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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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余波

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【観察記録 R-073 ——相良慧】


十月十日。市街の宿。


三日の文書について、続報はありません。七日間、動いていません。


あの文書は、もう動きません。


保留は取り消しではない、と日野さんは読んだそうです。わたしは原本を見ていないので、読みの正しさを確かめられません。確かめられないものは、確かめられないまま書きます。


今日、相沢さんたちは九条さんに会うと聞いています。会って何を渡すのかは、聞いていません。


---


十月十日、日曜。


一週間が経った。


何も起きなかった日から一週間、やはり何も起きなかった。起きなかったことが続くと、人はそれを数えなくなる。湊も、朝起きて時計を三度見る癖が、いつの間にか一度に戻っていた。


膝の裏の張りは、三日目に消えた。消えたことに気づいたのは五日目だった。治るときはいつもそうだ。痛いあいだは毎日数えているのに、治った日付は誰も覚えていない。


朝の当番は、ビニールの見回りだった。空き店舗の前で留め具を四つ確かめて、一つを押し直した。それで終わりだ。十月の当番表は掲示板に貼り直されていて、二重線の下の小さい字は、今日も読めた。消されてはいなかった。消されたらまた書く、というのは覚えている。まだ、その出番はない。


商店街は普通だった。乾物屋の店先で、老婦人が配達の箱を受け取っていた。惣菜屋のレジの脇には、夏祭りのころからある端末が同じ角度で立っていた。角度が同じであることを確かめている自分に気づいて、湊は少し笑った。何かが変わっていないかを、まだ探しているのだ。探して、見つからない。見つからないのは、いいことのはずだった。


湊は歩きながら、一度だけミラーを開いた。


あの話題は、まだ上の方にあった。擁護する言葉と、否定する言葉が、先週と同じ順番で並んでいた。同じ言葉のまま、動いていなかった。新しく燃えてはいない。消えてもいない。ただ、読む人が減ったところに、同じ形で残っている。


湊は画面を閉じた。閉じてから、いま見たものを誰かに言うほどのことか考えて、言わないことにした。


---


相談所の前に、栞がいた。


配布の紙を置き場へ運ぶ日で、両手に薄い束を抱えていた。湊と透に気づいて、束を抱えたまま頭を下げた。


「お久しぶりです」


「うん」湊は言った。「元気そうで」


「元気です。……って、言った方がいいみたい」


栞は束を台に置いた。置いてから、指を揃えて紙の角を直した。


「今日は、配布ですか」栞が言った。


「違う」透は言った。「渡すものがあって来た」


透が、上着の内側から紙を一枚出した。


四つ折りの、ただの紙だ。透はそれを開かずに渡した。


「日付と、場所だけ書いた」


「読んで、いいですか」


「そのために持ってきた」


栞は受け取って、開いた。


湊は横から見なかった。見なくても、何が書いてあるかは知っている。三つの日付と、三つの場所。それだけだ。透は昨日の夜、それ以外の言葉を全部消した。当たった、という言葉も、外れた、という言葉も、書かなかった。書きかけて、消したのを、湊は隣で見ていた。


あの三枚を、透は読んでいる。ずっと前に預かったとき、明日読む、と言って、その明日に、一人で読んだのだそうだ。返すときには何も言わなかったから、湊がそれを聞いたのはだいぶあとだった。


だから、三枚のうち二枚は、日付も場所も、こちらの側の記録から埋まった。埋まらなかったのは、一枚だけだった。机の上。書く手。字が一つ。隣の欄が、空いたまま。それがいつの、どこの机なのか、湊たちの記録のどこにもなかった。


前の晩、透は書きかけの紙を置いて、湊を見た。


「聞けるか」


聞ける相手は、一人しかいなかった。湊は慧へ、二行で送った。机の上で、死亡、という字を書いた日はありますか。隣の欄が、空いたままになっている——。


返信は一行だった。


——九月二十九日です。場所は、宿の机の上です。


少し遅れて、もう一行来た。


——使い道は、聞きません。


それで、三行目が埋まった。埋まった行を、透は他の二行と同じ太さで書いた。


栞は、長いこと読んでいた。三行を読む時間ではなかった。


読みながら、栞の顔は動かなかった。動かないことが、湊には少し意外だった。もっと前なら、この人はまず謝っていた気がする。読み終わる前に、すみません、と言っていた気がする。今日は言わなかった。読み終わるまで、読んでいた。


それから、鞄から自分の帳面を出した。古い紙の帳面だ。挟んであった三枚を、台の上に並べた。湊の位置からは裏しか見えなかった。


栞の指が、一枚ずつ、日付の紙と絵とを行き来した。


行き来は、三往復では終わらなかった。一枚目で止まり、二枚目を飛ばして三枚目へ行き、また二枚目へ戻った。順番どおりに確かめていないのが、横からでも分かった。


誰も何も言わなかった。相談所の中から、電話の応対の声が漏れていた。はい、はい、と二度言って、少し笑って、切る音がした。


栞は三枚を重ねて、帳面に戻した。


「三枚のうち」栞は言った。「外れたのが一枚、避けたのが一枚、当たったのが一枚です」


「そうか」透は言った。


「はい」


それきりだった。


栞は、当たった一枚がどれかを言わなかった。どうして分かれたのかも言わなかった。言わないでいることが、我慢しているふうには見えなかった。数え終わった人の顔だった。


湊も、聞かなかった。


どれが当たったのかを、湊は知っている。知っていて、聞かなかった。栞の側の数え方と、こちらの側の数え方を、突き合わせる必要はない気がした。三枚が三枚とも別々の終わり方をした、ということが分かればよくて、それはもう、栞の口から出ている。


「これ、返します」栞は日付の紙を差し出した。


「やる」透は言った。「写しだ」


栞は紙を四つに折って、帳面の三枚の隣に挟んだ。挟む場所を決めるのに、少しだけ時間をかけた。


帰り際に、栞は一度振り返った。


「日野くん」


「なんだ」


「ありがとうございます。……これは、言った方がいいので、言いました」


透は返事をしなかった。しなかったが、断りもしなかった。


---


夕方、零が来た。


商店街の外れの、自販機の並びのところだ。来る時間は伝えていなかったのに、湊たちが着いたのと同じ頃に、向こうから歩いてきた。歩幅が一定だった。


「こんばんは」


「うん」湊は言った。「渡すものがある」


「聞きます」


零は、自販機の並びから一歩外れたところで止まった。前に来たときと、たぶん同じ場所だ。同じ場所に立つ人を見て、湊は一瞬だけ、別のことを思い出しそうになった。何をだったかは、出てこなかった。


湊は、透の端末を借りて持ってきていた。画面には二つ、出してある。


一つは、日付の下の四文字。なにもなし。


もう一つは、地区の名前が三つ。回れなかった三つだ。


零は画面を見た。見る速さはいつもどおり速かった。速かったが、すぐには何も言わなかった。


「これを、僕に」


「あんたに」湊は言った。「あんたの並べた順番で回ったから。回れなかった分も、あんたの順番の分だ」


「後ろの三つです」零は言った。「僕が後ろへ置いた三つです」


「そう」


「置いたのは僕です」


零はそう言って、それ以上は続けなかった。声は、最初から最後まで平坦だった。


「写し、要るか」透が言った。


「受け取ります」


零は、自分の端末を出した。


出してから、一拍、止まった。


「僕は、名乗らない接ぎ方をしています。ふだんは」


「……そうなの」


「今日は、名乗って受け取ります」


零の端末が短く鳴って、それで終わりだった。透の端末の画面から、送った印が消えた。何も起きなかった。夕方の通りは夕方の通りのままで、自販機の灯りが点いただけだった。


湊は、いま何かを見た気がしたが、何を見たのかは分からなかった。零が自分の端末で物を受け取るところを、そういえば初めて見た。それだけのことだ。それだけのことに、零は一拍使った。


「聞いていいか」湊は言った。


「はい」


「これで、足りたのか」


零は、画面を消してから答えた。答えるまでに、考える間はなかった。前から決まっていた答えを、決まっていた形で出した。


「足りたかどうかは、まだ言えません」


「まだ、なんだ」


「はい」零は言った。「十月三日に何も起きなかったことと、足りていたことは、別の話です。起きなかった理由を、僕はまだ分解できていません。分解できないものを、足りていた、とは言いません」


「あんた、ずっとそれだな」


「はい」


零は端末をしまった。しまってから、画面のあった高さを、少しのあいだ見ていた。


「なにもなし、というのは」零は言った。「君の記録ですか」と、透の方を見た。


「おれのだ」透が言った。


「四文字ですか」


「四文字だ」


「そうですか」零は言った。「僕は、その書き方をしたことがありません」


それが感想なのか、それ以外の何かなのかは、分からなかった。


「じゃあ、あんたはどう書くんだ」湊は言った。「何も起きなかった日のこと」


「書きません」零は言った。「起きなかった日は、分解が終わるまで、未処理の欄に置きます」


「未処理って、いつまで」


「終わるまでです」


零は「では」と言って、来た方へ帰っていった。歩幅は来たときと同じだった。角を曲がる前に一度も振り返らなかったが、曲がり方だけ、いつもより少し浅かった。気のせいかもしれない。気のせいでないかもしれない。どちらでもいいことにした。


---


「渡したな」透が言った。


「うん」


自販機の前で、透が二本買った。一本を、無言でこちらへ出す。湊は受け取った。冷たかった。


「なにもなし、って」湊は言った。「書く欄がない、って言ってただろ。起きなかったことは」


「言った」


「でも、渡す先はあった」


透は缶を開けて、少し飲んでから答えた。


「欄と、宛先は別だ」


「そういうもんか」


「そういうもんだ」


湊は缶を開けた。


一週間前、なにもなかったことは誰にも見えない、と思った。いまもそう思っている。見えないままだ。証拠も出ていない。名前もついていない。


ただ、今日、それを二人に渡した。


栞は三枚を数え直して、帳面に挟んだ。零は名乗って受け取った。見えないものでも、渡すと、渡した先で何かの隣に置かれる。置かれた場所までは、湊にも見えた。


それで充分か、と聞かれたら、分からない。


渡した先で何が起きるのかも、分からない。栞があの三枚をこれからどうするのか。零が未処理の欄をいつ処理するのか。どちらも、こちらからは見えない場所の話だ。見えない場所へ、見えないものを送り出した。今日やったのは、それだけだ。


でも、先週よりは、手が軽かった。


軽くなった分の重さが、どこへ行ったのかは考えなかった。考えないでいられるのは、たぶん、渡した相手を二人とも知っているからだった。


「帰るか」透が言った。


「うん」


二人は歩き出した。通りの先で、惣菜屋がシャッターを半分下ろしていた。半分のところで店主が中から手を振ったので、湊も振り返した。


(ep073 了)


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