第七十二話:黒歴史の拡散と、星海のバカンス計画
「うわあああああああッ!! もう嫌じゃ! 宇宙の塵になりたい!!」
母艦エインヘリアルの奥深く、ローゼリアの私室。
分厚いベッドの天蓋を下ろし、最高級のシルクのシーツに簀巻きになった黒き死神は、ジタバタと暴れながら奇声を上げていた。
表彰式での華麗なる『スライディング土下座』から数日。
その衝撃的かつ間抜けな映像は、ボルス国の国営放送を通じて全銀河へと生中継されており、瞬く間にネットワークの海へと拡散してしまったのだ。
『……マスター。現在の銀河ネットのトレンドワード第一位は【死神の土下座】、第二位は【戦乙女のズッコケ】です。さらに、あなたの転倒シーンを様々な音楽に合わせてリミックスしたMAD動画が、すでに二万件以上投稿されています。どれも芸術点が高いですね』
「調べなくていいと言っておるじゃろうがこのポンコツAI!! さっさと銀河中のネットワークをハッキングして全部消去せんか!!」
『無茶を言わないでください。拡散力が私の消去処理速度を上回っています。……それに、これもマスターの立派な【武勇伝】の一つではありませんか』
「うるさい! 妾のダークでクールなカリスマを返せぇぇっ!」
シーツの中で涙目になりながら枕に八つ当たりしていると、部屋の扉が控えめにノックされた。
「……姫君。リアンヌです。入ってもよろしいでしょうか?」
「っ……! リ、リアンヌ! 今は駄目じゃ、妾は今、深刻な魔力酔いで寝込んでおってな……!」
(無理! 今リアンヌ様に顔を合わせたら、あの時必死に笑いを堪えていた顔を思い出して爆発四散してしまう!)
しかし、扉は静かに開き、私服姿のリアンヌが銀のお盆を持って入ってきた。
「ご加減が悪いのは承知しております。ですが、お食事を摂られないのはお体に障ります。ボルス国から献上された、最高級の宝石ゼリーをお持ちしました」
ベッドの傍らに腰を下ろしたリアンヌは、シーツの山に向かって優しく微笑みかけた。
「……表彰式のことなら、どうかお気になさらず。我々戦乙女の誰も、姫君を侮るような者はおりませんから」
「嘘じゃ! ランドグリーズもロスヴァイセもオルトリンデも、今朝すれ違った時に妾の顔を見て吹き出しおったわ!」
「そ、それは……その」
リアンヌは困ったように微笑み、そして、真っ直ぐな声音で言った。
「私は、あのお姿を拝見して、ますます姫君のことが愛おしくなりました」
「えっ」
シーツの隙間から、赤い瞳がひょっこりと覗く。
「……いかなる敵も絶望させる無敵の死神でありながら、ふとした瞬間に年相応の……その、愛らしいお姿を見せてくださる。そんな姫君だからこそ、私は……私たちは、あなたにどこまでもついて行きたいと心から思えるのです」
「リ、リアンヌ……」
(うおおおおおっ!! なにその完璧なフォロー!! イケメンすぎて後光が差して見える!! 限界オタクの荒んだ心が、推しの聖母のような優しさで浄化されていくゥゥゥッ!!)
完全に機嫌を直した(チョロい)ローゼリアが、シーツから這い出してゼリーに手を伸ばそうとしたその時、部屋のインターホンが鳴り響いた。
『ローゼリア、リアンヌ。いるか? 拗ねてないでさっさとブリッジに来い。今後の予定について発表がある』
ブリュンヒルデ団長の、呆れ半分といった声だった。
エインヘリアルのブリッジ。
円卓の前に集められた戦乙女の面々は、ブリュンヒルデの前に提示されたホログラムの数字を見て、一様に息を呑んだ。
「……なんじゃ、このゼロの数は。バハムートのバグか?」
ローゼリアが目をぱちくりとさせる。
「バグじゃない。今回のテロ阻止と王太子救出に対する、ボルス国からの正規の報酬と……そして、ボルス国王直々の【慰謝料】だ」
ブリュンヒルデは、ニヤリと笑ってローゼリアを見た。
「表彰式で我が国の威信にかけて恥をかかせてしまったお詫びに、とかなんとか。まあ、転んだのはお前の自業自得だがな。おかげで団の金庫がパンクしそうなほどの莫大な金が転がり込んできた」
「うぐっ……! ま、まあよい! 終わり良ければすべて良しじゃ!」
ローゼリアは顔を赤くして咳払いをした。
「で、だ。これだけ予算が潤沢なら、当分は傭兵稼業を休んでもお釣りが来る。機体のメンテナンスと補給も兼ねて……我々エインヘリアルは、これより【長期休暇】に入る!!」
ブリュンヒルデの宣言に、ブリッジが歓声に包まれた。
「マジかよ団長! やったぜ!」
「素晴らしいですわ。少し血の匂いを洗い流したかったところです」
姉妹たちが喜ぶ中、ブリュンヒルデは星図を操作し、一つの美しい青い星を拡大した。
「行き先は、第7星区の『リゾート惑星アクアリア』。銀河中のセレブが集まる、最高級の海洋リゾート星だ。お前ら、たまにはマギアナイトを降りて、太陽の光と海を満喫してこい。費用はすべて団の経費で落としてやる」
「海洋リゾート……海、じゃと?」
ローゼリアの脳内に、恐るべき演算速度で一つのビジョンが構築された。
海。バカンス。セレブ。
——すなわち、リアンヌの【水着姿】である。
(……来る! 水着イベント!!)
以前のローゼリアであれば、ここで限界オタクとしての致死量を超える尊さに当てられ、鼻血を噴出していただろう。
しかし、ローゼリアは目を閉じ、深く静かに息を吐き出した。
(落ち着け、俺。前回の水着イベントで学んだはずだ。限界オタクたるもの、推しの水着姿を前にして正気を失っていては、その細部の美しさ(ディテール)を脳裏に完璧に焼き付けることができないと……! 妾はもう、あの頃の初心なオタクではない。冷静に、かつ優雅にこの供給を咀嚼する熟練のプロフェッショナルなのだ!)
ローゼリアは腕を組み、悟りを開いた僧侶のように深く頷いた。
「ひ、姫君? どうかなさいましたか? ひどく真剣な面持ちですが……」
リアンヌが不思議そうに覗き込んでくる。
「……いや、なんでもない」
ローゼリアはゆっくりと目を開き、気高く、そして威厳に満ちた王者の態度でブリュンヒルデを見据えた。
「よく言った、団長。連日の激戦で、皆の魔力回路にも少なからず疲労が蓄積しておろう。最高級のリゾートで心身を癒やすのは、今後の任務のパフォーマンスを維持する上で、極めて合理的かつ完璧な戦術的判断と言える」
「お、おう……。お前がそんなに素直に、しかも理路整然と賛同するとはな……」
ブリュンヒルデが少し不気味そうに顔を引きつらせる。
「うむ。皆の者、存分に英気を養うが良い。……リアンヌ」
「はっ」
「到着次第、すぐに水着の買い出しに向かうぞ。妾がお主に最も似合う、最高の【装甲】を見立ててやろう」
「あ、ありがとうございます……? 姫君がそう仰るなら、喜んでお供いたします」
(ふはははっ! 完璧! これぞ気高き主君の振る舞い! 心の中ではすでにスタンディングオベーションじゃ! リアンヌ様の水着姿第二弾、全方位から余すところなく完璧に網膜へ録画してやるわ!!)
表面上はあくまで冷静に、しかし内心では燃え盛るようなオタクの情熱を静かに滾らせながら。
最強の傭兵団エインヘリアルは、黒き死神の「プロフェッショナルな」期待を乗せて、常夏の楽園へと船首を向けるのであった。




