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更に6年が経ち、時は帝国暦164年3月3日。
帝国内は相変わらず平穏な日々が続いていた。
この数年は干ばつや嵐も少なく、作物の不足や飢饉に陥ることもなく農作物の生産量は安定している。隣国ブルーアを帝国に統合して以来、帝国の力が知れ渡ったことで他国の反乱もなく、情勢は一定を保っていた。
ただ1つ、国民達の心の内にある小さな不安とすれば───今年64歳を迎え、この国では高齢の域にある聖女マリアンヌの存在とその後継者のことである。
後継者の天啓を賜ってから16年が経った今日も国王から正式な発表は出ていない。それは即ち、後継者リディア・ベルティエラの力が発現されていないということだった。
このまま天啓を授かる存在がいなくなってしまったら、この国はどうなるのだろうかと国民達は徐々に不安を溢し始めていると言う。
そして、それは城下の人々の間だけではなかった。
「ねぇ、聞いた?リディア様ったらまた体調を崩されたらしいわよ」
「まぁ……神の愛し子は体が丈夫だと聞いていたのに」
「成人を迎えたのに未だ力を発現されないし……。
国王様も頭を抱えていらっしゃるって話よ」
ヒソヒソと小声で話しながら庭園を歩いて通り過ぎていく侍女達。
その反対側、宮内にある鍛錬場へ向かう騎士達も同様に後継者リディアへの不信感を口々に吐露している。
「……滑稽だな」
その様子を上層にある室内の窓から見下ろしながら、独り言のように溢した。
神や聖女という絶対的な存在を求め、自身の無力さを棚に上げて好き放題口にする───身勝手で都合の良い生き物。自身のその傲慢さに気付いていない姿が何とも醜く、滑稽だった。
あの女は、それが可愛いのではないかと言っていたが。
俺には何一つ理解できない。
「ゼウス?何かあった?」
そう声を掛けられて、視線を部屋の中に戻す。
窓から入ってくる微風が彼女の長い赤髪を優しく撫でる。その揺れた髪からキラキラと何かが溢れているような、彼女自身から出ているオーラのような何かに俺はいつも目を奪われてしまう。
ベッドの背もたれに体を預けながら読んでいた本に栞を挟む彼女の姿は相変わらず美しい。
リディアは小さく小首を傾げながらこちらを見上げ、微笑みを浮かべていた。
「別に何もない」
「そう?今怒ってなかった?」
「怒ってない」
そう告げると、リディアは小さく笑い声を漏らす。
何が可笑しいのかと思いながら黙って様子を伺っていると、彼女は「じゃあ癖なのね」とクスクス笑いながら言葉を続ける。
「ゼウスはいつも眉間に皺を寄せてて勿体ないわ。
折角綺麗な顔をしているのだから、少し微笑むだけできっと色んなところから声が掛かるわよ」
「寄って来られても困るだけだ」
「どうして?貴方もそろそろ結婚を考える年でしょ?」
「……俺は結婚しない」
そう告げると、リディアは目を丸くする。そして不思議そうに「そんなこと出来るの?」と尋ねてきた。
「国王様からもこの前言われてたじゃない、意中の相手がいないならリベエラ様はどうかって」
「覚えてないな」
「もう、そんなこと言って誤魔化せるのも今のうちよ?そのうち本当に王命が下されたら、貴方も拒否できないんだからね」
そうなったら遅いのよ?とリディアは呆れた様に告げると、栞を挟んでいた本を再度広げて読書を再開する。
俺はそれを一瞥してから窓の外に顔を向けて、リディアに尋ね返した。
「お前はどうなんだ」
「え?」
「あの王太子と結婚するのか?」
「……さぁ、どうかしら。私が聖女の力を発現したら、そうなるのかもしれないけれど」
そう言ってリディアは視線を下げながら困ったように笑みを浮かべる。
どんなに容姿が美しく能力が高くとも、『神の加護』を証明できなければ意味がない。だから今の自分など無価値なのだ───そう言いたげな表情で視線を下げるリディア。
彼女は日を追うごとに自身を追い詰めていた。
その自責からなのか、最近はこうして体調を崩すことが増えている。まるで呪いのように……リディアは『聖女』という存在に囚われ続けていた。
その姿を見て何とも愚かだと思ったが、何故かそれを本人に告げることは憚られた。
「お前の好きなように生きれば良いだろ」
「そんなこと出来ないわよ。
私が聖女の後継者であるうちはね」
「そこまでしてこの国に尽くす義理でもあるのか?」
「私を引き取って育ててくださった国王様や皇后様にはとても感謝しているもの。この上ない待遇を受けて今日まで過ごしてきたんだから」
リディアはそう言って昔を思い出すように力なく微笑む。大事に育ててくれた養父母、本当の妹のように可愛がってくれた義理の兄姉、親切な使用人達───その背後にある大きな期待。
それを知っているから。
だから、応えなければならない。
みんなの期待に。聖女の後継者に。
自身が此処にいる意味と役目を理解してから、これまで温かく感じていた周囲の親切な言動が全てプレッシャーに変わった。重圧としてのし掛かってきた。
もう後戻りは出来ない。対価はすでに受け取ってしまい、リディアの知識となり、人格となり、地位となって───永遠に彼女を縛る足枷となってしまったから。
「いつか、そのご恩を返さないと」
「……だから王太子と結婚するのか?
あんな無能のどこが良いんだ」
「デルテラ様は無能なんかじゃないわ、とっても優秀なのよ?いつか国王になる方ですもの」
「どうだかな。俺はお前の方が王に向いてると思うぞ」
「もう、何言ってるのよ。
……あら、もうこんな時間だわ」
彼女は手に持っていた本をサイドテーブルに置くと、こちらを向いて優しく告げる。
「夕食に向かう支度をするから、また後でねゼウス」
そう言って俺に部屋から出るように告げると、夕食に向かう準備のために侍女を呼んだ。こちらも晩餐会に呼ばれているから準備をしなければいけないのだが、気が乗らないのもいつものことだった。
……面倒な小言を聞かされる晩餐会なんかに、何故自分が赴かねばならないのか。
そう思いながら、部屋に脱ぎっぱなしにしていたジャケットを取りに自室へ戻る。
最近、国王と王妃は俺に縁談の話を持ちかけることが増えた。理由は単純で、国王が俺をこの国に置いておきたいからに違いないのだが、加えて娘の王女リベエラが俺を慕っているからというのもあるだろう。
リディアの言っていた通り、このままでは王命と称して娘と結婚するよう言われるのも時間の問題だった。
『貴方もそろそろ結婚を考える年でしょ?』
先程、リディアに告げられた言葉を頭の中で反芻する。
リディアは、俺が不老不死の魔術師だということを知らない。彼女だけでなく、俺の正体を知っているのは聖女マリアンヌのみ。
リディアと出会ったのは10年前、彼女が6歳の頃。彼女が産まれた年にこの国へやってきて、出来るだけ長居が出来るように子供の姿で魔術師の地位を得ていた。そのため、時の経過とともにそれ相応の姿に容姿を変化させている。
だからだろうが、リディアは俺と自身がそう歳が変わらないと思い込んでいる。実際はその何倍の年月も生きているのだが、知らないからこそこうして当たり前のように結婚や縁談の話を持ちかけてくるのだろう。
『あの王太子と結婚するのか?』
『……さぁ、どうかしら。私が聖女の力を発現したら、そうなるのかもしれないけれど』
彼女もいずれ、誰かと結婚して子供を産み、生を全うする。
それは何らおかしい事ではなく、この世界では当たり前のことだ。
伴侶が出来れば、もう彼女のお守りをする必要もない。
後はただ幸せに、静かに、過ごしてくれれば良い。
この数年の苦しみから解放され、報われてさえくれれば。
「………」
それを見届けた後は、きっと俺もこの国を出ることになるだろう。そしてまた次の国へ向かい───同じことを繰り返す。
そんなことを考えながら自室へと戻った。いつもと同じように正装用のジャケットを羽織り、それに相応しい姿に魔法で変えて。
そんな風に呑気に平和に浸っていた自分を────俺はあの日から何度呪ったか分からない。
嫌な予感は確かにしていたのに。彼女を攫って、この王宮から出て、2人で誰も知らないどこか遠くに逃げていたら。
きっとあんなことにはならなかった。
この日、運命が狂うと知っていたなら。
「帝国の太陽にご挨拶申し上げます。北方の商家より参りました、エリサ・アルディージャと申します」
───彼女を失うことはなかったのに。




