表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/73

保留

---


【観察記録 ——相良慧】


木曜、朝。


昨夜、文書をもう一枚書きました。四枚目の条件文書です。これまでの三枚と違うのは、読む人が最初から一人に決まっていることと、渡す前から、断られる場合の欄を作っていないことです。断られたら、そのときに作ります。


同行者は、朝の六時に出ました。どちらへ、と聞くと、縁石です、と言われました。地名ではない場所を答えられたのは、初めてです。わたしも、出ます。


---


 朝の縁石に呼び出されたのは、宙の短い文がきっかけだった。


 【やばい。うちの近く、例の車。二台】


 望を泊めた宙の家の周りに、昨夜の車列の二台が、朝から停まっているという。動きはない。動きがないのが、いちばん動けなかった。望をあの家から出せば見つかる。出さなければ、いずれ絞られる。


 湊は台所の麦茶を立ったまま半分飲んで、家を出た。朝の通りは、いつもどおり動いていた。通学の列。開店前の店の水撒き。ゆうべ起きたことを、通りは知らない。知らないでいてくれる通りを、湊は走った。走りながら、打てる手を数えた。数は、少なかった。


 縁石に着いて、湊は止まった。


 望が、いた。一晩分の荷物らしい紙袋を提げて、手袋の手で持ち手を握り直しながら。


 望の隣に、銀髪の男が立っていた。今朝は、街灯の真下だった。夜に届かない位置を選んだ人が、朝は届く場所に立っている。それが何を意味するのかは、分からなかった。分からないことが、また一つ増えた。


「……おはようございます」と望が言った。言った本人が、いちばん困った顔をしていた。「朝、窓の外にこの人がいて。あの車の人たちの見ていない道を、知っていると言われて。……本当に、知っていました。角を三つ、時計を見ながら曲がっただけです。走っても、いません」


 時計を見ながら、のところで、望は自分の言ったことの奇妙さに気づいたらしく、黙った。黙ってから、「僕は、ついて行くと決めて、ついて行きました」と言い足した。決めたのは自分だ、という言い足しだった。


「二台の監視には、交代の間隙が七分あります」男は言った。いつもの、平坦に戻った声だった。「読み終えている手順の隙間を、通っただけです。嘘も、細工もありません」


 湊は、望と男の間に目を往復させた。往復させながら、体は勝手に、二人の間に入れる角度を探していた。探して、入れないでいた。昨夜、この男から逃がした人が、今朝、この男に連れられて、無事にここにいる。頭の中の書式が、音を立てて崩れて、崩れた場所に、新しい行がまだ書けなかった。


「なんで」と湊は言った。「あんた、昨夜、読むって言った側だろ」


「保留にしました」


 男は、その言葉を、書類の項目を読み上げるように言った。


「検証の終わっていない対象を消化するのは、解析として、不正確です。昨夜、僕の読みが一度、外れました。外れた読みのまま続けるのは、二重に不正確です。——それから、あの人たちに先に確保されると、僕はもう読めません。読めなくなる形で減るのは、僕の損です」


 損、と言うとき、男は自分の右手を、一瞬だけ見た。昨夜、一度止まった手だった。見たのは本当に一瞬で、続きの言葉は、もう平坦だった。


「……それ、助けた、って言わないのか」


「言いません。事実と一致しないので」男は少し考えた。「ただ、結果の欄だけを見るなら、あなたの言い方でも、数字は合います」


 望が、紙袋を提げたまま、男と湊を交互に見ていた。見ていた目が、途中から男の方に長く留まった。読む側の人間を、読まれる側から観察する目だった。男は、その視線に気づいていて、気づいたまま、何もしなかった。


---


 舗道の先から、足音が一つ、近づいてきた。


 慧だった。走ってきたらしく、息が上がっていた。息を整える間、誰にも挨拶をしなかった。整い終えてから、順番に全員へ会釈して、最後に男を見た。鞄から紙を一枚出す。折り目が一つもない、鞄の中で板に挟んで運ばれてきた紙だった。出すまでの動作に、迷いがなかった。昨夜のうちに、迷いは終わらせてきた人の動作だった。


「あなたに、渡すものがあります」


 慧は、紙を男に差し出した。


「観測には、条件があります。わたしがあなたを、です」


 湊は、雪と顔を見合わせた。雪は小さく首を振った。分からない、の首の振り方だった。宙と透は、来る途中らしい。この場の分からなさを、あとで三人に説明できる気がしなかった。


「あんたたち……知り合いなのか」


「四ヶ月、同じ宿で寝起きしています」と慧は言った。事実だけの、返事だった。湊は口を開けて、閉じた。聞きたいことが多すぎると、人はいったん黙るしかない。


 男は、紙を受け取って、立ったまま読んだ。四つの項目を、目が四回、往復した。読み飛ばす読み方ではなかった。一項目ずつ、条文を秤に載せる読み方だった。


 照会の禁止。訪問対象への接触の、事前開示。記録の閲覧は、慧の同意を毎回。そして——保留の期限。


 読んでいる間、誰も喋らなかった。通りの向こうで、配送ロボットが一台、いつもの速さで通り過ぎた。世界の側は、今朝も普通の速さで動いている。動いている世界の隅で、紙一枚が読まれるのを、五人で待った。


「一箇所、直します」


 男は胸元から細いペンを出した。紙を、縁石の上で平らにして、期限の欄に線を引いた。


「期限を日付で書くと、日付が来たら再開してよいことになります。それは、あなたの意図と一致しません。僕の論理とも一致しません」


 線の上に、男は書いた。湊の位置からも、字が読めた。


 【再検証が成立するまで】


「再開の条件は、期限ではなく、検証です。僕が決めます。あなたも、決めていい。同じ条件です」


 そして男は、紙のいちばん下の、空いた欄にペン先を置いた。置いて、一拍、止めた。止めたのは、迷いには見えなかった。順番を確かめる人の止め方だった。


 書いた。


 三文字だった。


 九条零。


 慧が、その三文字を、長く見た。読み終えるだけなら一秒の字を、ずっと見ていた。四ヶ月、清川さん、と呼んできた人の、たぶん本当の名前を。


 偽名で来た人が、名前を置いていく。置かれた名前は、紙の上で、条件の一部になっていた。名乗りというより、担保に見えた。見えたことは、あとで自分の記録に書こうと湊は思った。慧の頁には、慧の見え方が書かれるのだろう。同じ三文字でも。


「……受け取ります」と慧は言った。声は、事務の声だった。事務の声しか、出せない朝もある。


「はい」と零は言った。「観測を、続けてください。条件の内側で。——わたしの都合は、以後、この紙の外に出しません」


 進行表の言い方だった。それだけ言って、男——九条零は、朝の通りを、順序正しく歩き去った。


 二台の車のある方角ではない方へ。誰の家のある方角でもない方へ。


---


 入れ違いに走り込んできた宙が、「車、いなくなった!」と叫んだ。すぐ後ろから透も来て、来るなり端末を出して、居る人間を順に数えた。数え終えて、望のところで手を止めて、「あんた、なんで居んの」と言った。もっともな質問だった。もっともな質問への説明は、長くなるので後回しになった。


「交代の車が来て、中の一人が家の方まで歩いて見に行って、戻ってから無線で言ってた。『対象不在。所在不明』って。で、そのまま二台とも出てった」


 不在は、本当だった。望は、もうあの家にいない。回収の手順は、手順どおりに確かめて、手順どおりに空振りして、手順どおりに引き上げた。あの男のやったことは、七分の隙間に、人を一人通しただけだ。それだけで、二台ぶんの手順が、まるごと空を掴んだ。どこまで計算だったのかは、誰にも分からなかった。


 分からないまま、望は今日から数日、雪の家の側の、誰の名前も出ない部屋に移ることが決まった。決めたのは主に雪で、雪は例によって、決めた理由を言わなかった。言わないかわりに、部屋の鍵の受け渡しの段取りだけが、昼までに三手先まで組まれていた。望は「図書館には、休みの連絡をします」と言い、言ってから、「病気では、ないのですが」と手袋の指を組み直した。嘘の下手な人の、正直な困り方だった。


 解散の前に、慧が言った。


「皆さんに、話すことが多くあります。ただ、順番に話すので、少し時間をください。わたしの記録は、順番を飛ばすと、嘘になるので」


 署名の入った紙は、板に挟み直されて、慧の鞄の中へ戻っていた。戻すとき、慧は紙の角を一度だけ指で揃えた。それから鞄の口を閉め、閉めた鞄を、体の前に抱え直した。背中ではなく、前に。


「分かった」と湊は言った。「……あんたの頁で、いいよ。あんたのペースで」


 慧は、湊を見た。それから、ありがとうございます、と言った。事務の声ではなかった。


 頁、と自分で言って、ふと、あの男の言う「欄」と似た言い方だと思った。似ていて、違う。どこが違うかは、まだうまく言えない。言えないことを、今日は言えないままにした。


---


 夜、湊は記録を開いた。


 行は、こうなっていた。


 【俺から人を減らす。方法=一人ずつ、欲しいものと引き換えに(書式がある)。理由(仮)=力を借りる条件と、関係を切るため】


 その下に、今日の行を足した。


 【読む側の男=保留。条件つき。再検証が成立するまで】


 書いてから、考えて、もう一行だけ足した。


 【傘。預かってる。返し方は、まだ】


 三行を読み返して、記録を閉じた。窓の外の空は、昨夜と同じに見えて、空の端だけ、少しだけ明るい気がした。月が戻り始めているのか、街の灯りか、目の錯覚か。確かめずに、カーテンを閉めた。


---


【観察記録 ——続き】


署名のある文書を、控えごと保管しました。読む人の一覧に、変更はありません。


今日から、わたしの旅の目的の欄を書き直します。訪ねて、聞いて、書く。それは変わりません。変わるのは、その先です。父の残した記録を、わたしは読む側として、読み直しに行きます。


どう読み直すのか、手順の欄は、まだ白いままです。白い欄から始める仕事は、初めてです。埋まるまでにかかった時間も、頁に書きます。


今日の頁は、以上です。


(ep042 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ