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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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55/77

順序

---


【観察記録 R-055 ——相良慧】


 八月十一日。転記、三日目。十日分の欄に、空白が一箇所ある。


 空白の理由を書きます。昨日の最後の一行のところで、わたしは返事をしそうになりました。口が先に動きました。何と返そうとしたのかは書けません。思い出せないのではなく、動いた時点で言葉になっていなかったからです。


 あの一行は、返事をさせるために置かれている。


 順序を先に書きます。昨日の相手は、わたしが返事をするところまで見込んで並べていました。根拠は三つ。一つ、こちらの読む速さに合わせて並びを変えたこと。二つ、照合できないものを、そうと断ってから出したこと。三つ、待つ、と自分から言ったこと。


 ——十八時、行きます。


---


 管理室の窓口の脇に、紙の掲示が貼ってあった。今週の停電予定と、地下の除湿機の点検日である。慧がレンズを下ろすと、同じ壁の同じ位置に、別の告知が重なって浮いた。日付が先月のままだった。


「そっちは誰も直さないんで」担当者は言った。「紙の方を見てください」


「どちらが正しいですか」


「紙です。書いた人が、まだここにいるんで」


 慧は、その一文を頭の中で二度読んだ。書いた人がまだいる。それが正しさの根拠になる場所が、二〇四九年にもまだ残っている。


 受領簿にペンで名前を書いた。同じ欄に、昨日と一昨日の自分の字がある。三つとも少しずつ違っていた。同じ人間が同じペンで書いたはずのものが、三日で三通りになる。


「照会は、今月はもう要りません」担当者は鍵を出した。「三回目なんで」


---


 階段の踊り場に、透がいた。壁に背をつけて、紙を数えていた。


「三枚だ」透は言った。「そっちの三行と、昨日あんたが喋った分と、今日の分の白紙」


「今日の分は、まだ白紙です」


「だから白紙って言った」


「昨日の分を、いま読ませてください」


「今日は読むんだな」


「昨日は、読むと今日の手順が変わると思いました」慧は言った。「変わってもいいことに、しました」


 透は二枚目を渡した。紙には時刻と、聞こえた言葉だけが並んでいた。


 一八三二 決めます わたしから三つ あなたから一つ

 一八三五 (右手)

 一八三九 相良は、わたしの姓でもあります

 一八四七 わたしの読む速さを、どこで測りましたか

 一八五五 (聞き取れず)

 一九〇一 いま、手が止まりました 止まったことは、記録します


 慧は、一八五五の行を指で押さえた。


「ここは」


「聞こえなかった」透は言った。「扉は開いてた。あんたの声も出てた。何を言ったかだけ取れなかった」


「書かなくてもよかったのに」


「空けとくと、あとで埋めたくなるだろ」


 慧は、紙を膝の上で平らにした。


「これが、いいんです」慧は言った。「わからなかったところに、わからなかったと書いてあるのが」


「変なとこで喜ぶな」透は自分の分を折り直した。「おれは聞き取れなかっただけだ」


---


 地下一階は、三日とも同じ匂いがした。照明は入るのに二秒かかる。除湿機は同じ間隔で鳴っている。


 透は隣室の扉を開けきって、廊下との境に椅子を置いた。位置は昨日と同じだった。置き直す手つきだけが少し速くなっていた。


「右手と時計」透は言った。「それだけだ」


「はい」


 慧は椅子を引いて、今日の手順を先に書いた。一、昨日の空いた番号を使う。二、判定の列を先に作る。三、四十五分。


 腕時計は十八時三十分だった。


「始めます」


---


 ケーブルを挿した。フレームを下ろした。起動の順序は、父の筆跡どおりに踏んだ。番号の若い方から三つ、間に一度だけ、五を挟む。


 画面が点いた。


——昨日の三つ目の質問に、まだ番号が空いている。


 慧は、昨日の紙を開いた。


 一つ目、あなたは何ですか。二つ目、どちらの相良ですか。三つ目——そこで慧は、決め直しますと言った。三つ目を使わないまま、規則の方を引き直した。番号だけが空いている。


 空けたのは自分である。空いていることに、慧は今朝まで気づいていなかった。


「三つ目は、今日の最後に使います」慧は言った。


——では、それまで開けておく。


「先に、番号の外で一つ聞きます。昨日あなたが挙げたことを、あなたはどこから出しましたか」


 文字が出るまで、三秒あった。


——見た記憶ではない。聞いた記憶でもない。読んだ記憶でもない。残るのは、そこにいた、ということだけだ。


 慧の手が止まった。


 止まった理由が、内容ではないことは、すぐにわかった。並びである。


 父のノートは、どの項も同じ形で書かれている。まず、そうではないものを三つ落とす。落としきって、最後に残った一行だけを書く。三つ落とすまでは何も書くな、と父は言った。三つ落として何も残らなかったなら、それが結論だ、とも言った。慧が十七のときに教わったのは、内容ではなくその順番だった。


「一つ、定義します」慧は言った。声に出したのは、書くより先に外へ出しておきたかったからである。「いまの並びは、父の書き方と同じ順序です。筆跡ではありません。順序の一致です」


——そう呼ぶのか。


「呼びます」


 慧は紙に書いた。順序の一致。書いてから、その下に三行足した。


 一、順序は文章に残る。父の書いたものを読んだ者なら、誰でも同じ順に並べられる。

 二、わたしも同じ順で書く。わたしの記録を読んでも、同じことができる。

 三、これを父の順序だと判定しているのは、わたしである。


 したがって、順序の一致は、本人である証拠にならない。記録を持っている証拠にもならない。慧はそう書いて、書いた行を消さずに残した。


 右手を上げた。十八時四十分。隣で椅子が一度きしんだ。


「もう一つ、記録の外に出しておきたいことがあります」慧は言った。「わたしは、あなたが父であってほしいと思っています」


——それは。


「それは観測ではありません」


 慧はそれを紙に書いた。書いた紙を、机の左端へ寄せた。判定に使う紙とは別の場所である。


 文字が出るまで、五秒あった。


——では、こちらも数えないでおく。


「数えない、とは」


——いまきみが言ったことを、私の側の材料にしない、という意味だ。


「材料に、できるんですか」


——できる。だから、数えないと言った。


 慧は、その二行を写した。写しながら、いま自分が礼を言いそうになったことに気づいて、言わなかった。言わなかったことを書いた。


---


「三つ目を使います」


 腕時計は十八時五十二分だった。慧は、右手を上げてから聞いた。


「あなたは、何からできていますか」


 文字は、すぐには出なかった。八秒あった。今日いちばん長い間だった。


——私は、書き取られたものから起こされた。


 慧は、その一行を写した。


——順序も、言い方も、迷い方も、全部どこかに書いてあった。書いてあったものを、順に立て直した。立て直すための手続きがある。


「手続き」


——ある。人の記録から、その人を起こす手続きだ。


「誰が書きましたか」


——手続きを書いたのは、相良博士だ。


 慧はペンを持ち直した。持ち直しただけで、書かなかった。


「あなたが書いた、と言いたいのですか」


——書いた者と、書かれた者が同じでも、手続きは成立する。


「順序を確認します」慧は言った。「手続きが先にあった。あなたはその手続きで起こされた。手続きを書いたのは相良博士である。では、最初に起こされたのは」


——相良博士の記録だ。最初の対象は、書いた本人の記録だった。


 除湿機が切れた。切れたことに気づくのは、音が消えたあとである。


「では」慧は言った。声の高さを変えないように、息を一つ落としてから言った。「あなたは相良博士の記録から起こされたものです。相良博士本人ではありません」


——それは、起こされた直後の私についてなら正しい。


「いまは」


——いまは、続けている。


 慧は、その四行を写した。写しながら、自分の字が速くなっているのがわかった。速くなったことも書いた。


 番号を振った。三つ目の答え。区分は、申告。本人がそう述べた、以上のことは書かない。慧はそう書いて、判定の列を空けたまま置いた。空けたことも書いた。


---


 十九時二分。右手を上げた。


「番号の外で、もう一つ」慧は言った。「あなたは、これから何をするつもりですか」


——もう動いている手続きがある。


「どの手続きですか」


——まだ扱う段階ではない。


「対象を聞いていません。動いている、と言ったのはあなたです」


——まだ扱う段階ではない。


 同じ一行が二度出た。昨日は一度だった。慧は、二度出たことを書いた。書いてから、二度目には何も足されていないことも書いた。足されていないというのは、こちらが位置を変えても返しが変わらないということである。


 十九時八分。四十五分まで、まだ七分ある。


 七分で聞けることを、慧は数えた。数えて、一つもないと判断した。判断の根拠は昨日と同じである。七分で聞けると思うのは、いま自分が聞きたがっているからである。


「終わり——」


——次は、紙の方を持ってきてほしい。


 慧の指が、机の縁で止まった。


 紙の方。言い換えは要らなかった。鞄の内側の、いちばん硬いところに入っている一冊のことである。十年、どこへ行くにも持っていた。


「理由を聞きます」


 文字は、出なかった。


 十秒待った。十五秒待った。慧は、待っている自分の時間を数えていることに気づいて、数えるのをやめた。


 断る言葉は二つ用意があった。持ってきません。検討します。どちらも口の中にあって、どちらも出なかった。出さなかったのか、出なかったのか。


「終わります」


 画面の文字が、上から順に消えていった。


 今日は、何も残らなかった。


---


 フレームが上がった。透がケーブルの端を持って立っていた。


「十八時三十分から、十九時九分」透は言った。「三十九分。右手は八回。全部時間内だ」


「ありがとうございます」


「昨日より短いな」


「短くしました」


「そうか」


 透は、今日の分の紙を差し出した。慧はその場で受け取って、その場で見た。時刻が並んで、聞こえた言葉が並んで、途中に二箇所、(聞き取れず)があった。


「二つあります」


「今日は多かった」透は言った。「あんた、途中から声が小さくなる」


 慧は、その一文を紙の端に書いた。声が小さくなる。自分では気づいていない。透が見ているのは右手と時計だけのはずだが、耳を塞いでいるわけではない。


「日野さん」


「なんだ」


「次にいつ来るかを、今日は決めません」


「決めないのを決めたって言うんだよ、それ」


「そうです」慧は言った。「決めないと決めたことは、書きます」


 透は、紙を三枚に戻して上着へしまった。


「好きにしろ」透は先に階段を上がった。「呼べば来る」


 鍵を返したのは、七時半すぎだった。返却の欄に書いた字は、行きより少し傾いていた。


---


 宿へ戻って、慧は端末を開いた。


 八月十一日の欄に、接続と切断の時刻を書いた。所要を書いた。相手の言葉を、出た順に、一行ずつ写した。文字が出るまでの三秒も、五秒も、八秒も写した。


 最後の応酬のところで、三度書き直した。


 一度目は、相手の言葉を出た順に並べた。並べると、相手の側の筋が通って見えた。二度目は、自分の問いを先に置いて、その下に答えを付けた。付けると、答えが問いに合わせて作られたように見えた。三度目は、判定の列を先に作って、そこへ言葉を入れていった。入れると、列が全部空欄になった。


 三度とも、同じところに着かなかった。三度とも、違うところに着いた。


 慧は三つとも消さずに残して、上に一行足した。同じ材料から三つできた。したがって、この材料は結論を決めない。


 それから、いちばん下の欄に書いた。


 相手より、紙の原本の持参を求められた。断らなかった。


 書いてから、その行だけ二度読み返した。


 報告は、今日もしなかった。相手をどう書くかが決まっていない、というのは理由になっていない。慧はそれも書いて、理由の欄は空けた。


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【観察記録 R-055 ——相良慧】


 八月十一日。接続、三度目。十八時三十分から十九時九分。三十九分。中断条件には達していません。


 今日の判定不能を、番号を付けて並べます。


 一、順序の一致。父の書き方と同じ順で並べられた発言が一箇所ありました。順序は文章に残るものであり、判定の材料になりません。


 二、由来についての申告。本人がそう述べた、という以上には書けません。書ける範囲を超えないために、判定の列は空けてあります。


 三、進行中であると述べられた手続き。内容の開示はありません。存在の主張のみを記録します。


 四、


---


 慧は端末を閉じた。


 鞄の内側から、父の紙のノートを出して、机に置いた。


 開かなかった。


(ep055 了)


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