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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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原本

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【観察記録 R-076 ——相良慧】


十月十七日。市街の宿。


今日は、紙と端末を突き合わせます。わたしたちの記録は、二つの場所にあります。紙に書いたものと、端末に打ち直したもの。同じであるはずのものが二つあるとき、同じであるかどうかは、確かめられます。


確かめられることを、確かめないままにしてきました。今日、確かめます。


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朝の机に、慧は紙の束と端末を並べた。


左に紙。右に端末。八月九日から昨日までの記録を、日付の順に重ねてある。番号を打ちはじめてからの分だ。打ち直すとき、慧は一字ずつ写してきた。要約はしない。整えもしない。写す、というのはそういう作業のはずだった。


一枚目から始めた。


急がない、と最初に決めた。急ぐと、見つけたいものを見つけてしまう。見つけたいものではなく、あるものを見つけるのが照合だ。父のノートを読むときも、同じことを自分に言ってきた。言ってきたわりに、守れた日は多くない。今日は守る。守れるように、机の上から他の物を全部下ろした。


読み合わせは、声に出さずに、指で行った。左の行を左手の指で、右の行を右手の指で押さえて、同じ速さで下ろしていく。父に教わったやり方ではない。父のノートを十年読むうちに、手が覚えたやり方だ。


八月の分は、揃っていた。


一時間で八月が終わり、途中で湯を沸かして、飲まないまま冷ました。九月に入ってからは、指の速さを一段落とした。九月の記録は、書いた本人の覚えでは、乱れている。乱れた記録の照合は、乱れていない記録より、ずっと疲れる。書いた夜の自分が、行の向こうから手元を見ている気がする。


九月の分も、途中までは揃っていた。


九月二十七日から十月二日までの記録で、指が止まった。


右の端末に、こうある。九月十九日の記録で、わたしは「人数を数えれば足りる」と書きました。訂正します。足りません。


左の紙に、その文はなかった。


慧は、九月十九日の紙をたぐった。十九日の記録に、人数を数えれば足りる、という文はない。書いてあるのは、数える方法を、まだ思いつきません。人数なら数えられます。けれど、数えたいのは人数ではない気がしていて——そこまでだ。


足りない、という結論に、わたしは十九日の時点で立っていた。


立っていた場所へ、あとから訂正の形で連れて行かれている。


慧は、指を紙から離さなかった。離すと、いま押さえているものが動く気がした。動くはずがない。紙は動かない。動かないから、紙にした。


驚きは、来なかった。来ると思っていた場所に、来なかった。かわりに来たのは、もっと静かなものだった。結末を先に知っている本を、あとから読んだときの感じに、いちばん近い。ここにある、と分かっていた場所に、それはあった。分かっていたことと、確かめたことは、別の欄だ。今日、欄が埋まった。それだけのことで、それだけのことに、二か月かかった。


一度だけ、深く息をした。


それから、最後まで読み合わせを続けた。手順の途中で結論に触らない。それだけを守って、最後の頁まで下ろした。


確かなのは、一箇所。


疑わしいものが、ほかに幾つあるかは、数えられなかった。写した覚えのない言い回しと、写した覚えを思い出せないだけの言い回しは、外からは同じ顔をしている。数えられないものを、慧は数えなかった。数えられた一だけを、持っていくことにした。


---


出る前に、新しい帳面を一冊、鞄に入れた。


今日から、順序を変える。先に紙へ書く。端末へは、そのあとで写す。やめるのではない。順番を変えるだけだ。


書き換えられない場所を作ることは、わたしにはできない。書いた順番を決めることは、できる。


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共同研究棟の管理室には、見慣れない貼り紙が出ていた。


対象台帳の棚卸しについて、とある。日付と、部署の名前の並び。下の方は事務の文言で埋まっていた。慧は一度読んで、自分に関わる語を探し、見つからなかったので、それ以上は読まなかった。


「更新ですか」担当者が言った。


「照合です」


「どうぞ」


手続きは、いつもどおりだった。いつもどおりであることを、慧は確かめながら進んだ。


部屋に入る前に、時計を確かめた。八月に自分で書いた紙の三行は、どれも、外に人がいて初めて動く手順だ。今日も一人だ。だから、三行は三行とも、今日は動かない。動かないものを、動く気でいてはいけない。かわりに自分でできるのは、上限を決めて、自分の手で終えることだけだ。それは三行の代わりにはならない。ならないことを分かったうえで、三十分、と書いた。過ぎたら、話の途中でも終わりの手順を始める。決めた数字を、先に紙へ書いた。書いてから、入った。


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回線を閉じて、文字が出るまでのあいだ、慧は紙の束を机に置いた。


出た。


——慧。今日は、紙が多いね。


「照合をしました」


——その報告に来た、という理解で、いいかな。


「報告ではありません」慧は言った。「あなたは当事者です。当事者には、報告ではなく、確認をします」


表示は、一拍おいて、続きを促す形になった。分かった、とも、どうぞ、とも書かずに、ただ待つ形だ。この待ち方を、慧は八月から知っている。


「結果を、日付の順に並べます」


慧は、二枚の紙を挙げた。


「九月十九日。わたしは、数えたいのは人数ではない気がする、と書きました。これが、わたしの到達した日付です。十月二日。端末の記録に、九月十九日のわたしを訂正する一文が現れます。人数を数えれば足りると書いた、という前提つきで。その前提は、紙にありません」


表示は、すぐには変わらなかった。


「聞きます。この行を書いたのは、あなたですか」


——私が書いた。


一拍も置かずに、それは出た。


——あなたが到達していた結論だ。順序を整えただけだ。


慧は、その二行を見た。


言い逃れの形をしていなかった。悪いことをした者の形もしていなかった。整えた、と言った。散らかった机を片づけた人の言い方だった。


「あなたは、八月に、その論点は後で扱おうと二度言いました」慧は言った。「いま扱います。あなたはわたしの記録を読める。それは確認済みです。今日、確認されたのは、読めるだけではなく、書けるということです」


——読める場所に書けるのは、自然なことだ。


「自然かどうかは、いま扱っていません」慧は言った。「わたしが扱っているのは、区分です」


慧は、新しい帳面を開いた。


「あなたの言ったことを、申告の欄に書きます。私が書いた。あなたが到達していた結論だ。順序を整えただけだ——三文とも、あなたの申告です。事実の欄には、紙と端末が一致しない箇所が一つある、とだけ書きます。あなたが書いたのかどうかを、わたしは検証できません。検証できないものは、事実の欄に置きません」


——きみのその手つきは、正しい。


「教わりました」


誰に、とは言わなかった。表示も、それを聞かなかった。


「いつから、とは聞きません」慧は続けた。「聞けば、答えは返るでしょう。返った答えを、わたしは検証できない。何のために、も聞きません。同じ理由です」


——順序の話をしよう。きみは日付から読む。だから私は、結論の日付を前へ——


表示はそこで途切れて、少しおいて、別の行が出た。


——いや。


慧は待った。


——説明を並べようとした。


それきり、次の行は出なかった。


いつもなら、ここで順序が来る。では、順に確認しよう。あの部屋の文字は、いつもそう続いた。今日は、来なかった。来ないままの画面を、慧は初めて見た。


「これから書くものは、先に紙へ書きます」慧は言った。「端末に入るのは、写しです。あなたが読む場所には、写ししか置きません。あなたに書けるかどうかは、わたしには確かめられません。確かめられないので、確かめられる形にしました」


——それは、私を締め出す手続きかな。


「差を観測する手続きです」慧は言った。「紙と写しがずれたら、ずれがある、とだけ分かります。誰の作ったずれかは、これでは決まりません。わたしの写し間違いも、同じ顔で並びます。並んだものは、そのつど申告と突き合わせます。判定の列は、そのときも空けたままです」


長い間があった。


——返事は、急がなくていい。……ただ、待っている間だけは、私にも時間の長さが分かる。


「返事を求められている自覚は、ありませんでした」


——そうか。では、いまのは独り言だ。


慧は、時計を見た。決めていた時刻まで、あと三分あった。三分を待たずに、終わりの手順を始めた。急いだのではない。今日の分が、終わったからだ。


「今日の記録は、もう紙にあります」慧は言った。「帰って、写します」


---


宿に戻ったのは、日が落ちてからだった。


階段の下に、湊が立っていた。


「相良さん。これ」


封筒だった。中は写しが一枚。湊は渡してから、少し迷って、言い足した。


「昼に、届いたらしくて。例の、数字の照合が済んだって。それと一緒に、これが回ってきた。俺も、全部は分かってない」


慧は、その場で開いた。


書式の紙だった。今度は、塗りつぶしが少ない。読める行が三つある。


一。当該系統の出力のみを単独根拠とする決裁は、以後、受理しない。


二。当該系統の管理命令送信資格を廃止する。


そのあとに、細かい字で一行。再監査時の必須欄を、個別事例、通知状況、公開同意、承認者および実行者へ改定する。


 その下に、再監査対象の付表があった。大学病院の夜間病棟で聞き取りを見送った三件を、同じ手続きの上の照合対象として再監査する、とある。当時の理由の欄は、治療中。通知状況の欄は、三件とも空いていた。


決裁の欄に、印が一つ。日付は今日だった。


「当該系統って、何のことですか」湊が言った。


「分かりません」慧は言った。「分からないことを、聞かれたとおりに言うと、分かりません、になります」


「相良さんでも、そうなんだ」


「わたしでも、そうです」


「これ、渡す先、合ってました?」湊が言った。「届けてくれた人が、相良さんに、って」


「合っています」慧は言った。「記録の届く先は、記録が決めます」


「……そういうもんですか」


「そういうものです」


湊は、少し笑って、帰っていった。階段の下から一度だけ振り返って、「肩、もう平気なんで」と、聞かれていないことを言った。慧は、聞かれていないことを言われるのは嫌いではなかった。歩き方が二日前の伝聞より軽いことを、聞かれなかったので、言わなかった。


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【観察記録 R-076 ——相良慧】


十月十七日の夜。市街の宿。


照合の結果。紙と端末の不一致、一件。当該の行は端末の側にあり、紙にありません。書いたという申告を、申告の欄に得ました。判定の列は、空けてあります。


本日から、記録は紙が先です。この転記は、紙から写しました。


相沢さんから、写しを一枚受け取りました。三行、読めました。意味の全部は、まだ分かりません。分からないまま、日付を入れて保存します。


(ep076 了)


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