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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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新月

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 新月の夜は、思っていたより暗かった。


 街灯のある通りは変わらない。変わるのは、通りと通りの間だ。建物の影が、影ではなくて、切り抜きみたいに黒い。閉まった店のシャッターの前で、案内灯だけが等間隔に点いていて、点いている場所と点いていない場所の差が、昼間より露骨だった。


 図書館の裏手の、道の見える側の待ち合わせ場所で、湊は何度も同じ二つの角を見た。雪が地図で押さえた角だ。どちらの角にも、まだ誰もいない。誰もいない、を三回確かめて、三回とも、確かめ終わった端から不安になった。見える場所を選んだのは自分たちで、見える場所は、向こうからも見える。


 望の勤務が終わるのが八時。送りの手順は、昼のうちに決めてあった。宙が通りの先で声の係——「実況は得意分野」と言い、実況じゃない、と三人がかりで直した。雪が望の隣。透は反対側の道で、いつでも消えられる位置。「消えたら、おれのことは端末に聞け」と透は言った。湊は、いちばん見通しのいいここに立つ。立つ、が役目だと決めたとき、透が「柱かよ」と言い、柱でいい、と思った。柱は、倒れなければ仕事になる。


 八時五分に、望が裏口から出てきた。雪が並んだ。並び方が、護衛ではなく、帰り道が同じ人の並び方になっていた。そういうところが、雪はうまい。


 最初の角を曲がったところで、宙の声が耳元の端末に届いた。


「湊、通りの先。車、三台。……停まった。等間隔」


 見えた。百メートルほど先の路肩に、同じ形の車が三台、等間隔で停まっていた。降りてきた人影が、荷室から順に何かを下ろし始める。下ろす順番に、迷いがなかった。手順のある下ろし方だった。設営、という言葉が浮かんで、浮かんだ言葉の冷たさが胃に落ちた。


「道、変える」と湊は言った。「二本目の角。雪、聞こえてるか」


 返事の代わりに、前方で雪と望の進路が静かに変わった。


 変えた先の、二本目の角に。


 人が、立っていた。


 街灯と街灯の、ちょうど届かない位置だった。届かない位置を選んで立てる人間は、届く範囲を全部知っている人間だ。


 先に着いて、動かずに、こちらの出入口を見ている立ち方で。


 銀色の髪が、街灯の端の明かりで白く見えた。あの夜の男だった。零号の夜、一度だけ間近で見た。忘れ方が分からないまま持っていた顔が、暗がりの中で、記憶と同じ角度でこちらを向いた。


 男は、手ぶらだった。鞄も、道具も、何もない。何も持っていない両手が、暗がりの中で妙に整って見えた。


「——こんばんは」と男は言った。「相沢湊さん」


 名前を呼ばれた瞬間、心臓がひとつ、大きく打った。打った音が相手に聞こえる気がして、聞こえるわけがない、と思い直す間に、足は勝手に前へ出ていた。


---


 雪が望を背に回すのが、視界の端に見えた。湊は二人と男の間に、体を入れた。入れながら、距離を測った。五歩。遠いのか近いのかも分からない距離だった。靴の中で、足の指が地面を掴もうとしていた。掴めるものは、靴下しかなかった。


「檜山望さんに、用があります」男の声は、丁寧で、平坦だった。「検証が一件、残っています。長くはかかりません」


「断る」


「あなたに断る権利があるかどうかを、先に検証しましょうか」


 男は一歩、踏み出した。踏み出しながら、通りの先の車列に、一度だけ目をやった。


「時間が、ありません。あちらは今夜、あの人を確保しに来ています。僕より雑な方法で」


「……あんたと、あいつらは、別なのか」


「別です」男は言った。「あちらは減らす側。僕は、読む側です」


「減らす側」湊は、その言葉を掴んだ。「なんで減らす。あんたなら知ってるのか」


「知りません。僕は部外者です」男は少し首を傾けた。「ただ、観測はしています。僕の観測では、こう読めます。——あなたの力は、触れて、話して、承諾されて、初めて写る。だから、触れる前に離す。話す前に切る。それが一つ。もう一つは、形式です。まとめて確保すれば、音が出る。抵抗も、目撃も、損耗も出る。一人ずつ、本人が選んだ形にすれば、音がしない。……そう読めます、というだけの話です。読み違えているかもしれません。検証していないので」


 検証していないので、と言うときだけ、男の声にわずかな不満の色があった。


 力を借りる条件を、潰す。関係を、切る。ばらばらに持っていたものが、他人の声で一本に繋がっていく。繋がりながら、湊は思った。この男は、頼んでもいないのに、本当のことしか言っていない気がする。気がすることが、いちばん薄気味悪かった。


「余談でした」男は言った。「では——解は出た。あなたを先に読みます。その方が速い」


 速かった。踏み込みの音が三つ、続けて鳴った。三つとも普通の靴音で、普通の靴音のまま、三つ目で肩の距離に入られていた。速さより、迷いのなさだった。右手が来た。避けたつもりの首筋の横、こめかみに、指が触れた。


 瞬間。


 落ちる、と思った。足の裏はある。地面もある。あるのに、耳の奥の圧が変わって、舌の根が痺れて、体のどこかの水位が一気に下がった。どこへとも知れず落ちて、落ちた先で、何かとすれ違った。


 言葉ではなかった。音でも、絵でもなかった。ただ、分類が、分かってしまった。向こうに載っているものと、こちらに載っているものが、同じ棚の、同じ高さにある。それが、確認とか推理とかを全部飛ばして、体温みたいに分かった。


 そして、逆向きに、一片だけ流れ込んできた。


 傘。誰かに傾けた傘。自分の肩が濡れていく感触。冷たさと、冷たさを構わないと決めている、誰かの——


 そこで、切れた。前もない。後もない。顔も、名前も、声もない。一片だけが、選べないまま、手の中に残った。コピーのときの流れ込みとは違った。あれは水で、これは、破片だった。


 指が、離れた。


 男が、二歩、下がっていた。自分の右手を、見ていた。


「——マスターAI」男は言った。声から、平坦さが一段剥がれていた。「成熟個体。僕のほかに、もう一つ。……読めない。読めない側から、来た」


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「宙!」


 湊は叫んだ。叫びと同時に、通りの反対側で透の姿が掻き消え、車列の側で短い混乱が起きた。いない、いま居たはずだ、という声の断片。設営の手が二人ぶん、そちらへ割かれる。雪と望が走り出す。宙の声が、角から角へ、二人の道を回していく。「次、右。街灯二本目。……そのまま。いい、通れる」。数字と方向だけの、いつになく正確な宙だった。物語の言葉が全部抜け落ちるくらいには、宙も必死だった。


 男は、追わなかった。追う体勢のまま、湊を見ていた。走る足音が遠ざかり、車列の側の声が別の方角へ流れていくのを、二人とも、動かないまま聞いていた。


「あなたはいま、僕のものを一つ、持っています」


 声は、平坦さを取り戻しかけていた。取り戻しかけて、戻りきっていなかった。


「見たでしょう。それが何か、言えますか。言えば、僕は動揺する。動揺すれば、追う手が鈍る。あなたの側の、最適の一手です。——どうぞ」


 傘。濡れる肩。構わない、と決めている誰か。


 喉まで、来ていた。


 言えば、この男の言うとおりになる。俺は、この男の中のいちばん柔らかい場所を、いま、たまたま持っている。使えば効く。効くと、向こうが保証している。


 湊は、口を開いた。


「これは、あんたが自分で言うことだ」


 男が、止まった。


「俺のじゃない。あんたのだ。だから使わない。……返し方が分かったら、返す」


 沈黙が、一拍あった。通りの遠くで、車列の扉の閉まる音だけがした。


 男の右手が、上がりかけた。追うためか、読み直すためか、分からない。上がりかけて——


 止まった。一度だけ、確かに、止まった。


 止まった手を、男は見なかった。


 通りの先で、車列のライトが動き始めた。男は湊から目を離さないまま、暗がりの方へ一歩引いて、切り抜きみたいな黒の中に、順序正しく消えた。


---


 家に着いたのは、日付の変わる少し前だった。


 望は雪の家の側の、灯りの多い道で別れた。今夜の宿は宙の家が近い。決めてあった手順のとおりに、全部が流れて、途中の公園で透が合流し、「まいたと思う。たぶん」と言った。たぶん、を誰も責めなかった。断定しない言い方の方が、今夜は信用できた。


 端末に、短い文が順に届いた。【着いた】【全員ぶん確認】【明日の朝、また決めよう】。三通目は雪だった。雪が自分から文を打つのを、湊は初めて見た。


 流れ終わってから、湊の膝は一度だけ笑った。笑った膝を、階段の手すりで支えた。台所で麦茶を注ぎ、注いだ半分をこぼしそうになり、両手で持って飲んだ。


 部屋で、記録を開いた。開く前に、手を一度、洗った。洗う必要は、たぶんなかった。こめかみに触れられた側ではなく、触れられてもいない自分の右手を、長く洗った。洗いながら、傘、と思い、思ったところで蛇口を閉めた。


 三度書いて、半分埋めた、あの行の続きだった。


 【理由(仮)=力を借りる条件と、関係を切るため。※読む側の男の観測。裏は取れていない】


 仮、の字を消さずに書けたことが、今夜の自分の、たぶん一番まともな仕事だった。


 書き終えて、明かりを消した。窓の外に、月はなかった。ないことを、カーテンを少し開けて、確かめてから、寝た。確かめる必要はなかった。必要のないことをする夜が、またひとつ増えた。


---


【観察記録 ——続き】


深夜です。今日の頁を、閉じずに待っていました。同行者が、戻りました。


靴音でわかりました。部屋には入らず、荷物だけが動く音がして、静かになりました。声は、かけていません。かけない理由の欄は、明日のわたしが埋めるかもしれません。


今日の頁は、閉じます。


(ep041 了)


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