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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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観測員

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【観察記録 ——相良慧】


移動日です。二駅先の宿へ移りました。訪問先には明日から二日かけて回る予定です。


宿の主人は感じのいい人で、チェックインの間に天気の話を三往復しました。三往復目で、同行者が先に部屋へ上がりました。雑談の途中で消える人ではないので、珍しいことです。荷物が重かったのだろうと思います。思った、とだけ書いておきます。


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 朝は、記録から始まる。


 六時五十分。目が覚めたら、まず端末で自分を撮る。顔と、今日の服。日付が入る設定にしてある。それから昨日の記録を読み返す。どこで誰と何を話したか。誰に何を借りて、何を返したか。読み返すと、昨日のおれが今日のおれに引き継がれる。引き継ぎを誰もやってくれないから、自分でやる。もう四年、毎朝やっている。


 個室ブースの天井は低い。二十四時間の店の、いちばん奥の区画。店員は毎回おれを新規の客として扱うが、決済の記録は会員のおれを覚えているので、延長は問題なく通る。今朝もレジで「会員登録がお済みですね、お得なプランのご案内が」と言われた。四年会員に、新規の案内をする。機械が覚えていて、人間が忘れる。この店に限らず、世界はだいたいそうできている。


 朝の一食目は、菓子パン二つと、いちばん甘い缶のやつ。四年で身体が覚えた配分だ。食べないと、昼前に頭が薄くなる。指先は、夏でも少し冷たい。冷たいのは、もう体質ということにしてある。


 シャワーの順番待ちの間に、昨日の写真を三枚消した。容量は有限で、おれの記録は毎日増える。何を残して何を消すかを決めるのは、毎朝のいちばん重い仕事だ。今日のおれを作った昨日を、今日のおれが選別する。選別に失敗した日のことは、失敗したことごと、もう思い出せない。


 記録の本体は、この端末と、もう一台の予備にある。予備は、ミナトに預けてある。あんたはおれを覚えてるから、記録の置き場所として世界一安全だろ——と言って渡したのは、もう二ヶ月前になる。あのときのおれは、うまいこと言ったつもりだった。いまのおれは、その一文を毎朝読み返して、毎朝すこしだけ、置き場所に困っている。


 今日の予定の欄に、三日前から消せない一件が入っている。


 【一五時 ファミレス(駅前) ——会う】


 誰と、を書いていないのは、書くと決まってしまう気がしたからだ。決まってしまう、の意味は、自分でもまだ言葉になっていない。


 この三日、縁石にはいつもどおり行った。地図の更新を三件報告して、宙の三個目の技名を聞き流して、雪のゼリーの銘柄が変わったのに気づいて、気づいたことだけ言った。いつもどおりは、上手にやれた。上手にやれてしまうことが、記録には書きにくかった。


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 十五時の五分前に着いて、おれは店の中を一周ぶん、目で歩いた。出入口が二つ。カメラが三つ。客は九人。数えると、落ち着く。数は、おれを忘れない。


 相手は、先に来ていた。


 窓際の席で、書類の角を揃えている。眼鏡の、公務員みたいな男。テーブルの上には端末が一台と、紙のカードが一枚、伏せて置いてあった。


「日野透さん、ですね」男は立って、会釈した。「ご足労いただき、ありがとうございます」


 注文は、卓の端末ではなく、店のエージェントに声で言う方式だった。パンケーキと、ホットのココア。十五時の客の注文じゃないが、切らすと保たない。機械の声がおれの注文を聞き取って、正確に復唱した。復唱してもらえるのは機械からだけでいい、とたまに思う。配膳の台車が、よその席へ皿を運んでいった。


 座って三十秒で、おれはこの男に見覚えのある感じがした。二年前、一度だけ接触してきた連中がいる。おれを「観測員」として使いたがった連中。あのときの誰かではない。ないけど——書類の角を揃える手つきが、どこかで見た揃え方だった。どこの誰、とまでは言えない。言えないのに、胃の底が二年前の温度になった。


「先に、お断りしておきます」男は言った。「わたしは約九十秒で、あなたに関する記憶を失います。そのため、この面談は記録を参照しながら進めます。不快でしたら、おっしゃってください」


「……録音でも、してるんですか」


「メモです。発言の要旨を、その都度」男は端末を示した。「あなたも、記録していただいて構いません。むしろ、推奨します」


 推奨します、と来た。おれは自分の端末を出して、テーブルの端に置いた。録音の表示を、相手に見える向きで。男は頷いて、伏せてあったカードを表に返した。


 カードには、大きめの字で三行書いてあった。【日野透氏。一六歳。あなたは彼を忘れるが、彼は会話を継続している】。


 男はそれを、自分のために置いていた。


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 話は、書式の順番で進んだ。


「ご提案の内容です。あなたに、登録観測員としての契約をお願いしたい。業務は、指定された対象の観測と、報告です。対価として、住居の提供、生活費の支給、そして——」男はカードを一度見た。「あなたの記録の、恒久的な保全と参照を保証します」


「記録の、保全」


「はい。専用の保管領域を用意します。容量の制限はありません。あなたが何を残すか、選別する必要も、なくなります」


「あなたに関する資料を、専任の担当が毎朝読みます。担当は、読み終えた状態で一日を始めます。交代しても、次の担当が同じことをします」男の声は、平坦だった。「あなたを覚えている人間は、作れません。あなたを知り直し続ける制度なら、作れます。人間の記憶では、ありません。制度です」


 途中で、男の端末が小さく鳴った。男は一拍止まり、カードを見て、端末のメモを上から読んだ。読み終えるまで、四秒か五秒。それから、まったく同じ調子で続きを話した。


「——制度です。ここまでで、ご質問は」


 いま、忘れましたよね。喉まで出かかって、聞いた。


「いま、おれのこと、忘れましたよね」


「はい」男は言った。「ですので、読み直しました」


 嘘のなさが、いっそ清々しかった。清々しくて、寒かった。この人は、おれを騙しに来ていない。騙す必要が、最初からないのだ。並べているのが全部本当のことだから。


「ご家族の件も、確認しています」男はカードの裏を見た。「ご家族は現在、あなたを覚えていません。わたしどもの制度は、忘れません。忘れたうえで、覚え直します。事実として申し上げています」


 事実として。慰めの顔を一秒もしないことが、この提案のいちばん効くところだった。テーブルの下で、膝を一回、握った。冷めかけたココアを、一口飲んだ。甘さが、いつもより頼りなかった。


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「……観測って、誰をですか」


「指定された対象です」


「指定って、誰が」


「契約後に開示されます」


 開示されます、まで全部、たぶん本当なんだろう。本当のことだけで作った壁だ。誰を見張らせたいのかを、この人は言わない。言わないが、おれに務まる観測の相手なんて、限られている。認識されない観測者が役に立つ相手。近くにいても忘れられる相手。つまり——考えるのを、そこで止めた。止めたことも、あとで記録に書かないといけない。書きたくない項目が、久しぶりにできた。


「即答は求めません」男は書類を一部、こちらへ置いた。書類は薄く、条文は短く、読める言葉で書いてあった。読めなくしておく理由が、向こうにはないのだ。「ご検討ください。連絡先は末尾に。期限は、設けていません」


 期限は設けていません、が、期限付きの封筒より恐いことを、おれはたぶん今日知った。急かさないのは、待てるからだ。制度は、待てる。


 男は伝票を取り、立ち上がって、会釈した。


「本日は、ありがとうございました。——お名前を、最後にもう一度伺っても?」


「……日野透」


「日野透さん」男は復唱して、端末に打った。「良い一日を」


 立ち去る前に、男はテーブルの上のカードを回収し、几帳面に二つに折って胸ポケットに入れた。【あなたは彼を忘れるが、彼は会話を継続している】。あの一枚を、この人は今日、何枚使ったんだろう。おれの前が誰で、おれの後が誰なのか。考えて、やめた。順番待ちの列を想像するには、今日は向いていない日だった。


 出口で男は、店員に丁寧に頭を下げていた。おれのことは、もう忘れている。忘れた背中が、自動ドアの向こうに消えた。


 残った書類の一枚目に、おれは自分の端末で日付を写し込んだ。証拠の癖だ。癖のとおりに動く手を見て、少しだけ安心した。手は、まだいつもどおりのおれをやっている。


---


 夜、ブースに戻って、今日の記録を書いた。


 時刻。場所。相手の特徴。話の要旨。全部書いて、最後の欄で手が止まった。【湊たちに話したか】——この欄は、三日前に自分で作った。三日連続で、空欄のままだ。


 書類を、もう一度読んだ。書式は正確で、字は読みやすく、どこにも嘘がなさそうだった。記録の保全。専任の担当。毎朝。恒久的。


 おれの欲しかったものが、注文票みたいに並んでいる。


 端末の共有画面を開くと、宙の作った役割表がまだ残っていた。透=地図と記録。おれの欄は、四人の中でいちばん短い。短いが、おれが書いた欄ではない。誰かが、おれのことを考えて書いた欄だ。書いたやつは、書いたことを三回に一回忘れる。忘れて、三回とも初めてみたいな顔で、また書くんだろう。


 制度は、忘れない。あいつらは、忘れる。忘れて、覚え直して、また忘れる。比べる場所が、そもそも違う気がする。違う気がする、の先を、今夜のおれは考えたくなかった。


 覚え直される、と、覚えられてる、は、別のものだ。たぶん。別のものだと言い切れる根拠を、おれはまだ持っていない。持っていないから、ミナトの顔を思い浮かべた。浮かべて、そのあとの理屈が続かなかった。続かないまま、顔だけが残った。


 返信の下書きを開いた。


 【お断りします。理由は】


 理由は、の続きを三回書いて、三回消した。一回目は長すぎた。二回目は嘘だった。三回目は、本当のことすぎて、送る相手が違う気がした。四回目は書かずに、下書きを保存した。保存した下書きの数が、おれの端末にはもうひとつある。四年前の、家族宛の。


 送信しなかったものは、記録に残る。残るだけだ。


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【観察記録 ——続き】


追記です。明日の訪問の道順を、最終確認しました。


同行者が夕食のとき、「明日の方は、よく話す方だといいですね」と言いました。理由を聞くと、「記録が増えますから」とのことでした。もっともな理由です。もっともな理由は、いつも少しだけ、順番が逆に聞こえます。


今日の頁は、以上です。


(ep033 了)


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