第八十九話:中立都市の死角と、奇跡の回避(ポンコツ)、そして絶対防衛圏
ルミナ星王国での騒動から数日後。
傭兵団『戦乙女』の母艦エインヘリアルは、補給と休暇を兼ねて、外宇宙と帝国宙域の境界に位置する巨大な中立交易都市『アヴァロン』に寄港していた。
あらゆる星系から商人と旅人が集まるこのコロニーは、華やかなネオンと多種多様な異星文化が入り乱れる、活気に満ちた街である。
「おおーっ! 見よリアンヌ! あの看板の『ギャラクシー・メガ盛り・星屑クレープ』! 限定百食じゃと! これは限界……いや、甘党の血が騒ぐわい!」
私服——といっても、黒を基調としたゴシック・パンク風の、これまた無駄にフリルの多い衣服に身を包んだローゼリアが、目を輝かせてショーウィンドウを指差していた。
その後ろには、純白のブラウスとタイトなパンツスタイルという、洗練された騎士の休日といった装いのリアンヌが、微笑ましく付き従っている。
「ふふっ、姫君がそう仰るなら、私が列に並んで確保してまいりましょう。……ですが、ここは治安の良い中立都市とはいえ、何が起こるか分かりません。私の傍から離れないでくださいね」
「分かっておる、分かっておる! さあ、急ぐのじゃ!」
(ふはははっ! 戦いの日々を忘れ、推しと二人きりのスイーツ巡りデート! ここが銀河の楽園か! 今日は絶対に運動音痴を発動させず、クールで可愛い主君としてリアンヌをエスコートしてみせるぞ!)
無謀な決意を胸に、ローゼリアはウキウキとステップを踏みながら、クレープ屋の列の最後尾へと向かった。
その時である。
アヴァロンのメインストリートを見下ろす、数百メートル離れた高層ビルの屋上。
光学迷彩のポンチョを被った『何者か』が、長大なスナイパーライフルのスコープ越しに、ローゼリアの頭部——その完璧な美貌のド真ん中を、冷酷に捉えていた。
殺気は完全に遮断されている。
魔力探知をすり抜ける、ステルス特化の特殊実体弾。
狙撃手は、標的が列に並ぶために足を止める、その一瞬の『停止』を待っていた。
(——ターゲット、ロック。死ね、黒き死神)
音もなく、引き金が引かれた。
初速は音速を遥かに超え、数キロ先の分厚い装甲すら撃ち抜く必殺の徹甲弾が、ローゼリアの脳天へと真っ直ぐに突き進む。
神話級の魔力を持つローゼリアであっても、完全に不意を突かれたこの一撃を、防御力場を展開して防ぐことは不可能であった。
弾丸がローゼリアの頭部に直撃する、そのコンマ一秒前。
「あ、あれ? この靴の紐……いつの間にほどけて……あべっ!?」
ローゼリアの右足が、見事に自身のほどけた靴紐を踏み抜いた。
慣性の法則に従い、彼女の身体は列に並ぶ直前で、カクンッ! と、まるで操り人形の糸が切れたように前のめりに崩れ落ちた。
ズガァァァァァァァァンッ!!!!
ローゼリアの頭があった空間を、必殺の狙撃弾が通過した。
弾丸はそのまま、ローゼリアの背後にあったクレープ屋の巨大な『星屑クレープの立体看板』のド真ん中を貫通し、看板を粉々に爆散させた。
「きゃぁぁぁぁぁっ!?」
「な、なんだ!? 爆発か!?」
突然の爆音と飛散する看板の破片に、メインストリートは一瞬にして阿鼻叫喚のパニックに陥った。
「いったぁぁ……。また何もないところで転んでしまった……って、え? なに? 看板が爆発した!?」
地面に両手をついて『見事な土下座スタイル』で転倒していたローゼリアが、目を白黒させて顔を上げた、その瞬間。
「——姫君ィィィィィィッ!!!」
リアンヌの、今まで聞いたこともないような悲痛で、そして阿修羅のごとき怒りに満ちた絶叫が響き渡った。
「伏せていてください!!」
リアンヌは、瞬時にローゼリアの前に立ちはだかると、隠し持っていた携帯型・魔力展開シールドを起動し、白銀の光の壁で主君を覆い隠した。
そして、看板を撃ち抜いた弾道軌道を一瞬で逆算し、数百メートル先の高層ビルの屋上を、絶対零度の碧眼で睨みつけた。
「我が姫君の御命を狙った大罪……! 万死をもって償わせます!!」
リアンヌは、腰のホルスターから高出力の魔力光線銃を抜き放ち、最大出力で屋上に向けて発砲した。
極太のレーザーがビルの上部を丸ごと吹き飛ばすが、そこに狙撃手の姿は既になかった。
「ちぃっ……! 逃げ足の速い小動物が!」
リアンヌが舌打ちをする中、ローゼリアは転んだままの姿勢でポカンとしていた。
(……え? 今の、妾が狙われたの? もし靴紐を踏んで転んでいなかったら、妾の頭が粉々になっていたってこと!?)
運動音痴による絶妙なタイミングでの「自滅(転倒)」が、奇跡的に神回避を生み出したという事実。
冷や汗がドッと吹き出し、ローゼリアは腰を抜かしたままガタガタと震え始めた。
「ひ、姫君! お怪我は!? どこか痛むところは!?」
リアンヌが血相を変えて駆け寄り、ローゼリアの身体を隅々まで撫で回して異常がないか確認する。
「な、ない! どこも撃たれてはおらん! ただ、膝を少し擦りむいたくらいじゃ……」
「ああ……! 神よ、感謝いたします……! もし姫君の美しいお顔に傷でもついていたら、私はこの都市ごと犯人を焼き尽くすところでした……!」
リアンヌは、ローゼリアを強く、骨が軋むほど強く抱きしめた。
(ひぃぃぃ! リアンヌ様が本気でブチギレておられる! 街ごと焼くのはやめて!)
数十分後。
アヴァロンの治安維持部隊の事情聴取を早々に切り上げ(戦乙女の威光で強引に押し通し)、母艦エインヘリアルへと帰還したローゼリアたちは、ブリッジで緊急会議を開いていた。
「——というわけで、お姫様が街中で狙撃された件だが」
特大の胃薬を机に叩きつけながら、ブリュンヒルデが重々しい口調で切り出した。
「オルトリンデ。現場の分析結果はどうだ?」
「はい、団長」
三女のオルトリンデが、ホログラムモニターに弾丸の残骸と、狙撃ポイントのビルの屋上の映像を映し出す。
「使用されたのは、外宇宙の闇市場で高値で取引されている、ステルス特化の特殊徹甲弾です。魔力探知を無効化するコーティングが施されていました。……狙撃手は、発砲直後に空間転移のスクロールか何かを使用して、完全に足取りを消しています。プロの、それも超一流の暗殺者の手口です」
「犯人の所属や、依頼主の見当はつくのか?」
「……それが、全く不明です」
オルトリンデは、珍しくお手上げといった様子で眼鏡を押し上げた。
「恨みを買う心当たりが、多すぎるのです。帝国の貴族派(バルボア公爵など)、先日壊滅させた傭兵団ブラッド・ハウンドの残党、ルミナ星王国の反乱軍グローリアの生き残り……あるいは、単に『黒き死神』の首にかかっている莫大な懸賞金目当ての賞金稼ぎかもしれません。……弾丸からも、組織を特定するような痕跡は意図的に消されていました」
「結局、誰が撃ったのか分からず仕舞いってことかよ!」
ランドグリーズが苛立たしげに円卓を蹴る。
「……ええ。お姫様が何もないところで転ぶという『奇跡の運動音痴』を発揮しなければ、確実に脳天を撃ち抜かれていました。これは由々しき事態です」
ロスヴァイセが、冷たいカクテルを片手にため息をつく。
(う、うぐぐ……。命拾いしたのは嬉しいが、会議の場で「運動音痴のおかげで助かりました」と分析されるのは、エースパイロットとしての威厳がズタボロじゃ……)
ローゼリアは、恥ずかしさで顔を真っ赤にして俯いていた。しかし、心のどこかで少しだけ、オタク特有の『厨二病的な高揚感』も感じていた。
(だが、正体不明のプロの暗殺者に命を狙われるなんて……妾もついに、裏社会の闇に狙われるほどの『大物』になったということじゃな! ふはははっ、これも強者の宿命というやつか!)
一人で勝手に悦に入っていると。
「——団長。私から提案があります」
それまで無言で俯いていたリアンヌが、スッと顔を上げた。
その碧眼には、狂気にも似た『絶対防衛』の決意が宿っている。
「犯人が分からない以上、姫君は今後、いつどこで命を狙われるか分かりません。これは傭兵団としての危機管理の問題です。……よって、これより私リアンヌは、姫君の【24時間完全密着警護】を実行いたします」
「え? 24時間?」
ローゼリアが素頓狂な声を上げた。
「はい。食事中はもちろん、お風呂、トイレ、そして睡眠時も同じベッドで添い寝し、いかなる死角からも姫君をお守りします。……姫君の半径1メートル以内を、私の絶対防衛圏と定めます」
「ちょ、ちょっと待てリアンヌ! いくらなんでもそれはやりすぎじゃ! トイレやお風呂まで一緒なんて、妾のプライバシーが!」
ローゼリアの必死の抗議(中身が男であるため、推しとお風呂やベッドを共にするなど、心臓と理性が爆発してしまうという切実な理由)に対し、リアンヌは悲しげに瞳を潤ませた。
「……姫君は、私の警護では不満だというのですか? 先ほど、私が一瞬目を離した隙に、あんな恐ろしいことになったというのに……! もし姫君を失ってしまったら、私は、私は……ッ!」
リアンヌの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「うっ……! わ、わかった! わかったから泣かないでくれ! 許可する! 24時間密着警護、許可するからぁぁぁっ!」
推しの涙に最も弱いローゼリアは、あっさりと陥落してしまった。
かくして。
犯人不明の狙撃事件は、ローゼリアにとって『文字通り、一切のプライベートがない過酷な監視生活(ただし相手は最高に可愛い推し)』の始まりを告げるものであった。
「あーん。さあ姫君、私が毒見を済ませたスープです。フーフーしましたから」
「……う、うむ(これではただの要介護者ではないか……)」
戦乙女の日常は、見えない刺客の影に怯えるどころか、リアンヌの過保護レベルが限界突破したことにより、別の意味で息苦しい(そして尊い)ものとなっていくのであった。




