表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/74

途絶

---


【観察記録 ——相良慧】


火曜。同行者の外出が、長くなっています。


朝に出て、夜に戻る日が三日続きました。行き先は聞いていません。聞けば拒否の記録が増えるだけなので、外出の時刻だけを書いています。荷物が、少し減った気がします。気がする、は記録には弱い言葉ですが、数えていなかったものは、気がする、としか書けません。今日から数えます。


---


 火曜の朝の定点観測は、二十分で終わった。


 小火の項目に、新しい引っかかりはなかった。三つの点は三つのまま、地図の上で黙っていた。バス会社からは昼前に返答が来た。改称の一覧は保存期限を過ぎており、直近五年分しか提供できない、という丁寧な文面だった。五年分だけでも、と返信して、その件は棚に置いた。


 昼過ぎに、早瀬のニュースレターの今週号が届いた。配信日は毎週火曜と決まっている。今週号は、区の予算の検証の続きもので、数字の出典が全部、文末に並んでいた。並べ方に癖があって、癖ごと読み慣れている。読み終えて、いつもどおり、感想は送らなかった。感想は検証の敵、はあの人の側の言い分だが、こちらにも移っている。


 午後、手順書の三頁目を直し終えて、早瀬に送った。【直した。三頁目、他にもあったら言って】。


 夕方まで、既読がつかなかった。


 珍しい、とは思った。あの人の既読は遅れてつくが、日をまたいだことはない。機材の準備で忙しいのだろう、と京香は自分に説明をつけた。つけた説明は、その場ではよく効いた。


 夜の九時に、電話をかけた。かける前に、時計を見て、九時なら早すぎも遅すぎもしない、と確かめる自分がいた。確かめる必要のある相手ではない。なかった、のに、確かめた。


 呼び出し音を八回数えて、留守番電話の既定の音声に切り替わった。機械の女性の声が、番号だけを読み上げる型のものだった。本人の声の応答文言を、あの人は設定していない。「文面で送れ。声は残らない」というのが持論だからだ。京香は伝言を残さず、切って、【明日、作業の前に少し寄る】とだけ文面で送った。


 それにも、既読はつかなかった。


---


 水曜の朝、京香は九時前にビルへ着いた。作業は水曜から、と言われていた。立ち会うとは言っていなかったが、寄る、とは送ってある。


 雑居ビルの前に、見慣れない車が二台停まっていた。


 一台は管理会社の社名入りで、一台は白かった。入口に管理人らしい年配の男と、制服の警察官が一人立っていて、三階へ上がる階段の口に、立入りを断る掲示が出ていた。古いエレベーターは、扉を開いたまま止められていた。開いたままの箱の中に、集配用の折り畳み容器が一つ、置きっぱなしになっていた。


 京香は名刺を出した。名刺を見た管理人が、警察官を見た。警察官が、手元の端末を見た。三人の視線の順番で、だいたいのことが分かってしまい、分かってしまった体の芯のあたりが、すっと下に落ちた。落ちたまま、口は動いた。


「早瀬さんに、何か」


 昨夜遅く、三階の廊下で倒れているのを、集配の作業員が見つけた。搬送先で死亡が確認された。転倒によるものか、内因性のものか、現在調査中——警察官の説明は、事務的で、正確で、それ以上ではなかった。事件性については、現時点で判断していない、と言った。していない、は、していない、であって、ない、ではなかった。京香はその言い方を、そのまま頭に入れた。入れた場所は、たぶんノートと同じ仕組みの場所で、そこに入れている間は、揺れずに済んだ。


 昨夜、と警察官は言った。九時に電話をかけた。八回、鳴った。八回の間、廊下に居たのか、もう居たのか。考えの入り口が開きかけて、京香はそれを、手で押すように閉めた。今は、事務の時間だ。


 質問が、こちらに来た。故人との関係。最後に会った日時。昨夜の連絡の有無。京香は全部、手帳を見ずに答えられた。答えながら、自分がいま記者の口調で喋っていることに気づいた。気づいても、他の口調が出てこなかった。


「最近、変わったご様子は」


「……いつもどおりでした」


 答えてから、いつもどおり、の中身を頭の中でめくった。土曜の告白。文面の書き足し。水曜からの作業の約束。どれを言うべきで、どれを言わずにいるのか、決める時間が要った。要ったが、警察官の次の質問が先に来て、決めないまま流れた。流れたことを、あとでノートに書こうと思った。言わなかったことも、記録のうちだ。


「仕事上の資料の貸借があります」と京香は言った。「預かり証があります。文面もあります」


 預かり証の写しを見せ、品目と返却条件を照合し、管理会社と警察官の立ち会いで、預かり物を回収した。品目は一行ずつ読み上げられ、京香は一行ずつ、あります、と答えた。受け渡しの記録は管理会社の端末に取られ、画面に指で署名した。指で書いた自分の名前は、いつもより形が崩れていた。崩れた名前のまま、確定、の表示が出た。


 三度書き直されたあの文面は、こういう朝のために書かれていたのだと、書いた本人たちは思っていなかったはずだ。手続きは三十分かかった。三十分の間、誰も、故人の話をしなかった。手続きの言葉だけが並んだ。並ぶのを、京香は記者の顔で聞いていた。他の顔は、まだ出てこなかった。


 帰り際、管理人が独り言のように言った。「三階の先生には、うちの回覧板の文面を、ずっと直してもらってたんですよ。……ああいうの、誰に頼めばいいんですかね」。誰も答えを持っていなかった。持っていないまま、管理人は掲示の位置を少し直した。


 葬儀のことを聞くと、「ご親族の方が」と言われた。それで、その話は終わりだった。親族ではない人間に、それ以上の欄はなかった。


---


 自宅の事務所に戻って、回収した包みを机に置いた。


 開ける前に、外側を見た。封の形は合っている。テープも貼られている。ただ、貼り直しの段差が、一箇所あった。元のテープの上に、わずかにずれて、新しいテープ。


 開けた。中身は、揃っていた。品目は預かり証のとおり、一つずつ机に並べて、預かり証の行と突き合わせた。欠けはない。索引も、本体も、手順書の控えもある。預かり証の裏の「読了」の字と日付も、そのままだった。字は癖のある楷書で、楷書の癖まで、見慣れていた。見慣れた字を見る時間を、京香は三秒で切り上げた。切り上げないと、検分にならない。


 ただ、束の耳が、揃っていなかった。


 あの人の棚を思い出す。高さを揃えて、耳を揃えて、揃っていないと手順が崩れる、という揃え方をする人だった。読んだ後の束を、耳を揃えずに戻す人ではない。戻せない人だ、と言ってもいい。


 誰かが、読んだ。あの人の後で。あるいは、あの人の読み方ではない読み方で。


 いつ、誰が、は分からない。管理会社の立ち入りかもしれない。警察の確認かもしれない。どちらも、あり得る。あり得る説明が二つある間は、三つ目を書かない。書かないが、写真は撮る。テープの段差を、定規を当てて一枚。束の耳を、真上から一枚。日付と時刻を添えて、ノートの小火の頁ではなく、預かり物の頁に貼った。頁を分ける手が、いつもより遅かった。


 判断は書かない。書かない欄の白さが、今日はいつもより白かった。


---


 午後、京香は手順書を三部、複製した。


 資料の複製ではない。手順書だけだ。認証情報の再検証の手順。第三者が、資料を渡された日に、自分の手でやり直せる手順。資料がなければ、手順書は何も語らない。語らないから、送れる。


 三頁目の、直したばかりの箇所で、手が一度止まった。行と、文字数まで指定してきた指摘の文面を思い出した。思い出しただけで、先へ進んだ。進む手が、複製の頁を一枚、余分に数え間違えて、数え直した。


 封筒は紙にした。宛名は手書きにした。手書きの理由は、うまく説明できない。説明できない理由でやることを、今日は一つだけ自分に許した。


 送り先は三つ決めた。同業の二人と、前に取材で世話になった研究室。二人のうち一人は、しばらく迷った。迷った理由は、腕ではなく、口の軽さの記憶だった。迷って、入れた。手順は、漏れても手順だ。漏れて困るものを送らないために、手順だけにしたのだった。


 添える文面は、三通とも同じにした。


 【資料は送りません。手順だけ送ります。いつか資料が届く日が来たら、検証できる人でいてください。届かなければ、捨ててください】


 三通目の宛名を書き終えたとき、手が止まった。


 これを送ることで、三人の名前が、どこかの一覧に載るだろうか。載るとしたら、わたしはいま、何をしているのだろうか。考えは、そこで止めた。止めたのではなく、進める先の材料がなかった。材料がないときに進めた考えは、記事なら没にする。没にして、三通、投函した。ポストの口の金属は、午後の日で温かった。


 保存から、一歩だけ出た。出た一歩の足元を、確かめる方法はまだない。


---


 夕方、手帳を開いた。


 明日の予定を書くためだった。定点観測。五年分の一覧の受け取り。それから——三つ目を書こうとして、ペンが止まった。三つ目は、なくなっていた。作業の立ち会い、と書くはずだった行だ。


 頁の端に、書きかけの行が二つあった。定食屋の新店。路地の蕎麦屋。どちらにも、丸はついていない。


 京香は、その頁をしばらく見て、何も書き足さずに、閉じた。


 湯を沸かして、コーヒーを淹れた。淹れる手順は、いつもと同じにした。同じにする、と決めて、同じにした。


 一口飲んだ。不味かった。いつもどおり不味くて、いつもどおりの不味さの途中で、手が止まって、そのまましばらく、動かなかった。窓の外で、夕方の風が、干してある誰かの洗濯物を揺らしていた。


---


【観察記録 ——続き】


水曜。同行者は、朝から居ません。


行き先の欄は空欄です。荷物は、昨日数えた数から、鞄一つ分減っています。戻る時刻の欄も、今日は書けそうにありません。書けない欄が多い日は、書ける欄を丁寧に書くことにしています。天気、晴れ。夕方から、風。


今日の頁は、以上です。


(ep040 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ