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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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太鼓判

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【観察記録 ——相良慧】


言葉は、どこまでが発した者のものか——という問いを、今日は考えています。


口から出た瞬間に、言葉は聞いた者の中で育ち始めます。発した者の意図を離れ、時に意図より大きく、時に正反対に。だとすれば、言葉の所有権はどの時点で移転するのでしょう。発話の瞬間か。理解の瞬間か。それとも——信じられた瞬間か。


移動の車内で、同行者にこの話をしたら、「信じさせた側に、最後まで残るんじゃないですか」と言われました。静かな声でした。今日の頁は、この借り物の仮説から始めます。


---


 録音機は二台。一台は卓の上、一台は鞄の中。


「今日は、どこから話しましょうか」


 汐見京香は、いつも質問から始める。相手に最初の一語を選ばせると、その人が何を一番言いたいか——あるいは一番言いたくないかが、選ばれた一語の方から歩いてくる。


「……もう、話すことは残ってない気もするけどね」


 団地の一室。三度目の訪問になる遺族の男は、湯呑みを両手で包んだまま言った。妻を亡くして八ヶ月。医療AIの投薬判断が争点の、係争中の事故だった。


「前回、『機械は謝らない』とおっしゃいました。あれから、病院側から接触は?」


「示談の話がまた来たよ。……あんた、よく覚えてるな。俺が何を言ったかなんて」


「仕事ですから」


 覚えているのは録音機で、私はそれを聞き直しているだけ——とは言わなかった。実際には、聞き直した回数の方を仕事と呼ぶべきだった。男の話は前回と細部が三箇所違っていて、京香はその三箇所に、内容ではなく、言い直しの跡として線を引いた。人は嘘をつくとき話を変えるのではない。思い出すたびに、痛くない形へ少しずつ削るのだ。削られた形の方に、たいてい一番痛い芯がある。


 帰り際、玄関先で男はぽつりと言った。


「なあ、記者さん。裁判より、あの人の演説の方が、俺の話を聞いてくれた気がするのは——おかしいかね」


「あの人?」


「鷹里だよ。タカサト先生。この前、駅前で。……医療AIの被害者を、独りにしません、って言ってたろ。あれを聞いた晩は、久しぶりに眠れたんだ」


 京香は、礼を言って辞去した。


 外に出ると、集合住宅の外壁の巨大なミラーが、夕方のフィードを流していた。認証済みの災害訓練の映像、Aチューバーの新曲、それから——次の街頭演説の告知。鷹里誠司。駅前広場、十八時。


『目的地に追加しますか?』耳元でエージェントが言った。『徒歩十二分。……先に言っておくけど、今回は曲がる角を三回、声に出して数えて。この前は二回目で反対に曲がった』


「うるさい」


 言いながら、京香はもう歩き出していた。


---


 駅前広場は、思ったより人が多かった。


 広場の宙吊りの帯状ディスプレイが、演説の認証済み中継を等間隔で流している。生の声と、〇・五秒遅れの認証映像。聴衆の半分は、目の前の本人ではなく、真正マークの付いた画面の方を見ていた。生の声より、検証済みの複製の方が信じられる時代の、奇妙な礼儀だった。


 演説は、うまかった。それは認めるしかない。鷹里誠司はプロンプターを使わない。原稿も持たない。三十四歳の政治家は、広場の端の親子連れにまで届く声で、医療AIの事故査定の遅れを数字で語り、遺族の名を——伏せた形で、しかし本人が聞けば自分だと分かる形で——語り、そして言った。


「被害に遭われた方を、行政の列の最後尾に並ばせない。私は、そのために働きます。——約束しましょう」


 拍手が起きた。


 京香は拍手をしなかった。代わりに、聴衆を見ていた。記者の癖だった。演説の内容は録音機が覚える。だから彼女の目は、いつも聞いている側の顔を数える。


 数えていて、妙な感じがした。


 頷きが、揃うのだ。


 演説に頷く聴衆なんて珍しくもない。ただ、普通はばらつく。早い者、遅い者、腕を組んだまま動かない者。それが——「約束しましょう」の直後だけ、波が立つように、揃って首が縦に動いた。前列も、後列も、立ち止まったばかりの通行人まで。まるで見えない指揮棒が振られたみたいに。


 京香は自分の顎に手をやった。


 自分も、頷きかけていた。


 ……何に? 彼はまだ、具体的な政策をひとつも言っていない。予算の出所も、時期も、何も。なのに胸の中には、確かに聞いたはずのない答えが置かれていた。この人は、やる。根拠を探して演説を頭から巻き戻し、根拠がどこにもないことを確かめて、京香は少しだけ寒くなった。


 説得力、と呼ぶには、輪郭が揃いすぎている。


 鞄の中の録音機が回っていることを、指先で確かめた。今は駄目だ、と直感が言っていた。確かめるなら、この広場の空気の外で。頭が冷えてから、もう一度聞くこと。


 自分の頭が今、冷えていないという判断だけは、冷えていた。


---


「事実確認をさせてください」


 楽屋——というには殺風景な、駅ビル管理事務所の控室で、京香は録音機を卓に置いた。見せる用の一台を。


「——汐見京香さん。週刊誌の」鷹里誠司は上着を椅子の背に掛けながら、フルネームで言った。初対面の相手でも、二度目からは必ずそう呼ぶ男だった。「取材申請、三回蹴られたって聞いたが」


「四回。広報の方は皆さん、お仕事が丁寧で」


「で、五回目は直接来たわけだ」


 フルネームで呼ぶのは、昔からの営業技術だ。ただ——私にまでそれをやるの、と京香は思い、その皮肉を胸の中だけで折り畳んだ。


 卓の上には、ゼリー飲料の空きパックが三つ、几帳面に潰して重ねてあった。誠司は席につく前に四本目を開け、水でも飲むように一息で空にした。三十分喋っただけの男の消耗ではなかった。見ると、上着を着たままなのに、熱い茶の紙コップに指を巻きつけている。冷えた指先を温める持ち方だった。


「……よく食べるのね」


「演説は、腹が減る」誠司は事もなげに言って、笑った。カメラの前の笑い方ではなかった。それから卓を挟んで座り直し、京香の録音機を一瞥して、「回してくれ」と言った。


「私の言葉は全部、録音されるために発しています。——どうぞ」


「では。先ほどの演説の、医療AI事故の査定遅延の件。挙げられた数字の出典は?」


「都の福祉保健局の未公表資料。出せる範囲は事務所から後で送らせる」


「『被害者を独りにしない』の具体的な財源は?」


「補正で組む。額は言えない段階だ」


「言えない約束を、あの場で『約束しましょう』と?」


 誠司の答えは、よどみなかった。政治の言葉はいつも先に約束で、財源は約束を追いかける、順番が逆に見えるのは行政の時計が遅いからだ——流れるような理屈だった。あまりに流れるようで、京香は線を引いた。この人は昔から、本当のことを言うときの方が、下手だった。


「……最後に、ひとつ」


 京香はノートをめくった。めくりながら、質問の形を選び直した。


「今日の聴衆の中に、あなたの言葉を『信じすぎている』人が、いたように見えました。あなたの目からは、どう見えていますか」


 初めて、誠司の言葉が止まった。


 二秒。京香は数えた。


「——聴衆は、四百と少し」誠司は言った。「うち三割は通りすがりだ。信じる信じないの前に、まず足を止めてもらう。それが俺の……私の、仕事です」


 言い直した。俺、を、私に。


 京香はそこに、今日一番太い線を引いた。


「ありがとうございました。事実確認は以上です」


 立ち上がって、部屋を出る間際、卓上の録音機を取り上げながら、彼女は振り返らずに言った。


「——鷹里。あなた、演説のあと、まだ一人で飲んでるの」


 返事はなかった。返事のなさが、返事だった。ドアが閉まる直前、視界の端で、誠司が事務所の戸棚から出した瓶は、昔と同じ、安いウイスキーの銘柄だった。当選を重ねた男の戸棚で、そこだけが昔のままだった。


---


 深夜のファミレスは、京香の書斎だった。


 ドリンクバーから席に戻ると、耳元でエージェントが言った。『本日六往復目です』


「数えない主義なの」


『記録しない主義、の間違いでは』


「うるさい」


 録音を頭から聞き直す。音声入力は使わない。自分の声で書くと、文が甘くなる。消せないボールペンで、紙のノートに要点を起こしていく。


 演説の録音は、普通だった。


 うまい演説。それだけだった。演説から、もう何時間も経っている。あの場で胸に置かれた「この人は、やる」という確信は、いつの間にか消えていた。今聞き直せば、ただの、財源の裏付けを欠いた景気のいい言葉だった。残っているのは、確信が置かれていた場所の、へこみのような違和感だけだ。


 じゃあ、あの揃った頷きは、何に頷いたのだ。


 言葉の効き目が薄れたのか。私が冷めただけなのか。それとも——最初から、言葉の外に何かがあったのか。切り分ける材料が、彼女にはまだなかった。


 ペンが止まった。彼女は仮説を立てようとして、仮説の置き場がないことにもう一度気づき、諦めて、古い取材ノートを鞄から出した。医療AI事故の初期取材の分。八ヶ月前の記録と今日の遺族の証言を突き合わせるためだった。


 頁をめくる。自分の癖字。日付、場所、発言、線。


 めくる手が、止まった。


 一頁だけ、様子が違った。


 日付はある。場所の欄は、書きかけのまま途切れている。「都立第三——」。その下に、数行。自分の筆跡で、しかし読めなかった。癖字ではない。乱れているのだ。速記なら速記の形がある。これは形が壊れていた。強い力で、紙が破れる寸前まで筆圧をかけて、同じ画を何度もなぞってある。消えていく何かを、手の力だけで紙に縫い付けようとした跡に見えた。


 辛うじて判読できたのは、三文字だけだった。


 「わすれ」


 京香は、ノートから手を離した。


 前後の頁は覚えている。この日の朝の取材も、翌日の取材も、思い出せる。この頁の取材だけが——取材があったことしか、分からない。記憶を探ると、その日はただ「疲れて直帰した日」として畳まれていた。折り目が綺麗すぎる畳まれ方だった。八ヶ月、毎日開いてきたノートだ。なぜ今まで、この頁に気づかなかった?


 いや、と彼女は思った。線を引くべきはそこじゃない。


 気づかなかった、ではなく。


 気づけなかったのだとしたら、誰が、私の「気づく」に手を入れた?


 ドリンクバーのコーヒーが、冷めていた。京香は冷めたそれを飲み干し、ノートの読めない頁を、端末で三方向から撮影した。それから紙の余白に、消せないボールペンで、今日の日付と一行を書き足した。


 ——事実確認をさせてください。私に。


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【観察記録 ——続き】


同行者の仮説を、もう一度書きます。言葉は、信じさせた側に最後まで残る。


もしそうなら、その責任を数える方法を、わたしはまだ持っていません。観測の足りない仮説は、ここで止めます。


今日の頁は、以上です。


(ep007 了)


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