第七十九話:月夜のクルージングと、動かざる死神の汚名返上
カジノでの『顔面スライディング・ダイブ』という、前代未聞の大失態から一夜明けた翌日の夜。
傭兵団『戦乙女』の面々は、アクアリアの海上都市から少し離れた静かな海域に浮かぶ、超高級な魔力駆動式クルーザーの甲板で潮風に吹かれていた。
昨夜、ローゼリアがビギナーズラックで稼ぎ出した莫大な資金(没収される前にブリュンヒルデがちゃっかり換金していた)を使って貸し切った、VIP専用のプライベート・クルーズである。
「はぁ……。妾のクールでダークな威厳は、もう海の底じゃ……」
甲板のデッキチェアに深く沈み込み、ローゼリアはどんよりとしたオーラを放っていた。
彼女の手には、昨日の教訓を生かして『絶対にお酒が入っていない』と証明された、ただのオレンジジュースが握られている。
「そんなことありませんよ、ローゼリア。昨夜の盤面を支配する圧倒的な勝負強さ、このリアンヌ、心の底より感服いたしました」
落ち込むローゼリアの傍らに寄り添い、優しく慰めるのは我が忠騎士リアンヌである。
今夜のリアンヌは、タキシードから一転、月光を織り込んだような美しい銀糸のイブニングドレスに身を包んでいた。白銀の髪は上品に結い上げられ、普段の凛々しさの中に、息を呑むような女性らしい艶やかさが同居している。
(うおおおおおっ……! 月夜のドレス姿のリアンヌ様!! これぞまさにSSRを超えるUR!! 落ち込んだ心が、推しの美しさで急速に浄化されていくゥゥゥッ!!)
内心では滝のような嬉し涙と鼻血を流しながら、ローゼリアは表面上、気高い死神としてのポーカーフェイスを必死に保っていた。
「う、うむ……。リアンヌがそう言ってくれるなら、少しは救われるというものじゃ」
「ええ。それに、どんなお姿であろうと、ローゼリアが私の最も敬愛するお方であることに変わりはありませんから」
リアンヌが微笑み、ローゼリアの手をそっと握る。
その温もりに、限界オタクの精神が完全復活を果たそうとした——その時だった。
——ウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
突如として、クルーザーの警報システムがけたたましいサイレンを鳴らした。
同時に、周囲のエメラルドグリーンの海が、墨を流したようにドス黒く染まっていく。
「なんだ!? 敵襲か!?」
船内から、軍服姿のブリュンヒルデが血相を変えて飛び出してきた。
「団長、海中から巨大な魔力反応です! ……これは、マギアナイトではありません。現地の『原生生物』です!」
オルトリンデがタブレットを弾きながら叫ぶ。
直後、クルーザーの数十メートル先の海面が、爆発したように大きく盛り上がった。
ザバァァァァァァァァンッ!!!
『ギィヤァァァァァァァァァァッ!!!』
月明かりの下に姿を現したのは、全長百メートルを優に超える、巨大なタコと海竜を混ぜ合わせたような深海の巨大魔獣『アクア・リヴァイアサン』であった。
無数の太い触手が海面を打ち据え、その巨大な口からは、船の装甲を容易く溶かすであろう強力な酸の息が漏れ出ている。
「おいおい、リゾート星の近海にこんなバケモノが潜んでたのかよ!」
ランドグリーズが舌打ちし、拳を鳴らす。
「強大な魔力を持つお姫様や私たちの存在に惹きつけられて、深海から浮上してきたのでしょう。……姉さん、マギアナイトを呼びますか?」
ロスヴァイセが眼鏡を光らせ、迎撃の態勢をとる。
しかし。
「——待て。お前たちは手出し無用じゃ」
静かに立ち上がったのは、黒き死神ローゼリアであった。
彼女はオレンジジュースのグラスをテーブルにコトリと置くと、漆黒のドレスの裾を翻し、クルーザーの舳先へとゆっくりと歩み出た。
「おいローゼリア! マギアナイトにも乗らずに、生身でアレを相手にする気か!? お前の運動神経じゃ、触手を避けようとして自分の足に躓いて海に落ちるのがオチだぞ!!」
ブリュンヒルデが、エースパイロットのポンコツっぷりを懸念して叫ぶ。
「ふっ。案ずるな、団長」
ローゼリアは、舳先の先端で立ち止まり、両腕を胸の前で優雅に組んだ。
(ふはははっ! 団長の言う通り、妾が回避行動など取れば、確実に自分のドレスの裾を踏んで海にダイブする未来しか見えん! じゃからこそ——『一歩も動かなければ』良いのじゃ!!)
これこそが、数日間のバカンスで己の絶望的な運動神経を自覚したローゼリアが編み出した、最適解であった。
『動けば転ぶ。ならば、固定砲台になれば最強である』と。
「リアンヌ。よく見ておれ」
「はい、ローゼリア……!」
リアンヌが、祈るように両手を組んで主君の背中を見つめる。
『ギョェェェェェェェッ!!』
巨大魔獣が、クルーザーを粉砕すべく、数人がかりでも抱えきれないほどの極太の触手を十本同時に振り下ろしてきた。
直撃すれば、超高級クルーザーなど一瞬で木っ端微塵である。
しかし、ローゼリアは腕を組んだまま、ピクリとも動かない。
ただ、赤い瞳に冷酷な死神の光を宿し、呟いた。
「——【終焉の黒雷】」
瞬間。
ローゼリアの足元から、宇宙空間すらも歪めるほどの莫大でドス黒い魔力が、嵐のように吹き荒れた。
ドッゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
ローゼリアの周囲の空間から、数万条にも及ぶ『漆黒の雷』が全方位に向かって放射状に撃ち出された。
それは、魔法というよりも、純粋な破壊エネルギーの奔流であった。
振り下ろされた十本の巨大な触手は、ローゼリアに届く数十メートル手前で、漆黒の雷に触れた瞬間に『蒸発』した。
血肉が飛び散る暇すらない。細胞レベルで原子崩壊を起こし、虚無へと消え去ったのだ。
『ギ、ギャァァァァ……!?』
自らの触手が一瞬で消滅したことに驚愕する魔獣。
「ふん。図体がデカいだけの雑魚が。妾のバカンスを邪魔した罪、その身で贖うが良い」
ローゼリアが、組んでいた右手をスッと天に向かって掲げる。
そして、無造作に指を鳴らした(スナップ)。
パチンッ。
——ズチュドォォォォォォォォォォンッ!!!!
上空の雲が渦を巻き、天から直径数十メートルに及ぶ『漆黒の雷の柱』が、魔獣の脳天へと直撃した。
悲鳴を上げる間もなく、百メートルを超えるリヴァイアサンの巨体は、一瞬にして光の中に飲み込まれ、完全に消滅した。
後に残されたのは、魔獣がいた空間にポッカリと空いた、海水すらも蒸発して底が見えるほどの巨大な海の『窪み』だけであった。
「…………」
「…………」
数秒後。
周囲の海水がザザァァァッと窪みを埋める音だけが、静かな夜の海に響き渡った。
「ふぅ。少しは魔力炉のガス抜きになったわい」
ローゼリアは、一歩も、ただの一ミリもその場から動くことなく、ドレスの乱れすら見せずに振り返った。
「どうじゃ、リアンヌ? 妾の魔法は」
「——す、素晴らしいです!!」
リアンヌは目を輝かせ、パチパチと弾かれたように拍手をした。
「一歩も動かず、あの巨大な魔獣を瞬殺するとは! やはりローゼリアは、銀河で最も気高く、そして最強の死神です! 私、ますます惚れ直してしまいました!」
(よ、よぉぉぉぉぉぉしッ!! 大成功じゃァァァッ!!)
ローゼリアの内心では、限界オタクが歓喜の舞を踊っていた。
カジノでの大失態も、スイカ割りでの自爆も、すべてはこの瞬間のための壮大な前フリ(伏線)であったと錯覚するほどの、完璧でクールな立ち回り。
「さすがお姫様! 魔法だけならマジで神様レベルだな!」
ランドグリーズも口笛を吹く。
「ええ。……運動さえしなければ、これほど頼もしいエースはいませんね」
ロスヴァイセの少し棘のある称賛も、今のローゼリアにとっては心地よいBGMであった。
「ふはははっ! 当然じゃ! 妾にかかれば、あんなトカゲの化け物など……」
勝ち誇ったローゼリアが、優雅に髪をかき上げようとした——その時。
バキィィィィンッ……!!
ローゼリアの足元——クルーザーの舳先から、不吉な亀裂音が響いた。
「……ん?」
「おい、バカ! ローゼリア!」
ブリュンヒルデが、特大の胃薬を落として絶叫した。
「お前が『一歩も動かずに』超高密度の魔力を放出したせいで、足元のクルーザーの甲板が魔力負荷に耐えきれずに崩壊し始めてるぞォォォッ!!」
「えっ!?」
ローゼリアが足元を見下ろした瞬間。
パァンッ!! と、彼女が立っていた舳先の甲板部分だけが、見事に丸くくり抜かれるように崩落した。
「あべばっ!?」
完璧な固定砲台と化していたローゼリアは、そのまま真っ逆さまに、ぽっかりと空いた穴からクルーザーの船底へと落下していった。
「ロ、ローゼリアァァァァッ!! 今お助けします!!」
リアンヌが悲鳴を上げ、純白のドレスを翻して穴の中へとダイブしていく。
「あーあ。せっかく綺麗に決まったのに、最後の最後で足場ごと落ちていくとはね」
ランドグリーズが呆れ笑いをする。
「お前らァァァッ!! この超高級クルーザーの修理費、絶対にローゼリアの給料から全額天引きしてやるからなァァァッ!!」
美しい星空と、波の音、そしてブリュンヒルデの悲痛な叫び声。
最強のエースパイロットが誇る『絶対的な魔法の力』と『絶望的なまでのオチ』をもって、戦乙女たちの騒がしくも平和なバカンスは、最高に彼女たちらしい形で幕を閉じるのであった。




