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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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27/77

圏外

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【観察記録 ——相良慧】


雨の日の記録です。訪問を一件延期し、宿で資料の整理をしました。


同行者が傘を二本買ってきました。一本はわたしの分だそうです。置き傘というものを、わたしはこの旅で初めて持ちました。持ち物が増えるたび、旅が長くなっている実感があります。長くなること自体は、計画の失敗ですが、失敗の記録も記録です。


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 保育園は、思っていたより小さかった。


 湊の記憶の中の園庭は運動場くらい広かったのに、フェンス越しに見る実物は、教室二つ分もない。記憶の縮尺は当てにならない。当てにならないことを確かめるのも、調べもののうちだとおもう。


 土曜の午後で、園は静かだった。事前に連絡を入れてあった。卒園生で、当時の写真を探している——嘘ではない用件は、透の入れ知恵だ。公開されてるやつしか見ない、の方針は今日も生きている。頼んだのは、見せてもらえるものだけ。


 応対してくれた年配の職員は、親切だった。玄関で上履きに履き替えさせられ、来客用のスリッパは湊には小さかった。廊下の壁に、今月の製作らしい紙のあじさいが並んでいた。こういうのを俺も作ったはずだ、と思ったが、作った記憶は出てこなかった。出てこないのが今日の用件だった。


「相沢くん。うん、名簿にあるよ。ちゃんと在籍してた」職員は古い端末の画面を、こちらに向けて見せてくれた。氏名。生年月日。在籍期間。全部あった。あることを確かめに来て、あることに少しだけ拍子抜けするのは、変な気分だった。


「……写真とか、卒園アルバムって、残ってますか」


「あるよ。年度ごとに保管して——」職員は棚を繰り、手を止めた。「……ごめんなさいね。その年度だけ、無いわ」


「無い?」


「水濡れでね。何年か前の配管の工事のとき、その棚だけやられちゃって。廃棄の記録になってる」職員は本当に申し訳なさそうに、廃棄の台帳まで見せてくれた。日付と、廃棄の理由と、決裁の印。書類は隅々まで揃っていた。揃っている書類を、湊は最近、別のところでも見た気がした。区の事故のページだ。書式は隅々まで埋まっていて、肝心のものだけが、ない。


 その棚だけ。湊は棚を見た。同じ高さに、前の年度と、次の年度のアルバムが、何ともない顔で並んでいた。


 礼を言って、園を出た。門の外で待っていた雪に、そのまま伝えた。雪は自分の端末を出し、誰にも同期していない画面を開いて、湊に見せた。日付と、事実だけが並ぶ画面。いちばん下の行が、少し前に増えていた。


 【四月十六日の事故=記録では、けが人なし】


「同じ書き方でいいよ」と雪は言った。


 湊は自分の端末に書いた。【在籍=あり。アルバム=その年度だけ廃棄(水濡れ)。前後の年度=あり】。書いてから、二人の画面を並べて見た。並べて見て、何かを言おうとして、言葉が見つからなかった。見つからないので、閉じた。


 消え方が、丁寧すぎる。それだけは、名前をつけなくても分かった。


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 帰り道は、透が決めた。


 透は園の中に入らなかった。入ると、ややこしい。かわりに門の見える自販機の前で待って、通りを見ていた。


 休みの日の商店街は、そこそこの人出だった。惣菜屋の前に列があり、配送ロボットが列を避けて車道寄りを走っていく。いつもの土曜の音だった。


「なあ」歩き出して二つ目の角で、透が言った。「緑のジャンパー、二人いる。園の前と、いま後ろ。……別人。でも、同じジャンパー」


「作業着とか?」


「かも。写真撮っといた」透は画面も見ずに言った。「三つ先の角、右。人通り多い方に出る」


 雪の歩き方で行く。走らない。角では膨らまない。人の流れの密なところを選ぶ。二週間前に覚えたやり方は、もう三人の共通の型になっていた。


 型は、途中までしか効かなかった。


 人通りへ抜ける最後の路地で、前から車が来た。音がなかった。電動の静かさとも違う。タイヤが路面を擦る音まで、なかった。車は路地の出口にゆっくり滑り込み、横向きに止まって、道を塞いだ。運転席に、人がいなかった。


 振り返ると、路地の入口に人が立っていた。三人。真ん中に、背の高い女の人。編上靴で、姿勢がよかった。


「動かないでください」


 声は、静かだった。怒鳴り声より、よく通った。


 次の瞬間、湊は壁にいた。


 押された、というのとも違う。見えない手のひらを胸に当てられて、そのまま丁寧に、壁まで運ばれた。足の裏が一瞬だけ地面を離れ、背中が壁に着くときは、置かれる音すらしなかった。乱暴さはどこにもなかった。乱暴さがないことが、いちばん恐かった。押し返そうとしたら、押し返した分だけ、圧が増えた。増え方が正確だった。こちらの力を測って、少しだけ上回ってくる。


 首は動く。目も動く。声も出る。出そうとして、何を叫べばいいのか分からなかった。動いた目の端で、透が反対側の壁に、雪がもっと奥の壁に、同じように留められているのが見えた。雪は暴れていなかった。暴れても無駄だと、たぶん一秒で計算し終えた顔で、女の人だけを見ていた。


 三人、ばらばらの壁。


 そして、湊の左側——路地の奥へ戻る方向だけが、なぜか、空いていた。塞がれていない。走れば走れる隙間が、そこだけ残っている。意味は、わからなかった。


 路地の入口の二人は、動かなかった。構えてもいなかった。構える必要がない、ということだけが、その立ち方から分かった。


 女の人が、こちらへ歩いてくる。急がない足取りで、湊と、透と、雪を、順に見た。笑わなかった。値踏みでもなかった。あの目は、何かを数えている目だった。歩きながら、片方の足に重心を残している。残し方が、さっきから変わらない。何のためかは、分からなかった。


「怪我は、させません」と女の人は言った。本当に、させない声だった。「そのまま——」


 そのまま、の続きは、聞こえなかった。


 視界が、変わった。


 変わった、としか言えない。雪がいたはずの奥の壁を見て、湊は、自分がそこに何を見ようとしていたのか分からなくなった。壁は、ただの壁だった。


 透だけが、見えていた。反対側の壁で、こっちを見ている。透は分かる。顔も、名前も、そこにいることも分かる。分かるのに、さっきまで三人だったはずの、もう一人が——誰かがいたはずの場所だけが、頭の中でうまく埋まらない。


 胸の圧力が、消えた。


「走れ!」


 透の声だった。湊は空いていた左へ走った。走りながら、誰かを置いてきている気がして、それが誰なのか分からなくて、分からないことに骨まで冷えた。


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 縁石のところで、気がついたら三人いた。


 はぐれたら縁石。決めてあった集合場所に、それぞれ勝手に着いていた。どうやって着いたのか、道順の記憶が、湊には途中からない。走った息の上がり方だけが、走った距離を教えてくれる。膝に手をついて息を整えながら、湊は自分の胸を触った。押されていた場所に、跡はなかった。跡のない押され方だった。


 雪も、来た方向を振り返って、首をかしげていた。


 透が、いちばん遅かった。


 角を曲がって現れた透は、白い顔をしていて、二歩目でしゃがみ込んだ。鼻血が出ていた。


「透くん!」


「……はら、へった」透は片手で鼻を押さえたまま、笑おうとして、失敗した。「なんか、やった。おれ。あのとき——ミナトと雪、両方見えて、やばい、って思って。そしたら、なんか——広がった」


 広がった。それ以上の説明を、透は持っていなかった。持っていないことが、いちばん怖い説明だった。雪が黙って鞄からゼリーを出し、封を切って渡した。透は両手で受け取って、飲んだ。飲みながら、手が震えていた。


「……おれ、おまえらのこと、わかんなくなってた。一瞬」透は言った。「自分でやっといて、自分で、誰だっけって。……最悪だろ、それ」


「わたしも」と雪が言った。「透も、あなたも、いなくなってた。……道も」


「俺は、透くんだけ見えてた」湊は言った。「雪のことが、わかんなくなってた。……ごめん」


 謝ることではない気がしたが、他の言い方が見つからなかった。透は鼻を押さえたまま、湊のことを少し長く見た。それから「どうせ——」と言いかけて、やめた。やめたことに、誰も触れなかった。ゼリーの二本目を、雪が黙って差し出した。自分の分だったはずのやつだ。透は文句を言いながら受け取って、全部飲んだ。


 解散する前に、三人で決めたことは一つだけだった。しばらく、調べものは止める。止めている間、何もしないのは嫌だから、透は地図の更新だけ続ける。散歩の範囲で。


 雪は、最後まで頷かなかった。頷く代わりに「……再開の日、決めて」と言った。透が「十日」と言い、雪が「五日」と言い、間を取って一週間になった。それだけ決めて、別れた。


 誰も、大丈夫とは言わなかった。大丈夫ではなかったからだ。


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 家に帰ると、母さんは夕食を一品多く作っていた。何かあった、とは聞かれなかった。おかわりは、とだけ聞かれた。二杯食べた。食べながら、この食卓のことも数えられているんだろうか、と思い、思ったことを飲み込んだ。飲み込み方が、少し雪に似てきた気がした。


 夜、湊は自分の部屋で、今日の分を書いた。


 【保育園=在籍あり。アルバム=その年度だけ廃棄】


 【緑のジャンパー二人。無人の車。編上靴の女の人。三人ばらばらの壁。俺の左だけ、空いてた】


 最後の一行を書いてから、しばらく見た。捕まえられたはずだった。あの人たちは、たぶん、俺たちの誰も捕まえなかった。逃げられた、と言うには、逃げ道は最初からそこに空いていた。


 意味は、わからない。わからないまま、書いておく。雪のやり方だ。


 書き終えて、宙からの未読が三件たまっているのに気づいた。【イベントの気配がする】【違ったらいい】【違わなかったら呼べ】。三件目だけ、飾りのない文だった。返信は、明日にした。何をどう書くか、まだ決められなかった。


 画面を閉じる前に、湊はあの目を思い出した。


 あの人は、俺たちを見て、笑わなかった。数えてた。


 何を数えていたのかは、まだ、わからない。


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【観察記録 ——続き】


追記です。雨は夜にやみました。


延期した一件を、明日の朝に回しました。同行者は明日の経路をもう組み終えて、湯を沸かしています。置き傘は、玄関の傘立ての右端に立ててあります。使わなかった日の傘は、荷物の中でいちばん静かな道具です。


今日の頁は、以上です。


(ep027 了)


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