第九十九話:新婚夫婦の食卓と、バグを起こした白銀の騎士
翌朝。
母艦エインヘリアルの専用ラウンジでは、朝から鼓膜が溶けそうなほど甘ったるい光景が繰り広げられていた。
「さあ、姫君。今朝のスープは、姫君の疲労回復を促す特製のハーブをブレンドしております。少し熱いので、フーフーしますね。……ふぅ、ふぅ。はい、あーん」
「む……あーん。……もぐもぐ。うむ、美味いぞ」
豪華なソファの上。
ローゼリアは、リアンヌの膝の上にちょこんと座らされ(完全にバックハグの体勢である)、彼女の甲斐甲斐しい手によって朝食のスープを口に運ばれていた。
昨日の地獄の特訓による強烈な筋肉痛がまだ抜けきっておらず、腕を上げるのもしんどいローゼリアは、最終的に「もう好きにしてくれ」とリアンヌの過剰な介護を受け入れてしまっていたのだ。
「ああ……。私の淹れたスープを美味しそうに召し上がる姫君の口元……なんて愛らしいのでしょうか。ほら、口の端に少しこぼれていますよ。私が拭って差し上げます」
リアンヌは、うっとりとした表情でローゼリアの唇の端を親指で優しく拭うと、そのまま名残惜しそうにローゼリアの頬を撫で回し、さらには彼女の長くふわふわした金髪に顔を埋めてスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
(ひぃぃぃぃぃっ! 近い! そしてスキンシップが濃厚すぎる!! 膝の上の居心地は最高に良いんじゃが、背中から伝わってくるリアンヌ様の体温と柔らかさが、妾の理性を朝からゴリゴリと削りにきている……ッ!)
中身が健全なオタク男子であるローゼリアは、顔を真っ赤にしながらも、完全にまな板の上の鯉状態であった。
その時である。
自動ドアが開き、いつものように特大の胃薬の瓶を片手に持ったブリュンヒルデ団長が、ラウンジに入ってきた。
「……おはよう、お前たち。今日の午後の作戦会議だが——」
言いかけて、ブリュンヒルデの言葉がピタリと止まった。
彼女の視線の先には、ローゼリアを後ろから抱き込み、その首筋に顔を埋めて匂いを堪能しながらスープの匙を構えている白銀の騎士の姿。
ブリュンヒルデは、こめかみをピクピクと引きつらせ、深いため息をついた。
「……おい。朝からラウンジで何をイチャついている。**お前らは新婚夫婦か**」
呆れ果てた団長のツッコミ。
いつもであれば、リアンヌはここで涼しい顔をして、誇り高くこう言い切るはずだった。
『——**いえ、姫君のためですので**。これは騎士として当然の職務です』と。
しかし。
「…………ッ!?」
その言葉を放とうとしたリアンヌの口が、パクパクと金魚のように開閉を繰り返した。
次の瞬間、リアンヌの白く美しい顔が、首の根元から耳の先まで、まるで茹で上がったタコのように真っ赤に染まったのである。
「し、し、し……っ!?」
「ん? どうした、リアンヌ」
ローゼリアが長くふわふわした金髪を揺らし、不思議そうに振り返る。その赤い瞳がパチクリと瞬きをした。
「しっ、**新婚夫婦**、だなんて……っ! そそそ、そんな、恐れ多いっ! わ、私はあくまで姫君の騎士であって、その、決して、夫婦のように添い遂げたいだとか、毎朝こうして姫君にスープを作ってあーんして差し上げる甘い生活を夢見ているだとか、そういう邪な感情で姫君の唇を見つめていたわけではっ……あわわわわわっ!!」
リアンヌは、カコンッ! とスープの皿を取り落としそうになりながら、激しくどもり、両手で自身の真っ赤な顔を覆い隠した。
その頭頂部からは、プスプスと明らかなオーバーヒートの湯気が立ち昇っている。
「「「…………えっ?」」」
その場にいたローゼリア、ブリュンヒルデ、そして少し離れた席でコーヒーを飲んでいた三姉妹の時が、完全に停止した。
(——否定せんのかい!!!)
ローゼリアの心の中で、特大のツッコミが炸裂した。
(いつもなら『騎士としての務めです!』ってドヤ顔で言い切るのに! なんでいきなり『新婚夫婦』というワードに過剰反応して乙女みたいに照れ回っておるんじゃ!? まさか昨日の大浴場で『ヤンデレ彼氏』とからかわれたのを、密かに気にしていたのか!?)
「あっ、あわわ……っ。ひ、姫君! 違います、今の言葉には他意はなくて、ただ団長の言葉が少し想像を超えて破壊力があったというか、その……っ」
しどろもどろになりながら弁解しようとするリアンヌだが、その瞳は完全に潤んでおり、チラチラとローゼリアの赤い瞳と唇を交互に見ては、再び「ひぅっ」と顔を覆って身悶えしている。
もはや『冷槍の聖女』の威厳など欠片もなく、そこにあるのは、限界突破した恋心に振り回される純情な乙女の姿であった。
「……お、おお、うむ。分かっておるぞ、リアンヌ。お主は真面目じゃからな、冗談を真に受けてしまったんじゃろう」
ローゼリアも、爆発しそうな心臓の音を必死に隠しながら、引きつった笑みでフォローするしかなかった。
「……はぁ。もういい。お前たちのそのアツアツの空気に当てられて、朝から胃酸の分泌が止まらん。私はブリッジに戻る。作戦会議は午後からだ、それまでにその気持ち悪いピンク色のオーラを収めておけよ」
ブリュンヒルデは、胃薬をボリボリと噛み砕きながら、逃げるようにラウンジを後にした。
「ふ、副団長のあんなポンコツな姿、初めて見たッス……」
「お姫様、リアンヌさんを完全に『落として』しまいましたね。罪な御方です」
ランドグリーズとロスヴァイセが、遠巻きにクスクスと笑い合っている。
「うぅ……っ。姫君、申し訳ありません……。私としたことが、騎士らしからぬ醜態を……」
リアンヌは、ローゼリアの背中に額を擦り付けながら、消え入りそうな声で謝罪した。
「よ、よいよい! 気にするでない! さあ、スープの続きを頼む。……フーフーしてくれ」
「——ッ! はいっ! すぐに!!」
ローゼリアのその一言で、リアンヌはパァァッ! と花が咲いたような笑顔を取り戻し、再び甲斐甲斐しく(そして顔を真っ赤にしたまま)匙を口元へ運んできた。
(……やばい。過保護なだけならまだしも、ここに『乙女のデレ』まで加わったら、妾の理性がもつ気が全くせんぞ……!)
新婚夫婦という言葉の破壊力に撃沈した騎士と、推しの可愛すぎる反応に限界を迎えている死神。
戦乙女の平和(?)な朝は、今日も限界突破の甘さで満たされているのだった。




