第六十一話:完全なる虚無と、帰還する戦乙女
暗黒の閃光が宇宙空間を通り過ぎた後。
そこには、ただ圧倒的な『静寂』だけが残されていた。
数秒前まで、母艦『エインヘリアル』を飲み込もうと殺到していた千五百機の量産機『ベスター』と、数十隻の連合軍巡洋艦。
それらは、神帝機『レヴィアタン』が放った一撃によって、装甲の破片一つ、パイロットの血の一滴すら残さず、宇宙の彼方へと完全に消滅されたのだ。
『…………』
敵も、味方も。
その宙域に生き残ったすべての者が、言葉を失っていた。
『……目標の完全消滅を確認しました、マスター。我々の射線上に存在していた敵性反応は、現在「ゼロ」です』
バハムートの無機質で、どこか誇らしげな音声だけが、静寂に包まれたコクピットに響く。
ローゼリアは、レヴィアタンの巨大な腕をゆっくりと下ろし、戦場の端で辛うじて射線から外れ、生き残っていた残存部隊——およそ五百の連合軍機へと、その禍々しいカメラアイを向けた。
『ヒッ……!?』
『あ、あぁ……あぁぁぁっ……!』
オープン回線から聞こえてくるのは、もはや戦意の欠片もない、純粋な恐怖に発狂しかけた兵士たちの嗚咽と悲鳴だった。
彼らの目の前で、味方の主力艦隊が一瞬にして『無』に還ったのだ。どれほど厳しい訓練を積んだ正規兵であろうと、人知を超えた神話の力を前にしては、赤子のように泣き喚くことしかできなかった。
生き残ったベスターが、次々と手にしたライフルを宇宙空間に投げ捨てる。
それは、完全なる降伏と、命乞いの合図であった。
『……興醒めじゃな。這いつくばって命を乞う者にまで、追い討ちをかける趣味はない』
ローゼリアは、レヴィアタンの広域通信を再び開いた。
その声は、全銀河を統べる絶対者としての威厳に満ちていた。
「——ルーンベイト連合の敗残兵どもに告ぐ。お主らの命は、今この瞬間、妾の気まぐれによって拾われたと思え」
その言葉に、連合の兵士たちはすがるように息を呑む。
「妾の眼界から消え失せよ。そして二度と、エーベルヴァイン帝国の領土に足を踏み入れるな。……次にその薄汚い機体の姿を見せた時は、お主らの首都星ごと、この宇宙から消し飛ばしてやる」
『撤退だ! は、早くワープゲートを開けェェッ!!』
『逃げろぉぉぉっ!!』
残存する連合軍の機体は、蜘蛛の子を散らすようにスラスターを吹かし、半狂乱になりながら自国の宙域へと逃げ帰っていった。
もはや、ルーンベイト連合に帝国へ侵攻する余力も、戦意も、何一つ残されてはいなかった。
「……終わったな」
敵の反応が完全にレーダーから消え去ったのを確認し、ローゼリアは大きく息を吐き出した。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、ドッと疲労が押し寄せてくる。神帝機レヴィアタンの操縦は、無尽蔵の魔力を持つローゼリアであっても、精神的に莫大な負荷を強いるものだった。
『……ローゼリア殿。いや、黒き死神殿』
通信帯に、帝国辺境警備隊の隊長の声が響いた。
彼らもまた、レヴィアタンの背後で、その規格外の力を目の当たりにして震えていた。しかし、その声に恐怖はなく、深い畏敬の念が込められていた。
『我々帝国軍一同、戦乙女の皆様に、そして貴女のその大いなる力に、心からの感謝と敬意を表します。……貴女は間違いなく、我が帝国の守護神です』
「……ふん。大げさな奴らじゃ。妾は雇われた傭兵として、当然の仕事をしたまでじゃ。お主らも、よく最後まで陣形を保って耐え抜いたな」
ローゼリアは尊大な態度を崩さず、しかし労いの言葉をかけ、レヴィアタンを母艦エインヘリアルへと反転させた。
『まったく。結局アレを使ったか、ローゼリア。……まあ、今回は母艦が危なかったから大目に見るが、後で始末書の山が待ってると思えよ』
ブリッジから、ブリュンヒルデ団長の呆れたような、しかし安堵の混じった通信が入る。
「う、うむ……。すまん、団長。だが、リアンヌや皆を失うよりはマシじゃろう?」
『……違いない。よくやってくれた。全機、帰投しろ』
エインヘリアルの巨大なハッチが再び開き、戦乙女の機体たちが次々と格納庫へと吸い込まれていく。
レヴィアタンはその巨体ゆえに特別格納庫へと収容され、厳重な封印プロテクトが再び施された。
機体を降りたローゼリアは、パイロットスーツのまま、一目散に一般格納庫へと駆け出した。
「リアンヌ!」
そこには、ボロボロになった純白の機体『スローネ』と、そのコクピットから降りてきたばかりのリアンヌの姿があった。
スローネの分厚い盾は表面が焼け焦げ、機体の各所からはまだ白い蒸気が上がっている。リアンヌ自身も、魔力障壁を維持し続けた反動で、肩で息をしており、その美しい銀髪は汗で頬に張り付いていた。
「ローゼ……リア……」
リアンヌは主君の姿を認めると、疲労困憊の身体に鞭打ち、その場に片膝をついて優雅な騎士の礼をとろうとした。
「馬鹿者! 無理をするな!」
ローゼリアは弾かれたように飛び出し、崩れ落ちそうになったリアンヌの身体をガシッと抱きとめた。
「……申し訳ありません、我が姫君。私はあなたの剣であり盾であるはずなのに、最後まで……あなたの背中を、お守りすることが……」
「阿呆! お主が限界まで盾を掲げてくれたからこそ、妾は母艦に戻り、レヴィアタンを起動できたのじゃ! お主の盾がなければ、エインヘリアルも、味方も、全滅しておったわ!」
ローゼリアは、リアンヌの汗ばんだ額を自身の袖で優しく拭いながら、力強く叫んだ。
「お主は世界で一番立派な、妾だけの騎士じゃ! ……だから、もう喋るな。今はゆっくり休め」
「……姫君……。ああ、あなたのそのお言葉だけで、私は……いかなる傷も癒える心地がいたします……」
リアンヌはローゼリアの小さな肩に額を預け、安心したように目を閉じて、静かに気を失った。
(うおおおおおっ!! 汗だくでボロボロになりながらも主君への忠誠を誓うリアンヌ様、マジで尊すぎるゥゥゥッ!! しかも俺の腕の中で眠護って……! 神様、仏様、バハムート様、転生させてくれて本当にありがとう!!)
表面上は「気高き主君」としてリアンヌを抱き留めながら、ローゼリアの内心は限界オタクとしての歓喜と激しい萌えの感情で大爆発を起こしていた。
「おーい、お姫様。リアンヌの容体はどうだ? 怪我はないか?」
そこへ、長女のランドグリーズと、整備班長のフィーネが駆け寄ってくる。
「うむ。魔力枯渇による極度の疲労じゃ。外傷はない。……フィーネ、スローネの修復を頼む。ランドグリーズ、ロスヴァイセとオルトリンデも無事か?」
「ああ、弾薬がすっからかんになっただけで、みんなピンピンしてるぜ。……それにしても、お前のアレ、マジで規格外だな。あんなの、銀河中の軍隊が束になっても勝てねぇよ」
ランドグリーズが、特別格納庫の奥に眠るレヴィアタンの方角を見て、ブルッと肩を震わせた。
「あの力は、安易に使うべきではない。……だが、大切なものを守るためなら、妾はいつでも悪魔にでも死神にでもなってやる」
ローゼリアは、腕の中で眠るリアンヌの金髪をそっと撫でながら、静かに、しかし絶対の決意を込めてそう呟いた。
かくして、ルーンベイト連合の強欲な野望は、戦乙女たちの奮闘と、神帝機の絶対的な力によって完全に打ち砕かれた。
ナベリウス大統領の失脚と連合の混乱は免れず、エーベルヴァイン帝国は再び確固たる平和と威信を取り戻すことになる。
星の海を駆ける傭兵団『エインヘリアル』。
黒き死神と白銀の騎士の伝説は、この日を境に、全銀河へとさらなる恐怖と畏敬をもって語り継がれることとなるのであった。




