第八十五話:演習ベースコロニーへの帰還と、招かれざる過去の亡霊
ブラッド・ハウンドの襲撃を退け、特務小隊を護衛しながら指定された安全宙域——帝国立マギアナイト学園が今回の演習の拠点として設営していた『臨時ベースコロニー』へと到着したタナトスとブラン。
コロニーの広大なハンガー(格納庫)には、襲撃の報を受けて慌ただしく行き交う帝国軍の整備兵や、青ざめた顔の教官たちの姿があった。
所定のデッキに機体を着艦させたローゼリアとリアンヌは、コックピットから降り立ち、無重力のエレベーターホールを経て、VIP用の応接ラウンジへと案内された。
「ふぅ。やはり重力下は落ち着くのう。宇宙空間での戦闘は、魔力炉の調整に少しばかり神経を使うゆえな」
漆黒のフリルがあしらわれた、軍服とゴシックドレスを融合させたようなローゼリアの専用パイロットスーツ。その裾を優雅に翻しながら、彼女はラウンジの最高級レザーソファに深く腰を下ろした。
「お疲れ様でございました、ローゼリア。すぐに温かい紅茶を淹れさせていただきます」
リアンヌは、純白と金を基調とした美しい騎士の装束を纏ったまま、ラウンジに備え付けられていたティーセットを素早く、かつ完璧な所作で準備し始めた。戦場から戻ったばかりだというのに、彼女の艶やかな金髪には塵一つ付いておらず、サファイアのように澄んだ碧眼は、主君への絶対的な忠誠と慈愛に満ちている。
(くぅぅぅっ……! 戦闘後のリアンヌ様の、この甲斐甲斐しいお世話! 最高すぎる! さっきまで鬼神のごとく敵のコックピットを叩き割っていたお方と同一人物とは到底思えん! ギャップ萌えの極みじゃ!!)
ローゼリアが内心で限界オタクの歓喜の涙を流していると、ラウンジの自動ドアがシュパッ! と勢いよく開いた。
「ロ、ローゼリア様!!」
飛び込んできたのは、真紅のパイロットスーツに身を包んだ少女——エリーゼ・マーベリック令嬢であった。
彼女の燃えるような赤髪の縦ロールがふわりと揺れ、ルビーのように赤い瞳は、憧れの英雄を前にした興奮でキラキラと輝いている。息を弾ませながら、彼女はローゼリアの前に駆け寄ってきた。
「おお、エリーゼ。無事に機体から降りられたようじゃな。怪我はないか?」
「は、はいっ! わたくしは傷一つありませんわ! すべて、ローゼリア様と……リアンヌさんが、完璧に守り抜いてくださったおかげです!」
エリーゼは、感極まったように両手を胸の前で組み、ローゼリアを見つめた。
「先ほどの戦いぶり、本当に、本当に凄かったですわ! 宇宙を舞う黒き死神……その圧倒的なお力が、わたくしたちの命を救ってくださった。……わたくし、一生かけてもこのご恩は忘れませんわ!」
(あばばばばばっ!! 至近距離からのファンサの恩恵が直撃した!! 可愛い! さっきまで「勘違いしないでよね!」とか言ってたツンデレ令嬢が、完全にデレモードに入っておる! これが……これが、推される側の喜びというやつか!!)
ローゼリアの脳内魔力炉は、尊さのあまりメルトダウン寸前であった。しかし、ここは気高きエースパイロットとしての威厳を保たねばならない。彼女は必死に表情筋を制御し、フッとクールな笑みを浮かべた。
「案ずるな。お主たちのような未来ある雛鳥を守るのは、我々戦乙女の務めゆえな。……それに、お主の采配も見事じゃったぞ。誇るが良い」
「っ〜〜〜〜!!ろ、ローゼリア様に、そこまで言っていただけるなんて……っ! わたくし、今死んでも悔いはありませんわ!!」
顔を真っ赤にして喜ぶエリーゼ。
その微笑ましい光景の背後から、コトリ、とソーサーにティーカップを置く静かな音が響いた。
「……エリーゼ令嬢。姫君があなたを褒められたのは、あくまで『学生にしては』という注釈付きの評価です。有頂天になって足元をすくわれないよう、今後も一層の精進をなさいませ」
リアンヌが、完璧な敬語の中に「私の姫君に気安く近づくんじゃねえ」という極寒のオーラを隠しきれないまま、冷ややかに告げた。彼女の碧眼が、エリーゼの赤い瞳を鋭く射抜いている。
「なっ……! わ、わかっていますわよ! 言われなくても、わたくしはもっと強くなって、いつかローゼリア様の隣に……っ!」
「無理ですね。姫君の隣は、物理的にも精神的にも、私が完全に包囲しておりますので」
バチバチバチッ!!
純白の装甲を纏う金髪の騎士と、燃えるような赤髪の令嬢の間に、見えない火花が散り始めた。
(ああっ、もう! 二人とも可愛いんじゃから、喧嘩しちゃダメじゃぞ! というか、リアンヌ様の嫉妬の炎が強火すぎて、ラウンジの室温が下がっておる気がする!)
ローゼリアが苦笑しながら、淹れたての紅茶を口に運ぼうとした——その時だった。
「——ずいぶんと騒がしいな。下賤な傭兵どもが、帝国の神聖なる施設で随分とくつろいでいるではないか」
突如、ラウンジの入り口から、ひどく高圧的で、耳障りな声が響き渡った。
ローゼリアが眉をひそめて視線を向けると、そこには数人の取り巻き(護衛の騎士たち)を引き連れた、一人の見目麗しい青年が立っていた。
豪奢な金糸の刺繍が施された帝国の軍服を纏い、プラチナブロンドの髪を綺麗に撫でつけたその男の顔には、他者を完全に見下したような傲慢な笑みが張り付いている。
その姿を見た瞬間、ローゼリアの胸の奥で、ドス黒い不快感が渦を巻いた。
横にいたエリーゼが、ハッと息を呑んで顔を強張らせる。
「レ、レイモンド様……!? なぜ、バルボア公爵家の跡取りであるあなたがここに……!」
レイモンド・バルボア。
エーベルヴァイン帝国において、エリーゼの父であるマーベリック公爵家と双璧をなす権力を持つ、バルボア公爵家の嫡男であり——そして。
ローゼリアがまだ『皇女』として帝国に縛られていた時代の、【元婚約者】である。
「やあ、エリーゼ嬢。君の演習が野犬どもに襲われたと聞いて、はるばる視察に来てやったのだ。……しかし、まさかこんな『ゴミ』を護衛に雇っていたとは、マーベリック公爵の見る目も地に落ちたものだな」
レイモンドは、取り巻きを引き連れて悠然とラウンジに足を踏み入れると、ソファに座るローゼリアを見下ろし、嘲るように鼻で笑った。
「久しぶりだな、ローゼリア。……いや、今はしがらみを捨てて『戦乙女のエース』などと名乗っていたか? 皇族という至高の身分を捨て、泥に塗れて傭兵の真似事とは。お前も随分と安っぽくなったものだ」
レイモンドのその言葉に、ラウンジの空気が一瞬にして凍りついた。
「……レイモンド」
ローゼリアは、紅茶のカップをソーサーに戻し、赤い瞳を細めて目の前の青年を見据えた。
かつて、皇室と公爵家の結びつきを強めるための『政略結婚の駒』としてあてがわれた男。権力欲の塊であり、女性を自分の装飾品、あるいは血統を残すための道具としか見ていないその薄っぺらい性格。
国を捨て、傭兵として生きることを決断した理由の一つが、この男との息の詰まるような未来を拒絶するためだった。
「妾が安っぽくなったかどうかは、お主が決めることではない。それに、妾は今『傭兵』としてこの場にいる。依頼主以外の部外者と無駄口を叩くつもりはないのでな。用がないなら、とっとと消えろ」
ローゼリアが冷たくあしらうと、レイモンドの顔にピクッと青筋が浮かんだ。
「ふん、相変わらず可愛げのない女だ。皇女としての矜持すら忘れ、金で雇われる猟犬になり下がったか」
レイモンドは、ローゼリアを見下ろしながら、芝居がかった手つきで自分の前髪をかき上げた。
「だが、俺は慈悲深い男だ。お前がその薄汚い傭兵稼業から足を洗い、俺の足元にひれ伏して許しを請うなら……再び俺の『妻』になるチャンスを与えてやってもいいぞ? バルボア公爵家は次期皇帝の座に最も近い。俺が皇帝になった暁には、お前を側室くらいにはしてやろう」
ローゼリアは、心底からの軽蔑を込めて彼を見つめた。
(鳥籠の中でしか生きられない哀れな男じゃ。妾が今、この果てしない星の海で、どれほど自由に、どれほど充実した日々を送っているか……この狭い価値観でしか物を見れない男には、永遠に理解できまい)
ローゼリアが反論するよりも早く、凄まじい『殺気』がラウンジを包み込んだ。
「——下衆が。誰の許しを得て、我が姫君にその汚い口を利いている」
絶対零度の冷気。
リアンヌであった。
彼女は、先ほどまでの完璧な従者としての態度を完全に捨て去り、手袋に包まれた右手で腰の儀礼剣の柄を静かに握り締めていた。
美しい金髪が、彼女から放たれる魔力の余波でふわりと逆立ち、その碧眼には、レイモンドを「排除すべき汚物」として見る、底知れぬ暗い怒りが渦巻いている。
「な、なんだお前は! 公爵家の嫡男である俺に向かって、その態度は……!」
「私は、傭兵団『戦乙女』副団長、リアンヌ。そして、姫君のただ一人の『騎士』です」
リアンヌは、ゆっくりとローゼリアの前に歩み出た。
その放つ威圧感に、レイモンドの取り巻きの護衛騎士たちが思わず後ずさる。
「姫君は、あなたがたのような腐りきった権力の檻から自らの力で飛び立ち、誰よりも気高く、美しく、自由な魂を持ってこの星海を翔けておられる。……その姫君を『猟犬』と侮辱し、あろうことか『側室にしてやる』などという妄言を吐いたこと。万死に値します」
チャキッ……。
リアンヌが儀礼剣をわずかに鞘から抜く音が、静まり返ったラウンジに響き渡った。
「今すぐ、その薄汚い舌を引き抜いて姫君に詫びなさい。さもなくば、私がここであなたを……宇宙の塵として散らして差し上げます」
「ひっ……!?」
本物の戦場を潜り抜けてきた騎士の、一切の容赦もない本気の殺気。
温室育ちのレイモンドは、腰を抜かしそうになりながら、青ざめた顔で一歩後ずさった。
(ひぃぃぃぃぃっ!! リアンヌ様がガチでキレておられる!! カッコいい!! 超絶カッコいいけど、大貴族の跡取りをここで斬り捨てたら、傭兵団ごと帝国から指名手配されちゃうゥゥゥッ!!)
ローゼリアが止めに入ろうと腰を浮かせた、その時。
「——リアンヌさんの言う通りですわ! レイモンド様、今の発言は到底看過できるものではありません!!」
さらに声を上げたのは、エリーゼ令嬢であった。
彼女は、燃えるような赤髪を揺らし、レイモンドの前に堂々と立ちはだかった。
「エ、エリーゼ嬢……? 君は、我が帝国貴族でありながら、この傭兵どもの肩を持つというのか!?」
「ええ、持ちますわ! ローゼリア様は、わたくしの……わたくしたちの命の恩人であり、全銀河が認める最強のエースパイロットです! あなたのような、安全な後方でふんぞり返っているだけの男が、ローゼリア様の気高さを貶める権利など、一ミリたりともありませんわ!」
エリーゼは、公爵令嬢としての圧倒的な気品と覇気を放ち、レイモンドを真っ向から睨みつけた。
「そもそも、今回の演習を裏で操り、わたくしを亡き者にしようと『ブラッド・ハウンド』を雇い入れた黒幕……。バルボア公爵家……いえ、あなたですよね、レイモンド様?」
「なっ……!? き、貴様、何を根拠にそのようなデタラメを!」
レイモンドの顔から、さぁっ、と血の気が引いた。
「デタラメではありませんわ。ローゼリア様たちが捕らえた傭兵のデータから、既に父の元へ確たる証拠が送られております。……マーベリック家を出し抜き、帝国の実権を握るため、父を脅迫しようとした。違いますか?」
「くっ……!」
図星を突かれ、レイモンドは額から滝のような汗を流し始めた。
「わたくしの命を狙った上、わたくしの恩人であるローゼリア様を侮辱した罪。お父様を通じて、帝国議会に徹底的に糾弾させていただきますわ! 覚悟なさいませ!」
「おのれ……! たかが小娘が、バルボア家の次期当主であるこの俺に向かって……!」
追い詰められたレイモンドは、完全に理性を失い、腰の護身用レーザーガンに手を伸ばそうとした。
「……そこまでじゃ、レイモンド」
しかし、彼が銃を抜くよりも早く。
ローゼリアが、瞬きするほどの速さでレイモンドの背後に回り込み、その首筋に『氷のように冷たい手』を添えていた。
「ヒッ!?」
レイモンドは全身を硬直させた。彼が全く知覚できない速度での移動。それは魔力による【空間跳躍】の応用であった。
「お前は、本当に何も分かっておらんようじゃな」
ローゼリアは、レイモンドの耳元で、死神そのもののような冷酷な声で囁いた。
「妾が皇族の身分を捨てたのは、お前のような退屈な男から逃げるためだけではない。……この果てしなく広い星の海で、自分自身の魂が求めるままに、自由に翔けるためじゃ」
ローゼリアの赤い瞳が、レイモンドを完全に『無価値なゴミ』として見下ろす。
「妾は今、銀河最強の傭兵団のエースパイロットであり、最高の仲間と、最高の騎士に囲まれ、全銀河で一番幸福な日々を送っておる。……お前のちっぽけな権力争いなど、妾の休日のカップラーメン一杯分の価値すらないわ」
「な……っ!」
「これ以上、妾の可愛い護衛対象や、大切な騎士を煩わせるな。さっさと自分の鳥籠に帰って、震えて眠るが良い」
ローゼリアが首筋から手を離すと、レイモンドは糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
絶対的な「格の違い」。魔力の差などという次元ではない、魂の強さの差を見せつけられ、彼は完全に恐怖で心をへし折られたのだ。
「ひぃぃっ……! お、覚えていろ! お前たち、ただで済むと思うなよ!」
レイモンドは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、護衛の騎士たちに抱えられるようにして、ラウンジから逃げ出していった。
その無様な背中が見えなくなると同時に、ラウンジを包んでいた殺気と緊張感がフッと解けた。
「……ふぅ。やれやれ、面倒な茶番じゃったな」
ローゼリアが肩をすくめてソファに戻ると、リアンヌがパッと表情を明るくして駆け寄ってきた。
「ローゼリア! 先ほどのお言葉、胸が震えました! やはりあなたは、私の誇りであり、最高の主君です!」
リアンヌは、先ほどの般若のような顔が嘘のように、キラキラと目を輝かせてローゼリアの手を握りしめた。
「う、うむ。リアンヌも、妾のために怒ってくれて嬉しかったぞ。……ただ、本当に大貴族を斬り捨てるのは団長の胃に穴が空くから、今後は寸止めで頼むな」
「はいっ! 姫君の御心のままに!」
(うおおおお! リアンヌ様の手が温かい! 忠誠心MAXの推し、最高!!)
そして、もう一人。
顔を真っ赤にしてモジモジとしている赤髪の令嬢がいた。
「え、エリーゼも……その。わたくし、先ほどは生意気なことを言ってしまって……」
「何を言う。お主のタンカ、見事じゃったぞ。妾を恩人だと言ってくれて、嬉しかったわ」
「ひゃぅっ!? あ、あれは言葉のあやで! 決してそういう……っ!!」
ローゼリアがニヤリと笑ってからかうと、エリーゼは両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「……フッ。まあ、少しは見どころのある小娘のようですね。姫君の『ファン第一号』の座くらいは、認めてあげてもよろしくてよ」
リアンヌが、相変わらず冷たいトーンではあるが、少しだけ口角を上げてエリーゼを見下ろした。
「なっ! ファン第一号は当然ですわ! あなたに認められるまでもなく、わたくしがローゼリア様の一番のファンですのよ!」
エリーゼがガバッと顔を上げて反論する。
「いいえ。一番は私です。私は姫君のためなら命も捧げられますから」
「わ、わたくしだって、いつかローゼリア様の右腕として並び立つために……!」
「なんとでも。姫君が望むのは私の淹れる紅茶だけですから」
「おーい、二人とも……そこで張り合うのはやめるんじゃ……」
過去の忌まわしい因縁を一蹴し、最強のエースパイロットとしての矜持を見せつけたローゼリア。
しかし、彼女の周囲では、金髪碧眼の騎士と赤髪赤目の公爵令嬢という「二大強火オタク」による、新たなマウント合戦が幕を開けようとしていた。
黒き死神の悩み(と限界オタクとしての至福)は、星の海が続く限り、終わることはなさそうである。




