第八十六話:真紅の令嬢の旅立ちと、公爵家からの破格の報酬
「いいですか、エリーゼ令嬢。姫君のファンを名乗るなら、まずはそのピーキーな愛機の操縦精度をあと二段階は引き上げることですね。今のままでは、姫君の背中を追うどころか、推進剤のカスを被るのが関の山です」
「な、なんですって!? わたくしのロゼット・グレイスの機動力を舐めないでくださいませ! 次にお会いする時までには、あなたのような過保護騎士、あっという間に追い抜いてみせますわ!」
臨時ベースコロニーのVIPラウンジでは、純白の騎士と真紅の令嬢による、終わりの見えない『推し(ローゼリア)を巡るマウント合戦』が延々と繰り広げられていた。
金髪と赤髪が物理的に火花を散らす中、その中心に座らされている黒き死神ローゼリアは、優雅に紅茶を啜りながら内心で盛大に悶えていた。
(ふははははっ! 両手に花! しかも両方とも妾の強火オタク! ここは天国か!? いや、しかしこのままではラウンジが嫉妬の炎で酸欠になってしまう……!)
そろそろ止めに入るべきか、限界オタクとしてこの特等席での鑑賞を続けるべきか。
ローゼリアが真剣に悩んでいると、ラウンジの扉が開き、帝国軍の制服を着た士官が敬礼をして入ってきた。
「エリーゼ令嬢。マーベリック公爵の私兵艦隊が、お迎えのために本コロニーの宙域に到着いたしました。速やかにご帰還の準備を」
「……お迎えが来ましたのね」
士官の言葉に、エリーゼはスッと真剣な表情に戻り、立ち上がった。
彼女は居住まいを正し、ローゼリアの前に進み出ると、公爵令嬢としての最も美しく、深いカーテシー(淑女の礼)を披露した。
「ローゼリア様。本日は、わたくしたちの愚かな演習に付き合っていただき、そして命を救っていただき、本当にありがとうございました。……このご恩は、マーベリック公爵家として、そしてエリーゼ個人として、決して忘れませんわ」
顔を上げ、ルビーのように赤い瞳でローゼリアを真っ直ぐに見つめるエリーゼ。
その瞳には、先ほどまでの意地っ張りなツンデレの欠片もなく、ただ純粋な憧れと決意が宿っていた。
「……いつか必ず、あなたに相応しいマギアナイト乗りになってみせます。だから、その時は……!」
「うむ」
ローゼリアは静かに立ち上がり、少しだけ背の低いエリーゼの頭にポン、と優しく手を乗せた。
「妾は逃げも隠れもせん。お主が真の強さを手に入れた時、再びこの星の海のどこかで会おう。……楽しみに待っておるぞ、エリーゼ」
「っ……! はいっ!!」
エリーゼの顔がパァァッ! と花が咲いたように明るくなり、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
彼女は名残惜しそうにローゼリアを見つめた後、クルリと踵を返し、リアンヌの方を向いた。
「リアンヌさん。あなたには、色々と生意気を言ってしまいましたわ。……でも、ローゼリア様の絶対の盾としてのあなたのお力、心から尊敬しておりますのよ」
「……エリーゼ令嬢」
「次に会う時は、わたくしがその盾の座を奪ってみせますから、せいぜい油断なさいませ!」
フンッ、と赤髪の縦ロールを揺らし、不敵に笑うエリーゼ。
リアンヌは目を丸くした後、フッと——氷が溶けるような、それでいて不敵な笑みを返した。
「ええ。せいぜい足掻いてみることですね、若き雛鳥。……私が姫君の隣を譲ることなど、宇宙が終焉を迎えてもあり得ませんが」
二人はバチバチと視線を交わしながらも、どこか『好敵手』と認め合ったような、清々しい空気を漂わせていた。
そして、エリーゼは護衛の士官たちと共に、ラウンジを後にしたのだった。
数時間後。
母艦『エインヘリアル』のブリッジ。
「——というわけで、これにて帝国立マギアナイト学園の護衛任務、完全コンプリートだ。お前ら、ご苦労だったな」
円卓の特等席で、特大の胃薬の瓶をデスクに置きながら、ブリュンヒルデ団長が深く息を吐き出した。
その顔には、いつもの胃痛による苦悶の表情はなく、どこか晴れ晴れとした笑みが浮かんでいる。
「団長、ずいぶんと機嫌が良いようじゃな。バルボア公爵家のバカ息子を脅した件で、また帝国からクレームが来たのではないかとヒヤヒヤしておったのじゃが」
ローゼリアが首を傾げると、ブリュンヒルデはニヤリと笑ってホログラムモニターを起動した。
「クレームどころか、特大のボーナスが振り込まれたんだよ。見ろ、この数字を」
モニターに表示されたのは、エインヘリアルのメイン口座の残高。
そこに並んだ『ゼロ』の数を見て、ローゼリアと三姉妹は一斉に息を呑んだ。
「なっ……!? な、なんじゃこの額は!? 最初の契約金の五倍……いや、十倍以上あるぞ!?」
「マーベリック公爵からの、正式な【特別報酬】だ。愛娘を暗殺の危機から救い出したこと、そして政敵であるバルボア家の尻尾を掴む決定的な証拠を手に入れたこと。……公爵は狂喜乱舞して、この莫大な金を即座に振り込んできた」
「マジかよ! これならシミュレーターの修理費なんてお釣りが出るどころか、最新鋭の戦艦がもう一隻買えちゃうぜ!」
ランドグリーズが目を輝かせてバンバンと机を叩く。
「……権力者の懐の深さ、恐るべしですね。これで当面の弾薬費と機体のメンテナンス費には困りません」
ロスヴァイセも、安堵の息を漏らしながら眼鏡を押し上げた。
「これだけではないぞ」
ブリュンヒルデは、さらにコンソールのボタンを押した。
ブリッジの床下から、自動搬送用のエレベーターがウィーンと音を立てて上がってくる。
そこに積まれていたのは、豪奢な装飾が施された、巨大な木箱の山だった。
「これは、エリーゼ令嬢からローゼリア宛の『個人的な贈り物』だそうだ。皇族御用達の最高級の紅茶葉、宝石のように美しい帝国の伝統菓子、そして……」
ブリュンヒルデが箱の一つを開けると、そこには。
**『ローゼリア様へ 愛を込めて エリーゼ・マーベリック』**
という金文字がデカデカと刺繍された、特注の超高級シルクのクッション(タナトスとローゼリアのシルエット入り)が入っていた。
「…………」
「…………」
ブリッジが静まり返る。
「……なんじゃこれは」
「ファンメイドの非公式グッズ(激重)ですね」
オルトリンデが冷静に分析を下す。
「あははははっ! お姫様、めっちゃ愛されてんじゃん! 愛情が重すぎて物理的な質量を持ってるぜ!」
ランドグリーズが腹を抱えて爆笑する。
ローゼリアは顔を真っ赤にして固まっていた。
(うおおおおっ……! 推しからの逆ファンサ!? いや、これファンメイドの痛グッズじゃねぇか! 嬉しいけど! めちゃくちゃ嬉しいけど、皆の前で見られるのは恥ずかしすぎるゥゥゥッ!!)
しかし、その限界オタクの喜びは、背後から放たれた『強烈な冷気』によって一瞬で凍りついた。
「——なるほど。公爵令嬢ともあろうお方が、このような『手作りの貢ぎ物』で我が姫君の心を籠絡しようとは……。やはり、あの小娘は危険な存在でしたね」
リアンヌであった。
彼女は、見事な金髪を逆立て、碧眼に暗い炎を灯しながら、シルクのクッションをまるで不発弾でも見るかのように睨みつけている。
「り、リアンヌ様……? その、これはただのファンからの贈り物であって、他意は……」
「お気になさらず、ローゼリア。このクッションは、私が責任を持って『安全な場所』に隔離……いえ、厳重に保管しておきます。万が一、変な盗聴器や呪いが仕込まれていたら大変ですからね」
「呪いって! 令嬢がそんなことするわけないじゃろ!」
「そして、このお菓子の山も。姫君の美しいプロポーションを維持するため、私が完璧な栄養管理のもと、一日一個ずつ支給させていただきます」
「えええええっ!? そんな殺生な! 妾は今すぐこの宝石のようなチョコレートを貪り食いたいんじゃが!?」
「ダメです。深夜のカップラーメンの件、私はまだ忘れておりませんよ」
ピシャリと言い放つ、絶対の盾。
「う、うおおおん……! 団長ぉ、助けてくれぇ……!」
ローゼリアが涙目で助けを求めるが、ブリュンヒルデは特大の胃薬を噛み砕きながら、フイッと顔を背けた。
「自業自得だ。……まあ、お前が公爵家の依頼を完璧にこなしてくれたおかげで、団の金庫は潤った。今夜は皆で、高級肉のフルコースでも食うとするか!」
「「「おおーっ!!」」」
姉妹たちの歓声がブリッジに響き渡る。
かくして、莫大な報酬と、強火オタクの令嬢からの激重なファンレター(物理)を手に入れた黒き死神は、嫉妬に燃える白銀の騎士の『徹底的な管理』に甘んじながらも、また一つ、星の海に新たな伝説を刻むのであった。




