表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/74

決裁

十月三日、日曜。


湊は六時に目が覚めた。二度寝はできなかった。


やることは決まっていた。九時に商店街を出て、駅前へ行く。数える。それだけだ。数えたところで何が分かるのかは、自分でも分かっていなかった。分からないので、数えることにしていた。


膝の裏が張っていた。四日で七つの地区を回って、そのあいだ座ったのは電車の中だけだった。歩くのは平気なつもりでいたが、平気なのと疲れないのは別だと、昨日の夜に知った。


昨日の夜、湊はもう一度、回れなかった三つの地区の名前を見た。名前を見ても、やはり顔は分からなかった。


透は先に起きていて、端末に日付を打ち込んでいた。


「なんか、書くことあんの」


「まだない」透は言った。「あとで書く」


---


駅前へ着いたのは九時四十分だった。


前と同じ場所だ。段の上の広い部分。ちょうど二週間前、ここに百何十人がいた。


段の下の柱の広告が、通る人の歩幅に合わせて表示を切り替えていく。日曜の朝は乗換の案内が多い。湊の前では、案内が三度切り替わって、四度目で止まった。止まったのは、湊が止まったからだ。


耳元でエージェントが、乗換の続きを読み上げようとした。湊は切った。


「切っといたほうがいいぞ」透が言った。「今日は、こっちが数える日だ」


今日は、まだ十人ほどしかいなかった。


十時になった。増えた。十時十分で、湊は数えるのをやめた。数えるのをやめたのではなく、数え終わった。


六十二。


前は数え切れなかった。百人はいる、二百人かもしれない、というところで数え方が分からなくなって、途中でやめた。今日は最後まで数え切れた。数え切れることが、答えなのかどうかは分からなかった。


「六十二」湊は言った。


「聞いた」透は打ち込んだ。「十時十分、六十二」


「これ、少ないのかな」


「前より少ない」透は言った。「それ以上のことは、おれには言えない」


段の上の人たちは、揃っていなかった。


怒っている人がいた。紙を持っている人がいた。端末を掲げている人がいて、その隣で、掲げている方をうるさそうに見ている人がいた。二週間前は、この人たちが同じ言葉を同時に言っていた。今日は、まだ何も揃っていない。


紙を持っている人のうち、一人が持っていたのは、藁半紙だった。


湊は少し寄って、端だけ見た。下に一行、細い字が入っている。初出の日付と、無断改変の禁止。京香が毎回、刷る前に確かめていた行だ。


その人は、それを畳んで上着に入れた。読んだのか、渡されたまま持ってきただけなのかは分からない。読んだうえで今日ここへ来たのだとも言えるし、読まずに持っているだけで、来た理由は紙とは関係ないのだとも言える。どちらとも言えるものを、湊は数に入れないことにした。


もう一つ、入れられないものがあった。


回れなかった三つの地区の人がここにいたとしても、湊には分からない。会っていないのだから、顔を知らない。数えなかった分は、数えられないだけではなく、目の前にあっても数えられない。


そのことに気づくのに、四日かかった。


---


十時二十分に、一人が声を上げた。


「返せ」


短い言葉だった。二週間前と同じ形だ。前は、その言葉が二人になり、六人になり、十人目から先は数えられなくなった。


今日は、二人になった。


三人目が入りかけて、入らなかった。四人目はいなかった。


声を上げた男が、もう一度、同じ言葉を言った。今度は一人だった。


湊は、それを見ていた。何が違うのかは分からなかった。ただ、揃わないと、言葉は短いままで終わるのだ、ということは分かった。短い言葉は、短いまま消えた。


宙が横に来て、小さい声で言った。


「これ、勝ってんの?」


「わかんない」


「わかんないのかよ」


「うん」


---


十時五十分に、湊は一人の顔を見た。


段の下の、後ろの方だ。四十代くらいの男で、上着の前を開けている。


湊は知っていた。四日前に会っている。二地区目だった。玄関先で十分ほど話して、望が書き取って、線は引かれなかった。最後の問いに、その人は「行かない」と答えた。


湊は透の方を見た。透が端末を出して、指を三度動かした。


「二地区目。行かない、と答えた」


「うん」


「行かない、って言った人が、来てる」


「うん」


湊は、そちらへ行かなかった。行って何を言うのかが、思いつかなかった。前に言ったことを返す、というやり方は、こういう場面のためのものではない気がした。


その人は、十一時十分ごろに帰った。終わりまでいなかった。


帰った理由も、湊には分からなかった。


---


制服は周りにいた。


段の下の通りに二人、階段の上に一人。動かなかった。誰も捕まらず、誰も止められなかった。


十一時四十分に、集まりは終わった。


終わり方は、始まり方と同じだった。誰かが解散を言ったのではない。人が一人ずつ、別の方向へ歩き出して、それが続いた。


湊は最後まで残って、通りが元の混み方に戻るのを見ていた。


昼を過ぎても、何も起きなかった。


湊は商店街へ戻って、空き店舗のビニールを張り直すのを手伝った。会長が留め具を打つあいだ、端を持って引いておく係だ。十五分で終わった。


終わってから、時計を見た。十三時二分だった。


次に見たときは十三時十一分だった。その次は十三時十四分。


何かが起きるなら、そろそろだ、と思っていた。何が起きると思っていたのかを言葉にしようとすると、出てこなかった。紙には十月三日と書いてあった。それだけだ。何時とは書いていない。書いていないものを、湊は朝から待っていた。


雪が通りの向かいで、相談所の紙束を抱えて歩いていくのが見えた。折り方は変えていなかった。湊に気づいて、一度だけ手を上げた。それだけで、行ってしまった。


宙が二回、駅前を見に行って、二回とも「なんもない」と言って帰ってきた。


夕方まで、何も起きなかった。


何も起きないというのは、待っているあいだは、ずっと何かが起きかけている、ということだった。


---


「なにもなし、でいいのか」


湊は透の端末を覗き込んだ。日付の下に、四文字だけあった。


「いいんだよ」透は言った。「なにもなかったんだから」


「四日、歩いたのに」


「歩いた分は別のところに書いてある」透は端末を回して見せた。地区の名前と、日付と、人数が並んでいる。「こっちに書くのは、起きたことだけだ」


「起きなかったことは、書かないのか」


「書く欄がない」


湊は、その言葉をどこかで聞いた気がした。どこで聞いたのかは、思い出せなかった。


---


白い車両が来たのは、十七時二十分だった。


商店街の入口だ。降りてきたのは一人で、ゴーグルをしていた。


その人は、前のときのように三歩行って戻る、ということをしなかった。まっすぐ来て、上着の内側から封筒を出した。


「今日は、確認はありません」


「……はい」


「これも、わたしの判断です」


湊は受け取った。中の紙は一枚だけだった。


「あの」


「はい」


「これ、渡していいやつなんですか」


その人はしばらく黙っていた。ゴーグルの縁に指がかかって、離れた。


「わたしが渡せるのは、ここまでです」


湊は、その背中に言いかけた。ありがとうございます、と言おうとして、途中で止めた。


止めたのは、その言葉が合っているかどうか分からなかったからだ。この人は、こちらのために持ってきたわけではないのかもしれない。


その人は一度だけ振り向いた。


「言わなくていいです」


「……はい」


「言われると、判断が変わるので」


そう言って、車両へ戻った。今度は止まらなかった。


---


写しは、書式の紙だった。


上の方は塗りつぶされている。読めるのは下の三分の一だけだ。決裁の欄と、その左の根拠の欄。


前のときと違って、出した人の名前は出ていなかった。誰が消したのかも書いていない。


決裁の欄には、日付が入っていた。十月三日。印が一つ押してある。


根拠の欄には、印字が一行あった。番号と記号の並びで、何のことか分からない。


その一行の下に、手で書き足された字があった。


 `再計算を要する`


字は小さくなかった。丁寧でもなかった。速く書いた字だ。横に、名前が一つ添えてある。湊の知らない名前だった。


透が読んだ。読んで、二回読んだ。


「これ、どういうことだ」湊は言った。


「三つある」透は言った。「一。今日やる予定だったやつが、やられなかった」


「今日?」


「今日の日付で決まってた。人数も、行き先も、決まってた。それが動かなかった」


「二つ目は」


「同じ根拠だけじゃ、もう一度は動かせない。動かすなら、別のものが要る」


「三つ目」


「消えてない」透は紙を置いた。「取り消しじゃない。止まってるだけだ。誰かが別のものを持ってきたら、続きから動く」


湊はもう一度、根拠の欄を見た。


 `再計算を要する`


「これ書いた人、誰なんだろ」


「知らん」透は言った。「ただ、書いた側は上の方だ。下の人間はこの欄に書けない」


「上の人が、上の人のやり方を止めたのか」


「一枚だけな」透は言った。「ほかの紙は動いてる。これは、この一枚の話だ」


---


湊は、その晩、慧へ写しの内容を送った。四行にはならなかった。二行で足りた。


送ってから、しばらく端末を持ったままでいた。


分かったことを、順番に並べてみる。


十月三日に、誰も死ななかった。誰も連れて行かれなかった。決まっていた紙が一枚、動かなかった。


これは、たぶん、良かったことだ。


ただ、良かったことの証拠が、どこにもない。死ななかった人の名前は出ない。連れて行かれなかった人は、自分が連れて行かれるはずだったことを知らない。六十二人は六十二人のまま帰って、そのうちの誰も、湊が四日前に誰と何を話したかを知らない。


透の端末には「なにもなし」と書いてある。


それが正しい。


なにもなかったことは、誰にも見えない。


湊はその一行を口に出さなかった。名前をつける言葉が、やはり思いつかなかった。ドミノでもない。回路でもない。前に言った言葉を返すのとも違う。


湊は端末を置いて、そのまま座っていた。


返信はすぐに来た。一行だった。


——受け取りました。日付を入れて保存します。


それだけだった。何の評価もついていない。良かったですねとも、大変でしたねとも書いていない。


湊は、その一行を二度読んだ。二度読んで、なぜか少し楽になった。


楽になった理由も、やはり言葉にならなかった。


---


会長が出てきたのは、十九時前だった。


上着から、四つ折りの紙を出す。十月の当番表だ。掲示板から一度剥がしたものらしく、画鋲の穴が四隅に開いていた。


二重線は、そのままだった。定規で引いた線の下に、まだ小さい字が読める。


会長は、その紙を台の上に広げた。それから、ペンを置いた。


何も言わなかった。礼も言わなかった。湊が今日どこへ行っていたかを、聞きもしなかった。


湊は、二重線の下の空いている行に、自分の名前を書いた。


字が小さくなった。


八月の終わりに書いたときも、字が小さかった。あのときは照れくさかったからだ。今日は、照れくさくはなかった。


会長は紙を二つに折って、上着へ戻した。明日の朝、また貼るのだという。


「消されたら、どうすんの」湊は聞いた。


「また書け」


「それだけ?」


「それだけだ」


---


【観察記録 R-072 ——相良慧】


十月三日。市街の宿。


相沢さんから渡された写しが一枚あります。


十月三日付の文書は、執行されませんでした。


根拠欄には「再計算を要する」とあります。


わたしが書けるのは、ここまでです。読み取れなかったところと、確かめていないところは、書きません。


(ep072 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ