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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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貸借

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 三通目の便りが届いた日、京香は地図を出した。


 連載のコラムに付けている読者窓口には、月に数通、記事と関係のない相談が紛れ込む。たいていは一通きりで終わる。今回は違った。三週間で三通。文面はばらばらで、住所だけが揃っていた。同じ区の、川沿いの地区。


 内容も、骨組みが同じだった。


 ——借りた覚えのない借金の、取り立てが来ている。


 正確には、と京香は手帳に書き直す。三通とも「借りた覚えがない」とは書いていない。「借りた気は、するんです」と書いてある。借りた気はする。金額は分からない。書類はない。でも、返さなければいけない気がして、夜眠れない。


 事実と、気持ちが、最初から割れている相談だった。割れているものは、割れたまま扱う。それが仕事の作法だ。


---


 一人目の相談者は、川沿いの都営住宅に住む初老の女性だった。


 卓上に録音機を二台置く。一台は相手の側に向けて。「録音します。一台は、あなたの控えです。事実確認をさせてください」


 話は、丁寧に遡ると一本の線になった。膝を悪くして通院を始めたこと。病院の窓口で、家計の相談窓口を紹介されたこと。相談の帰り、バスの回数券が買えない日があって、窓口の男性職員が交通費を立て替えてくれたこと。


「いくらでしたか」


「往復で、四百二十円です」女性は即答した。「翌週、お返ししました。窓口で。領収も、端末に残っています」


 見せてもらった。決済履歴に、立替金の精算、四百二十円、とある。日付も金額も揃った、完結した貸し借りだった。二年前の話だ。


「それが、先月」女性の指が、湯呑みの縁を撫でた。「事務所の方がうちへ見えて。あのときの立替の件で、と。……それで、その、話を聞いているうちに」


「聞いているうちに」


「わたし、あの方たちに、もっと大きなご迷惑をかけていた気がしてきたんです。四百二十円だけじゃなくて。相談の時間も、手間も、全部。それをまとめたのがこれだと言われて——」


 テーブルに出された請求書には、立替金等精算残債務、という長い名目と、六桁の数字が印字されていた。


「認めた覚えは、あるんですね」


「あるんです」女性は泣きそうな顔で頷いた。「それが一番、怖いんです。書類を見ると、こんなの嘘だと分かるのに。胸の方は、返さなきゃって鳴りっぱなしで」


 京香は手帳を二列に分けた。左に、記録が語ること。四百二十円、精算済み、二年前、完結。右に、本人の中で起きていること。膨らみ続ける負い目、金額の記憶の不在、認めた感覚だけの存在。


 左右が、こんなに綺麗に割れる詐欺を、京香は知らなかった。知らないが、詐欺の話法は日進月歩だ。人の罪悪感だけを狙って耕す話術がある——今はそう仮置きして、線を引いた。仮説は仮説の欄に。断定はまだしない。


 二人目は、頼んでもいない書類を役所まで届けてもらったことがある、という中年の男性だった。三人目は、相談窓口で傘を借りて、翌日返した、という人だった。傘。四百二十円。書類の使い走り。種はどれも、実在した小さな親切だった。もっとも三人目は、録音機を出したところで口が重くなり、傘の話から先へは進まなかった。控えの一台を指して、これはあなたの分です、と言っても、首を振られた。無理には聞かない。聞けなかったことは、聞けなかった、と書く欄がある。その場で終わっていたはずのものが、事務所の男の訪問を境に、利子のつく借りへ育て直されていた。


 三人に共通していたのは、もう一つある。訪問の場面を、語れないわけではないのだ。言われた言葉も、順番も、聞けば出てくる。丁寧だった。静かだった。責められてはいない。ただ、説明の途中で必ず、言葉より先に申し訳なさの方があふれて、話がそこへ戻ってしまう。何を言われたかを聞いているのに、答えはいつの間にか、自分がどれだけ迷惑をかけたかの話になっている。話法、と京香は仮説の欄に書いた。書いてから、話法という言葉で足りるのかどうかは、判断を保留にした。


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 書いたのは、記事ではなく、一枚の紙だった。


 【取り立てが来たら、確認する順番】。一、その場で認めない、書かない、払わない。二、言われた「借り」の原本を出してもらう。三、日付を並べる。四、自分の決済履歴で精算の記録を確認する。五、次に会うときは、第三者に同席してもらう。


 それだけの紙だ。記事なら裏取りが足りない。手順なら、足りる。手順は誰も告発しない。確認しましょう、としか言っていない。だから今日から使える。


 連載のコラム欄の隅に載せ、地区の掲示板にも許可を取って貼った。効き目は、思ったより早く出た。


 二人目の相談者から、短い報せが来た。事務所の男がまた来たので、紙のとおりにやってみた、という。原本を出してほしいと言った。決済履歴を開いて、精算の日付を指で押さえた。隣に民生委員が座っていた。男は請求書を鞄に戻して、また日を改めます、と言って帰った。それきり、十日来ていない。


 【記録で確認しましょう、と言っただけです。あの人、書類の顔のまま、笑って帰りました】


 報せの文面を、京香は二度読んだ。勝った、と書いていいのかは、まだ分からない。ただ、止まった。一軒では、確かに止まった。


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 事務所の側にも、確認を入れた。それをしないなら、この仕事の名前が変わってしまう。


 電話は三度目でつながった。名乗り、取材の趣旨を伝え、録音の許可を求めた。断られると思った録音は、あっさり許可された。


「どうぞどうぞ。私ども、やましいことは何も」男の声は、書類のような声だった。抑揚が均されていて、急がず、途切れない。「ご請求はすべて、ご本人が認めてらっしゃいますので」


「認めた、の根拠を伺えますか。原本と、日付を」


「お気持ちです」男は少しも詰まらなかった。「ご本人が、お世話になった、申し訳ない、とおっしゃっている。それが一番の原本ではないですか? 紙の貸し借りより、お気持ちの貸し借りの方が、本物でしょう」


「気持ちは、記録ではありません」京香は左の列の言葉だけで返した。「四百二十円は二年前に精算されています。決済履歴が残っています。事実確認をさせてください」


「では、また日を改めて」


 切れた。恫喝はひとつもなかった。録音を後で聞き直しても、切り取れる違法性は何もない。気持ちを原本と呼ぶ人間の声は、丁寧なほど怖い。京香はその感想を事実の列ではなく右の列に書き、書き終えてから、窓を開けた。


 止まり方が広がっていることを、京香は思わぬ形で知った。


 四人目の相談者の家で、あの一枚が出てきたのだ。京香の書いた手順の紙。ただし、コラムの切り抜きでも、掲示板の写真でもない。藁半紙に印刷された、別の版だった。文面は一言一句同じで、下の隅に、小さく連絡先が刷り足されている。川向こうの、生活相談所の番号だった。


 行ってみた。相談所は商店街の外れの、元は文具店だったらしい間口の店だった。棚には紙の綴りが背を並べ、壁には手書きのポスターが貼られ、机の上に端末が一台もなかった。相談の記録も紙、順番待ちの札も紙。中では年配の男女が綴りを繰っていた。応対に出た男性の耳には、イヤーカフがなかった。裸の耳を、京香は久しぶりに正面から見た。


「ああ、あの紙。うちで刷らせてもらってます」男性は隠しもしなかった。「相談に来る人に、口で説明するより早いので。印刷所が仲間内にあるんですよ。紙は、強い。消えないし、書き換わらないし、電池も切れない」


「困っている人に届くのは、ありがたいです」京香は先にそう言った。本心だった。それから、仕事の側を出した。「お願いが一つあります。刷るのは構いません。ただ、どこから写したかを、版に入れてください。出どころの書いていない写しは、いつか別物になります。一行足すだけで、防げます」


 男性はしばらく京香を見て、それから、綴りの間から鉛筆を出した。


「もっともだ。……あんた、書き物の人だね。その一行、どう書けばいい」


 文面をその場で決めた。初出と日付と、無断の改変をしないこと。男性は藁半紙の隅にそれを鉛筆で書き足し、書いた行を京香に向けて確認させてから、「次の版から入れます」と言った。


 帰り道、京香は控えに短く書いた。写しがどこで増えているか、全部は追えない。追えないなら、せめて版元の線だけは通しておく。手順は、漏れても手順だ。——そう書いてから、その一文を前にも書いたことを思い出した。


---


 四人目の相談者が持参した書類の束に、一枚だけ、毛色の違う紙が混ざっていた。


 請求書の束に紛れた、何も記入されていない書式だった。宛名の欄がない。名前を書く場所が、どこにもない。あるのは、口座の欄と、工程、と見出しのついた空欄が三つ。それだけの、白い書式。


「これも、封筒に入っていたんです」と相談者は言った。「意味が分からなくて」


 意味は、京香にも分からなかった。分からないものは、分からないまま記録する。京香は白い書式の写真を撮り、控えに貼って、余白に書いた。


 【宛名のない書式。口座と、工程の欄のみ。用途不明。事務所の書類束に混入——誤って、か】


 誤って、の後ろに疑問符をつけて、その頁を閉じた。


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【観察記録 ——相良慧】


読み直しの準備、続き。原本と写しの仕分けが終わりました。仕分けだけで箱が二つ。父は、写しを作る人でした。誰に読ませるつもりだったのかの欄は、まだ白いままにしています。


買い置きの週刊誌のコラム欄に、貸し借りの確認手順の記事。書いた方の名前に、覚えがあります。会ったことはありません。他人の帳簿を疑う仕事の人と、いつか話が合う気がします。今日の頁は、以上です。


(ep046 了)


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