第九十三話:白銀の騎士の憂鬱と、限界オタクの決死のファンサ
辺境惑星ラスターでの野盗討伐(と、孤児院でのドタバタ劇)を終え、母艦『エインヘリアル』は再び星の海を航行していた。
黒き死神ローゼリアの私室。
間接照明が優しく照らす豪奢な部屋の中で、ローゼリアは最高級のソファに深く腰を沈めながら、かつてないほどの『居心地の悪さ』に冷や汗を流していた。
「……お母さん。オカン。保護者……。いいえ、所詮私は、姫君のお世話をするだけの、ただの乳母……」
部屋の隅にあるティーセットの前で。
いつもなら後光が射すほどのキラキラとしたオーラを放っているはずの白銀の騎士・リアンヌが、真っ黒なドス黒いオーラを背負いながら、ブツブツと呪詛のように呟き続けていた。
その手元では、カチャカチャとスプーンで紅茶をかき混ぜているが、完全に目が死んでいる。
(あ、あかん……! リアンヌ様が完全にネガティブモードのどん底に落ちておられる……!!)
ローゼリアは、ソファの上で震え上がっていた。
原因は明白である。ラスターの孤児院で、純真無垢な子供から放たれた『黒いお姉ちゃん(ローゼリア)の、お母さんみたいな人』という無慈悲な一言。
リアンヌは、「気高くカッコいい、主君の隣に並び立つ相棒」を目指していたはずが、客観的には完全に「手のかかる子供の世話を焼く過保護なオカン」として見られているという現実に、心をへし折られてしまったのだ。
「お、おい、リアンヌ。そんなに落ち込むでない。子供の言うことじゃぞ? 悪気はなかったんじゃから……」
「わかっています……。子供の目は純粋で、真実を見抜きます。私の立ち振る舞いが、騎士ではなく『お母さん』だったという、揺るぎない客観的事実……ッ!」
ガシャンッ! と、リアンヌがカップをソーサーに置く。
「姫君、私は……私はもう、銀河の果てで出家して、本物のシスターにでもなろうかと……。そうすれば、オカンと呼ばれることも……」
(ヒィィィィッ!! 思考が飛躍しすぎじゃ!! 妾の推しが、オカン扱いされたショックで出家しようとしておる!!)
限界オタクであるローゼリアにとって、推しの曇り顔など、絶対に許容できるものではなかった。
なんとしても、あの自信に満ち溢れた、少しヤンデレ気味で過保護なリアンヌの笑顔を取り戻さなければならない。
(どうする!? 言葉で慰めても全く効果がない! ならば行動で示すしかない! 妾がリアンヌを『オカン』ではなく、特別な『パートナー』として見ているということを、一撃で分からせるような、圧倒的なスキンシップを……!!)
ローゼリアの脳内コンピューターが、過去にプレイした無数の乙女ゲームやギャルゲーの知識をフル回転させる。
落ち込むヒロイン(あるいは攻略対象)を励ます、最高のアクション。
(——『キス』か!? いやいやいやいや!!)
ローゼリアの顔が、瞬時にゆでダコのように真っ赤に染まった。
(中身はゴリゴリの男(限界オタク)じゃぞ!? 相手は絶世の金髪碧眼の美女!! いくら妾のガワが美少女だとはいえ、同性同士でキスなど……ッ! 物理的にも精神的にもハードルが高すぎる!!)
しかし。
チラリとリアンヌの方を見ると、彼女は美しい金髪をだらりと垂らし、「姫君のオカン……姫君のオカン……」と今にも消え入りそうな声で呟いている。
(くっ……! 推しのこんな悲しい顔、これ以上見ていられるか!! 中身が男だとか、百合だとか、そんなちっぽけなプライドはどうでもいい! 妾は……妾の最高の騎士を、笑顔にするんじゃァァァッ!!)
ローゼリアは、決死の覚悟を決め、ソファからガバッと立ち上がった。
「……リ、リアンヌ!」
「はい……オカンですが、何か御用でしょうか……」
「オカンと言うな! こっちを向くのじゃ!」
ローゼリアは大股でリアンヌに歩み寄ると、彼女の両肩をガシッ! と掴んだ。
そして、戸惑うように見下ろしてくるリアンヌのサファイアのような碧眼を、真っ直ぐに見つめ返した。
「ひ、姫君……? どうかされま——」
「目を閉じろ」
「えっ?」
「いいから、目を閉じるのじゃ!」
ローゼリアの強い口調(半分ヤケクソ)に押され、リアンヌは不思議そうにパチクリと瞬きをした後、素直にスッと長いまつ毛を伏せた。
(よし! 行くぞ! これはファンサじゃ! 最強のエースパイロットとしての、威厳あるファンサ……ッ!!)
ローゼリアは、自身の心臓が胸を突き破って飛び出しそうになるのを必死に堪えながら、少しだけ背伸びをした。
そして。
チュッ。
「…………ッ!!」
ローゼリアの柔らかい唇が、リアンヌの白く透き通るような美しい頬に、触れるか触れないかの絶妙な力加減で、そっと落とされた。
——静寂。
部屋の中の時が、完全に停止した。
「……ひ、ひめ、ぎみ……?」
目を開けたリアンヌは、自分の頬に手を当てたまま、完全にフリーズしていた。
その瞳孔は限界まで見開かれ、呼吸すら忘れたかのように固まっている。
(あばばばばばばっ!! やってしまった!! 妾、本当に絶世の美女の頬にキスしてしまった!! いい匂いした! 頬すっごい柔らかかった!! 死ぬ! 尊さと恥ずかしさで脳の血管が爆発して死ぬゥゥゥッ!!)
内心では大パニックを起こし、今すぐ窓から宇宙空間へダイブしたい衝動に駆られながらも、ローゼリアは必死に『クールで気高き死神』の表情を顔面に張り付けた。
「……フッ」
ローゼリアは、顔の熱を必死に隠しながら、リアンヌから一歩だけ距離を取り、優雅に髪をかき上げた。
「お主は、妾のオカンなどではない。……妾の背中を預ける、世界でただ一人の、愛しい『騎士』じゃ。それ以外の何者でもないわ」
ローゼリアは、赤い瞳で真っ直ぐにリアンヌを射抜き、極上の笑みを浮かべた。
「だから、二度とあのような情けない顔を見せるな。……お主のその美しい顔には、自信に満ちた笑顔こそが相応しいゆえな」
(ど、どうじゃ……!? 完璧なイケメン(?)ムーブ! 乙女ゲームのトゥルーエンド直前のような台詞回し! これで少しは機嫌を直して……)
ポンッ!!
リアンヌの頭頂部から、幻覚ではなく、物理的に『湯気』が噴き出した。
「——あ」
「あ?」
「ああ……ああああああああああああッ!!!」
リアンヌの真っ白だった頬が、一瞬にして首の先まで真っ赤に染まった。
そして、どんよりとしていた黒いオーラは跡形もなく消え去り、代わりに、部屋の温度を急上昇させるほどの【猛烈なピンク色のオーラ】が大爆発を起こした。
「ひ、姫君の、唇が! 私の、この、頬にィィィィッ!?」
「お、落ち着けリアンヌ! 声がデカい!」
「愛しい騎士!! 世界でただ一人!! ああっ、なんという……なんという甘美なる響き! 私はオカンではなかった! 姫君に認められた、真のパートナーだったのですね!!」
リアンヌは、感極まったように両手を天に掲げ、ボロボロと滝のような嬉し涙を流し始めた。
その目には完全にハイライトが戻り、むしろ以前よりも危険な輝きを放っている。
「ありがとうございます姫君! 私、一生……いえ、来世までこの頬は洗いません!! 今すぐメディカルルームに行って、この頬の表面に絶対防衛のコーティング処理を施してまいります!!」
「いや洗えよ!! 不衛生じゃろ!! 頼むから落ち着いてくれぇっ!」
「落ち着けるはずがありません! ああ、私の心臓が破裂しそうです! 姫君! 今すぐお礼のキスを……いえ、お礼のハグを!!」
「ひぃっ! 来るな! 抱きつく力が強すぎて妾の背骨が折れるゥゥゥッ!!」
完全復活——いや、限界突破を果たした白銀の騎士は、凄まじいスピードでローゼリアに飛びかかり、その華奢な体をギュウゥゥゥッ! と力強く抱きしめた。
「むぎゅうぅぅっ……! 苦し……っ! 死ぬ、死神が死んでしまう……っ!」
「愛しております! 銀河の星々の数よりも、宇宙の果てよりも深く、愛しております姫君!!」
同じ頃、母艦エインヘリアルのブリッジ。
「……おい。ローゼリアの部屋の環境センサーが、異常な数値を叩き出してるぞ」
円卓で書類仕事をしていたブリュンヒルデ団長が、特大の胃薬を口に放り込みながらモニターを睨みつけた。
「室温が急激に5度も上昇していますね。それに、この魔力波形の乱れ……。お姫様の部屋で、何らかの爆発が起きた可能性があります」
三女のオルトリンデが、タブレットを操作しながら冷静に報告する。
「まさか、例の暗殺者が母艦のセキュリティを潜り抜けて侵入したのか!?」
長女のランドグリーズが、慌てて立ち上がり武器を手に取ろうとした。
「いえ、お待ちください姉さん」
次女のロスヴァイセが、監視カメラの映像(音声はオフ)をモニターに映し出し、呆れたようにため息をついた。
モニターに映っていたのは、真っ赤な顔をしてジタバタと暴れるローゼリアと、彼女を恍惚とした表情で抱きしめ、頬ずりを繰り返しているリアンヌの姿であった。
「…………」
「…………」
「…………」
ブリッジに、重苦しい沈黙が降り下りた。
「……痴話喧嘩(オカン騒動)からの、極甘の仲直りですね。室温上昇の原因は、間違いなくリアンヌさんが放つピンク色の魔力オーラの熱暴走です」
ロスヴァイセが、カクテルグラスを傾けながら無慈悲な分析を下す。
「あいつら……っ。人が一生懸命、次の任務のブリーフィング資料を作ってる時に、密室でイチャイチャしやがって……!」
ブリュンヒルデは、怒りでプルプルと震えながら、手元の胃薬の瓶を握り潰した。
「まあまあ、団長。リアンヌさんの落ち込みが直ったなら、作戦行動にも支障が出ないし、結果オーライじゃないッスか?」
「お姫様も、リアンヌさんの扱いがすっかり板についてきましたね。まさに猛獣使いです」
「ええい、知るか! あいつらの部屋の空調設定、マイナス10度にして頭を冷やしてやれ!!」
団長の八つ当たりにより、ローゼリアの部屋の空調が突然極寒の設定に切り替わった。
しかし、燃え上がるように熱いリアンヌのハグの渦中にいるローゼリアにとっては、その冷風すらも届くことはなく。
「り、リアンヌ……っ、もう離して……! 窒息する……っ!」
「いいえ! 今日は一晩中、こうして姫君の温もりを感じております! ああ、幸せです……!」
かくして、限界オタクの決死のファンサ(キス)は、大成功という名の『更なる過保護の監獄』を生み出し、戦乙女の夜は更けていくのであった。




