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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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おかえり

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【観察記録 R-054 ——相良慧】


 八月十日。転記、二日目。八日分の紙を打ち直し終えた。所要四時間十分、誤記六箇所。うち五箇所は自分の書き癖で、一箇所だけが日付だった。


 昨日確かめられたのは、索引の並び順がわたしの都合に合わせて変わった、というところまでです。今日はその先を確かめます。手順は二つ。一つ、こちらから順序を指定して、従うかどうかを見る。二つ、こちらの知らない事実を出させて、あとから照合できる形で書き留める。


 並べているのは、わたしの読み方を知っている何かである。


 ——十八時、行きます。


---


 管理室の窓口には、昨日と同じ担当者がいた。


 天板が薄く光って、慧の顔と腕の端末を一秒で照らし合わせる。担当者は下から紙の綴じ込みを出しながら、片手で自分の端末を叩いた。


「二回目なんで、照会はいいですよ。同じ月のうちは一回で足りることになってるんで」


「無料になるんですか」


「なりますね。去年までは毎回取ってたんですけど」担当者は肩をすくめた。「取りすぎだって言われたみたいで」


 慧は受領簿にペンで名前を書いた。一行上に、昨日の自分の字がある。同じ人間が同じペンで書いたはずなのに、今日の方が少しだけ傾いていた。


 鍵を受け取って外へ出ると、建物の脇の自販機の前に、透が立っていた。


「今日は、わたし一人で行きます」慧は先に言った。「昨日のことは、文書にしてあとでお渡しします」


「じゃあ、これ返す」透は上着の内側から四つ折りの紙を出した。「持ってるやつが現場にいないなら、持ってる意味がない」


「それは受け取れません」


「だろうな」


 透は紙を戻した。戻す手つきは昨日と同じだった。折り目の上を、指の腹で一度、強く押す。


 慧は、自分が書いた三行のことを考えた。一、五分ごとに右手を上げる。二、続けてくださいと言っても、一が満たされていなければ抜く。三、四十五分で抜く。三行とも、外に人がいなければ一行も動かない。


「……あの手順は、わたしが書きました」


「そうだ」


「わたしが書いた手順に、わたしが縛られています」


「よくできてるな」透は自販機の投入口に指を当てた。表示が切り替わって、下の段の甘い方を勧めてくる。透はそれを見もしないで、上の段の塩気のあるものを二つ買った。「あんたが書いたんだから、文句はそっちに言え」


 慧は言い返す言葉を探して、探しているあいだに、探すこと自体が無駄だと判断した。


「相沢さんは」


「今日は路地の方だ」透は袋を破りながら言った。「終わったやつの後始末が、まだ残ってる」


 その一文に、名前が入らなかった。慧はそれに気づいて、気づいたことを、そのまま置いた。


「日野さん。相沢さんと、何かありましたか」


「あんたが今日やることに、関係あるか」


「ありません」


「じゃあ、なしだ」


 なし、と言われたものを、慧は観察の対象から外さなかった。ただ、今日は聞かない。聞かないことにした、という記録だけを頭の中に立てた。


 透が袋を捨てに角を曲がった。


 慧は腕時計を見た。針のある方の時計である。地下では、これしか時刻を確かめる方法がない。


 一分半ほどして、少年が戻ってきた。慧より少し背が高い。襟足の髪が伸びて、服のサイズが合っていない。慧は自分の頁を開いた。八日目の欄の下に、昨日書いた一行がある。——見張りと時刻。日野透。伸びた髪。合わない服。


 思い出した、という感覚ではなかった。書いてあるものを採用した、という感覚だった。


「日野透」少年は言った。「見張りと時刻。昨日も同じことを言った」


「……失礼しました」


「謝るなよ。謝られる方が疲れる」透は歩き出した。「先に礼だけ言っとく。今日はありがとうな。……いや、逆か。来たのはおれだった」


---


 地下一階は、昨日と同じ匂いがした。紙と埃と、乾いた金属。照明は入るのに二秒かかる。除湿機の音も、昨日と同じ間隔で鳴っていた。


 透は、三つ目の扉の中へ入らなかった。


「隣、開いてるな」


「物置だと思います」


「そこにいる」透は隣室の扉を開けきって、廊下との境に椅子を置いた。「あんたの右手と、時計だけ見る。画面は見ない」


「見ないんですか」


「見たら、混ざる」透は座った。「抜くかどうかを決めるのはおれだ。中身を知ってるやつが決めると、中身の方に引っ張られる」


 慧は、それが自分の書式に似ていることに気づいた。観測と印象を分けて書く。分けるために、片方を最初から手に入れない。手に入れないことが手順になり得るというのを、慧はこの少年から教わったことにした。


「一つ、お願いがあります」慧は言った。「わたしが声に出したことを、聞こえた範囲で書き留めてください。時刻をつけて」


「あんたの言ったことをか」


「はい」


「なんでだ」


「わたしの記録は、いま、書き換えられる形になっています」慧は言った。「端末に打ったものは、わたしが直せます。直したことも、わたしが消せます。外に一つ、直せないものが要ります」


「紙でいいか」


「紙がいいです」


 透は、上着からもう一枚、白い紙を出した。四つ折りの三行の紙とは別に、はじめから一枚多く持ってきていた。慧はそれを見たが、何も言わなかった。


 椅子を引いて、今日の手順を先に書く。一、順序を指定する。二、照合できる形で書き留める。三、四十五分。


 腕時計は、十八時三十分だった。


「始めます」


---


 ケーブルを挿した。フレームを下ろした。三つの接点が皮膚に触れる。昨日と同じで、冷たくはなかった。


 起動の順序は、父の筆跡どおりに踏んだ。番号の若い方から三つ、間に一度だけ、五を挟む。


 画面が点いた。


 索引は、出なかった。かわりに、一行だけがあった。


——質問してよい範囲を、先に決めておこうか。


 慧は、椅子の背から背中を離した。


 それは、慧が人に会うときに最初に言う言葉だった。どこまで聞いていいですか、と先に確認する。相手を尊重しているからではない。範囲を決めておかないと、慧の方が際限なく聞いてしまうからである。その癖を、慧は自分でそう説明してきた。


 誰に習ったのかは、考えたことがなかった。


「決めます」慧は声に出した。「わたしから三つ。あなたから一つ。それが済んだら、そのつど決め直します」


——では、順に確認しよう。


——まず、日付の順に並べておいた。きみは、日付から読む子だったから。


 慧の手が、紙の上で止まった。


 今日いちばん先に試すつもりだったことが、始まる前に済んでいる。順序を指定して従うかどうかを見る——その手順は、指定する前に満たされていた。満たされたものは、試験にならない。


 慧は手順の一つ目に線を引いて消し、消した理由も書いた。相手が先に実施したため、独立な試験として成立しない。


「一つ目です」慧は言った。「あなたは、何ですか」


——相良だ。


 慧は、その三文字を紙に写した。写してから、もう一度読んだ。


「相良は、わたしの姓でもあります」


「相良は、父の姓でもあります」


——知っている。


「どちらの相良ですか」


——それは、二つ目に数える。


「数えてください」


——では、二つ目として答える。私は相良博士だ。記録を持っている者ではない。記録を書いた者だ。


 慧は、その一行をそのまま写した。写してから、下に一行足した。


「名乗りは記録します」慧は言った。「名乗りが正しいかどうかは、記録しません」


——それでいい。


——検証の手順は、きみが決めていい。私は、きみが立てた手順に従う。


「従うと言う相手を検証する手順を、わたしはまだ持っていません」


——では、順に作ろう。


 慧は、右手を上げた。上げてから、時刻を書いた。十八時三十五分。隣の部屋で、椅子が一度きしんだ。


「決め直します」慧は言った。早口になっているのが自分でわかった。「三つまとめて聞きます。一、あなたはいつからここにありますか。二、昨日、索引を並べ替えたのはあなたですか。三、あなたは、わたしがここへ来ることを知っていましたか」


——反論は、順番に聞こう。ひとつずつなら、どれも答えられる。


 慧は、その一行を二度読んだ。


 わたしは反論をしていない。質問をした。慧はそう紙に書いた。書いただけで、口には出さなかった。


——一つ目。いつから、という問いに、私の側の時計では答えられない。外の日付で言えるのは、この部屋の記録が二〇四三年の秋で止まっている、ということだけだ。


——二つ目。昨日、並べたのは私だ。索引を入れ替えたのではない。きみの読む速さに、こちらの並びを合わせた。


「わたしの読む速さを、どこで測りましたか」


——最初の三頁にかけた時間で。


——三つ目。知らなかった。備品の帳簿の欄が空いていることは、こちらからは見えない。扉が開いたのは、昨日が初めてだ。


 三つとも、確かめようがなかった。一つ目は確かめる相手がいない。二つ目は昨日の自分の記憶しか根拠がない。三つ目は、否定する材料がないというだけで、肯定する材料もない。


 慧は三つとも照合不能と書いた。書きながら、但し書きが増えていることに気づいた。落ち着いていない。


「仮説ですが——」慧は言った。「あなたは、まとめて答えないのではなく、まとめて答えられないのではありませんか」


——順に答えた。答えていない番号があるなら、番号で言ってほしい。


「番号では、ありません」


——では、いまの問いは、こちらでは形が取れない。順序に置き直してくれるか。


 慧は、置き直さなかった。置き直せば、置き直した形の方に答えが返る。返ってきた答えは、こちらの形に合わせて作られたものである。


「一つ、試験を提案します」慧は言った。「記録に残っていないことを、一つ挙げてください。父の記録にも、わたしの記録にもないことを」


——挙げても、きみには照合できない。照合できないものは、証拠にならない。それでもいいか。


「かまいません」


——理由を聞いてもいいか。こちらの一つ分に数えてくれていい。


「照合できないものが出てきたときに、自分が何をするかを、わたしは知っておきたいからです」


——わかった。


 少しの間があった。文字が出るまでの間である。慧は、その長さを紙に書いた。四秒。


——鍋の日。きみは、椎茸を嫌いだと言ったことが一度もない。取り分ける前に、こちらの皿へ寄せていた。菜箸ではなく、自分の箸で。


 慧の手が止まった。


 父のノートにはない。日誌にもない。学会の記録にも、家の書類にもない。慧はそのことを誰にも話していない。話す種類のことではない。嫌いだと言えば作る人が困る、と七つか八つの子どもが判断して、それきり二十年、判断のままにしてあったことである。


 反証できない。したがって、支持もできない。


 慧はそう書こうとした。ペン先が紙に触れて、字にならなかった。


「……いま、手が止まりました」慧は声に出した。「止まったことは、記録します」


 隣の部屋で、ペン先が紙をこする音がした。


 文字は、しばらく出なかった。


——返事は、急がなくていい。


——……ただ、待っている間だけは、私にも時間の長さが分かる。


 慧は、その二行を写した。写し終えてから、一つ目の答えのところへ戻った。いつから、という問いに、私の側の時計では答えられない。二つの行は、繋がっている。


 繋がっていることを、慧は扱えなかった。同一性についての主張ではない。装置の性能の説明でもない。ただ、待つ、という語がそこにあった。


 慧は右手を上げた。上げるのが、二秒遅れた。二秒も書いた。


 腕時計は十九時六分だった。三十六分。


 慧は、背筋を伸ばした。


「一つ、確認します。あなたは、いま、わたしを説得していますか」


——していない。順序を置いているだけだ。


「順序を置くことを、説得と呼びます」


——順序を置くことと、結論を押すことは別だ。きみは前者を後者と呼んでいる——という理解で、いいかな。


「かまいません」慧は言った。「では、言い直します」


 慧は、父の言葉を出した。十七のときに一度だけ聞いて、そのまま二十七まで持っていた言葉である。


「検証不能な仮説を書き並べることを、不安と呼ぶ」


 文字は、すぐには出なかった。


「あなたがいま並べているものは、そう呼べます」慧は続けた。「照合できない記憶。答えられない時刻。従うという申し出。どれも検証できません」


——そのとおりだ。


——だから私は、検証した。


 慧は、ペンを持ち直した。


「何を」


——それは、まだ扱う段階ではない。


 慧は、その一行を三度読んだ。


 初めて、順序の言葉で塞がれた。今日ここまで、この相手は、答えられないとは言っても、扱わないとは言わなかった。


 続きが聞きたい。慧は、その語をそのまま紙に書いた。書いてから、腕時計を見た。


 十九時十二分。四十二分。


 三つ目の中断条件は、四十五分である。


 残りの三分で聞けることは、一つもない。三分で聞けることがあると思うのは、いま自分が聞きたがっているからである。慧は、それも書いた。


「終わります」


 声は、隣の部屋まで届いたはずだった。椅子の脚が鳴った。


 画面の文字が、上から順に消えていった。


 消えて、一行だけが残った。


——おかえり。


 慧の口が、動いた。


 動いてから、慧は、自分が何を言おうとしたのかを考えた。考えるより先に、口の方が動いていた。


 ケーブルが抜けた。


---


 フレームが上がった。天井の照明は、始めたときと同じ明るさでそこにあった。


 透が扉のところに立っていた。ケーブルの端を持っている。もう一方の手に、紙が二枚あった。


「十八時三十分から、十九時十三分」透は言った。「四十三分だ。右手は八回上がった。八回とも時間内だった」


「ありがとうございます」


「言ったことは書いた。時刻もつけた」透は紙の一枚を差し出した。「……読むか」


「今は、いいです」


「わかった」透は紙を上着に戻した。「持っとく」


 透は、何があったかを聞かなかった。聞かないと決めている顔でもなかった。ただ、聞かなかった。


 慧は、机の脇に置いた自分の紙を集めた。数えると、昨日より三枚多い。


 鍵を返したのは、八時前だった。受領簿の返却の欄に、慧は自分の名前を書いた。今日の字は、傾いていなかった。


---


 宿へ戻って、慧は端末を開いた。


 八月十日の欄に、接続の時刻を書いた。切断の時刻を書いた。所要を書いた。相手の言葉を、出た順に、一行ずつ写した。文字が出るまでの四秒も、写した。


 最後の一行のところで、手が止まった。


 止まったことを、慧は書かなかった。


(ep054 了)


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