第八十八話:星降る王子の求婚と、中身(オタク)の絶対防衛線
「り、リアンヌ! 待て待て! 彼は救出対象の王子じゃ! 殺してはならん!!」
「しかし姫君! この不敬なる輩は、あろうことか姫君の神聖なる御手に気安く触れようと……ッ! 救出対象であろうと、姫君を穢す者はこの私が原子レベルで塵に還します!!」
反乱軍グローリアの脱出艇、そのVIPルーム。
ローゼリアが【物理的な顔面ダイブ】で粉砕した天井の強化ガラスの破片が散らばる中、凄まじい殺気を放ちながら白銀の長槍を構えるリアンヌの腰に、ローゼリアは必死にしがみついていた。
「落ち着けリアンヌ! 依頼主は国王じゃ! 王子をスクラップにしては報酬がパーになってしまうじゃろ! 団長の胃壁が完全に消滅してしまうわ!」
ローゼリアの必死の説得により、リアンヌはチッ……と(美しい顔には似つかわしくない)舌打ちをして、渋々ながら長槍を下ろした。しかし、そのサファイアのような碧眼は、依然として金髪の青年——シリウス王子を親の仇のように睨みつけている。
だが、当のシリウス王子はといえば。
リアンヌの絶対零度の殺気など、全く意に介していない様子だった。それどころか、彼の目は完全にハートマークになっており、ただひたすらに、自身の目の前で腰にしがみついている漆黒の少女を熱っぽい瞳で見つめていた。
「おお……。なんという慈悲深き御心。荒ぶる従者の怒りを鎮め、この私を気遣ってくださるとは」
シリウスは、身なりを整えると、ガラスの破片が散らばる床に再び優雅に跪いた。そして、ローゼリアを見上げ、芝居がかった手つきで自らの胸に手を当てた。
「天のガラスを打ち砕き、私を絶望の淵から救い出してくれた、美しき死の天使よ。……いや、私の『女神』よ」
「……ん? な、なんじゃ改まって」
「私は、ルミナ星王国第一位王位継承者、シリウス・ルミナ。……恥ずかしながら、私は今まで、国が定めた政略結婚の相手にしか目を向けたことがありませんでした。しかし、今、真実の愛に目覚めました」
シリウスは、熱に浮かされたような甘い声で、とんでもないことを口走った。
「一目惚れです。あなたの圧倒的な力、気高い黒のドレス、そして……敵の罠(顔面ダイブ)をものともしない、その可憐な姿。私の心は完全にあなたに奪われました。——どうか、私と共にルミナ王国へ来て、私の『妻』になってはくれませんか?」
「………………は?」
ローゼリアの思考が、完全に停止した。
時が止まったかのような船内で、シリウスの甘い声だけがエコーをかけて響き渡る。
(い、い、いや……ちょっと待てェェェェェッ!?)
数秒のフリーズの後、ローゼリアの限界オタク精神が、脳内で大爆発を起こした。
(妻!? この俺が!? 勘違いするなよ王子様、このガワ(肉体)は確かに絶世の美少女だが、中身はゴリゴリの限界オタクの『男』だぞ!? いくら相手がキラキラのイケメン王子様だからって、男に抱きしめられ、ベッドに押し倒されて、あんなことやこんなことをされる……!?)
ローゼリアの脳裏に、BLどころか、自身の精神が雄であるにも関わらず肉体的に蹂躙されるという、存在しないおぞましいビジョンがフラッシュバックした。
(ヒィィィッ!! 想像しただけで全身の鳥肌が総立ちじゃ!! 精神が崩壊する! BLや百合を『壁として見守る』のは好きだが、自分がその当事者(しかも受け)になるなんて天地がひっくり返っても絶対に無理!! 生理的に無理!! 断固拒否じゃァァァッ!!)
顔面を青ざめさせ、ブルブルと悪寒に震えるローゼリア。
しかし、彼女が明確な拒絶の言葉を叩きつけるよりも早く。
背後で、**『ゴゴゴゴゴゴゴゴ……』**という、地鳴りのような物理的な重低音が響き始めた。
「……ほう? 今、なんと言いましたか、羽虫」
リアンヌであった。
彼女は、先ほどまでの「殺気」を通り越し、もはや「虚無」とも呼べるほどの暗黒のオーラを全身から立ち昇らせていた。白銀の騎士の背後に、阿修羅の幻影が見える気すらする。
「私から姫君を奪い、あろうことか『妻』にする、と? ……この辺境の、名もなき小国の、たかが第一王子ごときが……?」
「な、なんだ君は。私は彼女に求婚しているのだ。従者は引っ込んでいたまえ」
シリウスが眉をひそめて手を払う仕草をした瞬間。
——ズガァァァァァァァンッ!!
リアンヌの白銀の長槍が、シリウスの頬をかすめ、彼の背後にある分厚い隔壁を紙屑のように貫通した。
一筋の冷や汗が、シリウスの額を伝い落ちる。
「ヒッ……!?」
「姫君の『妻』という座が、どれほど重く、神聖なものか、貴様は全く理解していないようですね」
リアンヌは、カツン、カツン、と足音を響かせてシリウスに歩み寄った。
「貴様に問います。……貴様は、姫君のその日の体調とご機嫌を瞬時に察知し、最適の温度で淹れた紅茶を、朝の目覚めと共にベッドまでお運びすることができますか?」
「え? い、いや、それは王宮のメイドたちが……」
「アウトソーシング(外注)ですか。論外ですね」
リアンヌが冷酷に切り捨てる。
「では、姫君が深夜に突発的に『激辛カップラーメン』を所望された際、姫君のプライドを傷つけないよう絶妙な距離感を保ちつつ、完全な栄養バランスを補完するサプリメントを翌朝の食事にこっそり混ぜ込む配慮ができますか?」
「深夜の……カップラーメン? 姫君が?」
「さらに! 姫君が時折発揮される『絶望的なまでの運動音痴』によって自ら仕掛けた罠(自爆)にハマり、強化ガラスに顔面から激突されたりした際! 誰よりも早く駆けつけ、その御身をふんわりと抱き止め、周囲の目を一瞬で欺く隠蔽工作を完璧にこなせますか!?」
「ちょっ、リアンヌ!? なんでここで妾の黒歴史を大暴露しておるんじゃ!! ストップ! ストップ!!」
慌てふためくローゼリアの制止も虚しく、リアンヌのマウント合戦は止まらない。
「以上のことが息をするように自然にこなせて、初めて姫君のお側に立つ『スタートライン』です! 貴様のような、己の身も自分で守れない温室育ちの王子に、我が姫君の繊細で尊い御心を、そしてその胃袋を満たすことができるとでも思っているのですか!!」
リアンヌの圧倒的な熱量による正論の暴力に、シリウス王子は完全に圧倒され、言葉を失ってしまった。
しかし、そこでシリウス王子はハッと顔を上げ、再び情熱的な瞳でローゼリアを見つめた。
「な、なるほど……! 天使のようなお姿の裏に、そのような人間らしい、愛らしい一面をお持ちだったとは! ますます惚れました!!」
「えええええっ!? そこポジティブに受け取っちゃうの!?」
ローゼリアが思わずツッコミを入れる。
「私の国に来ていただければ、国庫の半分をあなたのために使いましょう! 最高のメイド、最高のシェフ、そして最高の軍隊をあなたに捧げます! 傭兵のような危険な真似はもうやめて、私の隣で、安全で幸福な人生を歩んでください!」
国庫の半分。王妃の座。安全で幸福な人生。
しかし、ローゼリアの心は1ミリも揺らがなかった。むしろ、(中身が男であるという)生理的な拒絶感が完全に振り切れていた。
「……断る」
ローゼリアは、シリウスの手を冷たく払い除け、明確な拒絶の意志を示して一歩後ろへと下がった。
「な、なぜですか! 資金が足りませんか!? ならば星を一つ……!」
「資金の問題ではない。妾は誰の所有物にもならんし、男に抱かれる趣味など微塵も持ち合わせておらん!」
ローゼリアは、漆黒のマントを翻し、傍らで長槍を構えるリアンヌの隣に並び立った。
「妾はかつて、お前が言うような『安全で幸福な鳥籠』にいたことがある。だが、そこは息が詰まるほど退屈で、自分の魂が死んでいくのが分かるような場所じゃった。……だから、妾は自分の足で、この果てしない星の海へと飛び出したのじゃ」
ローゼリアは、リアンヌの肩にポン、と手を置いた。
「それに……妾の隣には、すでに銀河で一番の騎士がおる。彼女の淹れる紅茶と、彼女の作る飯より美味いものを、妾は知らん。……国庫の半分を積まれようと、妾はこの自由な傭兵暮らしと、この最高の仲間を手放すつもりは毛頭ない」
「ローゼリア……!! ああ、我が姫君……!!」
リアンヌの碧眼から、ボロボロと大粒の嬉し涙が溢れ出した。彼女は長槍を放り投げ、ローゼリアにガバッと抱きついた。
「苦しい! リアンヌ、抱きしめる力が強すぎる!! 魔力装甲が軋んでおる!!」
「一生、一生お供いたします! 今夜は姫君の大好きなジャンクフード風の高級フルコースをお作りいたしますからね!!」
シリウス王子は、その完璧なまでに完成された主従の絆(と、絶対に埋まらない性別の壁)を見せつけられ、自分が入り込む隙など1ミリも存在しないことを悟った。
「……完敗、ですね。私では、あなたという気高い星を繋ぎ止めることはできないようだ」
シリウスは寂しそうに微笑み、深く頭を下げた。
「せめて、私を救ってくださった恩人として、ルミナ王国は戦乙女を永遠の賓客として遇することをお約束しましょう」
数時間後。
ルミナ星王国の首都星に無事シリウス王子を送り届けた母艦『エインヘリアル』は、莫大な依頼達成報酬を受け取り、早々にワープの準備に入っていた。
「——よし! 全報酬の振り込みを確認した。反乱軍グローリアの残党狩りは王国軍の仕事だ、私たちはこれ以上関わる必要はない。さっさとこの宙域からズラかるぞ!」
ブリッジで、ブリュンヒル団長がホクホク顔で指示を出す。
その傍らで、ローゼリアはリアンヌが淹れた極上の紅茶を啜りながら、フゥと息を吐いていた。
「なんとか無事に終わったのう。最後は妙な求婚をされてゾッとしたが」
「ええ。ですが、あの王子……別れ際に『私が銀河を統一するほどの男になったら、もう一度迎えに行きます!』などと未練たらしいことを喚いておりましたね。……やはり、今のうちに王宮ごと消し飛ばしておくべきでしたでしょうか」
リアンヌが、極めて物騒なことを涼しい顔で呟く。
「やめろリアンヌ! せっかく円満に終わったのに、我々が反乱軍になってしまうじゃろ!」
ローゼリアが慌てて嗜める。
「しかし、お姫様も罪な女だねぇ。帝国の令嬢から外宇宙の王子まで、行く先々でファンクラブが増えてくじゃないか」
ランドグリーズがニヤニヤと笑いながら肩を突いてくる。
「……ええ。お姫様のポンコツぶりを知らない者からすれば、あの顔面ダイブすらも『計算された芸術的な強襲』に見えるのでしょう。一種の宗教ですね」
ロスヴァイセも呆れ顔で眼鏡を押し上げた。
「ふはははっ! 良いではないか! これぞ黒き死神のカリスマじゃ!」
ローゼリアはドヤ顔で胸を張ったが、ふと、ある重大な事実に気づいて顔を青ざめさせた。
「……待て。ということは、妾はこれから先、いつどこでファンの目があるか分からんということか? 常に『クールでカッコいい死神』を演じ続けなければ、いつ幻想が崩壊してポンコツがバレるか分からんという……」
「その通りですわ、お姫様。これからは、廊下で躓いたり、ジュースと酒を間違えたりするだけでも、銀河規模のゴシップになりますよ」
オルトリンデが、端末を操作しながら無慈悲な事実を突きつけた。
「ひぃぃぃぃぃっ!? そ、そんなプレッシャーの中で生きていけるわけがないじゃろ! 妾はただ、カッコよく無双してキャーキャー言われたいだけなんじゃぁぁっ!」
頭を抱えて円卓に突っ伏すローゼリア。
「ご安心ください、ローゼリア! いかなるパパラッチのカメラも、私がすべて物理的に破壊いたします! 姫君の愛らしいポンコツな御姿は、このリアンヌだけの特権ですから!」
リアンヌが、ズレた方向で絶対の庇護を約束する。
「お前ら、いい加減にしろ。少しは傭兵らしく……うっ、また胃が……」
ブリュンヒルデが特大の胃薬を流し込む音が、ワープの駆動音と共にブリッジに響き渡る。
かくして、外宇宙での王子救出任務は、ローゼリアの心身(中身の男としての貞操)を守り抜きつつ、戦乙女たちの騒がしくも平和な日常の1ページとして幕を閉じるのであった。




