第五十二話:姉からの招待状と、並び立つ二人の帰郷
「ふぅ……。さっぱりしたのう」
心地よい温水シャワーを浴びて医務室の消毒液の匂いを洗い流したローゼリアは、自室のふかふかなソファに深く腰を沈めた。
隣には、同じくシャワーを浴び終えたばかりのリアンヌが腰を下ろしている。彼女の透き通るような金髪からは、微かにローゼリアと同じシャンプーの甘い香りが漂っていた。
「まったく……。リハビリ初日からあんな無茶な機動をするなんて。チーフのお墨付きが出たとはいえ、ヒヤヒヤしましたよ」
リアンヌは、自身の髪をタオルで拭きながら、隣のローゼリアをジト目で睨んだ。
「そう言うな。お主だって、妾が三人を相手に完勝したのを見て、観覧デッキで大興奮しておったじゃろう?」
「そ、それは……! 私の自慢の相棒が、あまりにも見事な戦いぶりを見せたからです。……でも、無理は禁物ですよ」
リアンヌは呆れたように息を吐きつつも、その口元には隠しきれない誇らしげな笑みが浮かんでいた。
彼女は過保護な面こそあるものの、決してローゼリアを鳥籠に閉じ込めたいわけではない。背中を預け合い、共に死線を潜り抜けてきた『対等な相棒』として、誰よりもローゼリアの強さと気高さを理解し、尊重しているのだ。
「わかっておる。お主が隣にいてくれるから、妾も安心して無茶ができるというものじゃ」
ローゼリアがリアンヌの肩にコテンと頭を預けると、リアンヌも優しく寄り添い返し、二人の間に穏やかな時間が流れた。
その時、ローテーブルの上に置いてあったローゼリアの個人用情報端末が、短い電子音を鳴らした。
画面には、母艦の暗号化回線をすり抜けて届いた『超・最優先メッセージ』の通知が点滅している。
「ん? エインヘリアルの任務連絡ではないようじゃが……」
ローゼリアが身を起こして端末を手に取ると、差出人の名を見て、赤い瞳が微かに見開かれた。
「フェイト姉上……」
現代のエーベルヴァイン帝国を統べる女帝にして、ローゼリアの血を分けた実の姉、フェイト・エーベルヴァイン。
ローゼリアが皇女の身分を捨てて傭兵稼業に身を投じてからも、姉は陰ながらローゼリアの身を案じ、時には秘密裏に支援をしてくれていた。
ローゼリアは姿勢を正し、厳重な生体認証を解除してメッセージを開いた。隣のリアンヌも、少し真剣な表情になって画面を覗き込む。
『——久しぶりね、我が愛しき妹よ。元気にしているかしら?』
文面は、公的な書簡というよりも、姉から妹へ宛てた私信の柔らかいトーンで綴られていた。
『あなたがアズール・コーストの遺跡で行方不明になったと聞いた時は、帝国軍の全艦隊を暗礁宙域に差し向けようかと本気で考えたわ。でも、ブリュンヒルデ団長から無事帰還の報告を受けて、本当に安心した。……リアンヌも、さぞかし肝を冷やしたことでしょうね』
「……肝を冷やすどころではありませんでしたよ、女帝陛下」
リアンヌが隣で小さく呟き、ローゼリアの手をギュッと握りしめてきた。ローゼリアも「すまんすまん」と苦笑しつつ、その手を握り返して先を読み進める。
『さて、今日あなたに連絡をしたのは他でもないわ。
長らく帝国を悩ませていたバルディア率いる「新帝国解放戦線」の残党狩りや、彼らと裏で繋がっていた腐敗貴族たちの粛清が、ようやく一段落ついたの。
帝国の立て直しも軌道に乗り、なんとか私一人でも政務を回せる余裕ができたわ』
そこまで読んで、ローゼリアはホッと安堵の息を吐いた。
フェイトは、若くして広大な帝国を背負い、常に内憂外患に頭を悩ませていた。その重圧が少しでも和らいだのであれば、妹としてこれほど嬉しいことはない。
『そこでね。
もしあなたの身体の具合が良くて、傭兵団の任務にも余裕があるなら……一度、皇宮に顔を見せに来てくれないかしら?
公的な「帰還命令」ではないわ。あくまで姉から妹への、そして帝国を救ってくれた英雄と、その頼もしい相棒への「招待」よ。
積もる話もあるわ。あなたが持ち帰ったという「神話の時代の土産話」も、ゆっくり聞かせてほしい。
……待っているわ、ローゼリア』
メッセージは、そこで終わっていた。
ローゼリアは端末を置き、部屋の天井を仰ぎ見た。
(帝国……か。皇宮を出てから、ずいぶんと色々なことがあったのう)
脳裏に蘇るのは、百年前の雪山での過酷な逃避行。
ボロボロのドレス姿でありながら、決して王者の誇りを失わなかった金髪の皇女、フリージア・エーベルヴァイン。そして、彼女の盾として剣を振るった、銀髪の騎士アンネリーゼ・ヴァルター。
『——あなたが生きる時代まで、この国と、民の命を繋ぐ。それが私に与えられた使命だ』
あの時、フリージアとアンネリーゼが命懸けで守り抜き、繋いだ「歴史」。
その果てにあるのが、今のエーベルヴァイン帝国であり、フェイト姉上なのだ。
(フリージアよ。お主が繋いだ国は、今も立派に続いておるぞ。……妾の姉上が、立派に治めておる)
時を超えた血脈の繋がりに、ローゼリアの胸の奥が熱くなる。
自分はもう、過去の遺物ではない。この時代に生きる者として、先祖たちが命懸けで守った国が今どうなっているのか、自身の目でしっかりと見ておきたかった。
「……フェイト女帝陛下、ずいぶんと肩の荷が下りたような文面ですね」
リアンヌが、柔らかな声で言った。
「うむ。姉上は昔から、何でも一人で抱え込んでしまう癖があったからな。……リアンヌ、妾は一度、帝国へ行こうと思う」
ローゼリアは、隣に座るリアンヌを真っ直ぐに見つめた。
「姉上の顔を見たいし、今の帝国がどうなっているか、この目に焼き付けておきたいのじゃ。……一緒に行ってくれるか?」
その問いかけに、リアンヌは騎士としての堅苦しい礼ではなく、対等な相棒としての極上の笑顔を向けて頷いた。
「当然です。あなたの隣は、私の特等席ですからね。それに……あなたがまた突然過去に飛んでいったりしないよう、私がしっかりと手綱を握っておかなければなりませんし」
「むっ、妾は子供ではないぞ! 今回は不可抗力じゃったし!」
「ふふっ、分かっていますよ。でも、あなたの故郷への帰還です。……二人で、胸を張って行きましょう」
「……うむ。頼りにしておるぞ、相棒」
二人は、互いの拳を軽く打ち合わせた。
主従という枠組みを超え、完全な信頼で結ばれた二人の少女の間に、確かな絆の熱が交わされる。
翌日。
母艦のブリッジに赴いたローゼリアとリアンヌは、ブリュンヒルデにフェイトからの招待状の件を報告した。
「なるほどな。まあ、あんな神話のバケモノ(レヴィアタン)を拾ってきて騒ぎを起こしたんだ。帝国のトップであるお前の姉上が、直接話を聞きたがるのも無理はない」
ブリュンヒルデは、円卓で腕を組みながら呆れたように言った。
「休暇の許可はもらえるか? 団長」
ローゼリアが尋ねると、ブリュンヒルデはフッと口角を上げた。
「ああ、構わない。お前たちには、これまで嫌というほど過酷な任務を押し付けてきたからな。リハビリも終わったばかりだし、ちょうどいい骨休めになるだろう。……ただし、あまり帝国で派手に暴れるんじゃないぞ?」
「妾をなんだと思っておる。今回は、ただの可愛い妹としての里帰りじゃ」
ローゼリアが自信満々に胸を張ると、横で聞いていたランドグリーズが「一番暴れそうな奴が何言ってんだか」と肩をすくめ、ロスヴァイセやオルトリンデも苦笑いを浮かべた。
「よし! では決まりじゃな! 出発の準備をするぞ、リアンヌ! 行き先は、エーベルヴァイン帝国皇宮・アエテルナじゃ!」
「ええ。ノワールとスローネの調整は、フィーネにお願いしておきましょう。……最高のコンディションで、帝都へ向かいますよ」
こうして、時空を超えた旅から生還した黒き死神と白銀の騎士は、息つく間もなく、自身の血脈が息づく故郷——エーベルヴァイン帝国へと向かうことになった。
姉フェイトとの再会、そして帝国で彼女たちを待ち受ける新たな波乱の予感に、二人は並び立ち、確かな足取りで未来へと歩み出していくのであった。




