第七十八話:黒歴史の代償と、カジノで舞う死神(ギャンブラー)
「消せェェェェッ!! 今すぐその忌まわしい映像を宇宙の果てまで消し去るのじゃァァァッ!!」
アクアリアの最高級リゾートホテル、その最上階にあるスイートルーム。
朝の爽やかな陽光が差し込む中、黒き死神ローゼリアの悲痛な叫びが響き渡っていた。
大型モニターでは、泥酔した彼女が自分自身にフリスビーをぶつけて悶絶する姿や、砂の城にバックドロップをキメる姿、そして極めつけに『リアンヌのお風呂のお湯』をねだる姿が、残酷なまでの超高画質ループで再生され続けている。
『……ふふっ。お目覚めはいかがですか、我が部隊が誇る【最強のエースパイロット】殿』
モニターの端に通信ウィンドウが開き、丸眼鏡を光らせた三女オルトリンデが、意地悪な笑みを浮かべていた。
「オルトリンデェェェッ! 貴様、よくも妾の隙を突いてこんな恥晒しな映像を……! さっさとデータを削除せんか! さもなくばお主の狙撃ライフルのスコープを全部黒塗りにしてやるぞ!」
『おや、恐ろしい。ですが、このデータは既にバハムートの強固なプロテクトをかけて、複数のクラウドに分散保存済みです。私を脅しても無駄ですよ』
オルトリンデは優雅にコーヒーを啜りながら、悪びれもせずに要求を突きつけてきた。
『この動画のマスターデータを削除してほしければ、次期狙撃兵装の開発予算を私の口座に全額回すこと。そして、私の新しい実験兵器の【テストの的】になることを承諾してください』
「完全な恐喝じゃ!! 傭兵団の仲間から巻き上げるでない!!」
ローゼリアが涙目で抗議していると、傍らで静かに控えていたリアンヌが、スッ……と一本の『美しいガラス瓶』をローゼリアの前に差し出した。
「ローゼリア。そのような下劣な脅迫に屈する必要はありません。……さあ、こちらを」
「ん? なんじゃこれは。香水か?」
美しいクリスタルガラスの小瓶には、透明な液体がなみなみと注がれ、銀色のリボンが丁寧に結ばれていた。
「いいえ。あなたが昨日の夕暮れに、全財産を投げ打ってでも欲しいと仰った……【私のお風呂のお湯】です」
「…………は?」
リアンヌは、頬をほんのりと桜色に染め、極めて真剣な、そして主君への愛に満ちた眼差しでローゼリアを見つめた。
「不純物が入らぬよう、二度ほど魔力濾過をかけました。ほんのりとですが、リラックス効果のあるローズのバスソルトの香りも残してあります。……さあ、どうぞお受け取りください」
「…………ッ!!!」
(キ、キタァァァァァァァァァァァァッ!! 嘘でしょ!? あの泥酔状態の限界オタクの妄言を、リアンヌ様は100%の善意と忠誠心で真に受けて実行しちゃったの!? しかもご丁寧に濾過と香り付けまで!? 推しの風呂の湯(物理)とか、オタクにとっての聖遺物じゃねぇか!!)
ローゼリアの脳内で、理性を司るストッパーが「パァンッ!」と音を立てて弾け飛んだ。
顔面を沸騰したヤカンのように真っ赤に染め上げ、震える手でそのクリスタル瓶を受け取ろうとする。
「あ、ありがとう、リアンヌ様……! これは家宝として、死ぬまで神棚に飾って……」
『——朝からバカなことやってないで、さっさと着替えろ、お前ら』
突如、部屋のドアがバンッ! と開き、特大の胃薬をかじりながらブリュンヒルデ団長が入ってきた。
彼女は、ローゼリアが受け取ろうとしていた『聖遺物』をヒョイッと横取りすると、そのままゴミ箱へと放り投げた。
「ああっ!? 妾のSSR確定報酬がァァッ!!」
「やかましい。エースパイロットが仲間のお湯をありがたがってるんじゃない。……ほら、これに着替えろ。今夜は少し、大人の遊び場に行くぞ」
ブリュンヒルデがベッドの上に放り投げたのは、黒と白の豪奢な衣装袋だった。
「大人の遊び場……?」
「そうだ。アクアリア中央海上都市にある、【グランド・カジノ】だ。せっかくのバカンスだ、砂浜で泥酔してクレーターを作るだけじゃなく、優雅なギャンブルでも楽しんでこい」
数時間後。
夜の帳が下りたアクアリアの海上都市は、眩いばかりのネオンと煌びやかなイルミネーションに包まれていた。
全銀河のセレブや大富豪が集う『グランド・カジノ・アクアリア』の豪奢なエントランスに、二人の人影が降り立った。
「……ふむ。なかなか悪くない場所じゃな」
ローゼリアは、漆黒のフリルとレースが幾重にも重なった、ゴシック・エレガントなイブニングドレスに身を包んでいた。普段の戦闘的な雰囲気とは裏腹に、妖艶でミステリアスな『黒き死神』のカリスマが完全に戻ってきている。
しかし、彼女の内心は別の意味で激しく荒れ狂っていた。
(うおおおおおっ!! リアンヌ様の白タキシード姿!! 破壊力がエグい!! エグすぎる!!)
ローゼリアの隣を歩くリアンヌは、純白のスラックスに、白銀の刺繍が施された美しいタキシードジャケットを羽織っていた。
長い銀髪を一つにまとめ、凛々しい男装の麗人スタイルでローゼリアをエスコートするその姿は、すれ違うカジノの客たち(男女問わず)の視線を釘付けにしていた。
「ローゼリア。エスコートはお任せください。今夜は、いかなる不届き者からもあなたをお守りしてみせます」
リアンヌが、白手袋に包まれた手を差し出す。
「う、うむ。頼もしいぞ、リアンヌ」
(ダメだ、直視できない! イケメンすぎて目が潰れる! 今日こそは、今日こそは絶対にポンコツを晒さず、この完璧なリアンヌ様に相応しい『クールで知的なギャンブラー』を演じ切ってみせる!)
カジノのフロアには、ルーレット、ポーカー、ブラックジャックなど、様々な遊戯台が並び、熱気に包まれていた。
ブリュンヒルデから渡された「遊興費」のチップが入ったトレイを持ち、ローゼリアは最も華やかなルーレットのテーブルへと向かった。
「……見よ、リアンヌ。ギャンブルとは運ではない。確率と統計、そして場の『魔力』を読む高度な知的遊戯じゃ。妾の卓越した頭脳戦を、とくと拝見するが良い」
ローゼリアは自信満々に鼻を鳴らし、テーブルの前に立った。
しかし、彼女は重大な事実を一つ隠していた。
(……実は、カジノなんて来るの初めてだから、ルールのル文字も知らんのじゃ!!)
「素晴らしいです、ローゼリア! さすがは我らがエース。戦場だけでなく、盤上でも無敵なのですね!」
リアンヌがキラキラと尊敬の眼差しを向けてくる。
(引けない! このリアンヌ様の期待の眼差しの前で、「賭け方わからん」なんて絶対に言えない!)
「さあ、張ってください(プレイス・ユア・ベット)」
ディーラーが恭しく声をかける。
ローゼリアは、トレイに入っていたチップ(日本円にしておよそ数千万円相当)を、無造作に鷲掴みにした。
(ええい、どうせブリュンヒルデの金じゃ! よくわからんが、妾のパーソナルカラーである『黒』か『赤』に賭ければいいんじゃろ!)
「——【赤の13】じゃ。全額」
ローゼリアは、チップの山を『赤の13』の単一数字にドサッと置いた。
周囲の客たちが「なっ!?」と息を呑む。
初手から、最も確率の低い一点賭け(勝率約2.7%)への全額ベット。狂気の沙汰である。
「ロ、ローゼリア!? 初手から全額ですか!?」
「ふはははっ! 案ずるなリアンヌ! 妾の『神話の直感』が、ここだと告げておるのじゃ!」
(やばい! 適当に置いた場所がなんかヤバい賭け方だったっぽい!? でも引くに引けん!!)
ディーラーが僅かに顔を引きつらせながら、ウィールにボールを投げ入れた。
カラカラカラ……という音が、異様な緊張感の中で響き渡る。
ボールの勢いが落ち、数字のポケットへと落ちていく。
跳ねるボール。
そして——。
「……っ!! 【赤の13】! お客様の大勝利です!!」
「「「おおおおおおおッ!!」」」
カジノのフロアが、割れんばかりの歓声に包まれた。
(…………当たったァァァァァァァァァッ!?)
ローゼリア自身が一番驚いていた。
配当は36倍。ブリュンヒルデから渡された数千万円が、一瞬にして『十億円以上』の巨大なチップの塔となってローゼリアの前に積み上げられた。
「や、やりましたねローゼリア!! なんという神業!! さすがは黒き死神、運命すらもその手に掌握しているのですね!」
リアンヌが興奮気味にローゼリアの手を握る。
「ふ、ふはははっ! 当然じゃ! こんなもの、妾の頭脳と直感の前には造作もないことよ!」
(よ、よし! 完全にクールなギャンブラーの威厳を保てた! 奇跡のビギナーズラック、バンザイ!!)
調子に乗ったローゼリアは、カジノの熱狂に完全に当てられ、さらに暴走を始めた。
「さあ、次はカードじゃ! ポーカーのテーブルへ行くぞ、リアンヌ!」
「はい! どこまでもお供いたします!」
数十分後。
ポーカーのVIPテーブルにて。
(ルールは全くわからん!! とりあえず相手の目を見て、自信満々に『全額賭け(オールイン)』って言えば相手が勝手に降りるんじゃろ!?)
ローゼリアは、手札に『ブタ(役なし)』しか持っていないにも関わらず、先ほど大勝ちした十億円のチップの塔を、ドサァァァッとテーブルの中央に押し出した。
「——全額じゃ」
対面のテーブルに座る、銀河有数のマフィアのボスが、冷や汗をダラダラと流しながらローゼリアを睨みつけていた。
(ば、馬鹿な……! あの女、少しの動揺も見せずに10億を賭けてきやがった! 絶対に『ロイヤルストレートフラッシュ』か何かを持っているに違いない……! くそっ、降りるしかない!!)
「……フォ、フォールド(降りる)だ……」
マフィアのボスがカードを投げ捨てる。
その瞬間、ローゼリアの勝利が確定し、さらに莫大なチップが彼女の元へと引き寄せられた。
「す、凄すぎます、ローゼリア! カードを見ることすらなく、相手を圧倒的な威圧感だけで退けるとは!! まさに心理戦の頂点!!」
「ふふん。相手が小物すぎただけじゃ。退屈な勝負じゃったな」
(あーっはっはっはっは!! 楽勝! ギャンブルなんてチョロいもんじゃ! 今日は妾の、クールで天才的な無敗のギャンブラー伝説が始まる日じゃァァァッ!!)
完全に有頂天になり、次なる獲物を探して意気揚々と歩き出そうとしたローゼリア。
——しかし、彼女の足元には、誰かがこぼしたカクテルの水滴が落ちていた。
「さあリアンヌ、次はあのデカいルーレットを……あべっ!?」
ツルッ。
ローゼリアのピンヒールが、見事に水滴を捉え、彼女の身体は空中で美しい弧を描いて宙に舞った。
「ヒ、姫君ィィィィッ!?」
ズシャァァァァァァァァンッ!!!
ローゼリアは、隣にあった『別の客がプレイ中だったバカラのテーブル』に、チップの山もろとも顔面から一直線にダイブしてしまった。
「キャァァァッ!?」
「な、なんだこの女は!?」
周囲の客が悲鳴を上げ、カジノの黒服たちが一斉に血相を変えて駆け寄ってくる。
「……っ、痛ぁぁぁ……」
ローゼリアが涙目で顔を上げると、テーブルの上には見事にぶちまけられたチップと、カードが散乱していた。
(や、やってしまった……! またしても絶望的な運動音痴が発動してしまったぁぁぁっ!!)
「ローゼリア!! お怪我は!? 貴様ら、我が主君に気安く触れるなァッ!!」
リアンヌが白タキシードを翻し、黒服たちを凄まじい殺気で睨みつけながらローゼリアを庇う。
そこへ。
「——お前ら、カジノでまで何をやっている」
人混みを掻き分けて現れたのは、黒いイブニングドレスを着たブリュンヒルデ団長だった。
彼女は、テーブルに顔面から突っ込んで涙目になっているローゼリアと、黒服を威嚇するリアンヌ、そして散乱した莫大な額のチップを見て、ギリッとこめかみに青筋を立てた。
「せっかく稼いだ金を、台無しにしやがって……! ほら、さっさとズラかるぞ! カジノの出禁に載ったら厄介だからな!」
ブリュンヒルデは、ローゼリアの首根っこを掴むと、そのままズルズルとカジノの出口へと引きずり始めた。
「あわわわっ! 団長、痛い! ドレスが破れる!」
「自業自得だ! お前は本当に、三十分とクールな威厳を保てないのか!!」
かくして、クールで知的なギャンブラーとしてリアンヌを魅了するはずだった黒き死神の夜は、ビギナーズラックの果ての『盛大な顔面ダイブ』という、いつも通りのポンコツなオチで幕を閉じるのであった。




