第八話:帝国の影と、白銀の騎士の激怒
商業ステーション『シャングリラ』での甘く刺激的な休日から数日後。
母艦『エインヘリアル』は、次の目的地へと向けて穏やかな星の海を航行していた。
最下層の特別格納庫では、青白い火花と機械音が鳴り響いている。
漆黒の古代機動騎士『ノワール』のコックピット周りに足場が組まれ、整備班長のフィーネが油まみれになりながら端末を叩き続けていた。
「よしっ! 演算コアへの魔力バイパス接続、完了! OSの書き換えも終わったぜ!」
フィーネがゴーグルを額に押し上げ、ニカッと笑う。
「どうだ、お姫様。あんたの思考速度に完全にシンクロする、フィーネ様特製の専用OSだ。これでシステムが処理落ちして足引っ張ることはもうねぇよ」
「ふむ。見事じゃ、フィーネ」
コックピットに座るローゼリアは、操縦桿に軽く魔力を流し込んでみた。
(……すごい! 前は少しだけラグがあった機体の反応が、完全に俺の手足と同じ感覚になってる。これなら、あの変態機動も無意識レベルで連発できるぞ!)
ローゼリアが内心で感動していると、格納庫の入り口から心地よい足音が近づいてきた。
「お疲れ様です、二人とも。差し入れの冷たいドリンクを持ってきましたよ」
「おっ、サンキュー副団長! 徹夜明けの身体に染みるぜぇ」
現れたのは、純白のパイロットスーツの上半身を脱ぎ、ラフなタンクトップ姿になったリアンヌだった。訓練上がりなのだろう、引き締まった白い肌にはうっすらと汗が浮かび、色気と健康美が凄まじいことになっている。
リアンヌはフィーネにドリンクを渡すと、コックピットから降りてきたローゼリアの元へ歩み寄った。
「ノワールの調整はうまくいきましたか、ローゼリア」
「う、うむ。フィーネの腕は確かじゃ。これで妾の力を、余すことなく引き出せるじゃろう」
ローゼリアは尊大に頷きながらも、リアンヌから漂ってくる甘く清潔な汗の匂いに、心臓の鼓動を跳ね上げさせていた。
休日のデートで一対のペンダント(実質的な婚約指輪)を交換して以来、リアンヌのローゼリアに対する距離感は、輪をかけてバグり始めていた。
「それは良かった。……髪に、少し埃がついていますよ」
リアンヌはごく自然な動作で顔を近づけ、ローゼリアの長い金髪を梳くように撫でた。そのままスッと流れるように、ローゼリアの華奢な肩を抱き寄せる。
(距離! 距離が近い!! しかも胸が当たってる! タンクトップ越しの破壊力えげつない!!)
ローゼリアは顔から火が出そうになるのを必死に堪え、あらぬ方向を睨みつけながら般若心経を唱え始めた。
表向きは「ふん、苦しゅうない」といった態度を装っているが、首元に光る純白のペンダントが、彼女の心臓の激しい鼓動に合わせて小刻みに震えている。リアンヌの胸元にも、お揃いの漆黒のペンダントが誇らしげに輝いていた。
平和で、甘くて、心臓に悪い最高の日常。
この天国のような日々が、ずっと続けばいい。
ローゼリアがそう願い、リアンヌの温もりに身を委ねかけた、その時だった。
ビーーッ! ビーーッ! ビーーッ!
突如、エインヘリアルの艦内に、最高レベルの非常警戒を示す真紅のランプが点滅し、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
『——総員、第一種戦闘配置! 繰り返す、総員第一種戦闘配置!』
艦内放送から、ブリュンヒルデ団長の切迫した声が飛ぶ。
『本艦の周囲に、大規模な艦隊がワープアウトしてきた! 数はおよそ百! 海賊の寄せ集めじゃない、正規軍の艦隊だ! ヴァルキュリア隊は直ちに出撃準備に入れ!』
「正規軍だと!?」
フィーネが端末を弾くように操作し、格納庫の巨大モニターに外部の映像を映し出した。
そこに映っていたのは、圧倒的な質量と統率をもってエインヘリアルを完全包囲する、漆黒と鋼色に塗られた大艦隊だった。
その旗艦の巨大な装甲には、剣と盾、そして『双頭の鷲』のエンブレムが刻まれている。
それを見た瞬間。
ローゼリアの全身から、スッと血の気が引いた。
(……嘘だろ。なんで、奴らがここに)
「あのエンブレムは……軍事国家、エーベルヴァイン帝国の艦隊ですね。しかも、最新鋭の戦艦ばかり。辺境を飛ぶ我々のような傭兵団に、何の用だというのでしょうか」
リアンヌが鋭い視線でモニターを睨みつける。
ローゼリアは、声を出せなかった。
忘れるはずがない。あの大艦隊は、自分を「出来損ない」「部品」と蔑み、宇宙空間へポイ捨てした実家——エーベルヴァイン帝国の精鋭部隊だ。
無意識のうちに、ローゼリアの身体がガタガタと震え始めた。どれだけチート級の魔力を手に入れようとも、十数年間にわたって刻み込まれた「虐待」と「幽閉」のトラウマは、彼女の心の奥底に暗い影を落としていたのだ。
「ローゼリア?」
リアンヌが異変に気づき、心配そうにローゼリアの肩を抱く手を強める。
その温もりに縋りつこうとした瞬間、格納庫のモニターに強制割り込みの通信が入った。
『——通信回線、繋がったか。聞こえるか、下賤な傭兵ども』
モニターに映し出されたのは、豪奢な軍服に身を包んだ、筋骨隆々の傲慢な男。
第一皇子、セドリック・エーベルヴァインだった。
「……ッ!」
ローゼリアは思わず息を呑み、リアンヌの背中に隠れるように一歩後ずさった。
『私はエーベルヴァイン帝国第一皇子、セドリック。貴様らのような宇宙のゴミに名乗るのもおぞましいが……単刀直入に用件を伝えてやろう』
セドリックは、虫ケラを見るような見下した目で画面越しに言い放った。
『貴様らの艦に、我が帝国から逃げ出した「所有物」が紛れ込んでいるはずだ。名前はローゼリア。金髪の、薄汚い小娘だ。そいつは帝国の防衛システムを維持するための「魔力電池(部品)」であり、我が国に帰属する物品である』
格納庫の空気が、ピシッと凍りついた。
フィーネが驚いたようにローゼリアを振り返る。
『それと、そいつが乗っていた「漆黒の機体」。あれも帝国の優れた軍事力となるべき兵器だ。直ちに小娘と機体を引き渡せ。そうすれば、女ばかりの軟弱な貴様らの艦を見逃してやらないこともないぞ』
「……」
セドリックの暴言に、エインヘリアルのブリッジにいるブリュンヒルデ団長が通信を繋ぎ返した。
『……ずいぶんとご立派な挨拶だね、帝国の皇子殿下。うちの可愛い新人を、物品だの電池だの……随分と舐めた口を利いてくれるじゃないか』
『事実を述べたまでだ。その女には、帝国のための部品として死ぬまで魔力を搾り取られる義務がある。……さあ、さっさと引き渡せ。女ごときが戦争ごっこなどと、笑わせるな』
(ああ……)
ローゼリアは、目をギュッと瞑った。
やっぱり、自分は逃げられないのだろうか。この幸せな天国から引き剥がされ、またあの暗く冷たい地下施設で、死ぬまで魔力を吸い取られるだけの乾電池に戻るのだろうか。
帝国を敵に回せば、戦乙女の皆にも迷惑がかかってしまう。なら、自分が大人しく出頭するしか——。
「——断る」
凛とした、しかし絶対零度の冷気を纏った声が、格納庫に響き渡った。
ローゼリアの前に庇うように立ち塞がったリアンヌが、通信モニターのセドリックを真っ直ぐに見据えていた。
「帝国がどれほどのものか知りませんが、我々『戦乙女』は、家族を売り渡すような恥知らずの集まりではありません」
『なんだと? 貴様、一介の傭兵の分際で、この私に……!』
「それと」
リアンヌの言葉は、怒りで微かに震えていた。
それは、自分自身への怒りではない。愛する少女を「部品」と呼び、尊厳を徹底的に踏みにじった眼前の男に対する、純度百パーセントの激怒だった。
「彼女は、物品などではない。私が生涯を懸けて守り抜くと誓った、気高き騎士であり——私の、かけがえのない魂の半身だ!」
リアンヌの宣言が、艦内中に響き渡る。
『戦乙女』のクルーたちは、その言葉に力強く頷き、誰一人として帝国に怯む様子は見せなかった。
『ほざけッ! 出来損ないのゴミに騎士だと!? ふざけるな、たかが女の傭兵団ごときが、帝国の誇る無敵の艦隊に勝てると思うなよ! 全艦、攻撃開始! あの小生意気な母艦を半殺しにし、小娘を引きずり出せ!!』
セドリックの号令と共に、帝国の艦隊が一斉に主砲のチャージを開始した。
通信が切れた格納庫で、リアンヌがゆっくりとローゼリアを振り返った。
その碧眼には、先ほどの激しい怒りは微塵もなく、ただローゼリアを安心させるような、果てしなく深い慈愛だけが満ちていた。
「ローゼリア。……怖かったですね。何も気づいてあげられなくて、ごめんなさい」
「リアンヌ……」
リアンヌはローゼリアの頬を両手で優しく包み込み、その震えを止めるように、自身の額をローゼリアの額にコツンと合わせた。
「もう、大丈夫です。あなたは部品なんかじゃない。私にとって、誰よりも愛おしく、誇り高い……世界でただ一人の、大切なお姫様ですから」
(————ッッッッッ!!!!)
ローゼリアの心臓が、限界を突破して強烈なビートを刻み始めた。
恐怖やトラウマなど、一瞬で宇宙の彼方へ吹き飛んでしまった。
(プロポーズ!! これもう完全に、命を懸けたプロポーズだよね!? しかもこんな、最高のタイミングで、最高のイケメンムーブで!!)
ローゼリアの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
それは悲しみの涙ではない。自分を縛り付けていた過去の呪縛が、大好きな人の言葉によって完全に打ち砕かれた、圧倒的な歓喜とカタルシスの涙だった。
「……ふん。馬鹿者め。妾が、あんなゴリラ兄上ごときに怯えるわけがなかろう」
ローゼリアは乱暴に涙を拭い、長い金髪をファサリと揺らして、不敵で尊大な笑みを浮かべた。
もう、迷いはない。自分はエーベルヴァイン帝国の落ちこぼれ皇女ではない。
『戦乙女』の双璧、ローゼリアなのだ。
「リアンヌ。お主こそ、妾の背中を任せたぞ。あのような井の中の蛙ども、妾の魔法で一匹残らず宇宙のチリにしてくれるわ!」
「ええ。我が槍に懸けて、あなたの道は私が開きます」
二人は力強く頷き合い、それぞれの愛機——漆黒の『ノワール』と、純白の『スローネ』へと乗り込んだ。
『ヴァルキュリア隊、全機発進! 相手は腐っても帝国の精鋭だ、油断するんじゃないよ!』
ブリュンヒルデの号令と共に、エインヘリアルのカタパルトから次々とマギアナイトが射出されていく。
「出るぞ、ノワール! 妾の真の力、銀河の果てまで見せつけてやる!!」
爆発的な魔力の輝きと共に、漆黒の悪魔が宇宙空間へと飛び出した。
「撃て! 撃てェ! 女どもの機体など、我らの強靭な装甲とパワーの前にすり潰してしまえ!」
セドリックの旗艦のブリッジでは、傲慢な怒声が響き渡っていた。
帝国のマギアナイト部隊は、分厚い物理装甲と巨大な実体剣を装備した、まさに「筋肉至上主義」を体現したような重機動兵器の群れである。数百という圧倒的な数で、エインヘリアルへと迫っていた。
『ふん。数ばかり揃えても、中身が伴っておらねばただの的じゃ』
全通信回路に、底冷えするような尊大な少女の声が響く。
「なんだと!? 貴様、ローゼリアか!」
『妾をその気安き名で呼ぶな、ゴリラ兄上。……お主らが崇拝するその筋肉とやらが、いかに無力で滑稽なものか、とくと味わうが良い』
セドリックの目の前のメインモニターに、戦闘機形態の『ノワール』が映し出された。
「やっちまえ! あの黒い機体を捕獲しろ!」
帝国の部隊が、一斉にノワールに向けて実弾とビームの雨を降らせる。
しかし、ノワールには一発たりとも当たらない。
フィーネによって完璧にチューニングされた専用OSは、ローゼリアの思考(魔力制御)をラグなしで機体に直結させていた。
空間の反発力を利用した、慣性法則を完全に無視した超絶変態機動。ノワールは、弾幕の間をまるで瞬間移動しているかのようにすり抜け、帝国艦隊の頭上高くへと舞い上がった。
「な、なんだあの動きは!? あり得ん、搭乗者はGでミンチになっているはずだぞ!」
驚愕する帝国兵たちを冷酷に見下ろし、ローゼリアは自身の『無尽蔵の魔力タンク』の栓を全開にした。
「さあ、掃除の時間じゃ。……消し飛べ」
ノワールの機体下部から展開された『長距離魔導砲』が、太陽のように眩い赤黒い閃光を放つ。
それは、以前の海賊討伐の時とは比べ物にならない、極限まで圧縮された絶望的な質量のエネルギー奔流だった。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
一撃。
たった一回の砲撃で、帝国が誇る分厚い物理装甲の巡洋艦が十隻、周囲のマギアナイト部隊ごと『完全に蒸発』した。
爆発の炎すら残らない。圧倒的な熱量によって、宇宙のチリすら残さず消滅したのだ。
「……は?」
セドリックは、開いた口が塞がらなかった。
帝国の最新鋭艦隊の十分の一が、一瞬で消えたのだ。あの、自分が見下し、出来損ないと蔑んでいた妹の、たった一度の攻撃で。
「ば、馬鹿な……。あんな火力、人間が制御できるはずがない! まぐれだ、全機突撃しろ! 奴を落とせェェッ!!」
パニックに陥ったセドリックの命令で、残存する帝国のマギアナイト部隊がノワールへと殺到する。
しかし、ローゼリアの口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「トランスフォームッ!」
ノワールが空中で鮮やかに人型形態へと変形する。
両手に『対魔導対艦刀』と『対物対艦刀』を構えた漆黒の死神は、迫り来る帝国の重機動兵器の群れへと、自ら突撃していった。
「死ねェ、小娘ェッ!」
帝国兵が巨大な大剣を振り下ろす。
だが、ノワールはそれを軽々と躱し、すれ違いざまに『対物対艦刀』を振るった。
ズバァァァッ!
帝国の誇る重装甲が、まるで豆腐でも切るかのように両断される。
「硬いだけで鈍重な機体など、妾の剣の前では無意味じゃ!」
右へ、左へ。
ノワールが宇宙空間を舞うたびに、帝国のマギアナイトが次々と爆散していく。格闘戦においても、魔力で機体性能を限界突破させているローゼリアには、物理的な腕力など一切通用しない。
だが、敵は数が多い。
ローゼリアの死角を突き、三機の帝国機が同時に背後から襲いかかってきた。
「もらったァッ!」
——しかし、その刃がノワールに届くことは、永遠になかった。
「我が姫君の背中には、指一本触れさせませんッ!!」
純白の閃光。
リアンヌの駆る高機動重装甲機『スローネ』が、猛烈なスラスターの推進力で割り込み、分厚い盾で三機の攻撃を同時に受け止めた。
「な、なんだこの白い機体は! 力負けしないだと!?」
「帝国の筋肉信仰など、私の誓いに比べれば羽毛より軽い!!」
リアンヌが巨大な『突撃重槍』を一閃させる。
圧倒的な技量と、一点突破の破壊力。三機の帝国機は、その重厚な装甲ごと一撃で心臓部を貫かれ、無惨に散っていった。
『見事じゃ、リアンヌ!』
『ええ、あなたこそ。さあ、一気に旗艦まで押し込みますよ!』
黒と白の双璧。
かつて帝国に捨てられた少女と、彼女を拾い愛した騎士。
二機の機体は完璧なシンクロを見せながら、絶望する帝国の艦隊を、蹂躙という言葉すら生ぬるい圧倒的な暴力で切り裂き、セドリックの待つ旗艦へと一直線に迫っていくのだった。




