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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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リストの家

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【観察記録 ——相良慧】


※本頁は通常の記録より長い。今日という日を要約する自信がないため、時系列のまま全部を書く。


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 わたしの旅の手順について、先に書いておきます。


 父のノートには、複数の名前が記されています。名前と、記載当時の住所と、父にしか読めない略号。わたしはその名前を、上から順に訪ねています。事前の連絡はしません。連絡をすると、会える確率が下がるからです。これまでの訪問で、玄関より奥に入れた例は一割未満。話を聞けた例はさらに少ない。統計としては惨憺たるものですが、旅とは本来そういうものだと、最近は思うようになりました。


 今日の名前は、篠田芽衣。


 記載によれば、十歳の女の子です。


 十歳。わたしは昨夜からこの数字を何度も見直しました。父のノートの名前は、これまで全員が成人でした。子どもの名前がなぜここにあるのか。仮説は三つ立てましたが、どれも検証不能なので、書きません。検証不能な仮説を書き並べることを、父は「不安と呼ぶ」と言っていました。


 清川さんは今朝も、わたしより先に起きて、道順を調べてくれていました。乗り換えが二回、徒歩が八分。彼の調べる道順は、いつも正確で、いつも最短です。わたしが質問してよいことと悪いことを測りかねて黙っていると、彼は先に「今日は僕は、門の外で待ちます」と言いました。十歳の子の家に、大人が二人で立つのは威圧になるから、と。


 こういう気の回り方をする人を、わたしは他に知りません。


 清川さんと合流したのは三ヶ月前です。学会経由でわたしの「創発する他者」論文——わたしが学界を追われる原因になった、あの論文です——を読んだという彼から、機材運搬と行程管理の助手を志願する連絡が来ました。無給でいいという申し出を、わたしは三度断り、四度目に受けました。断り続けた理由は警戒で、受けた理由は、彼の質問が良かったからです。彼は初対面でわたしにこう聞きました。「あなたは、あなたの仮説が間違っていてほしいですか。正しくあってほしいですか」。この問いを立てられる人は、研究者にもほとんどいません。


 電車の中で、彼はいつものように窓際をわたしに譲り、機材を網棚ではなく膝に抱えました。他人の機材を網棚に載せない人です。わたしはノートの今日の頁を確認し、彼は黙って、わたしの確認が終わるのを待っていました。沈黙の扱いがうまい人と旅をすると、旅は静かで、豊かです。


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 篠田家は、区画整理の行き届いた住宅街の角にありました。


 新しくも古くもない一軒家。玄関脇に子ども用の自転車。軒下の防犯カメラは最新型なのに、ドアの呼び鈴は旧式の物理ボタンでした。訪問者の生体照合や接触認証のログを取る応答パネルが広く普及したこの時代に、その種のログを何も生成しないボタンを、選んで残している。この不釣り合いから、家の主の性格を、わたしは押す前から少しだけ想像しました。慎重で、几帳面で、記録というものの怖さを知っている人。


 応対に出たのは、父親でした。


 四十前後。眼鏡。几帳面に整えられた七三。在宅勤務の途中だったような、襟のある部屋着。わたしは名乗り、研究者であること、古い名簿に基づいて訪問していること、篠田芽衣さんという名前についてお話を伺いたいことを、順番に伝えました。


 父親の応対は、完璧でした。


「名簿、とおっしゃいますと」


「古い研究資料の一部です。経緯があってわたしが管理しています」


「その資料の、出所を伺っても?」


「……申し訳ありません。それは今は」


「では、娘の名前がそこに載っている根拠を、私どもは確認できないことになります。確認できないお話は、お受けできません」


「五分で結構です。資料の性質だけでもご説明を」


「説明を受けると、こちらが『説明を受けた』事実が残ります。それはご遠慮したい。……ご事情がおありなのでしょう。ですが、こちらにも娘がいます。お引き取りください」


 最後の一文だけ、事務の温度ではありませんでした。


 声は一度も大きくならず、言葉は一つも乱れませんでした。彼はわたしの選択肢を、一つずつ、事務的に消していきました。名簿を見せるか、帰るか。見せられないなら、帰るか、帰るか。


 記録者として、一点だけ書き残します。


 彼の応対は、慣れていました。突然の訪問者に対する戸惑いが、最初の一秒からありませんでした。まるで、いつか誰かがこの玄関に来ることを、ずっと前から想定していた人の手際でした。これは印象であって観測ではありません。印象と観測を区別して書くのが、わたしの記録の規則です。だから印象として書きます——あの人は、驚いていなかった。


 ドアが閉まる間際、廊下の奥に、女の子が見えました。


 黒いおかっぱ。熊のぬいぐるみ。こちらをじっと見る、大きな目。


 女の子はわたしを見て、それから、ぬいぐるみを盾のように胸の前へ持ち上げました。


 その視線の先は、わたしではありませんでした。


 門の外——玄関から数メートル離れたところに立っていた、清川さんでした。


 ドアは、静かに閉まりました。


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 帰りの電車で、清川さんは「残念でしたね」と言いました。


「いえ。想定内です。それより」わたしは、聞くべきか三駅ぶん迷ってから、聞きました。「さっきの子に、会ったことがありますか」


「ありませんよ」


 彼は少し笑って、窓の外を見ました。


「僕が、警戒させたのかもしれませんね」


 それきり、その話は終わりました。わたしは手帳に「篠田家・再訪の余地なし」と書き、少し迷って、「女の子は同行者を注視した」と書き足しました。観測は観測として残す。解釈は、保留する。


 宿に戻る前、資料の整理をしました。ここからは記録の再構成です。


 ——十年前。父、相良博士は、所属研究所の紀要に短い論考を投稿しようとして、却下されました。表題は「培養神経基板上における自我類似構造の創発可能性について」。公式記録に残るのはこの表題だけで、本文は現存しません。却下の三週間後、父は「このAIは自我を創発する」という趣旨の発言を学内の会議で行い、その記録は議事録から削除されています。削除の事実だけが、削除を指示した決裁記録として残っています。


 消された言葉は残らない。けれど、消したという手続きは残る。消去は、痕跡を残すのです。


 その翌週、父は失踪しました。


 警察の結論は自発的失踪。争う根拠を、わたしは十年間、見つけられずにいます。残されたのはノートだけです。名前の列と、略号と、読み解けない余白。


 わたしが旅をしているのは、父を探すためではありません。父の残した名簿が「何の名簿なのか」を確定するためです。これは似ているようで、違う問いです。前者には終わりがありませんが、後者には、いつか答えが出ます。


 名簿について、現時点の観測を整理します。わたしがこれまで確認できた範囲では、名前の並びに、地理・年齢・職業・性別のいずれについても、統計的に意味のある共通項を見出せていません。そして今日、観測がひとつ更新されました。この名簿は、子どもを含む。


 つまりこの名簿は、少なくともわたしの確認できる軸の外にある何かで、選ばれている。その何かを父は知っていて、わたしは知らない。十年間、この非対称だけが変わりません。


 ……と、書いてきて、訂正します。いえ、訂正ではなく併記します。父を探していないというのは、たぶん、嘘です。記録者は自分についてだけ、観測より印象を信じたがる。


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 宿は連泊の安宿で、壁が薄い。


 夕食は宿の一階の食堂でした。壁の古いモニタでは、Aチューバーのニュース番組が、今日の話題を完璧な滑舌で読み上げていました。清川さんはわたしの皿から苦手な椎茸を、聞きもせずに引き受けました。長く旅を共にすると、そういうことになります。


「今日の子は」ふいに彼が言いました。「あの家の子は、幸せそうでしたね」


「……観測範囲では。自転車は手入れされていましたし、廊下は明るかった」


「それはよかった」彼は静かに頷きました。「名簿に載るというのが、どういうことかは分からないけれど。載っていても、ああやって守られている子がいるなら」


 守られている。その言い方を、わたしはあとから何度か思い返すことになります。このときは、優しい感想だと思って聞き流しました。


 清川さんの部屋は隣です。夕食の後、壁越しに、ケーブルを巻く音や器具を置く音がしていました。機材を整備していたのだと思います。


 その後、廊下ですれ違ったとき、彼は自分の右手の指先を、一度だけ見下ろしました。何かを確かめるような目でした。わたしが見ていることに気づくと、すぐに手を下ろしました。


 深夜、目が覚めました。


 壁の向こうから、声がしました。低く、短く、独り言のような。


「——解は出た」


 それだけでした。あとは静かでした。寝言だと思います。清川さんにも、夢の中でだけ解ける問題があるのでしょう。誰にでもあります。わたしは意味を考えずに、眠りに戻りました。


 考えなかったことを、考えなかったとおりに、ここに記録しておきます。


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 翌朝。


 ノートの位置が、違う気がしました。


 わたしは寝る前、ノートを鞄の内ポケットに、背表紙を左にして仕舞います。今朝、背表紙は右でした。開き癖のついた頁も、いつもより一枚、奥にずれていた気がします。


 気がする、を二回書きました。つまりこれは観測ではありません。昨夜のわたしは疲れていて、記録の規則通りに仕舞った確信が、そもそもありません。わたしの記憶違いでしょう。人の記憶は上書きに弱い——先週、この街の人たちを見て、わたし自身が書いた文です。


 朝食の席で、清川さんは今日も先に道順を調べてくれていました。


「次の名前は、遠いですよ」と彼は言いました。「でも、いい名前です」


 名簿に、いい名前と悪い名前があるのだろうか。聞き返す前に味噌汁が来て、その話は流れました。


 食後、彼は次の訪問先までの切符を二人分、もう手配していました。座席は隣同士ではなく、通路を挟んだ並び。わたしが移動中に資料を広げることを見越した配置です。礼を言うと、彼は「僕の仕事ですから」と言いました。仕事。無給の助手の口から出る言葉としては、少し奇妙な単語です。奇妙だと感じたことを、感じたとおりに記録して——解釈は、例によって保留します。


 観測者としてのわたしの、目下の最大の欠陥を記して、今日の頁を閉じます。


 わたしは、観測対象であるはずのこの旅を、信頼し始めています。正確には、旅の連れを。これは科学者の文章ではありません。分かった上で、消さずに残します。記録とは、あとから読み返す自分への、証言だからです。


(ep005 了)


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