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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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順番

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【観察記録 ——相良慧】


私事の例外、三度目です。回数を数えている理由は、前に書きました。


同行者は近頃、旅程の相談に積極的です。次はどこを訪ねるのか、その次はどうするのか。以前はわたしが決めた順番を黙って支度する人でしたから、これは変化です。


説明はつきます。三ヶ月も歩けば、調査は他人事ではなくなる。彼はわたしの仮説を読んだ上で、同行を申し出てくれた人です。つまり、この旅の二人目の当事者です。熱意が育つのは、自然なことだと思います。


自然なことだと思う、と書いて、今日の頁を始めます。


---


 市街を離れる電車の中で、慧は紙のノートを膝に広げていた。


 向かいの席で、玲二は端末で何かを調べている。網棚の機材は、彼の手で角を揃えて積まれ、揺れても崩れない。車窓を挟んだ広告面では、認証マークつきの保険の映像が、乗客の年齢層に合わせて中身を替えながら流れていた。慧の紙のノートを、隣の席の子どもが物珍しそうに覗き込み、母親に袖を引かれて前を向いた。紙は、この車内でわたしの手元にしかない。


 次の町に着いた朝、慧は宿の机にリストの写しを広げた。


 次の名前まで、二つの選択肢があった。番号順なら北へ二駅の集合住宅。地図順なら南へ一駅の古い商店街。父のノートの順番は北が先で、慧は三ヶ月、番号順を守ってきた。順番に意味があるのか無いのかが分からない以上、順番そのものを崩さないのが検証の作法だからだ。


「北の方ですが」玲二が朝の茶を置きながら言った。「その方は、転居されたようです」


「転居?」


「集合住宅の管理会社の公開情報に、該当の部屋の入居者募集が出ています。先月付です」


 慧は端末を借りて確かめた。確かに、募集が出ていた。部屋番号も一致する。確認できるのは、そこまでだ。空室の理由は募集情報には書かれない。転居かもしれないし、そうでないかもしれない。


「……確認できたのは、募集が出ていること、までですね。転居は、あなたの推測」


「はい。推測です」玲二は素直に認めた。「ただ、在宅の見込みが立たない訪問先を先にする理由も、ありません」


「……では、南を先にして、北は在否を確かめてからですね」


「それが合理的です」


 玲二は頷いて、地図に薄い鉛筆の線を引き直した。最短の経路。途中に一本だけ、例の理由のわからない曲がり。癖です、と言われて以来、慧はもう聞かない。


 出立の前に、慧は荷物の奥のもう一冊——研究とは無関係の別頁のノートを開いて、短く書いた。


 【五月二十一日。訪問順の変更(一)。北→南。確認済み: 該当室の入居者募集の掲載。転居は推測(提案者: 清川さん)】


 解釈は書かない。事実と日付と、誰が言い出したか。それだけを書く欄に、それだけを書いた。書き終えて、この欄をわたしはいつから「誰が言い出したか」まで書くようになったのだったか、と考えて、頁を戻して確かめるのはやめた。


---


 南の商店街の対象者は、在宅だった。


 玄関より奥に入れたわけではない。応答パネルは新しい型で、慧の顔と来訪時刻を几帳面に記録しながら、三度、留守の定型文を返した。留守ではないことは、二階の窓の換気扇で分かっていた。パネル越しの拒否は、この旅ではただの挨拶だ。四度目に、買い物へ出てきたところへ行き合って、店先の日陰で十分だけ話せた。三ヶ月の旅の水準で言えば、上出来の部類だった。


「怪しい者ではありません——という言い方が、一番怪しいんですよね」と先に言うと、対象者は少し笑った。先に言う、はこの三ヶ月で身につけた数少ない技術だった。


 質問は、いつもの手順で進んだ。体調の変化はないか。妙な訪問者はないか。父の名前に覚えはないか。答えは、いつもの並びだった。ない、ない、ない。リストの人々はたいてい何も知らず、何も起きておらず、慧の調査は「何も起きていないことの記録」を一件ずつ積む作業になる。それでいい。起きていない、が確かめられた場所は、地図の上で白くなる。


 辞去の間際だった。


「あの」対象者が、ふと思い出した顔で言った。「あなた、この間の人と、同じところの方?」


 慧の手が、鞄の上で止まった。


「……この間、と言いますと」


「二、三週間前かね。あなたと同じようなこと聞いてった人がいたよ。体調がどうとか、変わったことないかとか」対象者は日陰の外の暑さを見ながら、他人事の調子で言った。「感じのいい人だったよ。静かな人でね。ああいう調査って、手分けしてやるもんなんでしょ」


「その方は、名乗りましたか」


「名刺もらった気がするけど……どこやったかね。区の、何とかって」


「お一人でしたか。年格好は」


「一人。歳は……どうだったかね。感じがよかったこと以外、あんまり」対象者は首を捻った。「顔も、思い出せないねえ。歳を取ると駄目だ」


 それ以上は、出てこなかった。感じがよくて、静かで、顔を思い出せない。人の記憶は上書きに弱く、数週間前の来訪者の顔を覚えていないのは、老いではなく普通だ。普通だと、頭の中の欄に書いた。慧は礼を言い、定型の連絡先を渡し、商店街を出た。


 歩きながら、考えを並べた。第一の可能性、区や都の実務調査(高齢者の見守り・防災の類)。定期のものなら時期は選ばない。第二の可能性、同業の研究者。「創発する他者」は学界を追われた論文だが、読んだ人間が全員忘れたわけではない。似た関心で、似た名簿に辿り着いた誰か。第三の可能性は——第三の可能性を、慧は具体化できなかった。材料がない。材料がないものは、棚がない。


 商店街の外れで、慧は区の代表窓口に問い合わせをかけた。ここ数週間で、この地区への訪問調査を実施したか。応対のAIは丁寧で、「個別の調査の実施状況については、回答しておりません」と三通りの言い回しで三度言った。三度目の言い回しが一度目と同じ内容であることを確かめてから、慧は礼を言って切った。確認は失敗。失敗も記録のうちだ。


 同業の研究者だろうか、というのが、一番座りのいい仮説だった。座りのいい仮説はたいてい、座りがいいというだけの理由で選ばれる。分かっていて、慧は今日のところ、それを選んだ。


---


 夕方の宿で、慧は研究ノートを清書した。


 南の対象者: 異常なし。妙な訪問者: あり(二、三週間前・調査様の質問・名乗り不詳)。この一行を書くのに、慧はいつもの倍の時間をかけた。「妙な」に該当するのかどうか、判定に迷ったからだ。区の調査なら妙ではない。同業なら、妙ではないが、記録には値する。判定を保留して、事実だけを書いた。


「清川さん。二、三週間ほど前に、この地区で、リストの方を訪ねた調査があったようです」


 夕食の総菜を並べていた玲二の手が、止まらなかった。止まらなかったことを、慧は見ていた。


「行政の定期調査かもしれません」玲二は皿を置きながら言った。


「そうですね。それが一番、座りがいい」


「座り、ですか」


「仮説の話です」


 玲二は少しだけ首を傾げて、それ以上は聞かなかった。聞かないことを、この人は本当に上手にやる。


 食後、玲二は明日の行程の話をした。北の対象者の在否の確かめ方。その次の名前への経路。乗り換えの少ない案と、宿の取りやすい案。相談は具体的で、有能で、わたしの調査は確かに効率的になっている。三ヶ月前より、ずっと。


「次の次ですが」玲二が地図の一点を指した。「番号順ですと川向こうの方です。ただ、こちらの方が近い。橋の工事で、川向こうは今、大回りになります」


 工事の情報は、本当だった。慧はその場で確かめた。本当の情報しか、この人は出さない。


「……では、近い方を先に」


「はい」


 資料を読み込んでいる間、隣の席からは切符の手配の電子音と、湯を注ぐ音がしていた。旅の、ただの夜の音だった。


 夜、慧は別頁のノートを開いた。


 別頁は、まだ薄い。書き始めてから八日で、項目は片手に足りる。研究ノートの分厚さに比べれば、これはノートですらない。ノートですらないものを、わたしは鞄のいちばん奥に、研究ノートより深くしまっている。


 【五月二十一日。訪問順の変更(二)。川向こう→手前。理由: 橋の工事(公開情報・確認済み)。提案者: 清川さん】


 書いてから、頁を一枚戻した。五月十三日の焦げた匂い。今朝の空室。夕方の、二、三週間前の訪問者。今夜の、橋の工事。どの一件も、単体では何でもない。空室はできる。工事はある。行政は調査する。上着は焦げる。全部、本当のことだ。本当のことばかりが、都合よく同じ方向に並ぶことも、確率的には、ある。


 あるのだ。あるからこそ、記録は判断を保留できる。保留の作法は父のノートに教わった。検証不能な仮説を書き並べることを、不安と呼ぶ——だからわたしは、仮説を書かない。


 書かない代わりに、慧はその夜、別頁のいちばん下に、記録の書式ではない一行を書いた。誰に宛てたのでもない。読み返す予定もない。ただ、書かないと頁が閉じられなかった。


 【偶然は、三度までにしてください】


 書いてから、インクが乾くのを待って、ノートを閉じた。隣室から、器具を整える静かな音がしていた。良い旅の連れの、いつもの夜の音だった。


---


【観察記録 ——続き】


例外の追記です。


同行者の熱意について、今日も助けられました。空室の募集情報の確認、工事の情報、行程の組み直し。どれも正確で、どれも本当のことでした。


本当のことしか言わない人と旅をしていると、たまに、奇妙な安心があります。この人の言葉は全部、あとから検証できる。検証できる言葉だけで暮らすのは、科学者の理想のような生活です。


理想のような、と書いて、今日はここまでにします。


(ep022 了)


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