日曜日の高校
「さようならー」
「気をつけて帰れよー」
その頃、海辺の高校では模試を終えた高校生たちが荷物をまとめていた。日曜日に模試を受けていた高校3年生は、受験勉強のためにそのまま学校に残る者、最後の大会に向けて部室に行く者、帰りあぐねて話している者、とりあえず自動販売機に向かう者、と様々だ。
「高岡、紅緑、お前ら今日は残るのか?」
部活で真っ黒に日焼けした担任に呼び止められ、2人の少年が顔を見合わせた。
「一樹、お前今日はどうするの?」
「残って少し勉強しようかなぁとは思ってたけど、電車の時間次第かなぁ。あんまり遅くは残らないつもり。たかちゃんは?」
「なんも考えてなかったわ。せんせー、まだ決めてませーん。」
「わかったわかった。最後のやつ戸締り頼むな。この間窓が開けっぱなしだったって日直の先生に怒られちまってさ。」
「任せてくださーい。 一樹が閉めまーす。」
「たかちゃんが閉めまーす。」
担任はカラカラと笑うと、急に真面目な顔で「受験まであっという間だからな」とか「一応校内は携帯禁止だからな」などと言ってから職員室に戻っていった。
「一樹、今日も長くなりそうだからコンビニでも行かね?」
紅緑一樹がごそごぞとリュックからノートや参考書を引っ張りだし、挙句の果てにごみやぐしゃぐしゃのプリントまで引っ張り出しているのを眺めていた高岡修斗は、財布をひらひらさせながら尋ねた。
「いや、今日はやめとくよ。実はさ、今日の晩飯はがっつりらしくて。」
「さすが、杖振ったら何でも出てくる家は違うぜ。」
高岡修斗は財布を華麗にリュックに放り込んだ。どうやら修斗もそんな気分ではなかったらしい。
「お前、杖振ればいいと思ってるな?」
一樹は人差し指をくるくる回すと、指を修斗の額に向けた。指の回し方が妙に凝っていたので、たぶん実在する何かの呪文だし、もし指ではなく杖だったら今頃カエルになってゲロゲロ鳴いていただろうと修斗は想像して、今日の授業で出てきた「背筋に冷たいものが流れ落ちてくる」とはこういうことなんだろうとひとつ賢くなってみせた。受験生なので。
「すみませんでしたー。ぶっちゃけお前杖がなくても魔法使えるよな。一応スマホと一緒に校内ではロッカーに放り込んでカギ閉めてるけど、実際よく使うだろ?」
「さすが高岡。よくご存知で。」
「暑い日に涼しい風を吹かす魔法、あれ神ってたよほんと。まじありがとう東の 紅緑 家の長男、って土下座したくなったわ。」
「むしろそれくらいしか使う魔法ないし。」
「なんか魔法使いって何でもできると思ってたけれど、そうでもないんだなーってお前見て思った。」
「そうそう、それな。カンニングの術とかないし。」
「開発すれば?」
「魔法の開発って結構難しいんだよ?」
「やってるくせに。」
「そうだけど。特に東の魔術の方は感覚頼みなところが多くてさ。」
「なんか新しい魔法ないの?」
修斗はくるっと後ろを向いて身を乗り出した。
「新しいの……あっ、じゃあ試したいのがあるんだけどさ。」
「試したいって……また俺が実験台になるの?」
「本当に数式だけで発動するかどうかは、「使わざる者」に試してもらわないとわからないし……。」
「俺、こないだみたいに毛むくじゃらにはなりたくない。」
「あれはごめんて。めっちゃ怒られたし。」
「当たり前だろ。下手すると国連とかのお偉いさんくるレベルだったのを担任がもみ消してくれたからなんとかなったみたいなもんじゃん。」
「じゃあ、実験台は無理か。」
「一樹、やるよ。で、今度の魔法は何?」
「きらきらした蝶を舞わせる魔法っていえば通じる?簡単な光の魔法の応用編で、魔法学校では初頭レベルの実技試験の課題になったりするんだ。イメージする力が必要だから、ちょうどいい練習になるんだよね。」
「それ役に立つの?」
「それは「使う者」もみんな思ってる。」
「ふーん。それは西の魔術?」
「系統としてはね、杖を使うし。あっ、東の魔術でも似たようなことはできるよ。えーとね、こんなかんじ。」
一樹は窓から差し込む光を捕まえるように指を動かし、虚空に向かって放つ。するとその刹那、輝く黒アゲハが現れて羽ばたいた。修斗が息をのんだ瞬間、アゲハの姿は消え、太陽の光をそのまま黒板の前にばらまいたかのような暖かな光の粒が舞って、そして消えてしまった。
「すっげえ。これが俺にもできるのか?」
「この世のすべてが物理や化学の方程式で表せられるように、魔術も数式に置き換えることができるのは19世紀くらいにはわかっているんだ。ただ「使う者」の半分くらいは「使う者」の世界でしか生きてこなかったから、数学の知識がなくて研究は進まなかった。父さんがそのあたりいろいろ頑張ってくれて、なんとか自衛隊特別魔導機部隊までもってきたけど、研究はまだまだなんだ。」
「「使う者」たちは数式にいちいち表さなくても感覚で魔法を使いこなすもんな。そんな研究進まなくて当たり前だよ。」
「でもそれはよくないよ。僕はそこを明確にしたい。」
「さすが、物理と数学で俺を負かした男だ。」
「何言ってんだよ、英語で俺を上回った男が。」
一樹と修斗は声をあげて笑った。
「まぁ見てよ。」
一樹は1冊のノートを開いた。ノートには数式やグラフがびっしりと書かれている。ところどころページが塗りつぶされたり、切り取られたりしているのは、今までの失敗の足跡だ。
「光の魔法で一番有名かつ使い勝手がいいのは、この杖の先を光らせる魔法なんだけど、これだけでも結構複雑な数式になる。杖の中で起きている何かの反応を数式にするのがやっかいだったし、どうやって光が杖に付着しているかもだいぶ謎だったんだけど、たぶんこんなかんじの数式。」
「でも、これおれが書いてもだめだったよな。」
「そそ、だからまだ未完成の数式。でも光った時があっただろ?」
「数式そのものが光った回だろ?しかもあの時紙がなくて黒板に書いたから、チョークが少しでも残ってると黒板がピカピカ光り始めて、最後必死に水拭きしたやつ。紙だったらびりびりに破いちゃえばそれでおしまいだったけど。」
「それそれ、その時の数式がこれ。イコール書いちゃうとこのノートが発光しちゃうから、実際に書くときはこの黒丸をイコールにしてや。」
「つまり、この式をちょっといじればいいんだね?」
「たぶんそう。で、変身術の理論を応用して物の形を変えるときの式をこう当てはめていって。」
「うんうん。あ、かっこ忘れてるよ。」
「え、あ、ほんとだ。ありがと。」
「お前ら、一生懸命勉強してると思ったら……!」
ふと野太い声が聞こえて振り向くと、担任が苦笑して黒板のところに立っていた。
「先生、部活は?」
「今日はオフだ。お前らの数学の質問にでも答えてやろうと覗いてみたら、今度は高岡を鳥にでもするつもりか、紅緑。」
「すいませんって。」
「先生もどうですか?」
「紅緑!」
3人の笑い声が響き渡ったその時だった。突然白い鳥のようなものが教室に飛び込んできた。それは光の塊になり、そしてゆっくりと人の形になっていった。青年の姿がゆっくりと現れる。
「ジョナス……?」
一樹の声に、修斗も「じょ、ジョナス?誰?」と素っ頓狂な声をあげてしまった。
「一樹。ヘイゼルウッドだ。千花からの伝言を伝える。君は未成年だから本来は「桜守」の任務には参加しないことになっているが、今動ける者がいない。もし動けるのなら動いてほしい。」
「姉ちゃんが……?」
一樹はややふてくされた表情でため息をついた。
「現在、日本の東京渋谷にアイオーンの騎士団のアムレート・カーライルが出現。同じく東京にいた千花が交戦中だ。自衛隊特別魔導機部隊も応援に駆け付けているそうだ。テレビで中継されて日本中大混乱らしい。」
「アムレート・カーライルが日本に!?」
「一樹、それやばい奴?」
「めちゃやばいやつ。」
「おまけに、千花がマントも所持していない中、東の魔術をぶっぱなしまくったとあって、学者は狂喜乱舞、政府は怒髪衝天、って感じだ。日本語の使い方あってるかな? ひとまず、俺は千花のマントを持って渋谷に行くから、一樹は他の「桜守」のメンバーを集めて渋谷に展開できるように動いてくれないか? 」
「要するに留守番してろ、ってこと?」
一樹はため息をついた。
「そうするわけないのに?」
一樹はくるりと振り向いて、修斗に申し訳なさそうに頭を下げた。
「というわけで、先生、非常事態なので魔法を使わせていただきます。修斗、実験また今度な。では。」
一樹は指を滑らかに動かす。すると風が吹き、あっという間に鍵付きのロッカーの扉が開いて、一樹のスマホと杖が一樹の手に飛び込んでくる。一樹が杖をくるくると振ると、参考書やノートが一斉にリュックに飛び込んでいった。
「お前、整理して入れられるように練習しろよ。」
担任のあきれたような顔を見て一樹は少しだけバツの悪そうな顔をすると、窓のレールに飛び乗った。そこからさらに高く、窓の外に飛び出してふわりと浮いたかと思うと、バシッという空気をたたき割るような音と共に姿を消した。




