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AIが全部の正解を先に出す2049年、わかり合った相手の超能力が写る。記憶も痛みも一緒にー人間未解ー  作者: 猫間じん


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埋め立て

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【観察記録 ——相良慧】


信じる、の反対語は疑うではない——という一文を、昔どこかで読みました。


出典を思い出せません。父のノートだった気もしますし、学生時代の講義だった気もします。反対語が何だと書いてあったのかも、思い出せません。断片だけが残っていて、続きがない。


こういう欠けた引用は、研究記録には書かないことにしています。今日は例外です。理由は、自分でも分かりません。


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「事実確認をさせてください。掲載の可否を決めるのは、そちらの編集判断です。まず、映像を見ていただけますか」


 三社目だった。


 一社目は、面会の日程が三度流れた。三度目の延期の連絡は、担当者ではなく総務名義のメールで来た。二社目は、会えた。会えた編集者は映像を最後まで見て、いい映像ですね、と言い、うちでは難しい、と言った。


「難しい理由を、伺っても」


「……上と相談する、とだけ」


 上と相談する、は、この業界では相談しないという意味だ。京香は八年この言い回しを聞いてきた。自分が言う側に回ったことも、ある。理由は言わなかった。言わない理由が理由だった。


 三社目のネットメディアの編集長は、もっと率直だった。


「汐見さん。悪いけど、率直に言うよ。映像の真贋は疑ってない。認証付きだしね。問題は映像じゃなくて——あなた、今、検索した?」


「毎朝しています。仕事なので」


「なら、話が早い」


 編集長は自分の端末をこちらへ向けた。検索窓に、汐見京香、と入っている。上位の並びは、この一週間で毎朝すこしずつ入れ替わってきた、あの並びだった。


 【汐見京香 誤報】【汐見京香 捏造疑惑まとめ】【あの記者を信じていいのか——過去記事を検証する】


「八年前の訂正記事だよね、これの元ネタ。俺も当時読んだ。誤植の訂正だ。捏造なんかじゃない」編集長は画面を伏せた。「でも、読者はここから読む。あなたの映像を載せるってことは、この検索結果ごと載せるってことなんだ。……ごめん。今のうちは、背負えない」


 京香は礼を言って、辞去した。怒りは、外に出さなかった。出す先が、この人ではないからだ。


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 帰りの道を一本間違えて、耳元でエージェントが『二つ前の角です』と言った。


「知ってる」


『三日連続、同じ角です』


「知ってる」


 事務所に戻り、京香は取材の手順で、自分を取材した。


 定点観測は今朝で七日目になる。自分の名前の検索上位十件のうち、まとめの類は三日前に四本、昨日は五本、今朝は六本。増え方が、生き物ではなく工事の速度だった。毎朝同じ時刻に測って、数字だけをノートの隅に並べてある。並べた数字は、いつか誰かの前で証拠になる。ならなくても、朝の手順にはなる。


 まず原文。八年前の記事と、翌週の訂正。訂正の内容は数字の誤植一箇所で、本文の結論に影響はない。次に、今回のまとめ記事。引用されているのは訂正部分だけで、記事の結論も、訂正の範囲も、書かれていない。文脈を切る位置が、うますぎた。素人の悪意は、もっと雑に切る。


 次に、書き手。まとめの執筆者名はどれも使い捨ての捨て名で、過去の投稿はなく、広告も貼られていなかった。収益の出ないまとめを、誰が何のために立てるのか。ただし、その先は推測だ。推測の棚へ。


 次に、時系列。まとめが立った日付を並べる。最初の一本は、映像を最初の持ち込み先に見せた翌日だった。二本目は、二社目の翌日。三本目は——今朝だ。三社目に行く前に、もう立っていた。こちらの行き先が読まれているのか、それとも網を広く張っているだけなのか。切り分ける材料は、ない。ない、と書いた。


 最後に、消えたものの目録。京香はノートに、消せないボールペンで書き出した。


 映像——消えていない。認証も生きている。


 映像の検証記事——消えていない。誰でも読める。


 消えたのは。薄められたのは。


 ペンが、止まった。書いた項目を上から読み直して、形が見えた。埋められているのは事件ではない。事件を語る資格の方だ。映像は本物のまま置いておけばいい。本物だと言う人間の口を、先に埋めてしまえば。


 京香はノートの新しい行に、一行だけ書いた。


 【標的は映像ではなく、わたし】


 書いてから、妙に静かな気持ちで、コーヒーを淹れた。他人に淹れてもらうコーヒーは苦手だ。自分の淹れた不味いコーヒーの味で、頭が仕事に戻る。八ヶ月前、わたしは記憶を消された——らしい。今回は、消されていない。信用を、埋められている。手口が進歩したのか、対象への評価が変わったのか。どちらにしても、記録には書ける。書けることが増えるのは、記者には悪いことではない。


 強がりも、強がり、と注記してノートに書いた。


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 昼、外回りの途中で、京香は二度、足を止めた。


 一度目は、水道工事の規制線の前。通行人が三人、立ち止まって、作業車に端末を向けていた。撮って、何をするでもなく、歩いていく。二度目は、駅前に停まった黒っぽいワゴンの前。高校生が二人、すれ違いざまに、流れるような手つきで撮っていった。


 八年の取材で、規制線にレンズを向ける通行人を、京香はほとんど見た記憶がない。撮られるのは事故と有名人と食べ物——少なくとも、わたしが見てきた範囲では。あの避難の夜の映像騒ぎから、まだ二週間も経っていない。消える前に撮る、という覚え方を、この街がし始めているのだとしたら——仮説だ。仮説の棚へ。


 三度目は、自分だった。二つ目のワゴンを、気づけば自分も撮っていた。撮ってから、撮ったことに気づいた。手が先に動く撮り方を、いつの間にか、わたしもしている。


 京香はノートに、人数と場所と日時だけを書いた。三件。うち一件は、わたし。何の役に立つ観察かは、まだ分からない。分からないものは、分からないまま書いておく。


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 夕方、素心会の集会所に寄った。


 避難騒ぎ以降、素心会は炊き出しの延長のような「暮らしの相談会」を週二回開いていた。苅谷は会場の隅で、パイプ椅子を並べていた。代表の仕事ではない。代表の仕事ではないことを、この人はいつもやっている。


「ああ、記者さん。この間はどうも」


「事実確認を一つだけ。相談会の運営費の出所を伺っても?」


「会費と寄付です。帳簿、ご覧になりますか」即答だった。「うちは、金の出所だけは裸にしてあります。そこを疑われたら、終わりの運動なので」


 即答の速さを、京香はノートに書いた。速い、とだけ。意味は、まだ書かない。


 取材は短く済んだ。辞去の間際、相談会の張り紙が目に入った。【停電時の医療機器の手回し対応】【デマの見分け方——検索で消えている情報に気をつけて】。


「消えている情報、ですか」


 何気なく指した張り紙に、苅谷の目の色が、一度だけ変わった。


 温厚な目のまま、書類をめくる手が、一拍だけ止まった。


「……ええ。消される側には、覚えがありますから」苅谷はパイプ椅子を一脚、静かに置いた。「うちの事故の報道も、当時、ずいぶん薄まりました。誰が薄めたのかは、今も知りません。知らないままでいることに、慣れたくはないですが」


 それ以上は、続かなかった。京香も、続けなかった。手元のノートに、日付と、一拍、とだけ書いた。


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 夜、事務所で、京香は「都立第三——」の名簿を開いた。


 候補は十六。今夜の作業は三つ目の候補の下調べだった。閉鎖済みの都立施設の沿革を載せていた資料ページ——先週は開けた——が、見つかりません、に変わっていた。アーカイブも、切れていた。


 偶然かもしれない。古いページは、よく死ぬ。京香は消えたページの題名と、先週開けた日付と、今日の日付をノートに書いた。消えたこと自体は、消えない。この頁に書いてある限り。


 書き終えて、京香は椅子の背にもたれ、天井を見た。目の奥が重い。コーヒーはもう効かない時間だった。効かないと知っていて淹れるのは、味ではなく手順のためだ。手順は、疲れていても動く。


 疲れの底で、ひとつだけ確かめた。今日一日で、書けた事実は増えた。書けない推測も増えた。両方増えているうちは、まだ取材になっている。片方だけになった日が、やめ時だ。今日では、ない。


 持ち込み先は、たぶん、あと二社あたって、全部だめだ。検索の底は、明日も少しずつ濁る。八年前の訂正は、来週には「有名な捏造事件」になっているかもしれない。出す先を探す戦いは、こちらが一人で、向こうが大勢で、しかも向こうは疲れない。


 京香は体を起こして、ノートの新しい頁に、方針を一行書いた。


 【出す先を探すのは、やめる。残す先を増やす】


 複製は三つ。本体は、認証情報ごと格納したオフラインの記録媒体で——ネットに一度も繋がない古い媒体を三つ用意して、そこへ。紙は本体の代わりにはならない。紙に焼くのは索引と静止画——どこに何があるかの目録と、見れば分かる数枚だけだ。紙は検索に引っかからず、電池も切れない。ひとつは取材ノートの原本と一緒に貸金庫へ。ひとつは信頼できる同業へ——貸しではなく、預かり証を書いてもらう形で。ひとつは——置き場所を、これから考える。認証の再検証の手順書も、それぞれに付ける。わたしに何かあっても、検証は誰にでもできるように。


 出せば埋められる。なら、埋められない深さに、先に埋める。掘り返す日は、こちらが決める。


 その夜のうちに、索引を作った。深夜のコンビニの旧式の複合機が、静止画を一枚ずつ、たっぷり時間をかけて吐き出していく。通したのは公開されても構わない三枚だけで、本体はポケットの中の、ネットを知らない媒体の中だ。複合機に印刷の記録が残ることは、知っている。残るのは「誰かが夜中に写真を三枚焼いた」という事実だけでいい。


 紙に焼くんですか、と若い店員が物珍しそうに言った。焼くの、と京香は答えた。紙は電池が切れないから。店員は笑っていいのか分からない顔のまま、複合機が最後の一枚を吐き出すのを、一緒に待っていた。


 温かい紙を封筒に入れ、消せないボールペンで日付を書きながら、京香は自分の手が、八ヶ月ぶりに迷っていないことに気づいた。


---


【観察記録 ——続き】


冒頭の断片について、追記します。


一日おいても、出典は思い出せませんでした。続きも、です。思い出せない引用を頁に残すのは落ち着かないものですが、消すのは、もっと落ち着きません。


移動の準備をしました。断片は、栞の代わりに挟んだままにします。


(ep021 了)


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