第五十三話:帝都帰還と、悪役令嬢(テロリスト)の無慈悲な洗礼
母艦エインヘリアルから分離した小型の降下用シャトルが、大気圏の摩擦熱を抜けて、眼下に広がる青き惑星へと進入していく。
雲の切れ間から姿を現したのは、エーベルヴァイン帝国の首都、アエテルナ。
幾何学的に整備された美しい市街地と、その中心にそびえ立つ白亜の皇宮が、陽光を反射して眩く輝いていた。
「……見事な復興ぶりじゃな。以前ここへ来た時は、空はどんよりと曇り、街は反乱軍の重機に荒らされておったというのに」
シャトルの窓際で下界を見下ろしながら、ローゼリアは感嘆の息を漏らした。
彼女の脳裏には、百年前の記憶が重なっている。あの時、雪山を越え、泥だらけの地下水路を這い進み、ようやくたどり着いた帝都は、ザルバ将軍率いる反乱軍の軍靴に無惨に蹂躙されていた。
しかし今、目の前に広がるアエテルナは、姉であるフェイトの手によってかつての美しさと活気を取り戻し、平和で穏やかな空気を纏っている。
「ええ。フェイト女帝陛下の手腕は、近隣の星系でも高く評価されています。……それにしても、あなたが百年前の帝都を見ていたというのも、なんだか不思議な感覚ですね」
隣の座席で、白銀の騎士服を完璧に着こなしたリアンヌが、クスリと微笑みながら言った。
今回の『里帰り』にあたり、ローゼリアはいつもの漆黒のパイロットスーツではなく、皇族としての身分を隠さない、黒と真紅を基調とした豪奢なドレスを纏っている。リアンヌもまた、傭兵としての実戦用戦闘服ではなく、ローゼリアの相棒たる『騎士』としての華麗な正装だった。
(うおっ……今日のリアンヌ様、いつも以上に気合入ってて直視できねぇくらい美しい……! まるで絵画から抜け出してきた本物の白馬の騎士だろこれ! 輝きすぎて目が潰れそう!)
内心で限界オタクとしての拍手喝采を送りつつ、ローゼリアはコホンと咳払いをして平静を装った。
「当然じゃ。妾はあの時、神帝機『レヴィアタン』で帝都を埋め尽くす十万の反乱軍を消し飛ばしたんじゃからな。フェイト姉上がスムーズに復興できたのも、妾が街に傷一つつけずにお掃除してあげたおかげと言っても過言ではない」
「ふふっ、その武勇伝、後で女帝陛下にもたっぷりとお聞かせしなければなりませんね」
シャトルが皇宮の専用ポートに滑り込むように着陸し、ハッチが開く。
レッドカーペットが敷かれたタラップの下では、ずらりと並んだ近衛兵たちの先頭で、一人の美しい女性が待っていた。
金糸の髪を気品高く結い上げ、皇帝としての純白の礼服を纏った女性。現代のエーベルヴァイン帝国を統べる女帝、フェイト・エーベルヴァインである。
「ローゼリア!」
タラップを降りたローゼリアを見るなり、フェイトは皇帝としての威厳を投げ捨てて小走りで駆け寄り、妹の小さな身体を力強く抱きしめた。
「姉上……っ。苦しい、苦しいぞ! 姉上の豊かな胸が顔に押し付けられて、息が……!」
「ああ、無事で本当によかった……! 遺跡で行方不明になったと聞いた時は、生きた心地がしなかったのよ。こんなに小さくて軽い身体で、一人でどれほどの苦労を……!」
フェイトはローゼリアの抗議など聞こえないかのように、涙ぐみながら妹の髪を何度も撫でた。
普段は冷徹で完璧な為政者として振る舞う姉の、不器用で過剰なまでの愛情表現。それは、どこか隣に立つ白銀の相棒と似たものを感じさせた。
「女帝陛下。お久しぶりにございます」
リアンヌが一歩進み出て、優雅な騎士の礼をとる。
フェイトはローゼリアを解放すると、目元を拭ってリアンヌに向き直った。
「ええ、久しぶりね、リアンヌ。……あなたがいてくれて、本当に心強かった。私が帝国を離れられない間、この子を守り抜いてくれたこと、姉として心から感謝するわ」
「もったいないお言葉です。私はただ、魂の命じるままに、私のただ一人の主君をお守りしたまでですから」
リアンヌの淀みない忠誠の言葉に、フェイトは満足そうに頷き、二人を皇宮の奥へと案内した。
皇室専用のプライベート・ダイニング。
長机には、帝国の威信を懸けた最高級のフルコースが所狭しと並べられていた。
給仕の者たちはすべて人払いされ、広々とした部屋にいるのはフェイト、ローゼリア、リアンヌの三人だけである。
「さあ、遠慮せずにたくさん食べなさい。エインヘリアルの食事も栄養価は高いでしょうけど、味気ない兵站食ばかりでしょう?」
「おお……! まるで宝石のような肉じゃ! では、遠慮なく……」
ローゼリアがフォークを手に取ろうとした瞬間、横からスッと銀色のフォークが伸びてきて、ローゼリアの狙っていた肉の一切れを横取りした。
リアンヌである。
彼女はそれをパクリと口に入れると、数秒間咀嚼し、真剣な表情で頷いた。
「……よし。毒は入っていません。安全です、ローゼリア」
「リアンヌ!? お主、姉上が用意した食事に毒味をしたのか!?」
「当然です。いくら皇宮とはいえ、調理の過程で何者が介入しているか分かりません。これは相棒としての私の責務です」
大真面目な顔で言い切るリアンヌに、ローゼリアは頭を抱え、フェイトは目を丸くした後、クスクスと肩を揺らして笑い出した。
「ふふっ、あははは! 相変わらずね、あなたたちは。でも、いいわ。それくらい警戒心が強くなければ、あの過酷な傭兵の世界は生き抜けないものね」
「姉上、笑い事ではないぞ……。こやつ、最近は妾がお茶を飲む時も、必ず一口先に飲むんじゃからな。おかげで妾は、いつもリアンヌの『間接キス』付きの茶を飲まされておる」
(まぁ、限界オタクの俺からすれば至上のご褒美以外の何物でもないんだけどな! むしろ一生やってくれ!)
「良い関係じゃないの。……それで? 行方不明になっていた二週間、いや、あなたの体感では数ヶ月間、一体どこで何をしていたの?」
フェイトの問いかけに、ローゼリアはナイフとフォークを置き、居住まいを正した。
そして、六百年前の神話の時代に飛ばされて初代皇帝マルクスと出会ったこと。大厄災の引き金を引いてしまったこと。
さらに、百年前の雪山へ弾き飛ばされ、反乱軍に追われる先祖の皇女フリージアと、彼女を護衛する銀髪の騎士アンネリーゼに出会ったことを、包み隠さず語って聞かせた。
話を聞き終えたフェイトは、信じられないというように何度も瞬きをし、やがて深くため息をついた。
「……マルクス帝に、フリージア皇女。帝国の歴史書に燦然と輝く偉人たちと肩を並べて戦ってきたというのね。しかも、神帝機『レヴィアタン』を現代に持ち帰ってきただなんて……。エインヘリアルのブリュンヒルデ団長から報告書は受け取っていたけれど、直接本人から聞くと余計に頭が痛くなってくるわ」
フェイトは、優雅な手つきでこめかみを押さえた。
「フリージアは、姉上にそっくりじゃったぞ。泥だらけになっても、決して民と国を見捨てない、立派な王の器じゃった。……あいつらが繋いでくれたからこそ、今の姉上がいる。そう思うと、あの雪山での苦労も報われるというものじゃ」
ローゼリアが微笑むと、リアンヌも自身の腰に下げていた『白銀の短剣』をそっと撫でた。
「アンネリーゼ殿は、不器用で、真っ直ぐな騎士でした。……彼女が百年前から私に遺してくれたこの短剣は、ヴァーミリオン家の新たな誇りです」
「……そう。あなたたちが、この帝国の歴史を陰から守ってくれていたのね」
フェイトは立ち上がり、ローゼリアとリアンヌに向けて、深々と頭を下げた。皇帝としての礼ではなく、一人の人間としての、最大限の敬意の表現だった。
「さて、思い出話はこれくらいにしましょう。……実はね、今日あなたたちを招待したのは、単なる労いだけではないの」
フェイトが席に戻り、真剣な表情へと切り替わる。
「頼み事か?」
ローゼリアが首を傾げる。
「ええ。帝国の内憂外患は落ち着いたと言ったけれど、それはあくまで『表向き』の話よ。バルディアのようなテロリストの残党や、宇宙海賊、新興の過激派組織は、今も帝国の辺境を脅かしているわ。正規軍の艦隊戦なら負けないけれど、彼らのような『イレギュラーな戦法』を使う泥臭い相手には、帝国の綺麗な訓練を受けた兵士たちは脆いのよ」
フェイトは、手元のタブレットを操作し、空間にホログラムの資料を展開した。
「だから私は、対テロ・対ゲリラ戦に特化した帝国直属の新設特殊部隊『イージス』を創設したわ。最新鋭の機体を与え、厳しい訓練を積ませているけれど……実戦経験が圧倒的に足りないの」
「なるほど。温室育ちのエリートたちに、本物の『殺し合い』の空気を教えたいということじゃな?」
ローゼリアの赤い瞳が、ギラリと危険な光を帯びた。
その意図を察し、リアンヌもまた、静かに好戦的な笑みを浮かべる。
「その通りよ。あなたたちには、彼らの『仮想敵』になってほしいの。ただの模擬戦じゃないわ。数多の修羅場を潜り抜けた傭兵として、最悪のテロリストになりきって、彼らの自信と慢心を木端微塵に打ち砕いてほしいのよ」
フェイトは、悪戯っぽい笑みを浮かべてローゼリアを見た。
「どう? 黒き死神と白銀の騎士にとって、これ以上ない『遊び場』だと思わない?」
「ふはははっ! 姉上も人が悪い。可愛い部下たちを、妾たちのような化け物の檻に放り込もうというのか?」
ローゼリアは、グラスに入った赤い果実酒を飲み干し、不敵に口角を上げた。
「面白い。受けようではないか! エインヘリアルの、いや、神話の時代を生き抜いた妾たちの戦術を、そのエリート共の骨の髄まで刻み込んでやるわ!」
「ローゼリアの御心のままに。……温室育ちの騎士たちに、本物の絶望というものを教えて差し上げましょう」
リアンヌもまた、相棒の言葉に完璧に同調し、青き瞳を冷徹に細めた。
姉からの思わぬ『おもてなし(遊戯)』の提案に、二人の戦乙女の血は激しく滾っていた。
数日後。帝都アエテルナの近郊に位置する、巨大な軍事演習場。
広大な荒野に廃墟を模した市街地セットが組まれたそのフィールドに、帝国軍の新設特殊部隊『イージス』の精鋭たちが、最新鋭の量産型マギアナイト12機を展開していた。
部隊の指揮官である若き将校は、コクピットの中で冷や汗を流しながら、レーダーの反応を睨みつけていた。
『各機、警戒を怠るな! 相手はたったの二機だが……相手が悪い! 傭兵ギルド連合の中でも最強と謳われる「エインヘリアル」の副団長と、あのバルディアの反乱を単騎で鎮圧したという「黒き死神」だ!』
指揮官の通信に、部下たちが緊張した声で応答する。
エリートとして選抜された彼らだが、相手の悪名と実績は嫌というほど知らされている。正規軍のプライドにかけて負けられない戦いだった。
しかし、その緊張感を嘲笑うかのように、部隊のオープン回線に、極めて尊大で、芝居がかった少女の声が響き渡った。
『——フハハハハハッ! 震えておるな、帝国の番犬ども!』
「な、なんだこの通信は!?」
『妾は宇宙を股にかける極悪非道のテロリスト! 今日はお主らのそのピカピカの機体を、スクラップに変えてオークションで売り飛ばしてやるわ!』
上空の雲を突き抜け、二つの影が猛烈なスピードで降下してきた。
漆黒の悪魔『ノワール』と、純白の騎士『スローネ』。
(※神帝機レヴィアタンはさすがにオーバースペックすぎるため、フェイトの要請により今回は母艦で待機している)
「来たぞ! 上空からだ! 対空砲火、撃てェッ!!」
イージス部隊の12機が一斉にペイント弾の雨を上空へと放つ。
しかし、ノワールとスローネは、まるで事前に軌道を知っていたかのように、交差するように左右へ分かれ、弾幕を軽々とすり抜けた。
『さあ、恐怖の時間の始まりじゃ! リアンヌ、いくぞ!』
『はっ! 全ては、我が黒き悪の女王のために!』
(うおっ、リアンヌ様めっちゃノリノリじゃねぇか! 悪役ムーブも最高にキマってて美しいぜ……!)
ローゼリアはコクピットの中でニヤリと笑い、ノワールのスラスターを全開にした。
「陣形を崩すな! 盾兵を前に出し、後方から支援射撃を——」
指揮官が指示を出し終える前に、黒い閃光が陣形の中央に突き刺さった。
ノワールである。
ローゼリアは無尽蔵の魔力を機体に巡らせ、圧倒的な推力で強行突破を図ったのだ。
そして、すれ違いざまに、ノワールの脚部から放たれた『魔力衝撃波』が、周囲の3機の姿勢を強制的に崩した。
「なっ……速すぎる!」
体勢を崩した3機に向けて、今度はスローネが純白の盾を構えて突進してくる。
『防御姿勢をとれ!』
帝国兵が機体の盾を構えるが、リアンヌの動きは彼らの予測を遥かに超えていた。
スローネは、敵の盾を「破壊」するのではなく、自らの盾を敵の盾の下に滑り込ませ、テコの原理で相手の機体ごと上空へと『跳ね上げた』のだ。
「うわぁぁぁっ!?」
宙に浮いた無防備な機体の腹部に、スローネの槍がペイント弾を正確に叩き込む。
撃破判定。開始わずか数十秒で、3機がシステムダウンを宣告された。
『……マスター。敵の陣形パターンを分析。指揮官機は後列中央。通信のラグから見て、指揮系統は完全に中央集権型です。指揮官を落とせば瓦解します』
ローゼリアのパイロットスーツの胸元から、バハムートAIの無機質で毒のある音声が響く。
「ふん、現代の軍隊らしい脆さじゃな。……よし、少し遊んでやるか」
ローゼリアは操縦桿を倒し、ノワールを廃墟のビル群の中へと滑り込ませた。
「黒い機体を見失ったぞ! レーダーに反応なし!」
「落ち着け! 熱源センサーを最大にしろ!」
混乱するイージス部隊。
そこへ、ビルの死角からノワールの黒い手が伸び、最後尾の機体のカメラセンサーを『物理的に』泥で塗り潰した。
「な、なんだ!? 視界が!」
『ふはははっ! 戦場ではレーダーなどアテにならんぞ! 泥臭い手こそが、傭兵の真骨頂じゃ!』
パニックに陥った機体が盲滅法に銃を乱射し、それが味方の機体に誤射される。
連携は完全に崩壊し、同士討ちの様相を呈し始めた。
「くそっ、落ち着け! 相手は二機だぞ!」
指揮官が必死に部隊を立て直そうと声を張り上げる。
『——その無駄な足掻き、嫌いではありませんよ』
指揮官機の背後に、いつの間にか純白の死神が立っていた。
リアンヌのスローネである。彼女はローゼリアが陽動と撹乱を行っている隙に、完全に魔力反応を絶って死角から忍び寄っていたのだ。
「ば、馬鹿な……いつの間に!?」
『戦場において、背後を取られることは「死」を意味します。……エリートの皆様、良い勉強になりましたね』
スローネの冷徹な声と共に、長槍の石突が指揮官機の後頭部を強打した。
システムダウンの警告音が、指揮官のコクピットに空しく響き渡る。
「指揮官がやられた!」
「もう駄目だ、逃げ——」
残された8機が戦意を喪失しかけたその時。
空を覆い尽くすほどの黒い魔力の波が、演習場全体を包み込んだ。
ノワールが空中に浮かび上がり、その背部から漆黒の魔力の翼を広げていた。
『逃がすか! お主らの命は、妾がすべて刈り取ってくれるわ!!』
ローゼリアの無尽蔵の魔力が、模擬戦用の出力制限をかけられながらも、空間そのものを圧迫するようなプレッシャーを放つ。
それは、死神が振るう絶対的な恐怖の象徴。
「ひぃぃぃっ……!! 化け物だ!!」
戦意を完全にへし折られたイージス部隊は、もはや抵抗することすらできず、次々とペイント弾の直撃を受け、次々に沈黙していった。
「……素晴らしいわ。文字通り、赤子扱いね」
演習場の観覧席でモニターを見つめていたフェイトは、溜息と共に惜しみない拍手を送った。
模擬戦の開始から終了まで、わずか5分。
帝国が誇る最新鋭の機体とエリートたちが、たった二機の傭兵によって、一瞬でスクラップの山(ペイント塗れ)に変えられてしまったのだ。
「これで彼らも、自分たちの未熟さと、本物の戦場の恐ろしさを骨の髄まで理解したでしょう。……ありがとう、ローゼリア、リアンヌ」
演習場の中央。
ペイント弾で真っ赤に染まった12機の機体を見下ろすように、漆黒のノワールと純白のスローネが背中合わせで立っている。
『ふはははっ! 良い運動になったぞ! リアンヌ、妾の悪役っぷりはどうじゃった?』
『最高でした、ローゼリア。あなたの尊大で残酷なお言葉を聞くたびに、私の胸は高鳴りっぱなしでしたよ。やはり、あなたはどのような役を演じても、この銀河で最も魅力的です』
『うむ! やはり妾とお主のコンビは最強じゃな!』
オープン回線で堂々とイチャつき始めた二人の会話を聞きながら、撃破されたイージス部隊の若き兵士たちは、敗北の屈辱と、底知れぬ強者への畏怖でただ打ち震えることしかできなかった。
かくして、エーベルヴァイン帝国への里帰りは、妹を想う姉の優しさと、黒き死神による無慈悲な洗礼によって、大成功の裡に幕を閉じたのである。
過去の歴史を護り、未来を切り開く二人の戦乙女の絆は、故郷の星の光を浴びて、さらに強固なものへと昇華されていた。




