲く王宮の庭を駆け回り、強請ったこともない花冠を編んで持ってきて、彼女が微笑む日が来たら。
そうして2人で笑い合う日が来たら。
その時彼女は───リディアは幸せだろうか。
「………ゆっくり安め」
そんな未来も悪くない───そう思いながら、こちらを見上げて頷くリディアの瞳を掌で覆った。
そして安眠の魔法を施して再度眠らせる。
女神の思惑は分からないが、本当にリディアがあの女の愛し子であるならば何かしらの加護があるはずだ。今はこうして力を発現出来なくても、必ず時が来ればその才能は発揮される。
その日が早く来れば良いと、深い眠りに落ちた彼女の代わりに心の中で願った。
───しかし、その願いが叶う事はなく、現実は残酷にもリディアにとって最悪の状況に転じることとなる。
「『この日の選択で国の未来が示されることだろう。真実は明らかとなり、証明される。運命を受け入れる時が来たのだ。』」
帝国暦164年の7月3日───帝国祭の日。
神殿にある大きな祭壇の前に跪きながら、まるで歌を歌うように。
軽やかにすらすらと天啓を読み上げたエリサは、淡い笑みを浮かべながら立ち上がり、国民達の喝采のなか優雅に振り返る。
その動きがやけに緩慢に見えて、俺は思わず目を見開いたまま静かに息を呑んだ。
エリサが振り返ったのを確認した聖女マリアンヌが、皇帝の方を向き静かに頷いてみせたのを横目で確認する。……まさか、そんな。
マリアンヌの頷きが意味すること───それは即ち、天啓の内容に間違いは無いということだった。
「──…ぁ」
そのやりとりが行われた直後、隣から溢れ出たか細い声に俺は思わず顔を向ける。
彼女───リディアはその華奢な身体を小刻みに震わせて、目を見開いたまま涙を溜め、真っ直ぐに前を見つめていた。祭壇の前に立つエリサと聖女マリアンヌの姿を眺めながら、その先に見える果てしない闇を見つめていた。
祭壇の前では、聖女だと証明されたエリサは聖女マリアンヌの抱擁を受け、優雅に微笑んでいる。
いや違う───エリサは聖女などではない。
聖女とは即ち女神の天啓を受ける神力を持った人間のこと。もしもエリサが神力を発現しているのであれば、魔道士である自分が聖女マリアンヌに感じる神力の『波動』を少なからず感じるはずなのだ。
しかし……エリサにはそれがない。
神力が放つ波動をあの娘からは少しも感じないのだ。
それはつまり神力を発現していないということ。
発現していないのに、天啓が読めるはずがない。
それなのに何故───。
「今、この瞬間を以って聖女の後継者はエリサ・アルディージャであることが証明された。今宵、新しい聖女が誕生したことを祝い、帝国記に記す」
飲み込めない状況に必死に頭を働かせていると、国王がそう高らかに声明を発表した。すると、その場にいた王宮の従者を始めとする全民衆が盛大な声で歓喜の声をあげる。
その騒々しい群衆の先、祭壇の前に立つ聖女マリアンヌの姿を見つめる。そして、こちらの視線に気づいた彼女は俺の方に顔を向けると、意味深にその瞳を細めた。
────…まさか。
その表情を見て、ある1つの仮説が頭を過ぎり、全身の血の気が引いていく。
「───そして、今日を以ってリディア・ベルティエラの聖女後継の位を剥奪する」
そう宣言した皇帝の言葉に賛同するように、会場にいた大勢の国民から祝福と称賛の声が首都全土に鳴り響いた。
民に手を振りながらその場から立ち去ろうとしている皇帝と聖女マリアンヌを見て、すぐ様その向かう方向へ人混みを掻き分けて進む。
マリアンヌのあの意味深な微笑みを。
エリサが天啓を読めた理由を。
俺は、知らなければならない。
そんな気がしてならなかった。
「ッ、マリアンヌ!」
「!」
人混みを掻き分けようやく静かな場所へ出たところでマリアンヌを見つけ、呼び止める。
皇帝はすでに馬車で王宮に向かった後のようで、幸いにも周囲に人はいなかった。誰にも話を聞かれていないことを確認し、早足に歩み寄る。
近づいて来る俺を見つめながらマリアンヌは相変わらず気味の悪い薄ら笑みを浮かべており、俺はそれを目の前にして力強く睨みつけた。
「これは一体どういうことだ」
「……何がでしょう?」
「あの娘は神力を発現していない。発現していれば少なからず波動を感じるはずなのに、あの娘からは少しも感じなかった。なのに何故天啓が読めたんだ?
見えるはずがないものを、一体どうやって───ッ」
頭が混乱しているからか早口になる俺を見て、聖女は可笑しそうに目を細める。
そして当然の結果だと言わんばかりに淡々と俺に告げた。
「この出来事の根源は全て……貴方があの方の言葉を無視した結果なのですよ、ゼウス」
───思わず息が止まるような、心臓が大きく反応する感覚に、俺は静かに目を見開く。
聖女は微笑んだまま言葉を続けた。
「『素直に従わぬのなら後に自身を恨むことになるだろう』……神は貴方に警告したのです。しかし、貴方はそれに従わなかった。今はその報いを受けているのです」
「………」
『警告』そして『報い』───。
その言葉を聞いて、この世に存在する全ての事象が、あの女の手の内にあるのだということを改めて実感した。
偶然や奇跡など存在しないのだと、茫然とする。
……分かっていたはずなのに。
自身の無力さをこんなにも恨んだことは無かった。
「……それで、わざとエリサに天啓を教えたのか?」
「いいえ、私は何もしておりません。
全ては神……あの方による導きでしょう」
「……」
「あの方は待っているのです。
貴方が運命を受け入れることを」
マリアンヌはそう言うと、静かに会釈をしてその場を立ち去って行く。
……エリサが天啓を読めたのは、マリアンヌの仕業では無かった。
あの天啓は、あの言葉は、他の誰でもないあの女の───ヘラから俺に対する最後の警告なのだ。
「………俺が」
俺が、リディアを不幸にしているのだろうか。
そんな自問自答を繰り返しながら、俺は暫くの間その場から動けなかった。




