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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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四度目

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【観察記録 ——相良慧】


訪問日です。昨夜までの雨が上がって、晴れ。リストの次の方は、区立図書館にお勤めの二十二歳の男性。応答の記録が残っている方で、在宅の見込みも高い方です。


今日の訪問は、一人で行くことにしました。三ヶ月半で、初めてのことです。理由の欄は、空けておきます。空欄も記録のうちだと、この頁に前に書きました。書いたとおりに、空けたまま出発します。


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 朝、宿を出るとき、玲二は靴を履きかけていた。


「今日は、一人で伺います」


 玲二は靴べらを持ったまま、一拍、慧を見た。


「わかりました。では、わたしは資料の整理を進めておきます」


 それだけだった。理由を聞かれなかった。聞かれなかったことに、慧は安堵し、安堵した自分を、歩きながら観察の対象に入れた。入れただけで、今日の結論は出さない。


 集合住宅の応答パネルは、三十秒で返事をくれた。


「はい、檜山です」若い男の声だった。慧が名乗り、訪問の趣旨を定型のとおりに伝えると、間があって、返事が来た。「わかりました。いま図書館にいます。勤務中ですが、休憩が取れます。そちらでよければ」


 断られなかった。三ヶ月半の水準で言えば、それだけで上々の滑り出しだった。


 区立図書館は、古い建物だった。空調の音と、頁をめくる音と、返却口の機械の小さな駆動音。入口で、年配の利用者がイヤーカフのエージェントに書名を告げ、棚の番号を読み上げてもらっていた。読み上げてもらった番号を、その人はわざわざ紙の館内図で確かめ直していた。紙で確かめる工程に、たぶん意味はない。意味のない工程を残せる場所が、図書館なのだろう。


 カウンターの奥に、その人はいた。柳煤竹の灰緑色をした髪が目にかかって、手袋をしている。夏の、図書館の中で。


「檜山望です」その人は会釈した。握手の形にはならなかった。手袋の手は、カウンターの上で静かに揃えられたままだった。「奥の閲覧席が空いています。三十分なら」


 閲覧席は窓際で、長机を一つ挟んで座った。檜山さんは座る前に、机の上の忘れ物の消しゴムをつまんで、カウンターの方の籠へ置きに行った。置きに行く姿を、慧は待った。待たされた感じは、しなかった。


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 質問は、いつもの手順で進んだ。


 体調の変化はないか——「ありません。強いて言えば、夏は冷房で肩が凝ります」。妙な訪問者はないか——「あなたが今日の一人目です」。妙、は撤回します、と言うと、檜山さんは短く笑った。父の名前に覚えはないか——「ありません。ただ、相良、という姓は、利用者カードで何度か見た気がします。よくある姓ですから、意味はないと思いますが」。


 答えは全部、穏やかで、正確で、早かった。三つ目の質問の前で、慧は一瞬、間を置いた。いつもは玲二の整えた進行表があり、今日は頭の中の順で聞いている。並べ直しの間だった。


「いま、少し迷われましたね」檜山さんが言った。「質問の順番か、聞くかどうかか、どちらかで。……すみません、癖です。人の話の、言っていない部分が気になる」


 迷ったのは順番の方だった。指摘は観察の範囲で、観察の精度が高く、指摘の仕方は穏やかだった。慧はこの人の「癖」を記録の欄に書き足した。手袋のことは、聞かなかった。聞かない項目を選べるのも、一人の訪問の効用だった。


 三ヶ月の旅の水準で言えば、最上位の応対だった。最上位のまま、話が観測の依頼に進んだところで、初めて止まった。


「継続的な観測、というのは」檜山さんは言った。「僕の話が、記録に残るということですよね」


「はい。研究記録として」


「それは、どこに書かれて、誰が読みますか」


 慧は、一瞬、質問の向きを掴みそこねた。三ヶ月と半分、五十件近くを訪ねて、記録される側からこの質問をされたのは、初めてだった。断られたことは何度もある。警戒されたことも、追い返されたことも。でも、読む側の条件を先に聞かれたことは、なかった。


「……紙のノートに書きます。読み手は、わたしと——整理を手伝ってもらっている同行者が、作業の範囲で目にします」


「その方の読む範囲は、決まっていますか」


 慧は、答えるまでに一拍かかった。かかった一拍を、目の前の人は静かに待った。


「……決めて、いません」


「そうですか」檜山さんの声は、責める形をしていなかった。「保管は」


「わたしが携行しています。常に」


「公表の予定は」


「将来、研究として公表する可能性があります。その場合は名前を伏せます」


「わかりました」檜山さんは頷いた。「では、条件を文書でいただけますか。記録の範囲、保管の方法、読む人の一覧、やめたくなったときの手順。読んでから、決めます」


 断りではなかった。承諾でもなかった。条件が揃うまで決めない、というだけの、まっすぐな保留だった。慧は「用意します」と答えた。答えながら、自分の三ヶ月半の記録手順が、頭の中で一度、棚卸しされるのを感じた。わたしは、この質問に全部答えられる状態で、五十件を訪ねてきただろうか。


---


 休憩の残りで、雑談になった。


 慧は、父の話をした。父のノートの話。検証されないまま残された仮説の話。話の途中で、父がよく使った言い回しをひとつ、そのまま使った。観測されない仮説は、仮説ですらない——。


「——それは、あなたの言葉ですか」


 檜山さんが、静かに聞いた。


 慧は、止まった。


「……父の、です」


「そうですか」檜山さんは頷いた。頷いただけで、それ以上は何も足さなかった。足さないことが、どんな注釈よりも長く残った。


 辞去の間際、檜山さんは「文書、お待ちしています」と言った。それから、迷う間があって、付け足しかけた。


「相良さん。記録を取る人は、その——」


 そこで、止まった。止まってから、小さく首を振った。


「いえ。まとまっていませんでした。忘れてください」


 何を言いかけたのかは、分からない。分からない続きを、慧は帰り道の半分を使って、自分で考えることになった。


 残りの半分では、昼の自分の一拍のことを考えた。決めて、いません、と答えた声は、自分で聞いても、ただの事実の声だった。事実のままにしておいた期間が三ヶ月半ある、ということの方は、声にならなかった。


 考えを、そこで切った。切ったところから先が、たぶん実験の領分だった。


---


 宿に戻ると、玲二は資料の整理をしていた。


「おかえりなさい。いかがでしたか」


「良い方でした。再訪になります」


「それは何よりです」


 それだけの会話をして、慧は自分の机に向かった。机の上には、玲二が整えた明日の資料が、角を揃えて積んである。正確に、いつもどおりに。


 夜、玲二が湯を使いに立った時間で、慧はノートの新しい頁を開いた。


 書いたのは、三行だった。


 【実験を一件、開始する。対象=リストの写しの閲覧者。方法=写しの末尾に、実在しない一名(名前・住所・連絡先)を加えた別紙を作成し、作業机に置く。連絡先はわたしだけが確認できる新規のもの。原本には触れない】


 【この頁の存在をもって、別紙は実験刺激であり、記録の改竄ではないことを明記する】


 【終了条件=連絡先に何らかの接触があったとき、または三十日の経過】


 三行、と自分で決めて、四行になったが、直さなかった。実験計画は、これで足りる。倫理の注釈は書かない。書かない理由を書き始めると、頁が終わらないからだ。


 同意の条件を一日考えた人間が、夜には同意のない実験を仕掛けている。この並びについて、書くべきことがある気がした。気がしただけで、今夜は書けなかった。書けないものは、書けないまま、置いた。


 連絡先は、帰り道の端末売り場で作った。受信専用の使い捨て番号は、身分証をかざせば三分で発行される。発行の控えは紙でもらい、端末には残さなかった。窓口の機械が「有効期限は九十日です」と言った。九十日。実験より長い。それでいい。


 別紙は、三十分で作った。書式は写しと同じ。並びの最後に、一名。名前は、ありふれた姓と、ありふれた名の組み合わせ。住所は、実在する町の、実在しない番地。連絡先は、その受信専用のもの。誰にも教えていない。教えていない、が今夜から、この番号の唯一の機能になる。


 作り終えて、慧は別紙を、写しの束には挟まなかった。束の隣に、一枚だけ、未分類のまま重ねて置いた。作業机の、いつも資料を置く場所に。特別に目立つ位置ではない。特別に隠した位置でもない。いつもどおりの位置に、いつも出るような未整理が一枚。いつもどおり、が、この実験の条件のすべてだった。


---


 翌朝、机の上の資料は、角を揃えて積み直されていた。


「昨夜のうちに、整理しておきました」と玲二は言った。「明日の分と、来週の分を分けてあります」


「……ありがとう」


 写しの束は、来週の側にあった。隣に置いたはずの別紙は——束の中に、順番のとおりに綴じ込まれていた。


 整理された、ということだ。整理するには、手に取って、どの束の、何枚目に入るかを決める必要がある。触れて、分類した。そこまでが、確定した。並びの最後の一名に目を留めたかどうかは、確定していない。


 確定した分と、していない分を、確定の線のとおりにノートへ書いて、慧は頁を閉じた。


 閉じてから、朝食の席で、玲二はいつもどおりだった。茶の濃さも、資料の説明の速さも、椎茸を避ける箸の動きも、三ヶ月半のいつもどおりだった。いつもどおりを、慧は今朝、初めて観測項目として見た。見たことは、顔に出さなかった。出さない訓練を、わたしはこの旅で、いつの間にか積んでいる。


 三十日。長いようで、たぶん、長くない。


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【観察記録 ——続き】


追記です。今日の訪問の記録を清書しました。応対の質は最上位。再訪の条件は文書で提示予定。


一点だけ、記録の様式について。今日いただいた質問——どこに書かれて、誰が読むのか——への答えを、この観察記録の冒頭に一枚、足すことにしました。書く人間の条件を先に書く。順番として、そちらが正しい気がします。


今日の頁は、以上です。


(ep034 了)


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